黄門様
【お詫び】
前話におきまして、長浜の地名について多くの方からご指摘をいただきました。長浜という地名がついたのは秀吉が領主となってからのこと(信長から一字拝領した)で、浅井家が統治していたころは今浜という地名でした。
これに伴って、後半の話を少し変更しました。史実通り、信長から一字拝領して長浜に改名したということにしています。ご指摘してくださった皆様、ありがとうございました。
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元亀二年(1571年)になった。具房は長政に挨拶した後、京に入って年を越した。
(年始に上洛するのが面倒くさい……)
それが本音だ。具房は義昭などに挨拶してさっさと伊勢に帰ろうとしたのだが、今年は運が悪いのか、会う人会う人に捕まってしまう。
義昭には、
「のう、北近江のことだが、長門守(京極高吉)に任せようと思うのじゃ」
なんてことを言われた。
(……はあ?)
具房はまず戸惑い、次に怒りを覚えた。まだ懲りないのか、と。義昭は旧秩序の再建にこだわっているようだが、それはもはや時代遅れである。鎌倉幕府や室町幕府のような、武士階級のみの狭いコミュニティではなく、国全体をまとめるような強大なコミュニティこそ必要なのだ。現に、戦国大名になれない守護大名は次々と滅んでいる。
今、北近江の支配者を長政から京極高吉に代えたらどうなるのか。混乱が起こることだけは断言できた。そんなことをすれば敵であるはずの朝倉家や浅井久政を利するだけーーつまり、利敵行為である。この辺りの不条理さが、戦国時代がなかなか終わらない理由なのだろう。
無論、具房は反対だ。しかし、何考えてんだ馬鹿! と目上の人間を罵倒することはできない。それでもこの強い怒りを表現したかったため、遠回しに批判する。
「公方様(足利義昭)のお役目は、天下を安んじること。それが第一にあるべきです」
だから京極高吉に北近江を渡すべきではない、と言外に言った。もちろん、具房は直接口にしたわけではない。これを義昭がどう解釈しようが、言い逃れができる。政治家の『誤解を招く発言だった』論法だ。なお、厳密にはこれは謝罪ではない。これでは言った方が悪いのではなく、(誤った)解釈をした方が悪いことになる。
閑話休題。
具房の答えを聞いた義昭はそうか、とだけ返し、下がるように命じる。長居はしたくないので、素直に頷いた。賛同を得られなかったことで、内心、具房が気に入らないだろう。気に入られようとも思っていないから、無視しているが。
そもそも、具房はこの話に賛成できない。なぜなら、北近江が京極氏に返還されるようなことになれば、具房が(一部を)実効支配する紀伊にも同じ命令が出されるからだ。このように先例があり、なおかつ賛同していれば拒否できない。具房にとって北近江の件は他人事ではなかったのだ。
「ーーと、こんなことがあったのです」
「それは、なんというか……」
歌の勉強会で、具房は細川藤孝と明智光秀に義昭との話を聞かせた。二人とも幕臣だが、信長に近いポジションにいる。また、ベラベラと他人に告げ口するようなこともない。こういう気が置けない関係を築いていた。
光秀は気持ちはわかるが、立場上、それ以上のことは言えないために言葉を濁す。だが、藤孝は違った。
「何度かお諌めしているのですが、なかなか聞き入れていただけません」
と、はっきり義昭を批判した。彼は名門・細川家の一族ではあるが、かつての広大な所領はない。すべて力ある者たちが持っている。藤孝は賢い。ゆえに、なぜそのようになっているのかは容易に理解した。
(領国を維持する)力がないから。
理由はとても単純だった。藤孝はこれを身を以て実感しており、今までも何度か義昭を諫めていた。しかし、彼が聞き入れることはない。それは、彼なりのビジョンがあるからだ。
義昭は信長の援助を得ているものの、その支配を是認したわけではなかった。今は尾張、美濃、南近江などを支配しているが、戦国が終われば領土を限定するつもりだ。
