鶴松丸と師匠たち
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鶴松丸は四歳となった。現在は天文二十年(1551年)。現在、北畠家は大忙しだ。
北畠家は伊勢国司を務めているが、全土を支配しているわけではない。北畠家の支配領域は伊勢南部、志摩国、紀伊国の一部だ。北伊勢には長野家を中心とした諸家が近江六角氏のバックアップを得て北畠家に対抗している。六角との対立は具教の正室に六角氏の娘を入れることで緩和していたが、長野家などとの対立はまったく緩和されていなかった。
そんな状況のなか、長野家が兵を集めているとの情報がもたらされ、その対応にあたっている。具教も忙しく、なかなか鶴松丸の面倒を見られなかった。だが、多忙な仕事の合間を縫って、具教が鶴松丸のところにやってきた。
「お久しぶりです、父上」
「うむ。鶴松丸よ、父は多忙ゆえに手短に話す。しばらく長野との戦に備えなければならぬ。そちらに注力するためにそなたの剣は見れぬ」
「そうですか……」
鶴松丸はそれを聞いて残念に思った。剣の修行は楽しかったのだ。武士ーーしかも大名格ともなれば、親子の交流は希薄なものとなる。しかし、剣の修行を始めてからは親子の交流が増えた。それがまたなくなるという。だが、話はそれだけでは終わらない。
「そこでだ。鶴松丸には父に代わる新たな師を紹介しよう」
具教はそう言って、パンパンと手を鳴らす。すると小姓に案内されて三人の男が室内に入ってきた。
「左から我が師・塚原土佐守殿、上泉伊勢守(信綱)殿、柳生新介(宗厳)殿だ」
「えっ?」
鶴松丸は目を丸くする。誰も彼もが有名人である。塚原卜伝、上泉信綱といえば、誰もが知る剣豪だ。そして柳生宗厳。江戸時代の主要な剣術である柳生新陰流を生み出した柳生宗矩の父である。
あまりの衝撃に上手く反応できずにいると、塚原卜伝が口を開く。
「ふむ……なかなか見どころのある若者じゃな。さすがは美濃介の子よ」
「……未熟ながら、その剣気は見事」
「ヤバイな、お前!」
卜伝の言葉をきっかけに、他の二人も思い思いに鶴松丸を評価する。それはいずれも好意的なものだった。こうして子どもが褒められると親バカ(具教)は嬉しい。
「師にそう仰っていただけるのであれば、鶴松丸の素養は本物ということなのでしょう」
と真面目なことを言いつつ、ニコニコしている具教。嬉しさがよく現れていた。
「子が可愛いか、美濃介?」
「もちろんでございますとも」
「……変わったな」
「美濃介は昔、剣を極めることに没頭していたからな!」
師弟たちはワイワイと盛り上がる。鶴松丸が再起動するまでかなりの時間がかかってしまったが、昔話などで盛り上がっていた彼らはまったく気にしていなかった。
「お見苦しいところをお見せしました。……私は鶴松丸と申します。名だたる剣豪の方々にご指導いただけることは、夢のようです。まだまだ未熟ですが、精一杯頑張りたく思っております。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしく頼む」
そんなわけで、鶴松丸は有名な剣豪たちに師事することになった。ここで浮かぶ当然の疑問は、なぜこの三人が伊勢にいるのかということだ。
「ところで、どうしてお三方は伊勢に?」
修行の合間に、鶴松丸は質問する。記録によると、卜伝は晩年、故郷の常陸国鹿島で過ごしていたはずだ。上泉信綱は詳細不明だが、上野の長野家に仕えていたという確実な記録がある。それはどうなったのか? そして柳生宗厳もまた、大和国筒井氏に仕えているはずだ。疑問は尽きない。それに、三人は順番に答えていった。
「別に、気まぐれな老人が弟子の様子を見に行っただけじゃよ」
と卜伝。剣豪というよりは好々爺といった印象を受けた。
