相撲大会
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交渉の結果、相撲大会は祇園神社(八坂神社)の神事として開かれることになった。ここが選ばれた理由としては、
室町幕府との関係が深いこと。
京の町衆の影響下にあること。
この二点である。
祇園神社はかつて、延暦寺の配下だった。しかし足利義満が独立させ、現在、神社の祭(祇園祭)は京の町衆に運営されている。つまりは金さえ払えば動く組織であり、このような催しにはもってこいの存在だった。
「父上。ご尽力、感謝いたします」
「構わん。息子の頼みだからな。張り切らせてもらったぞ」
具房は父、具教に謝意を伝える。町衆の有力者(角倉家など)や幕府、公家衆に話を通すなど、かなり忙しかったはずだ。しかし、彼は何でもないと答えるばかり。こういっては何だが、感謝を受け取られてない印象があった。
(怖いなぁ……)
こういう場合、裏で何かよからぬことが進行しているものだ。具房は嫌な予感がした。かといって何かできるわけではないのだが。
今回の相撲大会は場所ゆえに、計画したときよりも規模が大きくなっている。北畠、織田家のみならず、浅井家や松永家などの友好勢力から参加者が集っていた。
そして、具房の上洛には同行者がいた。雪である。上洛に連れて行くと約束したため、相撲大会にかこつけて連れてきたのだ。京の町を歩きたい、という彼女の要望を叶えるべく、武士の兄妹に扮して町を歩いていた。当然だが、周りには花部隊の護衛がついている。忙しいのにごめんね……と具房は心のなかで謝った。
今日の雪は、薄いピンクの生地に梅の花をあしらった小袖姿だ。これは具房が贈ったもので、彼女のお気に入りとなっている。具房も気に入ってくれて嬉しい。また、寒い時期に春の訪れを予感させる梅の花というのも、季節にマッチしていた。
「お兄様、これを見てください」
露店で売られていた櫛を手に微笑む雪。露店で売られているものにしては、細部までよく作り込まれていた。これなら大名の子女である彼女が使っていても不自然ではない。
「気に入ったのか? ーー店主。これをもらおう」
「まいど」
具房が金を払う。いいのですか? と訊ねる彼女に具房は今日の記念だと返す。雪は大事そうに櫛を胸に抱き、大切にしますね、と答えた。
二人の街歩きは続く。応仁の乱以後、何度となく戦火に焼かれた京(平安京)は、急速に復興しつつあった。それは主に具房、信長の尽力によるものだ。二人は義昭の二条城築城命令のついでに、京を整備し直している。街を歩きつつ、具房はそのときの苦労話を聞かせた。女の子とのデートにおける話題としてはミスチョイスのように思えるが、相手は雪である。むしろ、兄の活躍が聞けて喜んでいた。
「すごいです、お兄様!」
「だろう?」
具房も無邪気に喜んでくれるものだから、得意になる。
「今日は何でもしてやる。遠慮なく言えよ」
気をよくした具房はそんなことを言う。彼ほどの身分になればできないことはほとんどなかった。
「では、あれが食べたいです」
「団子か。いいぞ」
茶屋で御手洗団子を注文する。店先の長椅子に腰かけ、話をしながらまったりと過ごす。しばらく居座るつもりだ、と察した護衛がちらほらと姿を見せ、茶屋で同じように団子を注文して具房の周りに陣取る。
出てきたのは竹串に五つの団子が刺さった御手洗団子。タレはない。焼き立てで、手を近づけると熱が感じられた。具房は少し冷まして食べようとしたが、雪は躊躇なく口にする。
「熱い!」
「だ、大丈夫か?」
「らいしょうふれふ」
口を火傷したのでは? と心配する具房に、はふはふしながら雪は答えた。そうして必死に冷まし、一分ほどしてようやく嚥下した。
「美味しいですね」
と笑うが、少しバツが悪そうだ。そんな可愛らしい姿に癒されつつ、具房も団子を口にする。
「そうだな。絶妙な焼き加減だ」
具房がよく知る御手洗団子は葛餡がかけられたものだ。しかし、これも美味しい。焼け目が香ばしくてこれはこれでありなのだが、やはり食べ慣れた葛餡の甘辛いタレがほしかった。砂糖は琉球から少量ながら輸入できている。今度、作ろうと決めた。
