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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第三章
33/226

布石を打つ

 



 ーーーーーー




 本圀寺の変の勃発により急ぎ上洛し、その後、畿内の再討伐や朝廷工作など、忙しい日々を送った具房たち。それらの仕事が終わると、各自が自分なりに行動を起こし始めた。


 三好義継や細川藤孝などは領地に帰った。浅井長政も同じだ。残っているのは具房と信長くらいのものである。


 信長は何かと忙しい。二月には浦上宗景の侵攻を受けた播磨の赤松政秀が信長(義昭)に対して援軍を求めた。これを受けて、池田勝正と別所安治が派遣されている。さらに宇喜多直家も浦上氏から離反して赤松氏に味方した。しかし旗色はよくなく、援軍は撤退。宇喜多直家は浦上氏の傘下に戻り、赤松氏は浦上氏配下の小寺氏に大敗。降伏を余儀なくされている。


 その傍らで、信長は但馬にも派兵した。大将は木下秀吉。国主・山名祐豊を撃破して但馬生野銀山を手に入れている。朝廷への献金で減った分を取り戻せるという寸法だ。一見、信長にばかり利益があるように思えるが、具房にも利益はある。


 織田家が豊かになれば兵器をたくさん買う。その多くの割合が鉄砲などの火砲に割かれる。鉄砲のシェアは堺などに奪われてしまうが、大砲は北畠家がトップシェアを誇る上、火薬の供給も担っていた。つまり、織田家が戦えば戦うほど、北畠家も潤うのである。まさしく、死の商人といった立場にいた。


 こんななかで、具房は何をしていたのか。ひとつは京の行政だ。信長は京都奉行として丹羽長秀、中川重政、木下秀吉を出した。義昭は本圀寺の変で大功を挙げた明智光秀を、そして具房は具藤を出す。ただ、具藤は今、伊勢にいる。後見として父・具教も派遣したいことから、具房が帰国するまでは京に来ることができない。そこでしばらくの間、具房が京都奉行としての仕事をこなすこととなった。


「伊勢宰相様(具房)にこのようなことを……申し訳ありません」


 一緒に政務をしている奉行たちからは、このように恐縮される。しかし、具房は決まって気にしないように、と返していた。課長の集まりに社長がいるようなものだが、そもそも奉行を出せない具房が悪いのである。むしろ、責められるべきだ。


 こちらこそごめんねーーなんてことを思いつつ政務に勤しむ具房。しかし同じ仕事をしているためか、奉行を務める者とは仲よくなった。特に初対面に等しい明智光秀とは、共通の知人である細川藤孝を通して親交を深めている。


「伊勢宰相様も十兵衛殿(光秀)も、歌(和歌)は苦手なご様子」


「祖父からも、『お主は歌の才はないな』と言われておりまして」


 藤孝の指摘に、具房は頭をかく。どうやっても、和歌は苦手であった。漢詩はそこそこのものができるのだが。これは京の公家の間でも知られた話で、最近では『歌は名人の泣きどころ』などと言われる始末だ。後世のことわざになったら恨むぞ、と具房は思っている。


 このように具房は和歌については完全に諦めているわけだが、光秀は違った。


「伊勢宰相様。勉強しましょう。勉強すれば必ず出来るようになります!」


 と、優等生なことを言われた。具房は思わずそうですね、と答えてしまう。この流れで無理です、とは言い出せずに勉強会を開くことになってしまった。『ノー』を言える勇気がなかった自分を恨みたい具房。しかし、すべては後の祭りだ。


 かくして藤孝を師匠とした勉強会が行われるようになる。それは藤孝が義昭に謁見するために上京した際に開かれる他、前の勉強会で出された宿題をこなすため、光秀ともプチ勉強会を開く。それなりに忙しい。


(帰りたい……)


 具房は切実に思った。さらに、彼が帰りたいと思う理由は他にもある。それは、お市と葵の妊娠が明らかになったからだ。京でぐだぐだと活動している間に、もはや臨月となっている。


(帰れないだろうな……)


 そして、具房は諦めていた。というのも、京に留まっているのは京都奉行の職務が忙しいからではない。その真の目的は、この先、信長が遭遇する障害の排除である。具体的には本願寺(一向宗)と比叡山だ。


 これらの鍵を握るのが朝廷だ。本願寺の宗主・顕如は九条家の猶子であり、彼の妻は三条公頼の娘である。顕如の父である証如も九条家の猶子で、妻は庭田重親の娘だ。また、正親町天皇から門跡の綸旨を受けているなど、朝廷権威をバックに本願寺は勢力を増していた。具房はこのルートを利用し、彼らと交渉している。さらにいえば、顕如の妻は六角定頼の猶子となっており、六角義賢とは義理の兄妹だ。ここからも攻められた。


