珍客万来
これで二章が終わり、次回から三章に突入です。いよいよ具房や信長が天下取りに乗り出します。
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具房の北畠家の力を見せつけることで周辺諸国を威圧するーーそのような目的で行われた軍事パレードは成功した。やっていることは某北の国と同じだが、今は全国で戦争しているような状況である。問題はない、と具房は自己弁護してみた。
北畠家お家存続計画は順調に進んでいる。織田信長とは婚姻によって強固な関係を構築することに成功し、北畠家の家督を相続することもできた。後者については内乱が発生してしまったが、それもごく短期間で終息させることに成功している。
産業も順調だ。真珠の養殖は大々的に行われるようになり、生産量も増えていく予定だ。今までは千程度だったが、今や万単位で養殖していた。生糸も品質は日々、向上している。焼き物なども輸出品を中心に商っていた。最近は贈答用に大名家からも注文が入っている。
また、具房が内乱の後始末を終えたのとほぼ同時期に終息した三河一向一揆。松平家家臣も相当数、一揆側に与しているが、その一部が流れてきたのである。それが本多正信と加藤教明。前者はいわずと知れた徳川家康の知恵袋であり、後者は加藤嘉明の父親だ。今回、二人が家臣として加わることになった。心強い限りである。
私生活でいえば、奥さんが二人。しかも、正室は絶世の美女(になる予定の美少女)お市である。子どもも女の子がひとり。また、お市も妊娠中だ。
さて、このように万事順調な具房だが、気が進まないこともある。それが外交だった。当主になったことを祝う使者が周辺の大名や豪族から送られてくる。それに応対し、返事を書いたりと大変な思いをしていた。
特に面倒なのが近江の六角家だ。彼らから送られてきたお祝いの手紙を要約すると、『当主に就任できてよかったね。ところで北伊勢はどうなってるのかな? 頑張って統治してね。あと、僕たち家族だよね。助けて』という感じになる。
未だに北伊勢を奪われたことを根に持っているようだ。しかし、朝廷との兼ね合いもあって大っぴらに手出しはできない。だから、このような嫌がらせの手紙を送ってくるのである。
さらに現在、六角家は斜陽の時代を迎えていた。六角義賢は従属大名だった浅井長政に大敗を喫する。さらにその子、義治が重臣である後藤賢豊を殺害。家臣たちの反感を買い、内紛が発生した(観音寺騒動)。これで浅井家に寝返る者もいるなど、六角家の権威はガタ落ちだ。
かくして六角家は浅井家に圧迫されている。おまけに内部もボロボロだ。そんな状況で伊勢に構っていられるほど余裕はない。まあ、脅しというか、牽制と受け取るのが妥当だ。
(別にいいけど)
どんなに頑張ったところで、織田家に蹂躙されるのだから。具房もそのときが来るまでは近江に手を出すつもりはなかったので、大人しくするつもりだ。
ただ、六角家にとって幸いなのが、浅井家が織田家と同盟したことだ。目的は、斎藤家の牽制である。斎藤義龍の死で優位になった信長だが、依然として抵抗は激しく、美濃攻略に手間取っていた。形勢を一気に変えるため、浅井家と同盟を結んだ。お市はいないため、姉妹であるお犬が輿入れしている。
彼女、史実では佐治信方に嫁ぐのだが、九鬼嘉隆が織田水軍を編成していることもあり、その重要性は低下していた。そのため、織田一門に入れて厚遇するという方策を信長はとらなかったのだ。逆らおうにも海は織田、北畠水軍が掌握している。潰されるのは目に見えており、信方は止むなく従わざるを得なかった。
お祝いは信長からも届いている。軍事パレードを見に来た信興から、手紙やお祝いの品を受け取っていた。手紙の本文には、美濃攻略を手伝ってほしいとある。内乱で援軍を派遣してもらった恩もあるので、承諾する返事を書いた。