最初はハプニングがあったものの、以後は何もなく団子を楽しみ、会話に花を咲かせた。そんななかで、具房は少し堅苦しい話をしなければならなかった。
「なあ」
とおもむろに切り出す。雪は何ですか? と目を向けた。その瞳はキラキラと輝いている。具房はこの顔が曇ってしまうことを考えると心苦しかったが、話さないわけにはいかない。意を決して口を開く。
「そろそろ裳着(成人式)だが、どうする?」
「どうする、とは?」
「婚姻だ」
それを口にした途端、雪から笑顔が消えた。申し訳なさを感じつつ、具房はさらに訊ねる。
「望みはあるか?」
自分を慕ってくれている相手にこんなことを訊くのはとても心苦しい。しかし、これ(婚姻)は武士の子女には免れることのできない問題だ。中世とは個人よりも集団(共同体)が優先される。ここでいう共同体とは「家」のことだ。個人は「家」のために何らかの貢献を求められる。男なら政治(戦争を含む)で、女なら婚姻で。つまりそれが仕事のようなものだ。
具房としては個人の自由を尊重したい。しかし、このような社会通念がある。その折衷案として、彼は相手の要望を可能な限り聞き入れることとした。自己満足だが、身内から不幸な人間は出したくない。妹や娘の嫁ぎ先も、なるべく穏当なところにしたかった。
「……」
雪は悲し気に目を伏せ、黙っている。具房は答えを辛抱強く待った。
「はぁ……」
やがて雪はため息をひとつ。そして、独白を始める。
「頑張って勉強しました。葵さんのように、勉学で身を立てることができたなら、と。だから頑張って勉強して、葵さん以上に賢くなって、それで、お兄様に言っていただくのです。『雪がいなければダメだな』って。でも……無理なんですね」
知っていた。一心不乱に勉強する雪を見た葵が、勉強は楽しいのかと訊くと、同じような答えを返したことは。それも具房が生きた現代の日本ならば可能だっただろう。だが、今は戦国時代。この世が共同体の協調関係にある以上は、残念ながらその願いは叶わない。
雪は再びため息。そして心を整えた後、答えを口にした。
「特にありません」
「そんなことはないだろう?」
もう少し理想の男性像などはないのか? と訊ねる。しかし雪は特にないと繰り返した。その後も具房は自分のような男がいいのか? などと訊ねるが、彼女の答えが変わることはなかった。ただ、食い下がった結果として、
「お兄様の利益になる方がいいです」
との要望を引き出した。
「「……」」
その後は重苦しい沈黙が続く。具房はこれに耐えられなかった。
「雪! 他に行きたいところはないか!?」
具房は殊更明るく振る舞う。気を悪くしたお詫びがしたい、と。
「そうですね。お兄様のせいで楽しい気分が台なしになりました」
ぷんすかと怒って見せ、責任をとってください、と雪。彼女に連れられてやってきたのは扇を扱う店。ここで特注の品を作れと言う。京の扇は高級品。オーダーメイドであれば、目玉が飛び出るような値段がする。
「わかった」
しかし、具房からすれば大した出費ではない。ついでにお市や葵、蒔の分も依頼しておく。京の高級品といえばもうひとつ。
「着物はいいのか?」
そう。西陣織だ。しかし、雪は要らないと言う。
「お兄様が創った伊勢の着物が、この世のどの服よりも素敵ですから」
「……そうか」
可愛い奴め、と具房は雪の頭をぐりぐりと撫でた。止めてください、と雪は抵抗。しかし、その手にはまったく力が入っておらず、あまつさえ笑みを浮かべているのだから、本気で言っていないことは明らかだ。そんな仲よし兄妹というより恋人同士のじゃれあいを、周りの護衛たちは砂糖を吐きそうになりながら見守っていた。
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相撲大会当日。会場には直径十五尺(四・五五メートル)の土俵が用意された。観覧席には主催者である具房と信長の他に足利義昭や浅井長政などの武家、二条晴良や勧修寺晴豊などの公家がいた。相撲は神事として行われるが、神社の境内で行われる本格的なものではない。そのため出席者の服装も直衣や狩衣といった、少し砕けたものだ。さらに身内を連れてきてもいいよ、ということにしていたので、妻子を同伴している者もいる。具房も雪を連れてきていた。
