新体制
今日で東日本大震災から九年となります。今年は「復興オリンピック」と銘打つ東京オリンピックが開かれますが、福島第一原発をはじめとしてまだまだ復興は成し遂げられてはいません。何か支援を、というわけではありません。ただ、このような節目の日に、是非とも被災地に思いを馳せていただきたいと思います。
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「よくやった」
具房は面会にきた具藤を手放しで褒めていた。最後まで諦めなかったその姿勢、劣勢のなかでも工夫を凝らして侵攻を遅らせたことに、最大級の賛辞を送った。実際、少しでも長野親子の手が早ければ、城は落ちていただろう。具房が間に合ったのは、そんなギリギリのタイミングだった。
しかし、その対価もまた大きなものだった。具藤が苦心して揃えた常備軍は五百のうち戦死が百、負傷が三百以上という半壊状態。ここからの再建は難しい状況である。
「兄上。僕の所領をお返しします」
そこで具藤は他の領主と同様に、所領をすべて具房に任せることとした。以前から考えていたことだが、家中の反発を恐れて実行できずにいた。しかし、反対勢力は今回のことで一掃されたといえる。となれば、具藤がこれまでより自由に動けるのだ。それゆえの決断だ。
「わかった」
具房も長野領だけでは難しいことは承知していた。それにいずれ、家臣から領地を召し上げるつもりだったので、この申し出は好都合といえる。
「籠城戦で疲れただろう。ゆっくり休め」
「ありがとうございます」
本当はついていきたいところだが、疲れてすぐにでも寝てしまいたいのが本音だ。今回はその言葉に甘えることにした。
具房は休憩と補給を済ませるとすぐに出陣する。目指すは木造具政が落ち延びた戸木城だ。そこには具政に味方した領主たちが集まっている。具房たちによって所領を追い出されたためだ。既に滝川一益率いる織田の援軍が向かっており、包囲していた。
戸木城に到着した具房は、合流した雪部隊を各所に配置する。その一方で、月部隊は長島へと帰還させた。彼らの参戦は、あくまでも臨時の措置であるからだ。
「滝川殿。改めて援軍、感謝する」
「いえ、羽林様が南を守ってくださるからこそ、上総介様(信長)は美濃に全力を向けられるのです。九鬼殿の件もありますし、このくらいどうもありません」
「そう言ってもらえるとありがたい。陣中ゆえにささやかだが、飲まないか?」
「いただきます」
具房は一益と飲むことにした。誘われた一益もニヤッと笑う。酒好きのようだ。二人は飲みながら様々な話をしていく。今は戦争中ということで、話題は戦いに関するものが多くなった。一益が目をつけたのは、北畠軍の火縄銃の装備数である。
「やはり、自国で生産しているだけあって、火縄銃は多いですな。上総介様も熱心ですが、ここまでの数を一度に使われたことはありません」
「生産できるまでは苦労したな」
コピー商品です、とは口が裂けても言えない具房。この時代に特許も何もないのだが、だからといって堂々と口にできるほど肝は太くない。
また、鉄砲の運用コストも無視できない。特に火薬ーーその原料のひとつである硝石は、日本では産出しなかった。ゆえに、南蛮商人から買いつけるしかない。具房は国内生産できる方法を確立していたが、カモフラージュのためにそれなりの硝石を輸入していた。これさえなければもっと色々なことができるのに、と密かに悩んでいたりする。
そんなわけで、ただえさえ高い鉄砲は、火薬によってさらに値段が上がる。そうなるとここぞ、というときに運用するしかない。それだけの余裕がある大名は少なかった。具房はそんな大名のひとりであるわけだが、誇るつもりはない。むしろ隠すつもりだ。
「戦を長引かせると美濃が動くかもしれぬ。早く決着をつけるために使っただけだ」
全然そんなことないアピールをする具房。今回は特別なんだ、ということを強調しておく。織田家に変な警戒心を持たれると困るのだ。できるだけ仲よくしておきたい。
