本圀寺の変
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具房は津を出て街道を駆けていた。伊賀を越えるルートである。つき従うのは三旗衆の一部(五百)のみ。他は後から合流する予定だ。なぜここまで急いでいるかというと、急報を受けたためだ。
『三好三人衆が和泉に上陸! 京へ向けて進軍を開始!』
そんな報告を受けたのは昨日のこと。そこから慌てて飛び出したのだ。婚活パーティーが終了してわずか一日しか経っていない。一報を聞いたときはふざけるな、と思わず叫びそうになった。
報告によれば急報を受けた伊賀兵団(信虎指揮)は既に出発したという。また、信長もわずかな供回りと一緒に急行していた。
情報は逐一、具房に届いている。それによれば、三好軍は既に本圀寺に到着。寺を攻撃しているという。ただ、明智十兵衛という者を中心にした護衛の奮戦により、防衛に成功しているという。さらに畿内近郊の武士ーー細川藤孝や三好義継も援軍に向かっている。
「翌日には間に合うな」
信虎の軍も、三好三人衆が和泉に上陸した段階で情報を掴めたこともあり、明日には到着する見込みである。あとは寺の防衛が成功するのを祈るのみだ。
(もっとも、史実通りなら大丈夫だ)
ただ、安心してはいられない。何かの弾みで歴史が狂う可能性もあるのだ。慎重に行動する必要がある。
「急ぐぞ!」
具房は三旗衆に言って馬に鞭を入れた。
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そのころ、京の本圀寺。前日の三好三人衆による急襲を辛くも退けた足利義昭だが、彼はすっかり萎縮していた。寺の奥に引き籠もって震えるばかり。彼が「戦闘」を感じたのはこれが三度目である。一度目は興福寺の一乗院にて。二度目は矢島御所にて。
義昭は元々、将軍となるはずがなかった。ゆえに武芸などからっきしで、戦乱とは無縁の 平穏な生活を送っている。間近で喊声が上がり、剣戟の音が聞こえる戦場の緊張感に、耐性がまったくついていない。一種のトラウマであった。
そんなわけで、義昭はまったく使い物にならない。代わって指揮をとっているのは、清和源氏土岐氏と称する明智光秀だった。彼は数少ない近江、若狭衆を巧みに指揮し、初日の防衛に成功していた。
「なんとか上手くいきました。ですが……」
寺に完全に押し込まれた上、負傷者が多い。戦力が低下しており、二日目の戦いは前日よりも苦戦するーーいや、陥落する恐れもあった。
光秀は物見(偵察)をさせ、三好軍の動きを監視させる。攻めてくるようであれば、義昭を落ち延びさせることも考えていた。その時間を稼ぐため、三好軍を精一杯邪魔するつもりであった。
だが、光秀が恐れた事態にはならなかった。翌朝、物見が帰ってくると、嬉しい報告がもたらされる。
「援軍だと!?」
「はい。細川様、三好様、池田様など、各地から援軍が参りました!」
物見によれば、これに狼狽して三好軍が撤退を始めているという。光秀は今が好機だと考えた。
「打って出るぞ!」
援軍と三好軍の撤退はすぐに兵たちに知らされ、士気は大いに盛り上がった。怪我をしていない者は、この追撃戦に参加することとなる。意外なことに、戦闘で出る死傷者は主に追撃戦で出るのだ。光秀が好機と思うのも道理だった。
かくして、三好三人衆にとって辛い追撃戦が始まった。殿を務めた小笠原信定は必死に戦ったが、明智軍、細川軍の波状攻撃を受けて潰走。信定は討ち取られてしまう。
また、ひと足先に撤退していた本隊も、摂津方面からやってきた三好軍、池田軍などに捕捉され、攻撃を受ける。
「ふう。なんとか逃げられたか……」
そんなことを篠原長房が言ったときだった。彼らの前に、過去の忌まわしい記憶を呼び起こす存在が現れる。
遠くに見える正体不明の軍勢。しかし、畿内に味方はほとんどいない。敵と判断して問題なかった。その軍勢が掲げる旗に、三好軍の将兵は戦慄する。
「た、武田菱……」
それは信虎率いる伊賀兵団だった。長房たちは、その兵が甲斐武田のものではないことを知っている。だが、過去の記憶は消えない。武田菱の軍勢に蹂躙された記憶は……。
「急げ! 撤退だ!」
誰からともなく、撤退の号令が出る。本圀寺の奇襲攻撃が頓挫した以上、その選択肢しかない。だが、三好軍や明智軍や池田軍を相手にしたときよりはるかに大きなプレッシャーが襲う。
