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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第五章
52/226

比叡山燃ゆ

 



 ーーーーーー




 具房たち北畠軍が行動を開始したのと同時に織田軍も動く。岐阜に集合した織田軍主力(五万)は一路、比叡山へ向かう。このような動きに対して、比叡山は僧兵およそ四千ほどを集めて籠城していた。織田軍は坂本や三井寺の付近に駐屯。比叡山を取り囲んだ。


 軍議で信長は、


「畿内の邪魔者を除くのだ。妥協は許さぬ」


 と宣言した。それは比叡山を滅ぼすことさえも厭わない、という宣言であった。しかし、これに反対する者がいる。家老の佐久間信盛と武井夕庵だ。


「某は反対です」


「桓武帝の御世から京を守護してきた比叡山を滅ぼしてはなりませぬ」


 二人は信長を諫めるが、彼は聞く耳を持たなかった。そんな彼の許に比叡山から使者が送られてきた。


「何用だ?」


「叡山は京を守護する要。我らに争う意思は毛頭ございません」


 それは和睦の提案だった。


「……」


 信長は考える。家臣たちには比叡山を滅ぼすというようなことを言ったが、肝心なことは彼らが畿内で自分たちの邪魔をしなければいいのだ。これからいくつもの戦いが想定される今、兵を損耗することはなるべく避けたい。講和するのもーー条件によってはーー悪くない選択肢といえる。


「ならば、寺領の完全な放棄と武装解除をせよ。それが条件だ」


「そ、それは……」


 狼狽する使者。だが、信長がギロリと睨むと気圧されて黙り込む。使者は検討する、と言って帰るしかなかった。既に勝敗は決まったようなものだったが、信長は容赦しない。


「明後日の早朝までに使者を寄越せ。さもなくば敵対するものと見做す」


 すごすごと帰っていく使者の背中に、そんな止めとなる言葉を投げかけた。


 使者が帰った後、信長は再び諸将を集める。使者を脅した以上、それがブラフだと思われて舐められるわけにはいかない。本当に攻めるにせよポーズにせよ、攻撃準備を進めておかなければならなかった。その前にまず、どう攻めるのかを決めなければならない。


「いかがすべきか?」


 家臣たちに訊ねる。真っ先に手を挙げたのは柴田勝家。


「根切り(皆殺し)にいたしましょう」


 いきなり過激な発言が飛び出す。勝家は総攻撃をしかけて僧兵や僧侶など、比叡山にいる人間を皆殺しにすべきだと主張した。これに明智光秀が異を唱える。


「お待ちください。根切りには賛成ですが、総攻撃では敵方に十分な備えがあり、損失を増やしてしまいます」


「夜襲をかければいいのだ」


「夜襲では地理を知る敵の方が有利です。その上、同士討ちなどの危険もある」


「十兵衛(明智光秀)に一理あるな。では、そなたの考える上策とは何だ?」


 信長は反対した以上、何か別の考えがあるのだろうな? と少し脅す。こう出ることは光秀も予測しており、質問には淀みなく答えた。


「火攻めが上策かと」


「火だと? それでは我らが近寄れぬではないか!」


 意見を否定された勝家が反対する。しかし、光秀は一歩も引かない。


「我らは叡山を囲んでいます。だから近寄る必要などないのです。ただ待てばいい」


 山に火をかけられれば、逃げ道は上か下しかない。しかし、上に逃げれば火に焼かれるだけである。実際には、下ーーつまり織田軍へ向けて逃げるしかないのだ。火に巻かれていれば統率などとれるはずがない。そんな軍はただの烏合の衆であり、容易かつ損害少なく討てる、と光秀は主張した。


「ふむ……勝三郎(池田恒興)はどう考える?」


 信長は光秀の意見を聞いてまず頷く。その後、乳母兄弟で信頼する池田恒興に意見を求めた。恒興は光秀の意見に賛成だと前置きした上で、


「夜襲では思わぬ損害を出しかねない。ここは早朝に攻撃を始めるべきですな」


 と結んだ。これに信長は満足し、膝を叩く。


「よし! それでいく。十兵衛!」


「はっ」


「そなたに準備を任せる。上手く差配せよ」


「ははっ!」


 こうして明後日までに比叡山が要求を呑まなければ、早朝に火攻めが行われることとなった。光秀が中心となって準備が進む。ここで彼はその有能ぶりを見せ、その日のうちに大まかな準備を終わらせてしまった。


