上洛戦
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永禄十一年(1568年)九月。義昭の上洛作戦が始動した。岐阜に集結した織田軍と、小谷城に集結した浅井軍が南近江を目指して進軍を開始する。それぞれ当主(信長、長政)が率いていた。また、信長の要望で徳川家からも千ほどの援軍が派遣されている。
この軍は織田軍五万。浅井軍三千。徳川軍千の五万四千という大軍だった。これらは佐和山城で合流。東山道を西進する。
同じころ、畿内でも三好義継、松永久秀が動きを見せる。これに三好三人衆は対応せざるを得ず、六角と連携がとれなくなった。このような状況下で織田、浅井連合軍は進撃を開始。観音寺城を包囲した。
「義兄殿(信長)。どう攻めますか?」
軍議の席で長政が訊ねる。観音寺城は複数の支城を持ち、非常に攻めにくい。城自体の防備は薄いのだが支城が多く、どこかを攻めると別のところから攻撃を受けるという厄介な構造だ。
放置するのもひとつの方法だが、観音寺城は広大で、包囲するにもそれなりの兵力が必要だ。そうなると、畿内の三好三人衆に反撃を受ける恐れがあった。
しかも、六角家は籠城の構えを見せている。長期戦になれば三好三人衆が軍勢を整えて対応してくることは確実。それは上洛戦の失敗であり、それだけは避けたいところだ。
そんな事情もあり、長政は信長に意見を求めたのである。これに対して信長はシンプルな回答を返した。
「支城の連携が攻略を阻むなら、それをできないようにすればいいまでよ」
「……それはどういう?」
長政はいまいち理解できていない。信長は別の者に水を向けた。
「権六(柴田勝家)」
「某もわからず。申し訳ございません」
「左近(滝川一益)」
「お味方は敵より多く、支城を同時に攻め立てて連携をとれなくするーーですな?」
「見事」
信長は一益が己の考えを当てたことに満足気に頷く。一拍置いて、次々と命令する。
「彦四郎(稲葉良通)ら西美濃衆は和田山城を攻めよ。権六、三左衛門(森可成)は観音寺城を、我と左近、五郎左(丹羽長秀)、サルは箕作城を攻める!」
この時代としては異例である城の同時攻撃であった。
翌朝。信長の号令で戦端が開かれる。最初の餌食となったのは箕作城であった。そこには六角軍三千が籠もっている。急な坂や深い森が進撃を阻む堅固な城で、城兵は攻めてきたら追い散らしてやる、と手ぐすね引いて待っていた。彼らにとっての悲劇は、攻めてきたのは人ではなかったことだ。
「撃て!」
信長自らの号令で、北畠軍から派遣された砲兵大隊が大砲を撃ち込む。砲弾はただの鉄塊。その質量と運動エネルギーにものをいわせて、木々をなぎ払う。不幸にも射線上にいた者は、その場から消え去った。
「「「……」」」
沈黙する六角軍。正直、こんな攻撃は予想外である。同僚が殺されることは覚悟していた。だが、跡形もなく消えるなんてことは想像すらしていない。しかもそれは一度だけでなく、断続的に続くのだ。戦意は完全に挫かれ、六角軍は我先にと逃亡を始める。かくして、箕作城は半日も保たずに陥落した。
これを見ていた和田山城(六角軍の主力部隊。六千)は仰天し、これは敵わないと戦わずして逃亡した。
「な、何が起こったのだ……?」
「織田は妖術使いか?」
六角義治、承禎はあまりに簡単に城を落とされ、呆然となった。まったくの想定外である。しかし、城が二つも落とされた今、防御力が低く兵力も乏しい観音寺城では抵抗などできるはずもない。
「甲賀へ落ち延びるぞ」