一益もそうなのですね、と納得してくれた。腹のなかでは何を考えているのかわからないが、ここは彼を信じるしかない。具房は印象操作に成功したということにした。
軍備に話が及んだところで、話題は戸木城攻めになる。一益は既に美濃攻めについて考えており、伊勢でのごたごたはさっさと終わらせたいというのが本音だった。そこで戸木城を包囲した段階で攻め落としたかったのだが、具房から待ったがかけられていたのだ。
「しばらく待って、戸木城に人を集めさせる」
それが具房の考えだった。時間を置くことで戸木城に木造派の人間が集まるように仕向けたのだ。一益もそういうことならば、と納得する。だが、最近はちらほらと美濃侵攻の話が聞こえていた。なるべく早く戻って体勢を整えたい。だからこそ、
「そろそろいいのでは?」
と提案した。具房も花部隊から主要な人物は集まったという報告を受けており、攻撃を開始しようと考えていた。
「うむ。攻めよう」
かくして二人は、戸木城に総攻撃をかけるということで一致する。攻撃は二日後の未明から開始された。戸木城にはわずか百名ほどしかおらず、呆気なく落城した。
「おのれ……」
木造具政以下、反乱を主導した人物は軒並み捕らえられた。彼らは長野親子のように津城へ連行され、裁きを受けることとなる。具房は彼らを護送しつつ、津城へと凱旋した。
「帰ったぞ」
「お帰りなさい」
「お帰りなさいませ」
城へ戻るとお市と葵が出迎えてくれた。具房は戦後処理は後回しにして、妻たちの許を訪れている。家臣たちも、彼が妻を大切にしていることは知っているし仕事もちゃんとやるので、目くじらを立てることはなかった。
「変わりはないか?」
「はい。わたしは特に何も」
異変はなかったかと問う具房に、葵は含みのある回答をする。そして意味あり気にお市を見た。具房も釣られて彼女を見る。すると、お市は珍しくそわそわしていた。
統治に関しては何も問題ない。しかし、具房が留守にしている間に城では大事件が起こっていた。それが、お市の懐妊である。お市は恥ずかしがりながらも、そのことを告白した。
「誠か!?」
「……うん」
「それはよかった。めでたいな!」
具房は喜びを露わにする。葵が妊娠したときも同じような反応だった。やっぱり自分のことを大切にしてくれているのだ、と葵は身体が熱くなるのを感じる。しかし、ここは我慢だ。
「太郎様。丁度、滝川様も居られます。折角ですからお伝えしては?」
「そうだな!」
葵の提案に乗った具房は屋敷を飛び出していった。先触れを出すとか、そんな考えは抜け落ちているらしい。まあ、到着したばかりで用事などないはずだからそれでもいいのだが。
かくして残された女二人。葵はそっとお市の肩を抱く。
「よかったですね」
「ありがとう」
そう答えたお市の目は赤く腫れていた。めでたいときに涙を見せまいとしていたのだ。結婚してからかれこれ三年。その間、子どもができなかった。葵も同じような状況だったのであまり気に病まなかったのだが、昨年、葵が出産してからは追い込まれていた。周囲から聞こえる『石女』という悪評。お市は少しずつ精神的に不安定になっていた。
葵は具房が避妊を行なっていることを知っている。だが、彼女は敢えて伝えなかった。いくらお市の身体を労ったこととはいえ、彼女の性格からして怒りそうだからだ。それで夫婦間に不和をもたらしたのでは、織田家との同盟を重視する具房の意に反してしまう。そこでいざとなれば具房から伝えてもらおうとしつつ、精神面でのケアに努めていた。
特におかしなことになる前に具房に伝えられて、葵としても肩の荷が降りた気分だ。その後、ひとしきり騒いで落ち着いた具房が戻ってきた。彼は妻たちを呼び寄せ、まず謝った。
「すまない。さっきははしゃぎすぎた」
「ふふふっ。太郎様、まるで初孫ができたお爺さんのようにはしゃいでいらっしゃいましたね」
葵が茶化すと、具房は非難するように彼女を見る。しかし事実なので何も言えなかった。決まりが悪いので、彼女の言葉はスルーする。
「お市。葵にも言ったことではあるが、これからは自分ひとりの身体ではない。重圧をかけるつもりはないが、織田家との関係もある。くれぐれも身体は大事にしてくれ」