 これに慌てたのが比叡山である。焼き討ちの準備が進んでいるのだ。紛糾していた話し合いは一気にまとまり、慌てて使者を送った。


「金五百をお納めします。これで何とかお許しください!」


 使者は土下座して懇願する。このままでは明日の命はない。そう考えれば恥も外聞もなかった。しかし、やる気になった信長を今さら金品で懐柔できるはずもなく、


「言いたいことはそれだけか!?」


 と使者を追い返した。その激昂ぶりは使者によって誇張されて伝わり、比叡山は蜂の巣を突いたような騒ぎになる。要求を呑むべきだとする意見、比叡山を焼くことはないだろうという楽観的な意見などが飛び交う。だが、トップである覚恕法親王が不在であることからなかなか意見がまとまらない。そうこうしているうちに、信長が示した期限を過ぎてしまった。


「やれ」


 信長は命令を下す。それによって比叡山の僧坊に火がかけられた。たちまち炎上する比叡山。人々は逃げ惑う。彼らは二つの集団に分かれた。ひとつは山を下りた者たち。だが、その先には織田軍が手ぐすね引いて待っていた。


「来たぞ」


「やっちまえ!」


 まるで盗賊みたいなことを言いつつ、這々の体で下山してきた人々に襲いかかる足軽たち。それはさながら、マリアナの七面鳥撃ちだった。


「こんな楽なことはないぜ」


「だな」


 あまりにも緊張感がないため、そんな会話が足軽たちの間で交わされる。だが、


「気を緩めるな」


 と度々注意を受けた。それが同じ足軽ならいいのだが、相手はもっと偉い人。


「へ、へい。明智様」


 包囲の責任者である明智光秀やその家臣(斎藤利三など)が意識を引き締める。神経質ともいえるこの行動は、茶会で具房から戦場で注意すべきことは油断だと聞かされていたからだ。


『赤壁の戦いにせよ、桶狭間の戦いにせよ、敗因は油断だと思うのです。相手よりも数が多い。有利だ。だから勝てる、という』


 だからどんな状況でも油断せず、最後まで緊張感を持って行動することが大事なのだと。光秀や細川藤孝はなるほど、と感心し、以来、戦ではこのことを徹底している。


 油断もないのだから、逃げる側にとっては堪ったものではない。徹底的に追撃され、逃げ延びたのは正覚院豪盛などごく一部でしかなかった。


 他方、山を登った人たちもいた。その多くは僧侶であり、根本中堂に立て籠もった。そこではひたすら恨み節をぶちまける。


「京守護の要である叡山を焼くとは何事か!」


「仏敵め!」


「必ずや仏罰が下らん!」


 などと威勢のいいことを言っているが、そうしたところで火が弱まるわけでもなし。彼らの多くは僧坊と運命を共にした。


 信長の許に焼き討ちが完了したとの報告が上がってきたのは、その日の夕方のことである。


「であるか」


 信長は微かに笑みを浮かべる。それは無事に敵を排除したことへの安堵から出た笑みだ。しかし、まだ戦いは終わっていないと気を引き締める。


 その夜。信長は新たな命令を下す。


「次は越前だ!」


 主力を北上させ、敦賀から越前に雪崩れ込むという計画だ。先鋒は浅井長政と丹羽長秀。二人が橋頭堡を確保し、信長率いる本隊が朝倉軍主力を撃破する。ただし、例外もいた。


「十兵衛はここに残り、戦後処理に当たれ」


「はっ」


「彦右衛門(滝川一益)は大和へ向かい、義弟殿(具房)を助けるのだ」


「お任せください」


 光秀は坂本周辺の統治、一益は具房への援軍が命じられた。こうして信長は軍を北へ向けようとしたのだが、そこに急報が入る。


「阿波三好軍が和泉へ上陸! 河内高屋城へと向かっております!」


「ご注進! 摂津の荒木、池田勢により和田弾正忠(惟政)様が討死。茨木城、郡山城は落城し、高槻城が包囲されつつあります!」


「むむっ」


 畿内の敵対勢力が同時に動いた。具房たち北畠軍は大和と紀伊の平定に動いており、これに対応するだけの余力はない。動くべきは信長だった。仕方なく、信長は越前攻めを中止。軍を西へ向け、荒木村重と池田知正の排除に向かった。




