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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第四章
40/226

大脱出


【お知らせ】


感想でご指摘をいただきまして、15話「殖産興業」における冬虫夏草を中国から輸入したものを栽培していた、という記述から国産のものを栽培して国内向けに販売している、というものに改めました。参考にした記事をよくよく見てみますと、蚕のサナギを使って栽培される冬虫夏草はサナギタケというもので、中国でいう冬虫夏草とは種類が違うものだったためです。失礼しました。


 



 ーーーーーー




 具房たちは京に帰還した。そこでは先に戻っていた諸将が出迎えてくれる。彼らは当初、浅井、朝倉軍の激しい追撃を受けて満身創痍で帰ってくるものと思っていた。だが、実際は意気軒昂。これから出陣するのかと思うレベルだ。そのため、意外感を以って迎えられた。


「義弟殿。その、なんだ……無事で何よりだ」


「優秀な家臣たちのおかげです。あ、藤吉郎殿たちも活躍してくれましたよ」


 ちゃんと仕事してたよ、とフォローする。ただ、微妙な空気が漂っていることに気づき、具房は首をかしげた。そのとき、信虎が耳打ちする。


「殿にしては疲れた様子もないから、戸惑っているのだろう」


「ああ……」


 具房は納得した。ただ、信虎は口にしなかったが、具房は裏切ったと思われている。普通、殿を務めてほぼ無傷なんてことはあり得ない。それを説明するためには、損害を出さない要因を考えなければならない。第一に考えられるのは、具房と浅井、朝倉軍の間で話がついていたーーということだ。


 しかし、それを直接言うのは憚られる。そこで、『戸惑っている』と言うことで具房から自発的に説明させようとしたのだ。この誤解は、夜に開かれた帰還祝いの宴会で具房が撤退時の話をしたことで誤解が解けた。秀吉や光秀のフォローがあったのも大きい。


「そうだったのか。頼もしいな」


「弾正様(信長)。伊勢武士だけでなく、某ら三河武士のお力もご覧に入れましょう」


 上機嫌な信長に、俺のことも忘れるな! とばかりに声をかけたのは徳川家康だった。信長はそうだな、と益々上機嫌になる。


「このような頼もしい味方がいるのだ。すぐさま反撃を行おう」


 損害もほとんどなく撤退に成功した織田軍。早々と反撃に動くこととなった。ただ、問題がひとつ。


「あ〜、申し訳ないのですが、本国から兵を呼び寄せたいのです」


 具房は三旗衆と伊賀兵団(五千)しか手元にない。朝倉討伐は織田、徳川軍のオマケみたいなものだったので問題はなかったが、浅井、朝倉との全面衝突となればそうも言っていられなかった。しかし、準備にはそれなりの時間が必要だ。


「義弟殿はあれだけの活躍をしたのだ。今回は休まれよ」


 信長はそう言うが、他人が戦っているのにぬくぬくと過ごすわけにはいかない。そこで、現有戦力で出来る限りの支援を行うこととした。


「浅井、朝倉なぞ踏み潰してやるわ!」


 酒をがぶ飲みしていた柴田勝家が突如として立ち上がり、大声で威勢のいいことを言う。他の武将も酔っていたのか、勝家をやんややんやと持ち上げた。そんな会場の盛り上がりを他所に、信長が具房に近寄ってくる。


「実は先日、お市から手紙があってな……」


 曰く、お市がまた妊娠したらしい。具房は己の命中率の高さに戦慄した。ただ、父の具教は具房が元服した後も兄弟を増やし続けている。もしかしたら遺伝なのかもしれない。


 なお、具房は信長に教えられるまでこのことを知らなかった。秘書くノ一である蒔は、とある大作戦のために不在である。ゆえに、伊勢との連絡は少し落ち込んでいた。優先順位はやはり政務関係の書類であり、お市の私信はまだ届けられていないようだ。


「これで三人か。妹を頼むぞ」


「お任せください」


 もはや彼女なしの生活など考えられない。具房は大きく頷いた。


 このように無事の帰還を祝う武将たち。だが、朝倉討伐の結果にお冠の人物がいた。誰あろう、足利義昭である。具房たちは帰ってきた次の日に呼び出された。


「お主たちは何をしておるか!?」


 開口一番これである。彼が怒っているのは、室町幕府を復権させるといって攻め込んだのに、信長たちが逃げ帰ってきたからだという。しかし、負けたわけではない。戦略的撤退だ。その上、若狭半国は維持している。「失敗」というわけではない。信長はそう説明したのだが、義昭は完全無欠の勝利でなければ納得できないらしく、喚き散らしている。