「わかった」
お市は素直に頷く。それから、体調が悪いときはちゃんと言うこと。不安なときはいつでも相談することなど、細かく言って聞かせた。そして最後に、
「男でも女でも、俺はどっちでもいい。これからもたくさん産んでもらうからな。だからひとつだけ。元気な子を産んでくれ」
と言い添えた。お市はにっと明るく笑うと、
「任せて!」
と明るい声で答えたのだった。
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帰って嬉しいサプライズがあったものの、それだけに感けていられないのは為政者の悲しいところである。具房は翌日、戦後処理を開始した。何よりまず行うべきは、反乱した者の処罰である。
「反乱した者は打首もしくは切腹。ただし、反乱に参加しなかった者は無罪とする」
色々と議論した結果、そういう方向に落ち着いた。族滅という意見も聞かれたが、罪のない人物を処罰するのはよくないと具房はこれを拒否した。
この結果、長野親子を含め分家当主をはじめとした指導者層は切腹となった。せめてもの情けである。田丸家については具忠の嫡男が元服して直昌を名乗って相続することとなった。しかし残ったのは家名のみで、所領は没収である。
また、長野家については具藤が相続する。ただ、血筋を残すということで藤定の娘を具藤の正室とすることとした。
戦死した藤方朝成に子どもはいないことから、家名は権兵衛に継がせることとした。彼は朝成の父である慶由の養子となり、名を房由と改める(北畠一門としての家格は喪失した)。
この他、当主が処罰を受けた者を中心に家名を残す代わりに所領を没収していく。だが、それをしたくともできない人物がいた。それが主犯である木造具政だ。彼は朝廷から従四位下左近衛中将の官位を賜っていた。朝廷を立てるという建前がある以上、勝手に処罰することはできない。それを具政もわかっているため、態度はとても大きかった。
「ここ(牢屋)から出せ! 儂を誰だと思っている!?」
と、毎日のように叫んでいる。なにかと文句をつけ、看守たちを困らせていた。だが、そんな彼に対しても年貢の納めどきがくる。半月後、京から勅使がやってきて、具政の官位を剥奪すると告げたのだ。これで具政は無位無官の只人となり、具房が何をしようと自由になる。
「打首とせよ!」
彼に対する慈悲はない。具房は躊躇なく打首とした。何事かを喚いていたが、刑場へ引き出されて首を刎ねられている。家名は嫡男の長政が継承した。ただ、彼は反乱発生時に元服しており、戸木城を守備していた。そのため罰として、俸禄を十年間半額としている。
さて、反乱の始末をつけるために朝廷工作を行なって具政の官位を剥いだわけだが、それだけのために勅使がやってきたわけではない。具房の位階を従五位上とし、左近衛中将としたのだ。わかりやすい具政の代わりである。また、晴具の死去によって具教は官職を辞すことにしていた。それも無事に受理されている。
具政の件が片づき、処罰は終わった。今度は褒賞を与えることになる。具房は居並ぶ群臣を前に、功績があった者を呼び出した。そのなかには具政を裏切らせた柘植保重、源浄院もいる。二人は約束通り、家臣として召抱えられることとなった。禄は親子で五百貫。中級の家臣としての待遇だ。
しかし、二人の話はそれだけでは終わらない。なんと、滝川一益が源浄院を娘婿とすることにしたのだ。源浄院は還俗し、滝川一利と名乗った。これを見て具房も動く。一利を織田家との外交窓口にしたのだ。織田家の有力家臣である滝川一益の娘婿を放っておく理由はない。
「任せたぞ」
「ははっ!」
一利はひょんなことから大出世した。彼はその才能を発揮し、のちに北畠家の重臣となる。
反乱の始末を終えた具房は、いよいよ自分が本当にやりたかったこと(政治改革)を行っていく。まず、家臣たちに私兵の保有を禁止した。その上で検地を行う。具房に仕える役人(ほぼ集英館出身)が所領に向かい、テキパキと測量していった。こんなことをすれば家臣の離反を招きかねないが、軍を持つのが具房だけなので従わざるを得ない。土地の収穫量は従来の指出検地では過少申告されることが多かった。だが、これによって正確に知ることができる。
