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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第四章
41/226

姉川の戦い

 



 ーーーーーー




 小谷城から脱出した浅井長政の許には、花部隊の工作によって彼を慕う家臣がぼちぼちと集まっていた。そのなかでも大物なのが、長政と同様に謹慎させられていた遠藤直経。そして、浅井家庶流(一門衆)である浅井亮親だ。


「与次郎(亮親)、喜右衛門(直経)、よく参った!」


「左衛門尉様(久政)は時流が見えておりませぬ。我らが正して差し上げましょう」


「殿に奉公いたす所存。たとえ地獄であろうとも馳せ参じます」


 と、それぞれ頼もしいことを言ってくれる。長政は信長から借りた兵を彼らに指揮させた。


 金ヶ崎での敗戦後も織田、徳川連合軍は軍を戻さなかった。これに危機感を抱いたのか、朝倉軍は小谷城まで南下してきている。ただ、若狭にいる丹羽長秀が動くと退路を遮断されるため、朝倉義景は敦賀に残った。よって、援軍の大将は一門の朝倉景健だ。


 信長は長政の準備が整うのを待ってから京を進発。琵琶湖東岸を北上し、小谷城にほど近い横山城を包囲した。この城は北陸脇往還を支配する上で重要な立地だ。ここを取られれば、南への進路が断たれてしまう。そのため、浅井、朝倉連合軍は小谷城を出た。姉川北岸の野村へ浅井軍が、三田村へ朝倉軍が布陣する。


 これに対して織田軍は浅井軍の、徳川軍は朝倉軍の正面に陣を敷く。横山城の包囲には西美濃三人衆を残した。


 翌日。払暁に仕掛けたのは徳川軍だった。家康の人質時代から仕えてきた重臣・酒井忠次、小笠原信興が先頭となり、朝倉軍を攻撃する。朝倉軍がこれに反撃したことで、合戦が始まる。


「三河守(家康)が仕掛けたか。我らも行くぞ!」


 信長もこれを見て兵を押し出す。ただ、浅井軍は強かった。小谷城を背にしているため、彼らには後がない。長政が敵陣にいるために動揺を誘えるかと思われたが、当主よりも自分たちの生活の方が大事である。浅井の兵は必死に戦った。


「崩れぬか……」


 一方、戦の口火を切った徳川軍も苦戦していた。援軍である朝倉軍は士気が低いため容易に崩せると考えた家康。だが、予想に反して朝倉軍は奮戦した。それは金ヶ崎での敗戦に端を発している。


 朝倉家中では、一門衆による権力闘争が絶賛勃発中であった。当主の義景はあまり軍事に熱心ではない。ゆえに一門衆の筆頭となることは、朝倉家の実権を握ることを意味した。そこで覇権を競っているのは二人。朝倉景鏡と景健だ。そんな状況で勃発したのが織田家との戦いだった。


 まずチャンスを掴んだのは朝倉景鏡。彼は、先の金ヶ崎の戦いで朝倉軍の総大将を務めた。ところが、彼は北畠軍に山崎吉家を討たれる大敗を喫している。大きな失点だ。これによって、権力闘争は景健がやや優勢になる。姉川の戦いで総大将となったことで、優位な状況を確定させるチャンスを掴んだのだ。当然、やる気になる。


「かかれかかれ! 徳川を崩し、織田の横腹を突くのだ!」


 景健は前線にほど近い場所まで出て味方を鼓舞した。


「孫三郎様(景健)はやる気だな」


「これに応えねばな! 行くぞ、十郎(隆基)!」


「はい、父上!」


 真柄一族(直隆、直澄、隆基)は豪傑として知られる。義昭が越前に滞在したときには余興として三メートル近い大太刀を振り回したり、岩を何度も空中に放り投げたという。そんな彼らは景健の意気込みに感化され、徳川軍に襲いかかった。


 彼らは一メートル半の大太刀を持ち、徳川兵を次々と斬り伏せる。それは敵(徳川軍)の戦意を挫き、味方(朝倉軍)を鼓舞した。


「真柄様に続け!」


「「「オオッ!」」」


 そのような声が上がり、真柄一族に負けていられるか、と朝倉兵たちが奮起。徳川軍に熾烈な攻撃を仕掛ける。彼らはジリジリと押し込み、敵陣深くーー家康の本陣に迫っていった。