「太郎殿(具房)。お久しぶりです」
「新九郎殿(浅井長政)。息災そうで何よりだ」
早速、長政が挨拶にやってきた。先ほどまで義昭に挨拶していたのだが、北近江の件もあって早々に逃げてきたようだ。
「伊勢様。お助けくださりありがとうございました。この御恩は忘れません」
お犬が感謝を述べる。「御恩」とは、小谷城から救出したことを指していることは言われなくてもわかった。
「我らは縁者。お気になさらず」
家族として当たり前の行為をしただけだ。具房は感謝されど、恩といわれるほどのものでもない、と答えた。
二人は雪とも挨拶する。
「妹の雪と申します」
「浅井備前守です。兄上にはお世話になっております」
「妻の犬と申します。雪さんはとてもお美しいですね」
「そんなことは……」
と言いつつ照れている雪。具房やお市たち以外に褒めてくれる相手はいなかった。ゆえにこの初々しい反応なのである。
事実として雪は美しかった。艶やかな黒髪と雪のように白く、きめ細やかな肌。兄の具房は身内の贔屓目で絶世の美少女、色眼鏡を除けても普通に美少女だと思っている。
そして、他人も同じような感想を抱いていた。信長や二条晴良、勧修寺晴豊らも雪の美しさを褒めている。具房が見る限りお世辞ではなさそうだ。義昭に至っては側室にしてもいいぞ、などと言ってきた。当然、無視している。いくら雪が『具房の利益になる相手に嫁ぎたい』と言っていても、義昭のような中年男は論外だ。雪も心なしかホッとしていた。さすがに許容できないのだろう。
長政夫妻の他にも細川藤孝や日野輝資などの顔見知りが挨拶にやってくる。その挨拶ラッシュが終わると、
「ふふっ」
と雪が笑う。
「どうした?」
何が面白いのか訊ねると、
「お兄様がこんなにも多くの方に慕われていると知って、嬉しくなったのです」
「嬉しいことを言ってくれるな」
うりうり、と具房は雪を可愛がる。きゃー、とやや棒読みの悲鳴を上げた。そんな具房たちを周りは何してんのこいつら? というような目で見ている。そのような反応を見せたのは男性陣で、お犬たち女性陣は憧れを覗かせた。
そうこうしているうちに相撲が始まる。北畠家からは予告通りに猪三が出場していた。あと、奇妙丸の相手として具藤も出ている。知り合いでいえば、他に細川藤孝や柳生宗厳なども参加していた。子ども枠(奇妙丸と具藤)は別として、取組みはクジで決められる。そうやって十五組の対戦が組まれた。
最初の取組みは余興も兼ねた子ども対決ーー奇妙丸対具藤だ。一度目はどちらに転ぶかわからない真剣勝負。あちこちでどちらが勝つか予想する声が上がっている。具房にも信長が声をかけてきた。
「奇妙と兵部(具藤)、どちらが勝つかな?」
「さあ? わたしにはわかりかねます」
具房としては、どっちが勝とうがどうでもいい。具藤も猪三も、怪我なく取組みを終えられればそれでいいのだ。しかし、信長からすれば面白くない。そこで雪にも意見を求める。
「雪殿はどう思う?」
「相撲のことはよくわかりません。ですけれど、素人の目には奇妙丸様が勝つように見えます」
「それは?」
「目が違うからです」
雪曰く、奇妙丸には絶対勝ってやるという気迫が見えるのだという。両者の体格はほぼ同じ。そうなると勝負を左右するのは、目に見えない要素ーーつまり、技術や心となる。技術については未知数であるが、目から心は読みとることができた。だから奇妙丸に一票を投じたのだ、と説明した。
「なるほど……」
信長はその説明に感心する。具房から優秀な妹です、と紹介されたが、そんなレベルではない。
(目のつけどころ、的確な判断……とんでもない傑物ではないか)
もし男だったなら、具房を支えるよき一門衆になっていただろう。しかし、生憎と雪は女だった。信長は、是非とも彼女の才知を織田家に取り込みたいと考える。その手段は当然、婚姻だ。
(雪殿は庶女。となると茶筅丸か三七の室か?)
