残念! 奇妙丸
次回の投稿は日曜日(10日)です
ーーーーーー
相撲大会があった夜。京の北畠屋敷では宴の準備が進められていた。形式は会席料理だ。具房は新しいもの好きの信長のため、洋食を提供することも考えた。しかし、普段は具教が使っていることから津城のようなテーブル席はなく、断念している。
慌ただしいのは賓客をもてなすためだけではない。直前になって信長から、奇妙丸も参加させるという連絡があったためだ。料理は余分に作ってあったので問題はなかったが、これによる席次の変更など色々な余波があった。
また、人員の不足も発生した。増えたのが奇妙丸というVIPであるため、給仕などにあたる人間もそれなりの素養がある人間でなければならない。そんな人間を急に手配はできず、具房は雪に応援を依頼した。
「すまない」
「いいですよ。仕方ありません」
具房に落ち度はない。そのことを承知していた雪は、嫌な顔ひとつすることなく承諾した。
「今日はよろしく頼むぞ」
「よろしくお願いします」
「どうぞ、お楽しみください」
席についた信長は具房にそう声をかけた。それに奇妙丸も続く。だが、奇妙丸は挨拶しつつも心ここにあらずといった様子。それは、彼にお酌をする相手が雪だったからだ。
「このような席は初めてで、色々と不手際もあるでしょうが、ご容赦ください」
「い、いえ……。雪殿のような麗人に酌をしてもらえるなら、酒も美味くなるというものです」
「ありがとうございます」
雪は、お兄様以外に褒められても嬉しくありません、と思いつつ頭を下げる。本音と建前を上手く使い分けていた。なかなかの役者ぶりだ。
しかし、それにすっかり騙されているのが奇妙丸である。雪にお酌されることが嬉しく、変な妄想を膨らませていた。
(もしかして、雪殿は僕に気があるのでは?)
だからお酌をする役に志願したのか、と勝手に考えて勝手に納得した。頭のなかで考えていることが顔に出ており、顔がにやけている。それは営業スマイルのレベルを逸脱していた。
「なんだ、奇妙。雪殿に惚れたか?」
「な、何を仰るのです、父上!?」
それを見た信長が揶揄い、奇妙丸は慌てて否定する。しかし、顔は直っていない。
(おや?)
笑って見ていた具房だったが、奇妙丸の反応を見て本気で惚れているのではないかと勘ぐる。だが、二人は今日が初対面。まさかひと目惚れなんてことはないだろう、と気にしないことにした。
しばらく息子(奇妙丸)を弄って楽しんでいた信長だったが、
「ほら、父上。これをご覧ください」
と言われて差し出された紙ーーお品書きに興味を移した。追及が止んでホッと胸を撫で下ろしたのは奇妙丸だけの秘密である。
お品書きには、今日の献立が書かれていた。
『先付 タコのカルパッチョ
椀物 ハマグリの吸い物
向付 刺身三点盛り(タイ、アジ、サバ)
鉢肴 鯛の塩釜焼き
強肴 山菜の天ぷら
止め肴 大根と白菜の酢の物
食事 ご飯、味噌汁、お漬物
水菓子 カステラ』
以上が、お品書きの内容だ。今回は伊勢や伊賀の山の幸と京近郊の野菜、紀伊沖や大阪湾で獲れた海の幸がメインに使われていた。
「見事な字だな。これは義弟殿が?」
「はい」
お品書きは、具房が一枚一枚手書きしている。信長に褒められ、具房は軽く頭を下げた。何も言わずとも当てられて、ちょっと嬉しい具房であった。
「聞いたことのない料理があるな。この『かるぱっちょ』はどのようなものなのだ?」
「それは見てのお楽しみ、ということで」
具房は南蛮の料理だ、とだけ言った。実は魚介を使ったカルパッチョは日本発祥なのだが、そこに突っ込まれてもアレンジということで誤魔化すつもりである。
「待ち切れないな」
信長が言葉通り我慢ができないようだったので、具房は料理を運ぶように指示を出した。
運ばれてきたのは先付ーーフランス料理などでいうところの前菜だ。タコのカルパッチョが白皿に乗せられている。タコは明石で水揚げされたもの。ソースに使うオリーブオイルは南蛮商人から、レモンは手に入らなかったためすだちの酢で代用している。
出席者に酒(下戸の信長には水)が配られ、
「では……相撲大会の成功と両家の友好を願ってーー乾杯!」
「「「乾杯!」」」
具房の音頭で乾杯した。提供された酒(日本酒や焼酎)は伊勢で造られた最高級品。大名はともかく、一般の武士がこのレベルの酒を味わえることは滅多にない。貴重な機会に飲み貯めするぞ! と出席者の半数以上が一気飲みをした(真似をしないでね)。
「威勢のいいことだ」
「はは。わたしとしては、料理を楽しんでほしいのですが……」
信長は皮肉を言い、具房は苦笑する。料理がメインなのだが、人間、なぜか酒に溺れてしまう。不思議だ。
(酒の)おかわり! という声が次々と上がるなか、具房たちは料理に手をつけた。
「タコの切り身の上にタレをかけているのか……」
信長はカルパッチョを箸で持ち上げ、しげしげと眺める。そしておもむろに頬張った。
「ん! これは美味い!」
タコの切り身は弾力があり、噛む度にジュワッとエキスが滲み出る。単体でも濃厚で美味なエキスだが、オリーブオイルがさらに濃厚さを強化。一方で、すだちが爽やかな風味と軽さを提供する。タコとオリーブオイルの重さが先に、すだちの爽やかさが後に。二段構えの美味しさを感じられた。