 また、この朝倉軍の奮戦を見た浅井軍もますます士気が上がる。本陣で指揮する久政は、


「援軍に活躍されたとなれば、浅井の名折れよ! 行けい!」


 と兵たちを鼓舞した。また、浅井軍の先鋒である磯野員昌も、


「朝倉軍に負けるな!」


 と同じように兵たちを駆り立てている。これに織田軍も押された。先鋒を務めた坂井政尚隊は隊伍を崩された挙句、


「ぐはっ!」


「久蔵(尚恒)!?」


 嫡子である坂井尚恒が討死した。これだけに留まらず、浅井軍は続く池田恒興隊、木下秀吉隊にも襲いかかる。織田軍もまた苦境に立たされた。


「ええい、不甲斐ない!」


 不利な状況に痺れを切らしたのが、家康の旗本であった本多忠勝である。彼は愛槍である蜻蛉切を持って単身、攻め寄せる朝倉軍に突っ込んだ。


「どけどけどけッ!」


 そう叫びつつ、六メートルもある蜻蛉切で朝倉兵を薙ぎ払う。そんな忠勝に目をつけたのが、真柄直隆であった。


「我こそは真柄十郎左衛門! そなたは?」


「我こそは本多平八郎なり」


「その武勇、見事なり。だが、それもここまでよ。この太郎太刀の錆にしてくれん!」


「望むところ!」


 ここで偶発的に一騎討ちが実現した。徳川軍きっての猛将・本多忠勝。朝倉軍きっての猛将・真柄直隆。自分こそが一番だと、その武勇を競う。


 リーチの関係で、先手をとったのは忠勝であった。蜻蛉切が突き出される。だが、直隆は太郎太刀で器用にいなした。そして直隆のリーチに入ると、お返しとばかりに太郎太刀を一閃。しかし、忠勝も蜻蛉切の柄で受ける。


 武芸では互角だった。ゆえに決着がつかず、何度も何度も打ち合う。ただ、今は戦国の世。一騎討ちをしているからといって戦いは止まらない。そのため忠勝は徐々に朝倉勢に呑み込まれていった。これを見て徳川軍は奮起する。


「平八郎を見殺しにするでない! それでも三河武士か!?」


 家康の叱咤が飛ぶ。これに忠勝の親友である榊原康政、家康に古くから仕える石川数正、そして先鋒を務めながらも押し込まれていた酒井忠次が奮起する。


「そうだ! 平八郎をひとりにするでない!」


「かかれ! かかれ!」


「先手の役目を果たせなかった恥を、今こそ雪ぐのだ!」


 忠勝を見殺しにしてはいけない。それが徳川軍の結束を強めた。徐々に押されていって下がっていた士気が、天を衝くばかりに回復する。


「本多様に続け!」


「本多様を見習え!」


 その言葉をスローガンに、徳川軍は忠勝を救出せん! と死兵となって朝倉軍に攻めかかる。これまでとはまったく違う徳川軍に、朝倉軍の進撃は止められた。それどころか、ジリジリと押し戻される。


「まだだ! まだ本多様には遠いぞ!」


「いけいけいけいけーッ!」


「三河武士の意地を見よ!」


 時間を追うごとに徳川軍の士気が上がる。景健は困惑した。


「何なのだ、奴らは!?」


 あれだけ押し込まれても士気が上がり、なおかつ押し返す徳川軍があたかも化け物のように見えた。景健はわけがわからない。もっとも、身内で足を引っ張りあっているような人種には、味方を想うという精神は一生理解できないだろう。


「平八郎のおかげで息を吹き返したぞ!」


 戦況が均衡状態ーーいや、むしろ自軍有利になったことに家康は喜ぶ。そして、これを確実にするためにさらなる一手を打とうとした。それは、榊原隊に戦場を迂回させ、朝倉軍の側面を突くというものだ。


「頼むぞ、小平太(榊原康政)」


「お任せあれ!」


 主命を受けて、康政は戦場を離脱しようとした。だが、それは必要なくなる。興奮していた家康たちはすっかり忘れていた。この場にいない味方のことを。


 それは、朝倉軍の右手に現れた。


「遅参してしまったが、この遅れは槍働きで返すぞ」


 掲げられた旗は笹竜胆ーー北畠軍のものだ。本国から呼び寄せた伊勢兵団も合流し、その数は一万になっている。彼らは敵のマークが外れていることをいいことに、姉川を渡河。北岸から現れたのだ。


