志賀の陣
【お知らせ】
次回はGW特別企画ということで、5月1日に投稿します。6日まで連続投稿するので、よろしくお願いします。
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古木江城。ここを守る織田信興と滝川一益は、十倍もの一向宗に攻撃を受けながらもなんとか凌いでいた。とはいえ、曲輪がいくつか落とされ、長島城のように盤石な戦いができたというわけではない。物資も、少し心許なくなってきた。そんなとき、兵士が慌てて駆け込んでくる。
「申し上げます!」
「また敵か?」
と言いつつ立ち上がりかける信興。だが、兵士は違いますと否定した。
「一揆勢が退いていきます」
「「なにっ!?」」
それは意外な報告だった。ここで城の攻略を諦める意味がわからない。長島城のように手も足も出なかったのならいざ知らず、古木江城は落城も時間の問題だったからだ。
「どういうことだ?」
「わかりませぬ」
信興は自分よりも老練な一益に訊ねるが、情報がまったくないために彼も何とも言えなかった。それでも信興が推測でもいいから申してみよ、と言うので、一益は己の考えを語る。
「罠ではないかと」
「そうよな……」
普通に考えれば罠でしかない。一揆勢にそんなことは可能なのかとか、満身創痍の城に対して誘引戦術をとる意図だとか、色々と疑問はある。だが、そう考えざるを得なかった。もし一益が長島で何が起こったのかを知っていれば、ただの撤退だと正しい判断を下せただろう。しかし、情報がなかった。それがすべてである。
結局、信興たちは追撃を行わなかった。だが、すぐに軍勢を整えると城を発っている。
「長島へ向かう!」
自分たちより多くの一揆勢に攻められたのだ。さぞ苦戦していることだろう。いや、もしかすると落ちているかもしれない。そんな焦燥に駆られ、物見を放つとほぼ同時に城を出た。
しかし、信興が見たのはいつもと変わらない長島城だった。城の周辺に散乱していた門徒の死体も、既に火葬して埋葬済みである。そして城下には、数万の大軍(北畠軍)が駐屯していた。
「な、何があった……?」
「察するに、伊勢宰相様(具房)の救援が間に合ったのでしょう」
一益は冷静に分析する。状況的にそうとしかいえない。ともかく、信興たちは具房の許へと挨拶に向かった。
「おお、彦七郎殿。息災そうで何よりだ」
城内に通された信興は、具房に歓迎される。本当はすぐに援軍を派遣しようとしたのだが、その前に一向宗が撤退を始めた。そのため、戦後処理を優先していたのである。
ありがとうございます、と答えつつ、信興は訊きたいことがあった。何気に今回、初めて長島城に入る。外から見ればおかしなところはないが、中に入ってその異様さに気づいたのだ。
空堀はまあいいとしよう。だが、その堀の前に立ち並ぶ鉄の柵は異様だ。しかも、それは二重、三重にある。その奥地には、信興が見たことないほどの大砲が並んでいた。城塞に置いておくことが前提であるため、駐退機も備えている(レールを滑り、元の位置に戻ってくるようになっているタイプ)。無論、照準も完了しており、射撃精度は比較にならない。
「何なのですか、この城は?」
「南蛮の城郭ですよ」
信興の質問に答える。嘘は言っていない。未来にもたらされる、南蛮の築城技術だ。参考にしたのは、日本軍がさんざんに苦しめられた旅順要塞である。
「ほう……」
興奮した主人を放置して、一益は興味深そうにその構造を見ていた。自分が攻める側ならどう立ち回るか、そんなことを考えつつ、防御機構を類推していく。結果、彼が見積もった攻略に必要な兵力は(守備側の兵力にもよるが)十万以上だった。
(これなら包囲する方がマシだ)
何人の犠牲が出るかわかったもんじゃない。少なくとも自分はご免だった。
「さて、彦七郎殿。我々はこれから願証寺の攻略に向かいます。貴殿はどうされますか?」
「もちろん、参加させていただく」
信興はわずか千程度ながら具房に帯同して出兵した。願証寺を包囲すると、具房は警告を送る。降伏しなければ攻撃するというものだ。これを受けて、多くの門徒たちが投降する。彼らは北畠軍に拘束された。彼らは伊勢の法を犯したため、法の裁きを受けることになる。もっとも、罰金程度の軽い刑にはなるが。なお、投降してきた者のなかに重罪となり得る坊官はいなかった。
(まあ、投降するならそもそも反乱なんかしないか)
具房は降伏勧告を止め、攻撃を開始する。やることは簡単だ。砲撃で壁や施設を破壊。歩兵が突入して制圧する。以上。
「ご報告します。願証寺の証意、下間頼成、頼旦は自害しておりました」
坊官は一部、生け捕りにしたらしい。彼らは責任者として処罰される。無期懲役(事実上の死刑)だ。具房は一向一揆を「悪」だと考えている。民衆を騙す詐欺行為であると。そこで、ナチスドイツの親衛隊(SS)のように、一向一揆に参加した者は犯罪者だとすることにした。