(勘弁してくれ……)


 というのが具房の感想だ。負けは許さないって、お前はどこのスターリンだと。ヒトラーでさえ、後退すれば機関銃で撃ち殺す! なんてことはしていない。


 義昭には何を言っても無駄だった。挙句に、


「朝倉を滅ぼすまで余の前に現れるでない!」


 と言い放ってさよならする。側近である細川藤孝なども義昭に倣って退出したのだが、その多くが申し訳なさそうにしていた。


「「「はぁ……」」」


 謁見した武将たち全員がまったく同じタイミングでため息を吐いた。




 ーーーーーー




 そのころ、浅井家の本拠である小谷城。その一室ーー居間にて長政はひとり黙想をしていた。家臣たちに罪人のごとくここへ押し込められた。当然、腹が立った。しかし、怒ってもどうにもならないことを知っている。しばらく暴れて、冷静になって気づいた。とはいえ、未だに怒りの炎は燻り続けている。何かの拍子に再び燃え上がるかもしれないので、長政は姿勢を正して瞑目したのだ。座禅の要領だ。


 ただ、それだけだと暇なので、考え事をする。考えるのは、これからの浅井家について。自分は当主を下されたのであれこれ考える立場ではない。それでもつい考えてしまうのだ。


(織田と朝倉。どちらに付くべきなのだろうか……?)


 長政は悩む。将軍である義昭を奉じ、幕府のために戦っている信長にこそ大義はある。一方で、長年、浅井家を支えてくれた朝倉家にもまた、返しきれない恩義があった。だからこそ、久政たちが朝倉につくことを選択したのも理解できる。しかし、信長も自分に目をかけてくれ、妹を嫁がせるなど格別の待遇をしてくれた。だからこそ、決められない。


 迷っていると、小姓が来客を告げた。相手はお犬。信長の妹であり、長政の妻だ。断る理由もないため、迎え入れる。


「あなた様……」


「犬。こんなことになってすまない」


 長政は謝罪する。今回の騒動は、自分が家中を掌握しきれなかったために起こったことだ。そのために、彼女は微妙な立場になっていた。これまでは「同盟者の妹」だったのが、一夜にして「敵対者の妹」である。下手をすると不幸な事故に見舞われるかもしれない。そうすると、とても申し訳なく感じた。


 また、長政は犬をとてもよく思っている。前妻も同様に政略結婚だったが、六角氏から送り込まれたため、服属大名である長政を見下していた。一方、お犬は親身に接してくれる。おかげで、長政は彼女に心惹かれていたのだ。


 長政の謝罪に、しかし、お犬は何も言わなかった。文句のひとつもあるだろう。だが、それをすべて呑み込み、気遣う様子を見せる。これが前妻なら、散々に罵倒してきたことだろう。


(俺にはもったいない……)


 心からそう思った。しばらく両者は無言。長政が先に耐えられなくなり、この空気をどうにかしよう、と明るく声をかけた。


「これからいかがいたそうか?」


 やや自嘲気味に言う。当主ではなくなり、また謹慎の身だ。忙しい生活から一転し、暇になった。お犬はくすりと笑い、どうしましょうか? とオウム返しする。だが、すぐにやりたいことが見つかった。


「では、子どもたちに会ってあげてください」


 なかなか会えずに寂しそうにしておりました、とお犬。長政は忙しく、子どもたちと全然会えていなかった。お犬は姉であるお市と手紙のやりとりがあり、そこで具房が頻繁に子どもと触れ合っているという話を聞いていた。そのことを長政に話すと、具房を義兄として尊敬していた彼は、見習おうと言って子どもと会うようになった。だが、ここしばらくは忙しく、なかなか時間を取れずにいたのだ。


 二ヶ国を支配する具房の方が忙しいが、彼は格別の用事がない限り、毎日一度は顔を合わせるようにしていた。多少無理をしてでも、子どもと触れあうために。それは、子煩悩な父(具教)に似たのだろう。 具房ほどの熱意はないが、それでも大名が子ども(特に嫡男以外)を気にかけるのは異例といえる。この時代の物差しからすれば、長政は十分に子煩悩といえた。


「そうしよう」


 それから長政は子どもたちを呼び寄せた。長男の万福丸、次男の万寿丸は前妻との間にできた子である。お犬との結婚にあたった長政は二人を除こうかと考えたのだが、彼女が養子として引き取った。また、お犬との間には三男の円福丸が産まれている。


