叔父と浪人
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具房は一時的に前線から退き大和の信貴山城に入った。そこで信虎たちの忠告に従って休養をとるーーはずもなく、大和の統治を固めるために奔走していた。信長からは、大和を任せるという内諾を得ている。そこで具房は大和支配の確立に乗り出したのだ。
大和の統治は武力による支配ではなく、合意による支配にしたかった。それは柳生宗厳や宝蔵院胤栄など、大和には知り合いも多くいたためである。このうち、宗厳たちについては久秀が降伏するとともに具房の傘下に入った。
しかし、国人からは抵抗する者が続出している。久秀がろくな抵抗もできずに敗北したことから、具房に従うことについては国人たちもやぶさかではない。臣従を阻んでいるのは、所領の放棄だった。
先祖伝来の土地を奪われるくらいなら一族郎党ごと滅んだ方がマシ!
そんな、具房には理解不能な理由で臣従を拒む者が多かった。短気な猪三は逆らう者はすべて叩きのめせ! と言っているが、そんなことはしたくない。やるとしても最終手段だ。困った具房は先代の統治者である久秀の許を訪ねていた。
「大和を治めるにはどうすればいい?」
具房は単刀直入に訊いた。これに久秀は苦笑する。
「急にこの老骨を訪ねて来られたかと思えば、いきなりですな」
ほっほっほ、と笑いながらお茶(具房が持ってきた)を啜る久秀。言外に教えてやるものか、と言っている。国を奪われた人間の抵抗なのだろう。だが、そこは具房も戦国大名。久秀のささやかな抵抗を排除する手段は用意していた。
「弾正殿(松永久秀)の身柄は義兄殿(信長)からわたしに一任されているのだが……」
どうする? と具房。久秀たちの寿命が伸びるか縮まるかは具房の機嫌次第だと言ったのだ。命を長らえたいのならいい印象を与えておいた方がいいぞ、と。しかし、それで動くほど久秀は甘くない。
「老い先短いこの命、今さら惜しくはない」
とにべもない。具房は負けを認めた。
「わかった。命は保証しよう」
譲歩する。しかし、久秀は足りないとばかりにお茶を飲み、答えなかった。
「大和の副代官を任せる」
さらなる譲歩を見せた。
「某には孫娘がおりましてな」
「……その娘を徳松丸の正室としよう」
具房は今度こそ参った、と手を挙げた。久秀の条件を全面的に呑むこととなる。事前に想定していたラインを越えており、完全な負けだった。
「先ほども申しましたが、某は老い先短いゆえ。怖いものはありませぬ」
それが交渉に勝った理由だと久秀。命を捨ててかかれば怖いものはないーーそれは狂気であるとともに強みであった。しかし、本当はそれだけではない。情報に強い久秀は、妻の実家である広橋家から具房に対して、自身の助命嘆願がされていることを知っていた。公家との関係を重視する具房なら自分を殺すことはないだろうーーそう考えたからこそ、強気に出たのだ。
「さて。大和の統治のやり方でしたな」
「ああ」
「ならば、興福寺を使われるとよろしい」
湯飲みを置いた久秀はそんなアドバイスを与える。具房は怪訝な顔をした。興福寺といえば、先日焼かれた延暦寺と並ぶ強力な寺社だ。多数の僧兵も抱えている。その代表格が宝蔵院胤栄だ。そんな彼らが簡単に従うとは思えなかった。
しかし、久秀は興福寺を利用した支配を勧める。それは自身の体験に基づいていた。
「東門院殿にはお世話になりましてな」
「東門院殿?」
具房が誰だそれ? という顔をすると、久秀は知らないの? と驚かれた。そんなことを言われても知らないものは知らない。誰なのかと説明を求めた。
「黄門様の叔父ですよ」
久秀曰く、具房の父である具教には反乱を起こした木造具政の他にも兄弟がいる。その人物が興福寺東門院の院主を務めているのだという。久秀は北畠家と仲よくすることで、興福寺との協調関係を構築していたのだ。
「筒井は興福寺の衆徒。表立っては味方してくれなかったが、中立でいてくれるだけでも楽になった」
そのときに窓口となったのが東門院の院主である具房の叔父だった。彼の尽力によって久秀の大和支配はかなりやりやすくなったという。
「黄門様は寺領の没収などを掲げているので難しいでしょうが、当たる価値はあるでしょう」
さらに久秀は意外な提案をする。それが不倶戴天の敵・筒井氏の登用であった。
「いいのか?」
「大名であれば受け入れられませんが、黄門様のためならば」
なかなか感動的な文句だが、具房は疑っていた。しかし、有力な衆徒である筒井氏を味方にできれば、興福寺に強力な圧力をかけられる。他者からのものではなく、自身を支える土台からの突き上げだ。興福寺も真剣に検討しなければならないだろう。問題は筒井氏が従うかということだが、これについては簡単に解決する。大和支配に噛ませればいい。