「かかれ!」


 具房の号令の下、北畠軍が攻撃を開始する。先頭は、装備を更新した騎兵隊だ。彼らはリボルビングライフル(回転弾倉式小銃、装弾数は五発)を装備している。彼らは突撃を敢行する際、馬上で射撃を行い、敵を牽制した。また、四四式騎銃を真似て折りたたみ式の銃剣を採用している。刀身を覆うパーツが銃身の下部に取りつけられており、白兵戦で銃身を痛めないようになっていた。欠点は発射ガスが漏れ出て火傷する可能性があることだが、革手袋を装備させて防いでいる。


 北畠軍の騎兵隊は分隊ないし小隊規模に別れて突撃した。銃を装備した騎兵の突破力は格段に向上し、朝倉軍の側面にいくつかの「穴」を開ける。ここに飛び込んだのが歩兵隊だ。やはり小隊ないし中隊単位で突入。刀や槍で激しい白兵戦を展開しながら、騎兵隊がこじ開けた「穴」を拡張していく。


「「「突破前進! 突破前進!」」」


 念仏のように唱えながら突き進む北畠軍。彼らは刀ならば塚原卜伝直伝の鹿島新当流、槍ならば宝蔵院胤栄直伝の宝蔵院流槍術を修めている。農民兵主体の朝倉軍とは兵の質が違った。


 このような浸透戦術は北畠軍の十八番だった。複数箇所を同時多発的に突破することにより、敵将のキャパを圧迫する。よほどの名将でなければ、やがてキャパオーバーを起こし、それが決定的な隙となるのだ。


 景健は必死に指揮をとった。だが、何箇所も同時に突破されたという報告に情報を上手く処理できず、具房の狙い通りにキャパオーバーを引き起こす。これによって朝倉軍の統制はなくなり、やがて潰走を始めた。


 本多忠勝と一騎討ちに及んでいた真柄直隆も、戦場の「流れ」が変わったことを敏感に察知した。そして、


「決着は後日だ!」


 と言い残して逃げていった。


「させるか!」


 当然、忠勝は追う。しかしこれを朝倉兵が阻んだ。


「御大将に近づけるな!」


「どけ!」


 もちろん、雑兵ごときに忠勝の相手は務まらない。だが、排除にはそれなりの時間が必要であり、彼らが全滅するころには直隆の姿は遠くにあった。


「逃したか……」


 忠勝は首が獲れなかったことを悔やむ。そんな彼のところへ榊原康政がやってきた。


「そう気を落とすな、平八郎。まだ機会はある」


「……そうだな」


 康政の言葉に忠勝も頷き、二人は追撃に回った。


 一方、忠勝との勝負を預けた直隆は後方へ舞い戻り、景健に離脱を進言していた。


「孫三郎様。逃げられよ」


「ならぬ! まだだ。まだ勝てる!」


「お気持ちはお察ししますが、このままでは徒らに兵を損なうのみ! ここは勇気ある決断を!」


「うぬぅ……」


 景健は悔しがりつつも、このまま戦っても勝てないことはわかっていた。景鏡の有利に働くことは気にくわないが、自分が死んでも喜ぶのは景鏡である。命あっての物種、と撤退を決断した。隆基は景健の護衛。直隆、直澄兄弟は殿を務めることとなる。


「……兄者」


 直澄は覚悟を決めた表情で兄を見た。直隆も頷く。彼らは殿を引き受けたものの、普通に戦っただけではどうにもならないと気づいていた。誰かが犠牲にならなければならないと。そしてそれは、自分たち兄弟だった。


「行くぞ! 武士として恥じぬ戦いをせねばな!」


 二人はわずかな兵とともに再度、敵に向かっていった。特に直隆は、中断していた忠勝との一騎討ちを再開しようと徳川軍を目指す。だが、そんな彼らに立ち塞がったのは北畠軍だった。騎兵が下馬し、即席の銃兵となる。数こそ少ないが五連発銃であるため、戦力的には遜色なかった。


 さらに、具房率いる本隊からやってきた孫一以下のスナイパーたちも待ち構えていた。ずらりと並ぶ竜舌号はなかなか壮観である。騎兵隊は雑兵を、スナイパーは武将を。役割分担をして、朝倉軍に銃撃を放った。


