逆襲
本日から【特別企画】として、三月末まで1日ないし2日の間隔で連続投稿します。経緯は活動報告にあるので、そちらをどうぞ。
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具房は津城で月部隊主力と織田家からの援軍(大将は滝川一益)を得た。これに手元の軍勢を合わせ、合計五千の兵を動かすこととなる。広間で作戦会議が開かれた。そこで具房が今後の動きを指示していく。
「まず、月部隊と雪部隊の一部は霧山城の救援に向かう。大将は俺。先手は猪三だ。頼むぞ」
「おうよ!」
「雪部隊の残りは船で志摩へ上陸。この地で反抗する豪族を叩く。大将は鳥羽監物(鳥羽成忠)、副将に九鬼弥五郎(澄隆)だ」
「お任せを」
「滝川軍には本隊の後詰をお願いしたい」
「承知した」
「では明朝、出陣する」
かくして北畠軍は動き始めた。具房率いる三千は陸路、霧山御所の救援に。鳥羽成忠率いる二千は海路、志摩の攻略に。
「それにしても、よくこれだけの武器を揃えられたものだ」
成忠は雪部隊の装備に感心する。すべての兵士が甲冑、刀を持っていることや予備を含めた槍の数もさることながら、何より千丁もの鉄砲は驚異的であった。
船旅ゆえに、兵士たちはすることがない。各々が自分なりに時間を使え、戦闘での消耗を回復することができた。彼らは鳥羽に上陸し、具房に反抗する勢力を潰していく。
混乱したのは木造軍に味方した豪族たちだ。彼らは具政の口車に乗せられて味方したが、いざ蜂起すれば自分たちよりもはるかに有力な北畠軍がやってきた。抵抗さえままならず、降伏している。成忠は、その呆気なさに拍子抜けする。こんなものか、と。志摩の制圧はかくして簡単に完了した。
成忠は事前に具房から命令されたように、治安維持は志摩国人が担うこととした。雪部隊は具房に合流すべく行動を開始する。
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具房が反攻に転じたころ、霧山御所を守る具教たちは攻め寄せる木造軍に消耗を強いられていた。
「くっ……何人残ってる?」
「敵はたくさん。こちらはあと五十ってところか」
「こっちも同じくらいだ」
宗厳と胤栄は襲撃の合間に残存する戦力を確認していた。既に矢は尽きている。代わりに投石で抵抗していた。また、戦死者こそ少ないものの、怪我をしたりして戦闘ができない者が多く出ている。前線で戦っている者にせよ、大小様々な傷を負っていた。
「厳しいな……」
宗厳は冷徹に現状を評価する。彼は御所を捨て、詰めの城である霧山城へと撤退すべきだと考えていた。胤栄も同意見である。いかんせん、数が足りない。
(このままじゃ全滅だ……)
さすがにそれは御免なので、宗厳は具教に遠慮なく後退を進言した。
「止むを得んな」
具教も同意した。ただし、闇雲に撤退しては敵に追撃されて被害が拡大するため、襲撃がひと段落したタイミングで後退することとした。それは戦術的には間違ってはいないが、結果論からすると遅い決断であった。
「ええい、何をしておるか!」
霧山御所が一向に落ちないことに憤った具政は、具教たちが撤退を決断したその日に総攻撃の命令を下したのである。これにより、具教たちは絶え間ない攻撃にさらされることとなった。
「遅かった!」
宗厳は判断が遅かったことを悟り、苛立ちを露わにする。そんな彼を、胤栄がたしなめた。
「気持ちはわかるが、我慢しろ」
大将がそんなことを言っていると士気が下がる。自重するように求めた。だが、腹立たしいものは腹立たしいのである。宗厳は鬱憤を晴らすかのように苛烈に戦った。そのおかげで戦線は維持できている。逆にいえば、宗厳のような人外レベルの強さを誇る者がいなければ突破されるということだ。その点で、かなり危うい均衡の上に成り立っていた。
これを見て動いた者がいる。具教だ。彼は総大将ということで参戦していなかったが、状況が状況である。彼だけが後方の安全地帯にいるわけにはいかなかった。具教の気持ち的にも、兵たちの気持ち的にも。
「皆、踏み止まれ!」
景気づけとばかりに敵兵を一刀両断し、具教は兵たちを鼓舞する。さらに彼は大胆にも木造軍に呼びかけた。
「我は先の伊勢国司家が当主、北畠中納言である! 我に刃を向けるは国司家ーーひいては幕府や朝廷への反逆であるぞ!」
だから矛を収めろ、と説得する。見るからに敵の攻め手が緩んだ。まだまだ幕府や朝廷の権威が生きている。誰も進んで汚名を被りたくはないのだ。
「チッ。仕切り直すぞ」
指揮官は崩れた士気を回復させるため、一時後退を決断する。これで具教たちはひと息吐くことができた。そしてこの決断が、この戦いの帰趨を決めることとなる。