「筒井にはもはや何もありませぬ。であれば、その誘いには乗ってくるかと」
「たしかに」
具房は久秀の考えに納得し、それに従って行動することにした。先ず筒井氏に仕官を促す。使者には筒井氏に仕えていたこともある柳生宗厳が選ばれた。待遇は中級家臣として。大和の行政を任せるという条件を出した。その結果、
「筒井左門(順国)でございます。こちらは倅の藤松です」
筒井氏の生き残りである筒井順国と藤松が出仕してきた。
「よく参られた」
「大和をお任せくださると聞き、馳せ参じました」
「期待しているぞ」
具房の答えを聞いて、順国は深々と頭を下げた。しかし、この仕官話には重大な罠が隠されている。たしかに具房は『大和の行政を任せる』と言った。だが、その程度は示されていない。つまり、この言い回しでは大名のように一国のすべてを取り仕切る職から、木っ端官僚までを指すこととなり、どの職に就けようと具房の自由だということになるのだ。素晴らしき官僚の論理である。
言い方は悪いが、順国たちはまんまと騙されたわけだ。北畠家に仕官した以上は、その人事評価制度へと否応なしに組み込まれる。そこで出世するも零落するも能力次第、というわけだ。いざ仕事をしようとしてそのことを知った順国は愕然とした。しかも意地の悪いことに、順国たちは北畠家を離れられない。下野しても、家臣や領地を失ってしまった筒井氏が再び大和を押さえられるとは思えないからだ。
そこで順国は考え方を変えた。頑張れば出世できるというなら、やってやろうじゃないか。出世のためなら悪魔とでも取引してやる、と順国は意気込む。最初の仕事は、衆徒を動員して興福寺へと圧力をかけることだった。多少の躊躇はあってもおかしくないが、順国は躊躇いなく興福寺へと圧力をかけている。
これと並行して、具房は叔父に大和支配に協力するよう寺のお偉いさんを説得してほしいという要請を行った。もちろん具房自身も、興福寺に寺領を手放すことを求めている。
具房からの圧力だけであれば、興福寺も何を馬鹿なと突っぱねることもできた。だが、身内である東門院の院主から説得され、挙句に順国に煽動された衆徒から突き上げを食らったのではたまらない。興福寺の力の源泉である信者が離反しかねないのだ。
「交渉をしたいと存じます」
結局、興福寺は使者を派遣して具房との交渉を行うしかなかった。ちなみに使者は具房の叔父が務めている。
(へえ。こんな人いたんだ)
具房は新たな親戚に会えて少し嬉しかったりする。父・具教からの事前情報によると、具政のようなバカではないらしい。実際に会ってみるとたしかに叔父は冷静で、なおかつ知的な印象を受ける。
「承知した」
信貴山城へ興福寺の使者を呼び出し、交渉を行った。開催場所が具房のテリトリーである時点で勝敗は明らかだが、人間、素直に負けを認められないこともある。興福寺もそのクチで、激しく抵抗した。
「ですから、せめて寺領の一部は現状維持でお願いしたい」
使者となった僧は僧兵の解散などには応じたが、寺領の放棄には首を縦に振らない。だが、具房はそんなこと知るかとばかりに寺領の放棄を迫った。興福寺にとっては嫌なことに、釈迦の教えを盾にして。
「『涅槃寂静』ーー苦から解放され、悟りを開くことですが、そもそも『苦』とは何なのか。これはいわゆる『八苦』に相当します。つまり生苦、老苦、病苦、死苦、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の八つの『苦』です。寺領は金銭収入を得るためのものだが、それは求不得苦に反するのではないか?」
「っぐ。しかし、我々にも生活がありーー」
「生活をするために金貸しを営んでいるのか。それは初めて知った」
具房は嫌味ったらしく言う。興福寺の僧は唇を噛む。真正面からど正論を突きつけたのは、恐らく具房が史上初めてだろう。仏教が伝来した当初は『中華の先進的な考え』として、教えが広まると『そういうもの』として、人々は疑問を抱かず、仏教とはそういうものだと受け入れている。
仏教に対して疑問を抱くことはない。いや、疑問を抱いても表に出すことをよしとされない。それを現代の日本人は『空気を読む』という。いわばタブーだ。タブーゆえに、それを犯すものはバッシングを受ける。比叡山を焼いた信長が批判されるのも、この心理が働くからだ。ちなみにこれは仏教に限ったことではない。キリスト教も同じ。別に宗教ではなくても、ちょっとした慣習だって同じだ。
そんな考えの下、具房は興福寺の僧を虐める。彼は嗜虐癖の持ち主であり、困っている人を見るとゾクゾクする。だが、同時にちょっとチキンなハートも持っており、相手がキレないライン(引き際)は心得ていた。
(そろそろかな?)