「かかれ!」
信虎が刀を振り下ろし、突撃を命じる。伊賀衆は元々、傭兵として各地を転戦した、戦闘のスペシャリスト。彼らに具房が近代的な用兵を教え、実戦経験が豊富な信虎が指揮をとっている。鬼に金棒とはまさにこのことだった。
さらに、三好軍にとって悪いことに、北畠軍には今回、新たな装備が加わっていた。その名は擲弾筒ーー迫撃砲の一種である。専用弾(手榴弾も可)を遠くへ撃ち込むための兵器だ。砲口から装薬を入れ、槊杖で突き固める。砲弾(手榴弾)を入れ、点火。発射する。点火方式はフリントロック式で、マッチロック式よりも天候の影響が小さく済む。また、発射速度も上がった。
三好軍の一部が、信虎軍の進撃を阻もうと果敢にも攻めてくる。そんな彼らに対して、信虎は圧倒的な火力を披露した。
擲弾筒から発射された砲弾は放物線を描いて飛翔。三好軍の将兵の頭上で炸裂する。至近距離にいれば、その衝撃で。離れていれば、金属片で。三好軍の将兵は倒れていく。それを突破しても、火縄銃の集中射撃を浴びた。
「なんなのだ、あれは!?」
殿の三好長逸は、北畠軍の新兵器によって将兵がバタバタと倒される光景を見て愕然とする。しかも、この攻撃で浮き足立ったところに攻めかかられ、まともに戦うことすらできない。三好軍にできるのは、兵士の命を引き換えに時間を稼ぐことだけだった。
命がけの鬼ごっこは、三好軍が上陸地点から船で四国に遁走するまで続いた。
「ふむ。もういいだろう」
鬼役の信虎が追撃停止を命じたのは、船が水平線に消えたときだった。さすがの伊賀兵団も、このときばかりは激しく消耗。誰もがハアハアと荒い息を吐いていた。娘婿、徳次郎もそのひとりである。
その後、北畠軍は集合。損害を確認した上で京に引き返した(負傷者は手当てをした上で堺に預けている)。信虎が入京したときには、具房や信長、長政、久秀といった義昭派の大名が勢揃いしていた。
「陸奥守殿(信虎)。凄まじい采配であったな」
報告にやってきた信虎に対して、信長が手放しで称賛した。信虎はどうも、とばかりに頭を下げる。
「大儀であった」
「ははっ!」
具房は信虎以下の伊賀兵団には、褒美に特別ボーナスを与えることにする。そして、信虎たちは戦の疲れもあるだろう、ということで京の警備(事実上の休暇)を命じた。代わって伊勢から来たばかりで元気な伊勢兵団が今後の戦闘に投入される。彼らが遂行するのは、畿内の安定化だ。
『このようなことが二度とないようにせよ!』
義昭に謁見した大名たちに言い放った台詞がこれである。いや、新年早々駆けつけた相手にそれかよ、と具房は思ってしまう。ひと言くらい労いの言葉があってもいいのではないだろうか。具房は自分がズレているの? と少し悩んだ。しかし、これは明らかに義昭が悪かった。
とはいえ、命令なので従うしかない。具房たちは気乗りしないものの、畿内の再討伐に向かう。また、烏丸中御門第の造営事業にもとりかかった。なお、義昭はこれにほとんど出資していない。使われるのは具房、信長の金である。理不尽だ、と思いつつ出資するしかなかった。
さて、畿内再討伐に乗り出した具房たちはまず、高槻城を目指した。ここを守る入江晴景が三好三人衆に味方したためである。晴景は降伏したが、裏切り者は許さない、と信長は彼を処刑した。
空いた高槻城には和田惟政を入れ、池田勝正や荒木村重とともに摂津を守らせる。ここは織田家の最前線であり、安定化は必要不可欠だ。
信長は和泉などの支配も強化すべく、独立勢力であった堺に対して矢銭(軍資金)を要求した。これには具房も一枚噛み、ただの軍資金要求ではなく、烏丸中御門第を造営するための資金を負担するように、と文言を変えさせている。
「この方が、会合衆も受け入れやすいと思うのです」
とは具房の言葉だ。信長もこれには頷いている。文面も、その建前に応じて変えていた。さらに具房は、堺へ向かう使者に選ばれた佐久間信盛に、今井宗久の娘婿・佐之助をつけている。宗久を起点にして堺を動かすのだ。
具房の狙い通り、宗久が積極的に動いて反対勢力を抑え、矢銭の支払いに応じる。信長は褒美として、宗久に堺における幕府御料所の代官職を安堵した。以後、堺は今井宗久、津田宗及、千利休を軸に、堺政所・松井友閑の下で信長に従属することとなる。
しかしながら、義昭の態度について反感を持ったのは、具房以外も同じらしい。畿内再討伐の際、諸将の間で義昭が将軍として相応しいのか、という話が必ず話題になった。そこで信長は、義昭に将軍としてのあるべき態度を示そうと、殿中御掟を書き送っている。
