犯人はこいつだ!
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元亀二年五月。具房の許に越前の朝倉義景や阿波三好家(三好三人衆など)が軍を集めているという情報がもたらされた。さらに、
「弾正殿(松永久秀)も?」
「はい。左京大夫(三好義継)とともに、阿波三好家と連絡をとっています」
松永久秀と三好義継も怪しい動きをしていた。比叡山も挙兵の動きを見せ、同じ天台宗である粉河寺、真言宗の高野山、熊野三山など紀伊の主要な寺社も続いている。紀伊の勢力が参加したのは、具房による特権剥奪の動きに反発したためだ。この結果は遺憾だった。具房としてはなるべく配慮をしたつもりだったのだが、反信長ムーブメントに便乗されてしまったらしい。
「なぜ弾正たちは三好に走ったんだ?」
護衛として部屋にいた猪三が首を捻る。具房は証拠はないとしながらも、
「三好は阿波から和泉、そして河内を窺える。そこは大和と堺を結んでいる場所。これが寸断されれば、不利益を被る」
三好に与する理由のひとつと考えられる、と私見を述べた。また、横にいた葵からは、
「先年の講和は、松永殿の娘を織田殿の養女にして三好への人質にしました。織田家に味方すると、この娘の身柄が危ないと考えたのではないでしょうか?」
との意見が。それもありそうだな、と思った具房だったが、この場でいくら議論しても仕方がない。
「とにかく、義兄殿(信長)に相談しよう」
具房は信長に文を送った。使者が二人の間を何度も往復し、行動計画を立てていく。その結果、各勢力への対応が決まる。
阿波三好家は畿内のどこかに上陸する危険があるが、事が起こってからしか対応できないので保留。
朝倉家は敦賀で足止め。戦力が整い次第、反撃を行う。当面の担当は浅井長政と丹羽長秀。
松永久秀と三好義継は離反したか真偽不明なため、とりあえず訊ねてみる。真であれば具房が対応することとなった。
紀伊の寺社勢力は具房が担当。従わないようなら攻め滅ぼす。
比叡山は信長が担当し、やはり従わなければ攻め滅ぼす。当面の最優先目標。
「ーーまあ、妥当だな」
東西に敵を抱える状況で、どちらを相手にするにしても邪魔になるのが中央の比叡山だ。これを真っ先に潰すのは理にかなっている。
比叡山を潰した後、朝倉攻めを行うのも合理的だ。阿波三好家を攻めるためには海を渡らねばならず、そのためには制海権が必要だ。しかし織田水軍はまだまだ規模が小さく、北畠海軍は通商のためほとんど出払っている。そのため後回しになっていた。
具房は国内に動員をかけた。今回は最初から全力だ。伊勢から二万。伊賀と志摩からそれぞれ五千。計三万の軍を編成。これに三旗衆五千が加わる。
軍を編成する傍ら、松永久秀と三好義継にご機嫌伺いの手紙を送った。もちろんこの時期にそんな手紙を送るはずがなく、裏切ってないよな? と確認することが真意である。久秀レベルの武将なら自分が疑われていることに気づく。そしてどのような行動をとるか。ひとつは、知らぬ振りをすること。そしてもうひとつが、思い切って蜂起すること。久秀は後者をとった。
「ご報告いたします! 松永弾正、三好左京大夫、阿波と同心しました!」
「ご苦労」
具房は報せを持ってきた使者を労う。そして即座に軍を分けた。
「三旗衆と北伊勢、伊賀の兵は俺が率い、南伊勢と志摩の兵は権兵衛に預ける」
「必ずや、戦果を挙げてご覧に入れます」
「期待している。だが、くれぐれも無理はするなよ」
権兵衛は気合十分。具房は特に指示はせず、無理な行動を戒める程度に留めた。
「俺が率いる軍を北軍、権兵衛が率いる軍を南軍と名づける。南軍は紀伊へ攻め入り西進せよ」
「「「はっ!」」」
南軍の行動を明かすと、南軍に配属された諸将が了承の返事をした。
「北軍は大和の松永勢、河内の三好勢を降し、然る後に南下。紀伊を攻め、南軍と合同で敵を包囲殲滅する」
北軍も同様に指示を出す。こちらは少し移動距離が長いものの、相手は武家なので南軍よりも抵抗は激しくないだろう。一方、南軍の相手は終始、宗教勢力だ。激戦が予想されることから、精鋭を多く組み込んでいた。また、少ないながら海軍も海路での物資輸送などの支援にあたる。
「では出撃!」
北畠軍はそれぞれの目標へ向けて進軍を開始した。
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大和へ向かう道すがら、伊賀兵団を指揮する信虎が具房に疑問を投げかけた。
「それにしても、準備がいいな」
信虎は知り合いも多く、自分なりに情報を集めている。そして彼は、北畠軍にせよ織田軍にせよ、動きが迅速であることに気づいていた。まるで、こうなることがわかっていたように。
質問された具房は、さすがだなと思いつつ種明かしをした。
「さる高貴な方が怪しい動きをしている、と事前に教えられていたからな」
「『さる高貴な方』か……」
信虎は、その含みのある言葉を繰り返す。
怪しい動きをしている「さる高貴な方」とは将軍・義昭だ。室町幕府を復興することが彼の悲願であり、形式的な復興は成し遂げた。しかし、実質的には具房と信長におんぶに抱っこされており、実権はないに等しい。義昭の次なる政治課題は、二人の力を落とすことだった。
『公方様(足利義昭)は各方面に御内書を下しておられます』
『くれぐれもお気をつけください』
そんな情報を持ち込んできたのは細川藤孝と明智光秀だった。二人は現状を理解していない義昭に愛想を尽かしているらしい。勉強会でも頻繁に愚痴を漏らしていた。
この他、日野輝資などの武家昵近衆からも警告がきていた。義昭は公家に対しても同調を求めている。これまでの近衛家ルートは使えないため、二条家や武家昵近衆のルートから根回しを進めているようだ。だが、これは上手くいっていない。改元のときは公家にも旨みがあったため積極的に協力したが、今回は完全に武家の権力闘争。幕府と関係が深い公家(二条家など)以外はあまり乗り気でなく、また他所にタレコミするなど足並みも揃っていなかった。
幕府に仕え、京の政治を見てきた信虎にはその辺りの事情を察することができた。だが、口にはしない。具房が動いている人間の名前を言わないからだ。信虎はとりあえず、信長に対する諸大名の不穏な動きの犯人は義昭ということで納得する。
好奇心は猫を殺す。
信虎は京での生活でそのことをよくよく理解していた。彼は今の生活に満足していたし、具房も上手くやっている。何も言うことはなかった。
(倅も上手くやれよ……)
心配なのはただ一点。甲斐で暴れ回っている息子、武田晴信のことだった。精強な武田軍の力を求めた義昭の甘言に乗せられないよう、信虎は祈るばかりであった。