六角一族は甲賀へ逃げ込み、再起を図ることとした。彼らは口々に織田家や浅井家への怨嗟の声を吐きつつ、甲賀への逃亡を始める。しかし、不幸にもその動きは具房によって予想されていた。ゆえに、逃げ込むはずの甲賀は、既に北畠軍により占領されていたのである。六角親子は北畠軍(花部隊)に捕らえられた。
「だから翻意を促したのに……」
具房は彼らの強情さに呆れるばかりである。このように大名としての六角家は滅びた。しかし、彼らに義理立てする勢力は残っている。そのひとつが、日野城に籠城する蒲生氏であった。
「いかがいたしますか?」
「ふむ。なるべく兵を損なわずにいきたいものだ」
報告を受けた信長は、説得して降伏に持ち込みたいと考えていた。それを聞いて、立候補する者が現れる。志願者は具藤に連れられて信長の許へとやってきた。
「関中務大輔(盛信)でござる」
「神戸蔵人大夫(具盛)です」
この二人は、具藤が率いてきた砲兵大隊に所属していたのだ。もちろん偶然ではなく、こうなることを知っていた具房の差し金である。
「両名は蒲生の縁者。必ずや説き伏せるとのこと」
「「どうか、お許しください!」」
「であるか。よし、行け!」
信長の許可を得た二人は日野城へと向かい、蒲生賢秀と面会。降伏を説いた。
「義父殿。よく戦われた。天下に対する面目も立ったであろう」
「既に六角親子はわが主、伊勢宰相様に捕らえられた。貴殿も降伏なされよ」
「……主君は無事か?」
「左馬頭様(義昭)より、助命が約束されている」
「ならば降ろう」
「「おおっ!」」
賢秀の言葉に喜ぶ盛信と具盛。三人は早速、信長の許へ向かった。その場で賢秀は降伏する旨を伝える。また、人質として嫡男の鶴千代を差し出した。信長は六角家に対する賢秀の忠義を褒め、領地を安堵する。
その翌日。観音寺城に具房率いる北畠軍本隊が到着した。具房はまず、信長たちに挨拶をする。
「義兄殿。お久しぶりです」
「よく参られた、義弟殿」
まずは信長と挨拶。そしてもうひとりとも忘れずに挨拶をする。
「浅井殿ですね。わたしは北畠宰相です」
「お初にお目にかかる、伊勢宰相様」
そんな挨拶をする具房と長政に、信長から声がかかる。
「そなたたちもまた縁戚であろう。そのような遠慮は無用よ」
「……ですな。浅井殿。よろしければ、新九郎殿とお呼びしても?」
「もちろんです。某も、太郎殿とお呼びしたく……」
「いいですよ」
こうして具房たちは互いに通称で呼びあうこととなった。信長から見るとどちらも義弟なので、彼も通称で呼ぶこととなる。初対面の具房と長政は、これからよろしくと挨拶をした。
「これで京までの道は開けました。左馬頭様にご出馬を願いましょう」
具房はこのまま一気に京都へ行くのだ、と主張する。それに信長が待ったをかけた。
「いや、太郎殿。まだ三好三人衆が残っているぞ」
横では長政も頷いている。だが、具房は問題ないと言った。
「三好三人衆は逃亡しました」
「「え?」」
どういうことだ、と二人が目を丸くする。これに対して、具房は事情を話す。
「理由は二つあります。ひとつは六角軍が蹴散らされたことで、少なからず動揺したこと」
これは具房が各地の諜報網を逆に使ってド派手に誇張したのだが、概ね事実なので問題はない。これを聞いた三好三人衆は浮き足立つ。さらに、彼らに撤退を決断させる出来事が起こる。
「二つ目はーー」
それを聞いた信長と長政は驚いた。
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信長たちが観音寺城を攻略したとの情報は、その日のうちに三好三人衆の知るところとなった。これは具房が手を回したためだ。しかし、そんなことなど知るはずもない三人衆。彼らは慌てふためく。