「これで歯止めがかかるといいのだが……」
具房は心配していたが、幸いにも彼の支配地域では一向一揆に加担する者はほぼいなくなった。だが、織田家では関係ない、とばかりに一向一揆が勃発。必然、具房もこれと戦うこととなる。
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長島の一向一揆が具房によって速やかに鎮圧されたころ、信長は比叡山を包囲していた。ここに浅井、朝倉軍が籠城したのだ。まさか放置するわけにはいかないので、とりあえず囲んでいる。しかし、信長に比叡山と対峙するつもりはなかった。そこで使者を出して比叡山の懐柔を図る。
浅井、朝倉軍を追い出せば、織田家が押さえている比叡山の荘園を返還する、と。ところが、比叡山はこれを無視した。
「応じなければ、敵対行為とみなす」
最後通牒を突きつけるが、やはり無視された。
(燃やしてやろうか……)
信長はフツフツと怒りが込み上げてくるのを感じた。しかし、すぐに思い留まる。以前、具房に人生訓を訊ねると、
『短気は損気。急がば回れ』
と言われたのだ。自分は怒りっぽいという自覚があったため、信長もこれを見習おうと思ったのだ。しかし、寺領の返還以外に切れるカードはない。完全に手詰まりだった。
そんな信長の努力を嘲笑うかのように、悪い情報が次々と入ってくる。篠原長房が率いる二万の三好軍が播磨に上陸した。若狭へ朝倉軍の別働隊が侵入したなどなど。
「五郎佐(丹羽長秀)なら問題ない。だが、念のために援軍を送ろう」
その将には木下秀吉が選ばれた。五千の兵を率いて、琵琶湖西岸を北上する。二人の活躍で朝倉軍は撃退された。
とはいえ、それで戦況がどうにかなるわけではない。比叡山は相変わらず交渉に応じず、三好三人衆は西から虎視眈々と京を狙っている。三好には本願寺もついていた。
(せめて、どちらかが片づけば状況は変わるのだが……)
現状、東の浅井、朝倉連合が倒しやすいだろう。なにせ、主力を包囲しているのだから。そこまで考えて、信長は気づいた。
(主力を包囲している?)
ということはつまり、彼らの本国は空ということだ。
(いや。だが戦力が……)
現在、織田軍は畿内へほぼ全軍を出している。もちろん、少しは余力がある。武田が動かないとも限らないからだ。しかし、北近江や越前に攻め込むほどの余力がある部隊などーー
(あったな……)
北畠軍である。具房があっという間に一向一揆を鎮圧したことは伝わっていた。つまり、今の北畠軍はフリーということになる。これを使うのだ。問題は織田軍がいないということだが、
(彦七郎に兵を出させればいいか)
あとは横山城の長政を合流させれば完璧だ。信長は早速、具房に援軍を要請した。
「面白いことを考えるな」
具房は書状を見て、信長の大胆な構想に驚嘆する。もちろん快諾した。信興とも連絡をとり、出兵する。北畠軍は伊勢兵団一万と伊賀兵団三千。信興も二千を出した。願証寺が落ちたため、伊勢兵団は長島の兵も加えたフルメンバーだ。
「こうして出征するのは久しぶりですね」
「そうだな。長い間、ご苦労さま」
「いえいえ。意外と楽しかったですよ」
権兵衛はそう言う。実は、具房も羨ましく思っていた。なぜなら、彼は城にいてゆっくりできていたからだ。京と伊勢とを往復して、あまり家族との時間が取れなかった具房とは大違いである。ついでにいえば、権兵衛の妻(嶋)たちは、多くの子どもを産んでいた。なんとびっくり、三男四女である。具房より多い。ビッグダディだ。
楽しかったのは事実だろうが、一方で城から解き放たれた解放感もあるのだろう。いつも落ち着いている権兵衛だが、今回は少しはしゃいでいるようにも見えた。そんな権兵衛に一時、軍の指揮を任せる。彼らは小谷城を包囲。野砲を設置するなど攻城戦の準備を始めている。
そして具房たちは横山城に入った。長政が出迎えてくれる。再会を喜びあう。だが、信長からは「少なくとも小谷城は落としてくれ」との注文が入っていた。彼は義昭と朝廷を使った和平工作を行なっているらしく、交渉を有利に進めるためにも小谷城は欲しいようだ。
二日を準備に費やし、三日目から北畠軍による準備砲撃が始まった。
「第一中隊……撃てッ!」
号令一下、一列に並んだ野砲が火を噴く。その後方には、山と積まれた砲弾があった。これを一日かけて撃ち込むのだ。その間に歩兵は城に攻めかかる準備を進める。いかに技術が発達しようとも、最後は歩兵による攻撃が必要だ。それは、戦国時代よりもはるかに高い技術水準を誇る現代でも変わらない。
「ゆえに、火砲ばかりを重視してはいけないのだ」
「「「なるほど」」」