「およびでしょうか、父上。母上」


 万福丸が舌足らずながら代表して質問した。長政はこれを聞くたびに感動する。なぜなら、万福丸は当初、後妻のお犬に反発していたからだ。お前など母親ではない! とお犬に言い放ったのだ。しかし、今ではこうして彼女を「母」と呼んでいる。


「久しぶりにゆるりとできるゆえ、そなたらと共に過ごそうと思ったのだ」


 長政がそう言うと、子どもたちは一斉に破顔する。父親と遊べるのは嬉しいらしかった。だが、遊びはまったく子どもらしくない。


「よし、どこからでもかかってこい」


「まいります!」


 子どもたちの要望は剣の稽古をつけてくれというものだった。実にこの時代らしい要望である。それから晴れている間は剣の稽古をし、雨の日は本の読み聞かせをするなど、長政は久しぶりに家族団欒を楽しんだ。お犬はまだ幼い円福丸をあやしながら、長政と嬉しそうにしている万福丸、万寿丸を見守っていた。


 そんなある日のこと。今日も親子が稽古をしている姿を縁側で見守っていたお犬。そんな彼女に、ごく自然に侍女が近寄った。


「奥方様。お手紙です」


「まあ。お姉様(お市)から?」


 お犬は微笑む。敵味方に分かれた状況でもお市が手紙を送ってきてくれたことが嬉しかったのだ。円福丸を侍女に一時預け、手紙を開封する。だが、しばらくしてその表情は曇る。たしかに手紙はお市からのものだった。


 一枚目は。


 しかし、二枚目はお市からのものではなかった。というより、誰が書いたのかわからない。だが、筆跡が明らかにお市のものではなかった。それだけはわかる。そこには『侍女の話を聞け』としか書いていなかった。


「これはどういうことですか?」


「はっ。わたしは伊勢宰相様(具房)の手の者です。この度、皆さまを脱出させるようにとの命を受けて参りました」


 侍女は夜、備前守様(長政)も交えてお話ししますーーと言って詳細は話さなかった。夜に長政も一緒に侍女の話を聞く。そこで話されたのは、小谷城からの脱出計画だった。既に準備は整っているらしい。


「いつの間に……」


 長政はお家の防諜はどうなっていたのかと頭を抱えた。わたしスパイです、と名乗り出てくるのは珍しいのだが、一族を脱出させられるほどに入り込まれているとは思わなかった。


「なぜ、そのようなことをする?」


 言いたいことは色々あったが、長政はそんな疑問を発した。なぜ敵対者にそのような便宜を図るのかと。これに対して侍女は、


「我が主(具房)は、此度のことが左衛門尉様(久政)によるものだとご存知です。ゆえに、備前守様には科はない、と」


「しかし、家を裏切るわけにはいかぬ」


「裏切るのではありません。誤りを正すのです」


 侍女は具房が考え出した言い訳を口にする。しかし、長政は決断できずにいた。そこで、さらに言葉を重ねる。


「よくお考えください。弾正様(信長)はお優しい方ですが、敵対者には容赦いたしません。それは、たとえ身内であっても」


 侍女は尾張での出来事を思い出すように言った。信長がどのように尾張を統一したのかを。実弟(信勝)であっても逆らえば容赦なく殺した。長政だけが例外ではない。つまり、このままでは浅井家は族滅されてしまう。


「ですが、ここで備前守様が立たれれば状況が変わります」


 浅井家は長政派と久政派で分裂することとなる。これならどちらが勝っても家名は存続するのだ。真にお家のことを思うのならば、脱出すべきだと言う。これは関ヶ原の戦いで、真田家が家を割った話に倣って具房が提案したものだった。


「ふむ……」


 長政は考える。正直、悪くない提案だった。久政たちは、あの様子から何を言っても無駄だ。ならば、自分だけでも信長につき、家名を残すべきだと。弟や他の一門もいる。ただ、直経と亮親だけは後を追ってきそうだが。


 そして彼は無意識にお犬を見た。愛しい妻を。このまま信長と戦い自分が死ねば、彼女は実家に戻るだろう。だが、すぐに他の男に嫁ぐのだ。それがこの時代、普通のことである。だが、


(それは嫌だ)


 長政は彼女に対する独占欲を見せた。一度、彼女と具房についての話をしたことがある。そのとき、お犬は『伊勢様のおかげで自分はあるのだ』と言っていた。彼女は当初、織田水軍を強化するために有力な水軍を保有する佐治信方に嫁ぐことになっていたという。だが、具房が九鬼嘉隆以下の九鬼水軍を紹介してくれたことで、この話は流れたのだと。