だが、北畠家との関係を考えるともう少し格を上げてもいいかな? とも思える。何より、その才能がほしいのだから。とりあえず、結論は先送りにする。
「他に気づいたことがあれば教えてくれ」
「はい」
返事をして奇妙丸を注視する雪。賢い彼女は北畠家と織田家との同盟関係の重要性に気づいていた。だから信長の言うことを素直に聞き、歓心を買う。
一方、取組み前に集中していた奇妙丸は、いざ取組みに臨まん、としたところで雪と視線が合う。
(美しい……)
思わず見惚れてしまう。勝負の前に何をしているんだ、と気を取り直すが、脳裏に雪の姿が焼きついて離れなかった。少し浮ついた気分のまま取組みが始まる。
立合い。双方が身体をぶつける。そのままがっつりと組み合った。衝撃が走る。大相撲の力士が激突したときのエネルギーは、一説によるとトラックが衝突したときと同じだという。素人相撲なのでそこまで強烈ではないが、それでもかなりの衝撃だ。
「「ぬうっ!」」
まわしをとり、相手を投げ飛ばそうと力を込める。しかし、なかなか投げられない。そのとき、奇妙丸の目に雪の姿が写る。
(負けられるか!)
女の子にいいところを見せたいという男の心理が働く。この勝利を彼女に捧げる! と奇妙丸は奮起した。
「すーっ」
と大きく息を吸う奇妙丸。
「ふっ!」
そして一気に力を込める。
「っ!?」
これに慌てたのが具藤である。急に奇妙丸の力が上がったのだ。しかも、驚いて体勢を立て直そうとした。してしまった。これが致命傷となる。膝を曲げ伸ばしする瞬間は体重が軽くなってしまう。体勢は立て直すどころかさらに悪くなり、具藤は倒されてしまった。
「「「おおっ!」」」
観衆から喝采される。はあ、はあ、と荒い息を吐いていた奇妙丸だったが、勝利をようやく実感して笑みを浮かべる。その視線は真っ先に雪を見た。彼女がいる方向は信長の近くであるため観衆は父親を見たのだと思ったが、それは違う。
二度目の取組みでは一勝一敗にするため、奇妙丸が負ける。しかし、予定調和であるため、まったく盛り上がらなかった。取組みが終わると、二人は具房と信長の許にやってきた。
「よくやったな、奇妙」
「はっ」
奇妙丸が勝利を褒められ、頭を下げる。その横では、
「申し訳ありません、兄上」
と具藤が謝罪していた。具房は気にしないでいい、と応じる。怪我もなさそうなのでよかったと笑っていた。
「雪殿。予想が当たったの」
「はい」
信長は奇妙丸に、雪が勝利を予測していたのだぞと教える。奇妙丸は嬉しくなった。美人が応援してくれていたのだ。嬉しくないはずがない。一方、雪はそんなこと言わなくていいのに、と照れて顔を赤くする。奇妙丸はますます舞い上がった。
その後、取組みをした二人は土を落として着替えるために下がっていった。大会自体は大盛り上がりであり、猪三や細川藤孝、柳生宗厳など、具房の知り合いも怪我なく勝利している。
「大成功であったな!」
信長もエキサイトしたようで、帰りがけに満足そうに笑っていた。
「では、また夜に」
「うむ。楽しみにしておるぞ」
具房は夜ーー先日の酒宴のお礼に開く夕食会を忘れないでね、と釘を刺し、信長ももちろんだと頷いた。