次に、検地の結果を元に算出した金額で家臣ごとの俸禄を決定。所領を手放す者に同額の金銭(俸禄)を毎年支払うとして、家臣たちに所領返還交渉を行なった。鳥屋尾満栄や鳥羽成忠など素直に応じる者もいたが、多くの家臣が難色を示した。
「むむむ……」
と悩む家臣。具房はどういう決断をするのか見守った。かくして沈黙が訪れるわけだが、そのとき外の声が大きく聞こえる。えいっ! やあっ! と軍事訓練が行われている音だ。家臣の額に汗が滲む。そして、
「わかりました」
と答えるまでが一連の流れだった。脅迫したわけではない。その交渉術を伝え聞いたお市などは酷いと言ったが、相手が勝手に忖度しただけである、と具房は気にした様子もなかった。
具房が次に目をつけたのは法律だ。葵や満栄たちと一緒に様々な法令を作っていく。こうして考案された法令は刑法や民法、行政法など多岐にわたり、それらをひとつにまとめた『北畠国掟』として結実した。罪刑法定主義など、この時代としては先進的な内容である。
さらに、この国掟を根拠にして役所も整備していった。具房(北畠家当主)を補佐する「奉行」「副奉行」として重臣を置き、その下に「同心」として中級、下級武士を置いた(細かい階級として一等〜初等がある)。
主な奉行所としては大蔵、兵部、工部、法部、農部、政部がある。
大蔵奉行 佐之助
兵部奉行 藤方房由(権兵衛)
同副奉行 鳥羽成忠
工部奉行 武冨房正(猪三)
法部奉行 鳥屋尾満栄
農部奉行 徳次郎
政部奉行 佐之助(大蔵奉行と兼任)
となっていた。佐之助が奉行職を兼ねていてそこはかとなくブラック臭が漂うが、政部奉行所を実際に仕切っているのは葵である。ゆえに負担はそれほどでもない。陰ながら葵が支配しているため、彼女は『女奉行』として知られるようになる。
なかなかグレーな手法も使いつつ、具房はこうして新体制を作り上げていった。前当主、具教は霧山御所で隠居。政治には基本的に手出しはさせない(朝廷、外交で援助してもらう可能性はある)。
また、軍備も増強していく。月部隊、雪部隊を五千とし、津城下に集結させる。空いた長島と霧山御所には、それぞれ五千の「伊勢兵団」を徴兵して駐屯させた。さらに鳥羽(志摩国)に三千の「志摩兵団」を徴兵、配置。陸軍だけで合計一万八千を揃えた。
鳥羽水軍でガレオン船が実用化されたため、これに乗せるための人員、二千を確保した。海軍は伊勢湾の防備や交易に必須であるため、今後も拡張されていく。かくして北畠家の兵数は現時点で二万を数えた。
「壮観ですね……」
長島の五千を除く一万三千の兵士が津城の郊外を行進していた。行進は訓練で一番最初にやることであり、練度は高い。一糸乱れぬ動きで一万三千の人間が動く光景は、十分に威圧感を感じさせる。
観兵式を、具房は各方面から人を集めて盛大に行った。
同盟相手の織田家からは古木江城主、織田信興。
準同盟相手である松平家からは石川数正。
幕府から細川藤孝。
朝廷から勧修寺晴豊。
この他、紀伊、大和、伊賀、近江、美濃、尾張、三河など周辺諸国からも噂を聞いて人が訪れていた。
一万三千人の威圧感に呑まれているのは織田信興だ。観衆のかなりの人間が度肝を抜かれただろう。なぜなら、目の前を行進する北畠兵の半数が鉄砲を装備していたからだ。あまつさえ、それが並んでの一斉射撃である。これほど高価なものを六千も揃え惜しげもなく撃つなど、北畠家には一体どれだけの財力があるのかと。
しかも、金を使っているのはそこだけではない。道中も街道が整備されており、津の港には大船(ガレオン船)がいくつも停泊している。人々は北畠家の財力をまざまざと見せつけられた。
このことは報告や噂という形で全国へと広がっていく。北畠家の強大さを見せつけるという具房の狙いは、見事に成功したといえた。
注釈)滝川一利は史実の滝川雄利