「北には織田。南には松永」
「これは拙いぞ」
「くそッ! 六角の役立たずめ!」
そんなことを言いつつ、善後策を考える。そこには三人衆に加えて、阿波三好家を実質的にまとめている篠原長房の姿もあった。
「いや。まだ勝機はある」
「右京進殿(篠原長房)……」
三人衆が大丈夫かという目で長房を見る。彼は、何も心配はないと応じた。
「松永軍は押し込まれている。少しの兵を置いておけば問題ない」
「しかし、京は守るのに適しておらぬ」
「京は放棄する」
織田軍を撃破してから奪回しても何も問題はないーーと長房。三人衆もその通りだと、場の空気は合戦をする方向に傾く。しかし、そんな空気に思いっきり冷や水をぶっかける報告が上がってきた。
「ご注進! ご注進! 堺に北畠軍が上陸いたしました!」
「「「「なんだとっ!?」」」」
その場にいた者全員が、思わず床机から立ち上がっていた。
「そ、それは誠か……?」
長房がなんとか立ち直り、伝令に訊ねる。
「はっ! 旗印が立ち並び、その数は知れませぬ。しかしーー」
「しかし、何だ?」
「空に、『伊勢軍百万堺に上陸』という書が掲げられていました」
「「「……」」」
そんな大軍が? と場に緊張が走る。そんななかでも長房は比較的冷静だった。
「北畠軍にそんな大軍がいるはずがない。だが、これで我々は包囲されたわけだ」
京から織田軍。大和に松永軍。堺に北畠軍。北畠軍の数は不明だが、その数や動き次第では四国への逃げ道がなくなってしまう恐れがあった。
「陣を引き払い、急ぎ撤退しよう」
「止むを得ないか……」
「無念だ……」
長房の決断はもっともだ。三好三人衆をはじめとした諸将は悔しさを滲ませる。そんな彼らに、長房は努めて明るく振る舞う。
「なに。我らはまだ負けてはいない。一時的な撤退よ」
今までも退き、再起を果たしたことがあったではないかーーそう元気づけた。その通りだ、と諸将も奮い立つ。翌日。三好軍は四国へと一目散に撤退を開始した。
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そんな話を、具房は信長たちに聞かせた。
「そのようなことを……」
信長は聞いてないぞ、と少し非難するような目を向ける。具房はすみません、と謝る。一方、長政は感心していた。
「堺にそのような大軍を上陸させるなど、太郎殿は凄まじいお力をお持ちなのですね」
「ん? あははは。それは違うぞ、新九郎殿。『百万』というのはまったくの嘘偽りだ」
そもそも、そんな大軍を用意できるはずもない。具房は、長政が意外に純朴ということを知った。さすがに信長は嘘だとわかっている。
「それで、実際に堺に送った兵はどれくらいなのだ?」
「二千ほどです」
具房が堺に軍を送ったのは本当だ。真珠などの商品を多めに卸し、その見返りに軍の通行権を得ている。しかし、その数は志摩兵団の二千のみ。百万とはよくいったものである。
「そうなのですか?」
「ええ」
「三好はまんまと騙されたわけだ」
真実を知ったらどう思うのか見ものだな、と信長。笑いが起こる。
「ところで太郎殿。貴殿に面会したいという者がいるのだが……」
「誰です?」
「蒲生佐兵衛大夫(賢秀)だ」
蒲生氏が降伏したことは具房も知っている。彼らを説得するために砲兵大隊に関盛信、神戸具盛を組み入れたのだ。そんな彼が何の用事だろう? と首をかしげる。後ろ暗いことはないため、面会に応じた。
「お初にお目にかかります。伊勢宰相様。某は蒲生佐兵衛大夫。そしてこちらが、次男の亀千代になります」
賢秀の横で、まだ五歳程度の亀千代が頭を下げる。彼の用件とは、亀千代を具房の家臣にしたいというものだった。