『まあ、斯波の名跡を継がせるくらいはしてやろう』
とよく言っている。つまり、信長は将来的に斯波家の領国しか認められないのだ。他はすべて旧守護家に返還させる。なんとも酷い話だ。もっとも、信長がそれに付き合うはずもないのだが。
義昭への批判が出て、少し場の空気がおかしくなる。それを振り払うように、光秀がいつもより声を大きくして話題を提供した。
「そういえば、今度、中納言に昇進されるとか。おめでとうございます」
「耳が早いですね」
そう。具房は権中納言への昇進が決まっていた。これは季節ごと、年ごとに具房が朝廷に金品を献上してきたこと、北近江や長島一揆平定の功績を評価してのものだ。もっとも、これを盾に更なる献納を求めてくることは想像に難くなかった。
なお、信長も左近衛権中将に昇進予定だ。理由はやはり献上品のグレードアップを期待してのこと。なまじ権威があるだけに断れない。やはり朝廷(貴族)の方が政治は上手かった。
実はこの中納言昇進が、具房が伊勢へと帰れない理由になっている。武家官位とはいえ、各方面へのお礼参りをしなければならないのだ。
(こういうことは親に任せるつもりだったんだけど……)
任せられる範囲を逸脱してしまった。ちなみに具教からは、
『もう中納言か。三十路前だというのに、せっかちな奴だ』
と呆れられた。もっとも、北の方や具藤などには喜ばれる。いずれは大納言や、最盛期の顕家や顕能のように大臣になれるかもしれないと、期待は大きい。
そして、それと並行して浮上した頭の痛い問題が、源氏長者問題である。応仁の乱以後、朝廷をあまり顧みなくなった足利将軍家。義昭もその例に漏れず、自分の都合のいいときだけすり寄るというスタンスをとっている。そんな彼が理想とするのは、幕府で最も『強い将軍』であった三代・義満。その足跡を追うという意味でも、源氏長者の地位は欲しいところだ。源氏長者を独占してきた久我家は零落しており、その地位を手に入れる絶好の機会だった。
ところが、そこへ彗星のごとく現れたのが具房である。彼は圧倒的な実績と実力で瞬く間に官位を上げ、今度、従三位権中納言となることが決まった。一方の義昭は従三位権大納言。官職では義昭有利ながら、位階では同格。そして、経済力などでは義昭の完敗である。形勢は具房有利といえた。
さらに、具房にはパトロンが多くついている。せめて自分の流派で源氏長者の地位を確保したい久我家や村上源氏諸家、友好関係にある日野家以下の藤原北家など。
一方の、義昭はというと、これまで支援者であった近衛家当主・前久を追放したことで関係が断絶。代わりに支援者とした二条家の晴良には娘はおらず御台所(正室)が不在と、踏んだり蹴ったりである。義昭はこの状況に焦りを覚えていた。そこで考えたのが、北近江返還からの紀伊返還を実現し、自分(義昭)は具房よりも立場が上である、と示すことだった。しかし、これはまんまと失敗している。
「我らも負けていられませんな」
「ええ」
具房の昇進をきっかけに、藤孝と光秀もまた職務に励もうと決意を新たにした。
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「やっと帰れる!」
挨拶回りを終え、いそいそと帰国の準備を始める具房。早くお市たちに会いたい。新しく産まれた子どもはどんな子だろう? そんなことを考えながら、明日の帰国へ備える。ところが、
「御所様。織田羽林様(信長)がお呼びです」
「……」
蒔が信長から呼ばれている、と報告にきた。今年は何かをしようとするといつもこうなる。帰ったら伊勢神宮でお祓いをしようーーそんなことを考えつつ、信長の屋敷へ向かった。
「よく参られた」
信長は居間にいた。滝川一益と、もうひとり知らない人物も。
「まず、紹介しよう。村井吉兵衛だ。我の下で政務を見ている」
「よろしくお願いいたします」
「北畠黄門である。こちらこそよろしく。……それで、用件は何ですか?」