このように関係の深い相手からのお祝いが(形はどうあれ)届くなか、関わりのない者からもお祝いが届いた。
まず、お隣の大和に領地を持つ松永久秀。彼は具房と縁の深い柳生宗厳の主君であり、そのつながりを利用してお祝いを送ってきた。その使者はなんと、久秀自身が務めている。
「羽林様(具房)への謁見が叶い、恐悦至極に存じます」
「うむ。こちらも、異国の珍品を数多くもたらしてくれ、嬉しく思うぞ」
「ありがとうございます」
久秀の祝いの品は、堺から貿易で手に入れた茶器や中国製の絹織物、南海産物(東南アジアの香辛料や香木)など。絹織物は具房への挑戦か? と思わなくもなかったが、とにかく、あまり手に入らない珍品ばかりだ。具房はほっこりである。
今の久秀は少し苦しい立場に置かれていた。主君、三好長慶の重臣である十河一存、三好実休、嫡男の義興が相次いで死去した。特に一存と義興については久秀が暗殺したのでは? とまことしやかに囁かれ、家中での立場が悪くなっている。今は長慶が抑えているものの、それが亡くなったときにどう転ぶかわからない。そのとき、味方になってくれる人物を探しているのだろう。
実は、朝廷からもらっている官位では久秀の方が高かったりする。ただ、久秀が謙ったことで、今は武家の格式が優劣を決めるのだと示された。ゲストにそういわれてホストが応じないわけにはいかない。
「今後も友好関係を続けていきたいですな」
「こちらこそ」
会談は終始、和やかな雰囲気で終わった。具房はこの言葉通り、久秀に対して季節の贈り物をするなど、格別の配慮をするのだった。
久秀が帰ってしばらく。今度は足利将軍家から使者がやってきた。その使者の名前を聞いたとき、具房はひっくり返りそうになる。それもそのはず。使者は武田信虎ーーかの武田信玄の父である。
「貴殿が北畠家の当主となられたこと、公方様はとてもお喜びである」
「はっ」
信虎の威圧感は半端なく、具房は思わず萎縮する。所作もカチカチだ。それを見て、信虎は苦笑する。
「そう堅くならずともよい。同じ源氏ではないか」
「は、はぁ……」
そう言われても、具房は信虎に苛烈な暴君というイメージを持っている。その先入観からなかなか抜け出せない。そんな彼を見かねてか、信虎は戯けて見せた。
「伊勢には美味いものが多くあるという。我は是非ともそれを食してみたいな」
それを聞いた具房は笑顔になる。
「わかりました。精一杯、おもてなしさせていただきます」
伊勢で生活し、この地に愛着が湧いた具房。絶対に伊勢のよさをわからせて見せる、と闘志を滾らせた。
その夜。具房は信虎へと伊勢の特産品でもてなした。メインはお造り。具材は伊勢海老、鯛、サザエだ。
「この醤油をつけてお召し上がりください」
「これは……」
醤油の黒い見た目に躊躇したようだが、もてなされているのに食べないのは失礼にあたる。信虎は伊勢海老の身をひと切とり、ほんの少しだけ醤油をつけて口に運ぶ。
「な、なんだこれは!?」
そして、その味に目を見開く。
「いかがですか?」
「美味だ。伊勢海老の濃厚な身。それをこの醤油の塩気、旨味が上手く引き立てている。これは美味い!」
これによって醤油への忌避感はなくなったらしく、お造りをバクバクと平らげる信虎。
この他、ハマグリのバター醤油焼きも出している。バターという新たな素材も、信虎は意外に受けつけた。まあ、醤油を受容した時点で今さらではあったが。ハマグリのお吸い物など、信虎は伊勢の海の幸を堪能した。
翌日は山の幸で攻勢をかける。御座敷天ぷらという形で、目の前で揚げた熱々の天ぷらを食べた。油で揚げる、という革新的技法は京でも見たことがない、と信虎は驚いていた。
昼には鮎料理なども出され、信虎は大変満足した様子である。
しかし、具房はやりすぎた感が否めない。そして調子に乗って接待したことを、彼は後で後悔することとなる。それは、滞在三日目の出来事だった。