Sな心が満足し、チキンな心が顔を出したのが合図。その瞬間に具房は妥協案を出す。
「ではこうしよう。寺領を没収する代わりに、北畠家から毎年、相応の金を出す」
春日大社に起請文を出してもいい、と具房は言い添えた。要は神に誓うわけである。現代風にいえば、契約書にサインするのと同じ行為だ。
「ぬう……」
僧は唸る。多少条件はよくなった。しかしこれで頷くのはどうなのかと。そこで具房は最終手段、脅しに出た。
「納得いただけないのなら仕方がない。比叡山の後を追ってもらうことにしよう」
それは興福寺を焼く、という脅しだった。朝廷や藤原氏の保護を受けているので普通は冗談にしか聞こえないが、つい先日、信長が比叡山を焼き討ちにしたばかりだ。比叡山も興福寺と同じような立場だったが、焼かれている。信長のお仲間である具房がやらないという保証はなかった。
言うことを聞くか焼かれるか。興福寺の選択は二つにひとつ。その最終判断は、
「わかりました」
具房に従う、だった。大和のボスともいうべき興福寺が具房に屈したことで、大和国人たちも次々と北畠家に属した。それでも従わなかった者は、容赦なく滅ぼされている。こうして梅雨明けまでに大和支配は固まることとなった。
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「これからよろしく頼む」
興福寺との交渉が終わった後、具房の叔父は還俗した。曰く、色々とやらかしたので寺に居られなくなったとのこと。申し訳なさを感じつつ、具房は彼を迎え入れた。以後、叔父は北畠具親と名乗ることとなる。具親は興福寺との太いパイプがあることから、大和代官に任じられた。
具親は挨拶に訪れた際、ひとりの男を連れていた。元は筒井家の家臣で、滅亡後は興福寺に身を寄せていたらしい。その名前を聞いて、具房はびっくりした。
「島左近です。黄門様のために、身を粉にして働かせていただきます」
(島左近!? マジか!)
信虎が仕官してきたとき以来の衝撃である。島左近(清興)といえば筒井氏に仕え、その後は石田三成に三顧の礼で迎えられた名将である。ちなみに、そのとき三成が左近に与えた俸禄は自分の所領の半分。破格の好待遇であり、左近の有能さを示している。そんな人物が自ら仕官してきたのだ。これは驚きである。どうして仕官してきたのか? と訊きたいところだが、それは野暮というものだ。
「よく仕官してくれた。貴殿はなかなかの人物と見える。活躍を期待しているぞ」
「はっ!」
具房は快く受け入れた。
その後、興福寺の僧兵を大和兵団として編成するなど、梅雨の期間を具房はやはり忙しく過ごした。その中心になったのは松永久秀と息子・久通、筒井順国。編成された実戦部隊の中心には島左近、柳生宗厳、宝蔵院胤栄がいた。銃などの供給が間に合わないため、事実上の白兵戦専門部隊となっている。
梅雨で軍事行動が止まっているとはいえ、常に雨が降っているというわけではない。五月雨式に荷駄が到着して、最優先される食糧を中心に物資の集積が進んでいた。
「とりあえず、一ヶ月分の物資は運べた」
梅雨明け。最前線の若江城に戻った具房は、留守を預かっていた信虎や一益の前でそう言った。ちなみにこの「一ヶ月」とは鉄砲の弾や擲弾の数であり、火砲を使った継戦能力を表していた。重量の関係でこの数字には誤差がある。銃弾などは軽いため多く備蓄できたが、重い砲弾は十日程度しかない。食糧は重いが、重要物質であるため三ヶ月の備蓄があった。
「梅雨も明けたようですし、攻撃開始ですか?」
「ああ」
具房は頷き、河内と和泉の味方を救援すべく、自軍を越境させた。
【解説】島清興(左近)について
筒井氏に仕えた後、石田三成に仕え、関ヶ原の戦いで討死したことで有名な清興。彼は浪人時代を興福寺で過ごしました。そこで本作では筒井氏滅亡後に興福寺に身を寄せた、との設定にしています。