「……客分ゆえ、しばし暇をもらった」
と信綱。彼は寡黙な性格らしく、あまり喋らない。
「筒井に仕えてるのはオヤジだからな。オレは別にいいんだよ!」
と宗厳。その理屈は苦しくないか、と思う鶴松丸だが、ここにいる以上は気にしたって仕方がない。いずれにせよ、こんな剣豪に教えを受けるというのはとても貴重な経験だ。鶴松丸は夢中になって剣を振るった。
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室町時代から続く名家であり、公卿も多く輩出する北畠家。現在は戦国大名をしているが、本来は公家である。ゆえに武芸のみならず、書や歌道といった芸能もこなせなければならない。その師匠は隠居を考えている北畠家現当主、晴具が担っていた。
「う〜む……」
短冊を握って唸る晴具。今は鶴松丸に和歌と連歌を教えていた。その作品を見て唸っているのだ。
「どうでしょうか?」
「平凡だな」
鶴松丸が恐る恐る訊ねると、晴具はそう切って捨てた。ガックリと肩を落とす鶴松丸。前世では研究の一環として茶道や華道などを習っていた。そのなかには歌道も入っており、理論はほぼマスターしている。しかし、実際に作ってみると平凡なものしかできないのだ。
「悪くはない。だが、よくもない。他は恐ろしいほどの才であるのにな」
実に惜しい、と嘆く。他は好評なのに、歌道だけはどうしてもダメだった。そして反応からして、晴具は既に匙を投げているようだ。
「愛い奴よ。しかし、なぜそのように気を落とす?」
「歌道が下手であれば、お爺様や父上のように北畠家の者として面目が立ちません」
「ん? はははっ! そういうことか。なるほど」
晴具は大笑いする。鶴松丸には、今のどこに笑う要素があったのかわからなかった。どちらかというと、深刻な話題である。ひとしきり笑うと、晴具は鶴松丸を撫でた。
「心配するでない。なるほどそなたには歌の才はないかもしれん。だが、それを補って余りある才があるではないか」
「?」
そう言われるが、鶴松丸はピンとこず、首をかしげた。
「自覚はないようだな。ならばこれを見てみよ」
晴具はいくつかの紙を差し出す。それはどれも、鶴松丸が書いたものだった。
「これを客人に見せるのだが、皆、もてはやしておったぞ」
「ええっ!?」
何をやってんだ、という言葉が喉元まで出てくる鶴松丸。しかしなんとか呑み込んだ。晴具はそんな鶴松丸の様子を見て、ニヤニヤと笑っている。
「どうした、そのような顔をして? 恥ずかしかったのか?」
(このジジイ……)
わかって言ってるだろ、と鶴松丸のなかで殺意が芽生える。しかし、ここは我慢だと自分に言い聞かせた。
「このような幼児の作品を客人にお見せするなど、恥ずかしいに決まっております」
晴具の客といえば、その多くが公家だ。彼らは荒廃した京都から各地の有力な大名の下へやってくる。鶴松丸も、何度かそういった人々と会っていた。
公家といえば、お歯黒をして『〜でおじゃる』とか言っているボンクラ集団にしか思えないかもしれない。しかし、彼らは政治的な駆け引きに秀で、強かだ。人によれば、それで生計を立てている。また、一流の文化人でもあった。
「誰も彼も、このような多彩な筆致を見たことがないと言っておったぞ」
晴具はいくつかある作品のなかから、二枚をピックアップした。一方は曲線を多用し、文字の線も薄く柔らかな印象。他方は、直線や鋭角が多用されて硬い印象を受ける。前者は王羲之の、後者は顔真卿を真似ていた。いずれも書聖といわれる書家である。
「普通はどちらかのみに偏るものだが、そなたは王羲之と顔真卿、両者の特徴を見事に再現して見せた。これだけのことをするのは、大人でも至難の業よ」
これだけでも誇ってよい、と鶴松丸を励ましてくれる。嬉しくも恥ずかしい、鶴松丸にとっては微妙な感情が残った。