こうして予期せぬ再上洛は、慌ただしく日々が過ぎて行った。ドタバタが一応の落ち着きを見せたのは三月のことである。信長は慰労と称して茶会を開いた。その席では、今後の京について話し合われる。
「今後、京を守るためにいかがすべきか?」
信長の問いに答えたのは具房だった。
「三好の本拠である四国はほど近く、また広い海岸線を守るのは不可能です。摂津、和泉を押さえつつ、京に一定の軍事力を置きましょう」
「道理だな。しかし太郎殿(具房)、公方様(義昭)は兵を持たぬ。これをいかがする?」
「摂津、和泉以外に所領を持つ者ーーわたし、弾正殿(信長)、新九郎殿(長政)が少しずつ兵を出し、連合軍を組織しましょう」
「老骨は必要ありませんかな?」
具房の提案に名前のなかった久秀が意地悪く訊ねる。滅相もない、と具房。
「松永殿はまず、国内の統一が先決でしょう。また、和泉の守備はお任せしたい」
「そうでしたか。承知いたしました」
そう言われ、久秀は引き下がった。実質的に、和泉など畿内南部の防衛を任されたのだ。文句はない。
また、信長も畿内を安定化させるためには、それぞれの大名の領国が安定していなければならないと考えた。そして、現状で一番不安定なのは久秀である。
「我は右衛門督(佐久間信盛)を向わせよう」
「わたしは陸奥守を」
「かたじけない」
大和の平定を支援すべく信長が佐久間信盛を、具房が武田信虎を大将にして援軍を派遣することとした。久秀は彼らと上手く協力し、翌年には大和を統一している。
「話が逸れたな」
と、ここで信長が軌道修正。
「先に決を採ろう。連合軍の結成に賛成の者は?」
信長の問いに、その場の人間が満場一致で賛成した。これで具房の提案通り、連合軍が結成されることとなる。しかし、まだ問題があった。
「では、大将は誰にする?」
「「「……」」」
それが問題だ。名目だけ義昭を大将にしてもいいのだが、滅茶苦茶な指揮をされて徒らに兵を損耗されたらたまらない。それはご免だーーというのがこの場の人間の本音だった。
この空気を断ち切ったのも具房。
「朝廷に任せるのはどうでしょう?」
「朝廷に?」
長政が意図を理解しかねる、といった様子で首をひねる。『朝廷に任せる』という具房の発言の意図がわからなかったようだ。しかし、信長は違った。
「兵部省か検非違使を再興するのか?」
「はい」
具房は頷く。なるほど、という声が上がった。
現在は武家が軍事を担っているものの、本来は朝廷が行うべきことである。そして、全国の軍を統括したのが兵部省であり、京に限れば検非違使であった。今は有名無実化しているが、具房はこれを復活させるというのだ。
「宮様に兵部卿を担っていただき、弾正殿とわたし、新九郎殿で補佐をするのがいいかと」
宮をお飾りの大将とし、実務を北畠、織田、浅井で担うというのだ。これはお飾りの大将による暴走を心配しなくていい。なぜなら、朝廷は織田家、北畠家などに財政的に依存しているからだ。その意に背けば、たちどころに財政が行き詰まる。具房は言及しなかったが、それがわからないほど愚鈍では、戦国大名など務まらない。
この策の問題は朝廷が受けるか否かということになるが、これも財政支援を強化すれば動かせるだろう。反面、朝廷の依存度は上がっていくというおまけつきである。
「異論はあるか?」
「「「……」」」
もちろんない。暴走したときの緊急ブレーキつきとあらば、もはや反対する理由はないのだ。義昭も何も言えないだろう。朝廷の機嫌を損ねれば、将軍位は怪しくなるのだから。信長たちは、今後も朝廷を上手く利用して義昭を操縦することとした。
後日、この案を信長と具房が独自に正親町天皇へ上奏した。献金を増やすので、兵部卿に宮様を推戴したい。おまけに信長を兵部大輔、具藤を兵部少輔、長政を兵部大丞にそれぞれ任命してほしい、と(具房は兼任するには官位が高かった)。朝廷は、献金をもう少し増やしてくれれば、という条件つきで了承した。具房たちも、これを見越して少なめに提示していたため、快く応じている。
条件が呑まれたため、正親町天皇は皇太子でもある誠仁親王を兵部卿に。信長たちの官職も追加した。この顛末を聞いた義昭は激怒する。取り消しを求めるも、お神輿でしかない彼の言葉に朝廷が耳を貸すはずがなく、不満を募らせるだけであった。