 比叡山延暦寺は座主が法親王ーー皇族であり、朝廷とのパイプが太いことは疑いようがない。伊勢に帰っていては細やかな交渉ができないため、止むなく京に留まっていた。


 本願寺との交渉役として、具房は二人の人間に声をかけた。ひとりは顕如の生母の生家である庭田家の当主・庭田重保。もうひとりが、武家昵近衆の一家である日野家当主・日野輝資だ。


「庭田様。日野殿。ようこそ」


「出迎え感謝いたす」


「伊勢宰相殿。よろしくお願いします」


「こちらこそ」


 互いに挨拶を交わす。宗家である久我家などを動かした結果、ようやく顔合わせに漕ぎつけることができた。まあ、その原因は具房が多忙すぎたためだが。


 生母の実家である庭田家はともかく、具房はなぜ日野家の人間を担ぎ出したのか。それは、浄土真宗の開祖である親鸞が日野家の一員だからだ。浄土真宗が親鸞によって興されたことは有名だが、彼の父は日野有範という。顕如の先祖をたどれば日野家に合流するーーつまり、顕如は日野家の一族といえるのだ。その血縁を頼って、彼に交渉役を担ってもらうのである。


 具房は当初、顕如の妻の血縁を使い、三条家の人間を担ぎ出そうとした。しかし、三条公頼、養子の実教が相次いで死去。三条家の現当主は幼く、交渉などとても任せられなかった。そのため、日野家に声をかけたのだ。


(庭田家だけだと本願寺に肩入れされそうだからな)


 このような事情なので、大名と浄土真宗との交渉は、庭田家が一手に担っているような状況だ。そこで具房は別の人間を出した。幸い、公家は金を出せば動いてくれる。


 席には権大納言である庭田重保、参議の日野輝資、同じく参議の具房という順で座った。そこで本願寺との仲介を依頼する。その際、当然の疑問である輝資を呼んだ理由も話した。


「承知いたした」


 重保は快く応じたように見えたが、その顔は不満そうだ。本願寺との交渉は自分たちの独占市場だったので、不満なのだろう。しかし、具房の知ったことではなかった。


「ところで、なぜ急に本願寺と交渉を?」


「いえ。これから畿内が騒がしくなると思うので、事前に話を通しておこうと思いまして」


 具房は適当に誤魔化した。とはいえ、それも事実だ。三好家は未だに畿内への再進出を諦めてはいない。むしろ、虎視眈々と好機を狙っている。


「しかし、それは貴殿がやるべきことなのか?」


 重保は暗にそういうことは将軍である義昭の仕事で、具房の行動は越権行為では? と訊ねる。


「天下を静謐にすることが、わたしの使命だと考えています」


 そのためにいかなる障害も排除する、と具房は言った。これに重保はそうか、と答えて席を立つ。


 一方、取り残される形になった輝資。彼に対して具房は、本願寺についてくれぐれもよろしくと頼む。先ほどの重保の態度から、彼が本願寺に肩入れしそうだと察していたらしい。頷いてくれた。


「公方様の天下のためですから」


 輝資は張り切る。というのも、日野家は日野富子をはじめとした室町将軍の正室(御台所)を代々、輩出していた。しかし、近年の戦乱で没落しており、二度も家が断絶してしまった(日野勝光、富子の兄妹も分家からの養子だ)。断絶する度になんとか再興してきたものの、その間に室町将軍の正室は近衛家のものとなっていた。再び家を興隆させるための方策として、義昭の有力な家臣である具房に協力するのはやぶさかではない。


「よろしくお願いいたします。長者様」


「それは止めてください……」


 具房は『長者』という呼び方に抵抗する。というのも、永禄三年に久我家当主の久我通堅が勅勘を被った挙句、前年に解官されているのだ。これにより、源氏のなかで高い官位を持つのは、清和源氏の義昭(参議)と村上源氏の具房(参議)となった。どちらが長者となるのか、というのが公家社会のひとつのトレンドとなっている。具房はこれに辟易していたのだ。


 武家の格式からすれば、室町将軍である義昭が源氏長者となるのが普通である。義昭もそう考え、また政治工作を行なっていた。しかし、久我家も武家に長者の地位を奪われてなるものか、と対抗意識を燃やす。そして、現状で最上位の具房を祭り上げよう、と動いていた。これに一枚噛んでいるのが、具房の父・具教だったりする。どうも、南北朝時代の因縁を引きずっている節があった。