 ーーーーーー




 そのころ、京では信長が比叡山焼き討ちしたとの話が広まっていた。京の町からも比叡山から立ち上る炎は見ることができたため、それが真実であることは誰もが知っている。


「恐ろしい話やわ」


「叡山を焼くなんてなあ」


 と、信長は町人から恐れられた。一方、公家からは織田家で朝廷を担う村井貞勝に問い合わせや抗議がなされていた。


「叡山を焼くとは何ということを!」


「織田殿は何を考えているのか!?」


 などなど。真偽を説明せよ、何ということをしてくれたんだーー公家は貞勝を問い詰める。これに辟易しつつ、貞勝は穏便にことを収めようと奔走した。


「難儀よの」


 北畠具教はこれに同情し、貞勝を擁護した。足利義教や細川政元など、昔も比叡山を焼き討ちにした例はあり、信長だけが特別ではない。それに、比叡山は僧兵を使って強訴を行うなど、目に余る行為を行なっている。それを成敗しただけに過ぎない、と。


 だいたいの公家はここまで言うと黙る。しかし、なかには諦め悪く食い下がる者もいた。そんな相手には止めに、


「叡山の肩を持つことは即ち、朝廷の権威を汚す者ということになりますよ?」


 と言ってやれば沈黙させられた。遠回しに朝敵扱いしているためだ。


 朝廷とは天皇を戴く日本の最高統治機関であり、理論的にはこれより上位の組織は存在しない。かつては比叡山の僧兵などの強訴に屈して要求を呑んでいたが、このように他者に阿ることは「最高統治機関」としての朝廷権威を損なっていた。


 比叡山が焼き討ちされたことに対して憤るということは、その力が損なわれるのをよしとしないということになる。比叡山は強訴などの朝廷を蔑ろにする行為を行なっており、その味方をするということはすなわち、朝廷が蔑ろにされることを許容するということ。それは朝廷への反逆である、というのだ。無理矢理感は否めないが、それでも「朝敵」という言葉は重く、人をビビらせる。ここまで言われれば、引き下がるしかなかった。


「ありがとうございます。不智斎様(北畠具教)」


「感謝は息子にしてくだされ」


 貞勝が感謝すると、具教はそう答えた。そもそもこの言い訳を考えたのは具房だった。もし信長が比叡山を焼き討ちしたときは、公家にこう説明してくれ、と手紙に書いてあったのである。実際その通りになったとき、具教は思わず天を仰いだ。


 我が子は鬼か魔か?


 信長の台頭を予見したことといい、今回の比叡山焼き討ちのことといい、未来を見事に言い当てている。神算鬼謀だとか、そういう次元ではない。具教は薄ら寒いものを覚えた。


(まあ、我が家の益になるならいいか)


 しかし、具房が何であれ、具教は北畠家に利益がある限りは問題ないと思っていた。目下の期待は、具房の源氏長者就任である。義昭の怪しい動きは具教も掴んでいた。それは秘密というより、公然の秘密のようなものである。そんなことでは、遠からず義昭は失脚するだろう。となるとお鉢はいよいよ具房へと回ってくる。


(工作を進めねばな)


 具教は源氏長者就任運動を加速させようと決めた。


 そんな悪巧みの対象となっている義昭はというと、狂喜していた。


「これならかの者も動くだろう」


 信長の力を落とそうと画策している義昭だったが、さすがに朝倉と三好では力不足であるとわかっていた。そこで予てからラブコールを送っている相手がいるのだが、なかなか動いてもらえない。しかし、今回の比叡山焼き討ちを見て、考えを変えるだろうと踏んだ。


「与一郎(細川藤孝)」


「はっ」


「比叡山から逃げ延びた者を保護し、甲斐へと送り届けるのだ」


「承知いたしました」


 義昭は腹心である細川藤孝に命じて覚恕法親王や正覚院豪盛を援助。甲斐への亡命を手助けした。そこで彼らが盛んに信長打倒、比叡山再興を訴えたことから、甲斐ーーつまり武田家は徐々に織田家への感情を悪化させていった。


 これだけなら義昭の謀略は成功したが、誤算だったのはこの動きが藤孝によって具房、そして信長に漏れていたことだ。これにより義昭の完璧な計画は破綻することとなる。







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