具房はさっさと帰りたいので、手短に済ませようと単刀直入に訊いた。これを見て、信長は笑う。
「お市から年始の手紙が届いたが、『黄門様は早く帰ってこないか?』とあったわ。そなたたちはよく似た夫婦よ」
この時代に通信の秘密などなく(むしろ明かすべきものである)、信長はお市の手紙の内容をべらべらと喋った。しかし、知っているならなぜ呼んだ、ということになる。下手をすれば明日には京を発つという予定が狂うかもしれないのだ。
信長もさすがに悪いと思っているのか、いつものように与太話はせず本題に入る。
「まず、連絡だ。彦七郎(織田信興)を越前に移す」
「朝倉対策ですか?」
「ああ」
朝倉家が上洛するためには敦賀を通らなければならない。信長はそこに一族を配して守りを固めるつもりだった。数多くいる一族のなかで信興が選ばれたのは、一向宗との戦いで圧倒的な戦力差がありつつも、城を守りきったからだ。また、北畠家との交流も深く、その用兵術を学んでいる。ゆえに信興なら浅井長政(北近江)や丹羽長秀(若狭)といった援軍が来るまでの時間を十分に稼げる、と信長は判断したのだ。
金ヶ崎城を改築し、防衛拠点兼前進基地(長島城のようなもの)とし、そこに信興が入るのだ、と信長。なぜ防衛が前提となっているのか。具房には狙いが読めた。
「なるほど。敦賀で朝倉を、摂津と河内で三好や本願寺を足止めしている間に比叡山を攻めるわけですか」
「その通りだ」
信長は満足そうに頷く。やることは各個撃破だ。まずは比叡山、次に朝倉家を倒して東の敵を一掃する。その後、三好や本願寺という強大な西の敵に対して全力を傾けるのだ。
「わかりました。そのつもりで準備をしておきます」
「遊軍として動いてもらうことになるが、よろしく頼む」
具房は少し面倒だな、と思った。道路状況が悪いこの時代に兵站を維持するのは難しい。事前の準備が必要だ。しかし、どこに出兵するのかわからないため、それができない。
「それと、彦七郎の移動に彦右衛門(滝川一益)は従わない」
「つまり、海西郡は滝川殿の領地になるということですか?」
「そういうことだ」
「それは……おめでとう、滝川殿」
「はっ。光栄です」
一益は顔を綻ばせる。浪人から領地持ちだ。嬉しいだろう。
しかし、ここまで話が進むと村井貞勝の存在が意味不明になる。彼は京都奉行であり、織田家の京での活動を担う存在だ。具房との接点は京だけ。それに関する話題かと思ったのだが、具房の推理は外れる。
「それで、村井殿は?」
「吉兵衛には、伊勢に行って学校について学ばせたいのだ」
具房は目を丸くする。そんなことのために村井貞勝ほどの人物を割くのかと。
「伊勢での話は聞き及んでいる。武士から領民に至るまで、同じ学び舎で読み書き算盤を習うとな。そこで優秀な成績を残した者は北畠家に仕官しているとか」
信長はそう理由をつけ、お市も通ったのだろう? と言う。具房は情報の出所を知った。まあ、お市を通しての情報漏洩は想定していたので、驚きはあまりない。
(ま、政務にも関わってるし今さらか)
政治は何をやっているかが筒抜けになる。お市がいなくても、情報は簡単に集まった。だから気にしてはいない。露見するとヤバいのが、財政や軍事である。しかし、そこに彼女はノータッチだ。葵も、それを漏らしてしまうほど抜けてはいない。
「わかりました。村井殿には、学校を視察していただくということで」
「よろしくお願いいたします」
こうして、伊勢に帰国する際の同行者ができた。
「……ただ、話がまとまったところでなんですが、京は大丈夫なので?」
「ああ。庶兄の三郎五郎(織田信広)を代わりに入れることにした」
心配は無用、と言われた。はいそうですか、としか言えないので、具房は問題がないことを確認すると頷く。
「出発は明日です」
「準備はできております」
貞勝からノータイムで返事があった。具房は思う。それ、自分が断っていたらどうなっていたのだろう? と。興味はあれど、検証する勇気はなかった。