「弾正様(信長)から伺いました。四郎様(六角義賢)たちが伊勢宰相様の預かりとなる、と」
賢秀の理論によると、蒲生家はこれから織田家を主家とする。しかし、六角あるところに蒲生あり。そこで亀千代を具房の家臣とし、忠節を尽くすのだと。
具房は正直、そこまでするか? と思わなくもない。しかしながら拒否する理由もなかった。
「承知した。亀千代は大切に預かろう」
年ごろからして、鶴松丸の側近にするには丁度いい。亮丸や岸教明の子、孫六(史実では、後の加藤嘉明)と一緒に、鶴松丸を支える存在になってくれるだろう。
「よろしくおねがいします!」
亀千代は元気に挨拶。具房はそんな姿を見てほっこりした。
純真無垢な亀千代に癒されたのも束の間。具房は再び現世の汚い部分に侵食されることとなる。その原因は北畠、織田、浅井、徳川連合軍の盟主、足利義昭だ。本人は何もしていないくせに、上座で踏ん反り返っている。具房は内心、穏やかではなかった。
「ふむ。皆の者、大義であった」
京に入った連合軍は一度、軍勢を落ち着けた。義昭は清水寺、信長は東福寺に入っている。長政は信長と同居(徳川軍も同じ)。一方、具房は久我邸にお邪魔していた(軍勢は郊外に駐屯している)。そして義昭に召し出され、清水寺で会議を開いている。
義昭はまず、諸将に上洛を果たしたことを労った。そのときの義昭は、とても機嫌がいい。というのも、現将軍・足利義栄が死去したため、義昭に将軍宣下があることがほぼ決まったからだ。
ここではそんな上機嫌な義昭を放置して、今後の動きが話し合われる。目下の課題は、三好三人衆が放置していった領土の奪取だ。区割りが決められ、北畠軍は和泉、河内の攻略。織田軍は摂津の攻略となった。数が少ない浅井軍、徳川軍は京で治安維持にあたる。
とはいえ、実際はただの塗り絵だった。まともに抵抗したのは摂津の池田勝正くらいのものであり、他は接近すればたちどころに降伏した。池田勝正にしても、織田軍の圧倒的な軍事力を前に衆寡敵せず降伏している。
「お久しぶりです、松永殿」
「ご無沙汰しております、伊勢宰相様」
具房は京への帰路、大和から出てきた松永久秀の軍と合流。一緒に帰京した。具房たちが戦地を駆けずり回っている間に将軍宣下(同時に従四位下左近衛中将)を受け、ますます上機嫌となった義昭に謁見する。そこで今回の上洛戦における論功行賞が行われた。
「まず、織田弾正の働きは見事であった。ゆえに尾張、美濃、和泉守護とする。さらに斯波家並みの待遇を与えよう」
「ありがたき幸せ」
信長には副将軍や管領代などの地位が勧められたが、事前にそれは断っている。恐れ多いというのが建前だが、本音はそんなものをもらっても困るからだ。成り上がりめ、と要らぬ嫉妬を受けるのは目に見えている。
「次に北畠宰相。そなたも六角の捕縛など、功績著しい。よって伊勢志摩、伊賀守護とする」
「感謝いたします」
具房にも管領代などの話はあったが、断っていた。理由は信長に同じ。
この他、池田勝正が摂津守護に。細川藤賢が近江守護に。畠山高政、三好義継が河内半国守護に。松永久秀には大和の領有が認められた。山城には守護が置かれず、細川藤孝、真木島昭光が守護代となる。
もらえるものはもらったし、やることはやった。京にいる理由はないため、具房たちは領国に帰還することにした。志摩兵団は海路で、その他は陸路で帰還する。南近江までは浅井軍と、西美濃までは織田、徳川軍と一緒だった。
「それでは義兄殿、また!」
「達者でな!」
別れ際、具房と信長はしばしの別れを惜しんだ。しかし、その再会は予想以上に早くなることを、二人はまだ知らない。