 場合によっては謀反ととられかねないこの運動を、具房はあまり快く思っていない。とはいえ、お家の栄達を願う具教の心もわからないわけではなく……板挟み状態であった。結果がどうなろうと知らない、と我関せずといった態度をとることにしていた。とりあえず、源氏長者になる意図はない、という意思表示だけはしておく。後は野となれ山となれ、だ。


 とにかくよろしく、と言って輝資と別れた具房。彼は続いて比叡山の対応に回る。信長と彼らが敵対したのは、信長が比叡山の寺領を横領したためだ。この件で天台座主の応胤法親王から、朝廷に抗議がなされていた。正親町天皇はこれを返還するように綸旨を出したが、信長は無視している。天皇も支援してもらっている手前、あまり強くは言えず、宙ぶらりんになっていた。


 信長と比叡山の関係は冷え込んでいる。これを解消すべく、具房は朝廷に和解の斡旋を依頼した。これに対する回答は、『両者の和解には、横領した寺領の返還が必要』というものだ。これについて、具房は寺領に代わるものーー金銭による補填ーーではダメかと訊ねると、それならば交渉してみるとの回答を得た。具房はこの答えを引っ提げて、信長との交渉に臨む。


「ならぬ」


 信長の回答はシンプルだった。とはいえ、具房も彼がそう答えるだろうことは予測している。もちろん、その理由も。


「……やはり、僧兵が邪魔ですか」


「義弟殿もわかっておったか」


「はい」


 具房は苦笑する。というより、彼も比叡山の僧兵は解散させるべきだと思っていた。彼らは昔から、その武力と宗教的な権威をもって政治的に大きな影響力を発揮してきた歴史がある。その力は、かの白河上皇に『朕の如意ならざるもの』と言わしめたほどだ。それは、具房が描く日本には必要ない。だが、排除すべきは今ではないのだ。


(このままだと浅井、朝倉、武田、三好、毛利に加えて一向宗、比叡山という反信長連合が勢ぞろいすることになる……)


 信長が天下を統一できなかったのは、これらの勢力と十年近く泥沼の戦争をしていたからだ。特に宗教組織を敵に回したのが大きい。モグラ叩きのように、潰したかと思えばどこからともなく現れる。そして、台所の敵のようにしぶとい。これを潰し終え、いざ天下布武! と思いきや、本能寺されてしまったのだ。宗教組織が大きな障害だったことは、後を受けた秀吉が織田家のゴタゴタを片づけて数年で全国を統一したことからもわかる。


 では、そんな泥沼ルートを回避するためにはどうすればいいのか。具房が考えて出した結論は各個撃破だった。


(ひとつひとつは怖くない)


 連合を結ぶことで戦闘正面が増え、一方面における兵数が少なくなってしまう。だからこそ無駄に時間がかかってしまうのだ。戦場を限定し、そこに全力を傾ける。兵法の基本だ。何も難しいことはない。


(それに、本願寺が動かなければ武田も動かないはず)


 現在、武田家は上杉家との抗争こそ落ち着いたものの、北条家と徳川家との戦争が勃発している。この状態は、武田が駿河を完全制圧して北条氏康が死ぬ再来年(元亀二年、1571年)まで続く。延暦寺、本願寺との対立を避けることができれば、その間に浅井、朝倉との決着をつけることも可能だ。


(これを言えればいいのに……)


 しかし、浅井が裏切ると聞いても冗談だろう、と笑われるだけだ。信長と長政はとても仲がいい。金ヶ崎で浅井の裏切りを聞いても信長はなかなか信じなかったというが、こうして二人の関係を見ていると、それも頷ける話だ。


「義弟殿はなぜ叡山と我の仲を取り持つのだ?」


「え? いや、それは……」


 信長の問いに、具房は言い淀む。まさか、朝倉攻めをしたら浅井が裏切って窮地に陥るなんて言えない。そんなわけで、具房は適当な言い訳を作るしかなかった。


「いえ。三好の動きが気になりまして。摂津に向かっている間に延暦寺が行動を起こすと厄介ですから」


「たしかに」


 信長は納得した様子だ。具房たちは四国で三好軍が再び活動を始めたらしいことを知っている。その懸念はもっともであり、また具房が粘ったことで、信長は延暦寺の武装解除を条件に追加して、和解に応じるとした。


 しかし、延暦寺がこんな条件を呑むはずがない。結局、和解の話は平行線をたどることになってしまった。


 本願寺もわかったとは言うものの、言質はとらせなかった、というのが輝資からの報告である(庭田重保はこれで安心、などとほざいていた)。


(早くまとまってくれ……)


 その願いは生憎と叶いそうになく。


「はぁ……」


 と、具房はため息を吐くのだった。







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