信虎が面会を申し込んできた。そろそろ帰るのかな? なんてことを思いつつ彼と会う具房。すると、信虎は衝撃的なカミングアウトをした。
「ここに住むことにする」
「……え?」
何言ってるのこの人? という感じだ。国内で虎を飼うなどご免である。しかし、信虎は決めているようだった。
「し、しかし公方様(将軍)にはどう説明なさるのですか?」
家臣を引き抜きやがって、と将軍に睨まれたのでは堪らない。具房は翻意を促す。
「ふむ……」
信虎もそれは思ったのか、この日は将軍に問い合わせをするということで落ち着いた。そしてしばらく待つと、将軍(足利義輝)から返事が届いた。
「よ、よろしく頼む……」
返事には是非よろしく、と書かれていた。具房はちょっと絶望。対する信虎は、
「まあ、そういうことだ」
と満足気。将軍にお願いされては断れないので、具房は信虎を客将(重臣扱い)として迎えることとした。
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「とんでもないことになった……」
具房は私室に入るやそんなことを呟いた。さすがに武田信虎が家臣になるとは思いもしなかったのである。彼とこれから生活すると考えると……少し胃がキリキリする具房であった。
「大丈夫?」
出迎えたお市は心配顔だ。具房は問題ない、と答える。とりあえず、信虎のことは忘れることにした。今は家族と過ごす時間である。具房は大丈夫だ、と答えた。そして今度はお市の心配を始める。
「お市こそ大丈夫か? かなりお腹も大きくなっているぞ」
「葵も助けてくれるし、大丈夫よ」
そう言い切った後で動きにくいけどね、と言葉を足す。たしかにそうだ、と具房は頷いた。今のところ問題はなさそうで安堵する。
「ねえ。兄上からお手紙が届いたのよ」
「そうなのか?」
そんな話は聞いていない、と具房は首をかしげる。だが、お市が見せた手紙にはたしかに信長の花押があった。しかも直筆である。読んでみると、妊娠しているが大丈夫か? という手紙だった。信長よ、お前もか……そんな言葉が出た。別に裏切られたわけではないのだが。
「もう。兄上ったら、これで毎月送ってきたのよ」
「筆まめだな」
「そういうことじゃないでしょ」
お市は政務で忙しいのに妹の心配をしている場合なのか、と言いたいのだ。具房も今は美濃攻めという大事な時期なのに、こんなことをしていていいのか、というお市の意見もわかる。その一方で、妹(家族)が心配だという信長の気持ちもわからなくはなかった。結局、曖昧な返事しか返せない。
しかし、お市もそうは言いつつニコニコと嬉しそうではある。具房は何も言わなかった。藪蛇になりそうな匂いがしたからだ。
「あ〜」
お市と会話をしているところへ、可愛らしい声が聞こえてきた。それは具房の娘・宝であった。ハイハイして父親に寄ってきたのである。具房の足下にちょこんと座り、しきりに手を伸ばしていた。抱っこしろ、ということらしい。具房は苦笑しつつ、よっこらしょと抱き上げた。
「申し訳ありません、御所様」
そこへ侍女が現れて謝罪するが、具房は咎めなかった。現代日本に育った具房は、男が育児をすることを何もおかしいと思ってはいない。だが、この時代は異なる。なので、宝が産まれて何かと世話を焼く具房に注意する者もいた。しかし、具房は己の行いを変えることはなかった。そのため、今では誰も何も言わなくなっている。
「太郎様。お出迎えが遅れて申し訳ありません」
そこへ、葵が申し訳なさそうに現れる。だが、
「宝が出迎えてくれた。よくできた娘だ」
具房は愛娘を愛でるのに夢中で、そんなことは気にならない。親バカを発揮しまくっていた。蛙の子は蛙、とはよく言ったものである。
「そうですね。でも、宝だけだと寂しくありませんか?」
葵が流し目を送る。ここでお市の子どもがいるだろう、なんて言う奴は零点だ。正解は、
「そうだな」
と応じて寝ることである。お家の繁栄もまた、当主としての仕事であった。