大量の火薬が湯水のように消費される光景に呆けていた長政、一益、信興に北畠軍の戦術理論を話す。鉄砲の導入ばかりに気をとられていたため、歩兵の重要性をすっかり忘れていた三人。その重要性を改めて認識させられた形だ。
とはいえ、やはり火砲の有無は大きい。歩兵だけなら攻略にかなりの時間がかかる小谷城も、さくさくと攻略されていく。守将がいないのもあるが、やはり火砲によって既存の防御施設が役に立たない。進撃を阻むのは山の傾斜のみである。
「ああ、小谷城が……」
長政も、難攻不落といわれた居城がこんなにもあっさりと攻略されていくことを嘆く。気持ちはわからなくもないが、そんなことを斟酌していたのでは戦国大名などやっていられない。具房は敢えて無視した。
「次は越前だ!」
北近江については長政に任せ、具房と信興は軍を北上させた。途中で若狭から出陣してきた木下秀吉が合流する。
「我らもお力添えいたします」
「心強い」
具房は秀吉の加入を喜んだ。そして、因縁の地である金ヶ崎を押さえ、越前へと雪崩れ込む。ところが、ここで思わぬ敵と遭遇した。
「一向宗が朝倉軍に味方しているのか……」
考えれば当たり前の話だ。敵の敵は味方という言葉があるが、今回は文字通り、信長の敵である本願寺は、信長の敵である朝倉家の味方なのである。そして越前の背後には『百姓の持ちたる国』といわれる加賀があった。そこから門徒が派遣されてきているのだ。
「これは……無理かな」
具房は進撃中止を命じる。秀吉の知恵袋である竹中半兵衛も、進撃を止めるよう具申してきた。大軍師と意見を同じくしたことで、具房は自信を持つ。以後は攻め寄せてくる一向宗を金ヶ崎付近で撃退していった。
そして十二月中旬。お市から娘(初)が産まれたとの手紙が届いた直後に、浅井、朝倉連合軍との講和が成立したとの報告を受けた(本願寺とは十月、三好三人衆とは十一月に講和した)。内容は、浅井、朝倉軍が比叡山から退去すること。朝倉家に対して敦賀郡を返還することだけ。織田家側に圧倒的に有利な内容だった。
このような結果になったのは、冬になって領国に帰れなくなることを朝倉義景が危惧したからだ。浅井領については、返せといったところで返してもらえるはずがなかった。これに拘泥すれば、和平の話はなくなる。比叡山が包囲されているため、三万の軍隊を養い続けることはできない。そうなれば飢え死にしてしまう。諦めるしかなかった。
これにより、長政が北近江の領主として復活することになる。具房は帰り道で長政を訪問し、領主への返り咲きを祝う。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
「それと、城のことは申し訳ない」
砲撃によって小谷城は瓦礫の山と化している。修復には多額の費用がかかるだろう。戦だから仕方がなかったとはいえ、申し訳ないことをしたと具房は思っていた。しかし、長政はあまり気にしていないようだ。
「いえ。今回の戦いを見て、小谷城はもう時代遅れの城だとわかりました。居城を移すいい機会です」
また、長政は家臣団を再編するのにも丁度いいと言った。久政について比叡山に籠もっていた浅井家家臣団。だが、久政が所領を失ったことで二つの集団に分かれた。あくまでも朝倉家に味方するという者たちと、長政につくという者たちだ。前者には赤尾、海北、雨森といった宿老、後者には宮部や阿閉といった若手家臣が多い。
とはいえ、家臣団が減少したことに変わりはない。そこで、長政は浅井家の抜本的な改革に乗り出した。まず、従来の家格をリセットし、新たな人材を雇い入れる。これは北近江に限らず、全国から募集した。登用されたなかで多かったのは伊勢出身者。学校で教育を受けており、文官として多くが採用されたのだ。
さらに、北畠家を見習った統治方法の変革も行った。大名が地方領主を束ねるという従来の方法から、大名が直接所領を支配するという方法へ。口うるさい宿老がまとめて吹き飛んだこと、何より北畠軍の精強さを見て、新たな統治を行う決意をしたらしい。
このような改革の象徴として、小谷城に代わる新たな城を築くという。
「なら、新しい城を建てる場所は今浜がいいと思いますよ」
「今浜? なぜ?」
秀吉が城を建てたからですーーとは言えるはずもない。なので、適当な理由をでっち上げた。
「ほ、ほら。北陸街道の側で、琵琶湖の水運も活かせるでしょう?」
ついでに小谷城からも近い。城下町の人間の負担も軽くなるはずだ。思いつくままに理由を述べていく。言っていることはもっともなので、長政も頷いた。
「そうします。ついでに協力していただいた義兄殿(信長)から一字拝領し、今浜を長浜に改めましょう」
こうして史実よりも早く、長浜城が築城されることとなった。
信長はこの窮地を脱することができた。しかし、これからより状況は厳しくなっていく。