「アイツだ」


 孫一は突撃する朝倉軍の先頭にいる武者二人(真柄兄弟)のうち、直澄を狙った。弾丸は腹部に命中。スプラッタを引き起こす。


 一方、直隆を狙ったのは土橋守重。ところが、彼が放った弾丸はわずかに外れ、直隆の右腕を吹き飛ばすに留まった。とはいえ、竜舌号の弾丸は掠っただけでもかなりの威力になる。直隆は抗うこともできずに落馬した。


「ひいっ!」


 大将が一瞬にして倒され、朝倉兵は動揺する。そこへ北畠軍の歩兵部隊が突入し、討っていった。そのなかには真柄直隆も含まれている。


「次は浅井軍だ!」


 朝倉軍を敗走させた北畠軍と徳川軍は、織田軍を圧迫していた浅井軍に襲いかかった。特に北畠軍は騎兵が穴を開け、歩兵が広げるという浸透戦術を炸裂させ、浅井軍の隊伍をズタズタにした。いくら士気が高くても超人になれるわけではない。浅井軍はやがて潰走した。


「ん?」


 具房は逃げていく浅井軍を見ていたのだが、おかしな部隊がいることに気づいた。妙に旗が整然と動いているのである。この混乱のなかで指揮統制を保っているのだ。ただ者ではない。そこで、具房は調査を命じる。すると、指揮しているのは足軽だという。


「面白い」


 足軽にも優秀な人材がいるようだ。具房は猪三と選りすぐりの精鋭を選び、その足軽の捕縛に向かわせた。猪三との一騎討ちの末、足軽は捕らえられて具房のところに連れてこられる。


「縄を外せ」


「いや、しかしーー」


「外せ」


 家臣たちは抵抗を見せたが、具房が有無を言わさないよう高圧的に命令したことで、渋々、縄を解いた。すると、


「仲間の仇ッ!」


 足軽は地を蹴って具房に迫る。


「「「殿!?」」」


 家臣たちは慌てる。だが、具房は冷静だった。抜き打ちで足軽を制圧する。もちろん峰打ちだ。そしてすぐに腕をとり、関節を極めた。前世はもやしな文系大学生だが、現世はイケメンハイスペック大名だ。運動神経も抜群。これくらい、今の具房には何でもなかった。


「そなた、名は何という?」


「……藤堂与右衛門」


「そうか」


 とだけ答えつつ、具房は引っかった名字ーー藤堂について考える。


(藤堂与右衛門……高虎か!)


 具房はこの足軽が後の藤堂高虎ではないかと考えた。だが、勘違いかもしれない。そこで、父親の名前を訊ねてみる。


「父の名は?」


「源助だ」


 不貞腐れた様子だが、足軽は素直に答えた。源助とは、藤堂高虎の父・虎高である。


(ビンゴ!)


 足軽は藤堂高虎だと確定した。


「与右衛門。そなたの指揮は見事であった。足軽にしておくには惜しい。我が軍に降るなら、最終的にそなたには一軍を任せたい」


 もっとも、いきなりでは反発も強いので、最初は足軽大将からだが、と具房。本当か? と訊ねてきたので頷く。それだけの才覚は間違いなくある。


「仲間たちの命を保証してもらえるなら」


「もちろんだ」


 具房は無駄に殺生をするつもりはない。抵抗しないなら許すつもりだ。この答えを聞いて、与右衛門は降伏した。姉川の戦いの後、彼は具房の偏諱を受けて藤堂房高と名乗るようになる。そして徐々に頭角を現し、やがて北畠家の重臣になるのだった。


 また、房高の父・虎高はかつて信虎に仕えていた。その縁で、虎高をはじめとした藤堂一族も具房の家臣となる。さらに、六角家滅亡後に伊勢へ流れた三井高安も藤堂氏の縁戚だということで家臣団に加わった。三井高安は、江戸時代に越後屋を創業する三井高利の祖父である。高利の商才は遺伝だったのか、高安も経済に適性があり、たちまち大蔵奉行所のエリート官僚になるのだが、これはまた別の話。


 こうして思わぬ収穫もあった姉川の戦いは、北畠、織田、徳川連合軍の勝利で終わる。しかし、戦勝に乗じて小谷城を一気に落とすことはできなかった。それでも横山城は開城し、北近江における織田家の優勢は決定的なものになる。


「一気に越前まで平らげてくれるわ!」


 信長がそう意気込んだ矢先、彼の下に驚くべき報告が上がってきた。それは、摂津の荒木村重が三好三人衆に内応し、主君である池田勝正を追放したというのだ。


 かくして具房たちは信長包囲網に直面することとなる。







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