「父上。この黒い粉は何なのでしょう?」
「はて?」
奇妙丸は、カルパッチョの上に乗る黒い粉に注目した。信長も何かわからず首を捻る。悩む親子に答えを教えたのは雪だった。
「これは胡椒と申しまして、南蛮人が使う香辛料です」
「ピリッとした刺激が特徴ですね」
舐めてみますか? と具房は胡椒の粉末を信長たちに見せた。二人は辛い、と異口同音に答える。だが、驚くのはまだ早い。具房のどっきりはここからだ。
「ちなみに、南蛮人はこの胡椒を金と同じ重さで取引するとか」
「「ゴホッゴホッ!」」
それを聞いた二人は咽せた。まさかそんな高価なものを食べたとは思わなかったからだ。
「こ、これで金と同じか……」
信長はカルパッチョを味わうように食べる。その傍らで、奇妙丸は咽せ続けていた。どうも唾液か何かが気管に入ったらしい。雪が背中を叩いてことなきを得た。
「か、かたじけない……」
奇妙丸はそう答えつつ、親身になってくれる雪はやはり自分に気があるのでは? という勘違いを進行させていた。実際は、兄が主催した宴席で人が死んだとあれば風聞に傷がつくと考えたからである。幸か不幸か、奇妙丸はそれを知らない。
二品目のハマグリの吸い物は、大粒のハマグリから出たエキスが出汁と混ざり、その美味しさを爆発させていた。脂が乗った三品目の刺身とともに好評を博す。
四品目の鯛の塩釜焼きは、見た目のインパクトが凄かった。
「これはすごいな」
「木槌で叩いて割ってください」
「うむ」
信長は言われた通りに木槌で塩釜を叩く。すると、表面にヒビが入って塩の中に閉じ込められていた色々なものが出てきた。
「ん〜っ。いい香りだ……」
最初に感じるのは香気。湯気と一緒に溢れ出る香りは、嗅いだ者の食欲や期待感を一気に煽る。本来はローズマリーなどのスパイス、レモンなどの柑橘を入れて香気を強化するのだが、生憎と手に入らなかった。そこで塩胡椒というシンプルな味つけになっている。それでも香りは抜群にいい。
湯気が晴れると、塩釜に開いた穴から仄かに色づいた鯛が見えるようになる。今度は視覚から食欲に訴えかけた。
「……」
信長は無言で箸を鯛の腹に差し込む。ほろり、といとも簡単に身が崩れた。そのなかから特に大きな身をひとつまみして、パクリ。
「……美味い」
しみじみとした感想が出た。明石海峡や鳴門海峡の荒波に揉まれながらも生きてきた、鯛の力強さを感じる。そしてその証ーー鳴門骨が尾の部分にあった。信長をはじめ、出席者がはぁ……と息を吐く。
山菜の天ぷらでは塩と天つゆが用意された。信長はまず塩、次に天つゆで食べる。
「塩もいいが、この天つゆで食べると甘いつゆが衣に含まれて美味くなる」
よくできている、と信長は大絶賛だ。口に残った天ぷらの油を止め肴である酢の物でさっぱりさせる。そして「食事」であるご飯と味噌汁にお漬物、最後に「水菓子」となるのだが、
「雪殿。僕はぁ、こんなに酒が飲めるのですよ〜」
奇妙丸はすっかり酔っ払っていた。信長のようにまったく飲めないわけではないらしいが、許容量は少ないようだ。雪はあらあら、と言いつつ介抱している。なお、本人がどう思っているかはお察しの通り。
「……雪殿。愚息はもういい」
信長は呆れた様子。具房が用意させた部屋に連れて行き、休ませる。翌日にはきっと大目玉だな、と具房は奇妙丸に同情を寄せた。
奇妙丸の退場で仕事がなくなった雪は、具房の世話に回る。とはいえ「食事」に入るのでお酒はもう要らないのだが。
「愚息が迷惑をかけた」
「いえ。楽しそうにお食事をされていて、見ていて嬉しかったです」
「そう言ってもらえるとありがたい」
それきり会話はなく、食事が終わって水菓子になる。出されたのはカステラ。見慣れた箱型のものではなく、ベビーカステラだ。
「これが『かすていら』か。南蛮人が持ってきたものを食べたことがあるが、形が違うのだな」
「特殊な焼き方をしているので」
たこ焼き器を作って焼いた。水飴を加えてしっとり感を出しているため、この時代のカステラよりも口当たりがいい。信長も、これは美味いと喜ぶ。冷えてもそこそこ美味しいため、焼き立てをお土産に準備している。
「素晴らしかった。感謝するぞ、義弟殿」
「いえいえ。楽しんでいただけたのなら何よりです」
「また、互いに宴を開こう。今度は、義弟殿に負けぬように料理を研究しておこう」
「それは負けていられませんな」
二人はそう言って笑いあった。信長は酔い潰れた奇妙丸を連れて、自身の邸宅へ帰っていった。
北畠屋敷では片づけが進む。その傍らで、具房は雪と月を見ていた。
「お疲れ様だったな、雪」
「頑張りました」
だから褒めて褒めて、と甘えてくる。奇妙丸の相手はそこそこ彼女の神経をすり減らした。彼は絡み上戸なのだ。ただえさえ酔っ払いはウザいのに、絡み上戸だとその何倍もウザくなる。具房も大変だったな、と雪を労う。兄に甘えたいという雪のブラコンぶりは健在であった。
一方、京の織田屋敷に運ばれた奇妙丸はというと、
『雪。ああ、僕の可愛い雪……』
『そんな。奇妙様こそ素敵……』
という夢を見て、
「はは。ははは……」
と、だらしのない顔をして笑っていた。
「どんな夢を見ているのだ……?」
心配になって様子を見に来た信長は、そんな奇妙丸を見て呆れていた。翌朝、信長から大目玉を食らったことはいうまでもない。