 その話を聞いたとき、長政は何とも言えない感情がこみ上げたことを覚えている。それは嫉妬であり、焦燥だ。お犬が他の男のものになっていたかもしれない。他の男になびくかもしれない。前妻とのトラウマを抱え、しかしお犬の優しさでそれを克服しようとしていた手前、そのエピソードは彼に大きな衝撃を与えた。今や長政は、お犬のいない生活など考えられない。


「これにはお犬も付いてくるのか?」


 だからこそ、その疑問が出るのは当然だった。


「もちろんにございます」


 間髪入れずに頷く侍女。というか、お犬を置いていくなどという選択肢はない。長政がいるからこそ彼女は浅井家にいられるのであって、彼がいなくなればよくて実家に送り返され、悪ければ殺されるだろう。具房もこれを懸念し、お犬は『いかなる犠牲を払ってでも連れ出せ』と厳命している。これは長政と同じ扱いだ。


 この答えを得て、長政の腹は決まった。


「承知した。それではどのようにすればいいのだ?」


「備前守様には、竹生島(琵琶湖の北にある島)へと移っていただきます。その後、我らの手の者が救出いたします」


「お犬たちはどうする?」


「奥方様には、申し訳ありませんが、我々のように下女の格好をしていただきます」


「わかりました」


「万福丸様たちには、薬を使用して眠っていただきます」


 侍女が用意したのは通仙散と呼ばれる麻酔薬だ。これは江戸時代の医師、華岡青洲が発明したもので、世界で初めて全身麻酔による手術を行った際に使われたものだ。具房は人質(特に幼児)救出作戦を想定し、開発させていた。ただし、正確な記録は残されておらず、試行錯誤をしながらの開発となった。これにより、死刑囚が複数人犠牲になっている。また、わずかな調合のズレによっても劇物になりかねない繊細な薬であることから、作戦実施の直前に死刑囚を使った実験を実施していた。


 このことを侍女はよく説明し、二人に了解をとる。本当は知らせない方がいいのだが、具房は敢えてこれをやらせた。子を想う親の気持ちは、彼もまた理解していたからだ。説明せずに何か問題が起これば、それは彼らに対する不義理となってしまう。拒否された場合に備えて針麻酔も準備していた。しかし、長政たちはこれを承諾したため、子どもたちには麻酔がかけられることとなる。


 翌日。長政は父に倣って竹生島での謹慎を表明し、船で移動した。そのころ、浅井家は金ヶ崎での大敗で混乱が生じており、長政の行動に構っていられずに追認している。優先順位は低い、と考えられたのだ。花部隊はその空気を敏感に察知し、すぐに竹生島から脱出させた。長政は船で琵琶湖西岸に上陸。南下して京に入る。


 お犬も侍女の格好をし、夜陰に紛れて小谷城を脱出した。また、子どもたちは麻酔を施され、城へ食料を届けにきた荷車の空箱に入れられて脱出している。その後、織田家の勢力圏に脱出。街道を西に向かい、長政と同じく入京した。


「でかした!」


 具房は作戦の成功に喜び、すぐ信長に知らせた。


 びっくりしたのは信長である。義弟が裏切ったかと思えば、自分の許に逃げ込んできたのだ。何が起こった? と混乱する。


「それは、新九郎殿に直接お訊きください」


「だな」


 具房に説得され、面会に応じた。お犬や子どもたちも一緒である。


「申し訳ありません!」


 まず長政は謝った。そして、浅井家に何が起こったのかを説明する。久政たちがクーデターを起こし、当主の座を追われたのだと。そして、


「厚かましいかもしれませんが、所領の奪回にご助力をお願いしたく」


 と、信長に協力を要請した。


「わたしからもお願い申し上げます」


 具房も援護射撃を送る。お犬も同じだ。子どもたちは何が起こっているかいまいち理解していないが、父母を見倣って頭を下げた。


「相わかった!」


 ここまで言われて信長も受けないわけにはいかない。膝を叩き、任せるように言った。丁度、浅井、朝倉連合に対する反攻作戦が行われようとしていたところだ。その旗頭として、長政は丁度いい。


「ありがとうございます」


 こうして長政は信長から兵を借りる形で、所領奪回の兵を挙げた。







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― 新着の感想 ―
[良い点] 一週間ぶりの更新、待ってました。 [一言] 具房たちの活躍で撤退に成功したが、義昭は相変わらず・・・。 史実では浅井は滅ぶまで信長に抵抗したが、この物語では具房のおかげでそうではないようで…
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