「危ないことをするな」
「まったくですな」
宗厳と胤栄は具教を非難する。しかしそれは表面上のことで、実際は感謝している。あのままでは押し切られていたことは間違いない。そんな会話で緊張が緩んでいたとき、遠方から喊声が聞こえてきた。敵か!? と反射的に身構える。だが、近寄ってくる気配はない。
「……何だ?」
何が起こっているのかと訝しんでいると、具教たちの許に人影が現れる。宗厳と胤栄は咄嗟に具教を庇うために前へ出た。暗殺者ではないかと警戒したのだが、それは杞憂に終わる。
「半蔵か」
「はっ」
現れたのは具房の家臣である服部半蔵であった。彼は来援の連絡に来たのだ。
「羽林様が三千の兵を率い、救援に参りました。既に敵と交戦に入っております」
それを聞いた人々が安堵の声を上げる。よかった、助かったなど。しかし、ここで気を緩めてはならないことを、大将たちは知っていた。
「まだ戦いは終わってないぞ!」
「そうだ。これで柳生の者に遅れをとるようなことがあれば、修行を倍にするぞ!」
「オレはさらにその倍だ」
それを聞き、弛緩した空気は一気に張り詰める。誰だって厳しい訓練は嫌なのだ。
「さて、我が子の戦いぶりを見るとするか」
具教はそんな兵たちの様子を見て微笑を浮かべつつ、具房の戦いへの関心を向けていた。半蔵に護衛され、戦場を見渡せる場所へと移動する。宗厳や胤栄も現場指揮は部下に任せ、具房の戦いを見るべく後に続いた。
そのころ、具政は後方から奇襲を受けて本陣が大混乱に陥っていた。既に藤方朝成といった分家当主が討死した、との報告も上がってきている。旗印は笹竜胆ーー具房の軍だ。
「なぜ気づかなかった!?」
怒声を上げる具政だったが、彼に構う余裕がある者はいなかった。奇襲による混乱を収めることに奔走しているからだ。だが、容易には立ち直らない。さらに、具政が喚いている間にも少しずつ確実に具房の軍は迫っていた。
「勢いを止めることは叶いません!」
「何とかしろ!」
そうは言っても、できないことはできないのである。無茶を言うな、と家臣は思わなくもなかったが、口に出したらどうなるかわかったものではない。喉元まで出た言葉を呑み込んだ。
だが、事態はもはや『何とかなる』範囲ではなかった。それでも主に言われた通り、家臣たちは何とかしようと奔走する。そのおかげで多少、軍は統制を取り戻した。しかし、その努力を嘲笑うかのように具房は新たなカードを切った。
具房と戦う木造軍から見て右手ーー南側に突如として旗指物が掲げられる。そこにある家紋は織田木瓜。
「織田の援軍か!」
具政はそう考えた。冷静になればすぐわかることだが、北からやってくる織田軍が南に現れるはずがないのである。しかし、具政は自分に都合よく考えてそのことに気がつかなかった。彼が真実を知るのは、味方であるはずの織田軍が自軍に攻撃を始めてからのことだ。
「尾張のうつけめ、裏切ったか!」
どういうことか問い詰めるために柘植保重と源浄院を呼ぶ。しかし、二人はどこにもいないという報告が上がった。逃げたのである。どこに行ったかといえば、具房のところだ。
柘植保重は伊賀出身である。服部半蔵は伊賀でもトップクラスの家柄だ。二人は半蔵を通じて具房から誘いを受けていた。具政と織田家の仲介(偽装)を果たした暁には、息子(源浄院)ともども家臣として召抱える、と。二人はこれに応じて具政を見限ったのだ。
ところで、なぜ具房は保重父子を裏切らせたのか。それは源浄院が史実において滝川一益の娘婿となる滝川雄利であるからだ。
味方だと思っていた織田軍の裏切り、また無防備な側面からの攻撃に木造軍の指揮統制は完全に麻痺した。
「もはや立て直せません!」
「お逃げください!」
「おのれ、小倅め……っ!」
具政は歯噛みしながらその場を離脱した。南には織田軍、西には霧山御所、東には具房軍がいる。ゆえに彼の逃げ道は北しかなかった。
「殿。どちらへ!?」
「長野だ!」
わずかな供回りとともに北へーー長野家が拠点とする長野城へとひた走る。
長野家の者たちに対しては、現当主である具藤を追放して藤定を当主に据えた上で、北畠家の重臣にするという約束をしていた。今や彼我の国力の差は歴然としており、独立したところで遅かれ早かれ滅ぼされる。ゆえに、長野親子は北畠家に組み込まれるという条件で木造具政に味方したのだ。
そんな長野親子の意向を受け、長野家の家臣たちは一斉に具藤に反旗を翻した。これに対して具藤は、兄(具房)を見倣って編成していた常備軍で籠城。攻め寄せた長野親子の軍と戦闘に入った。
しかし、具藤の所領は少なく、具房のように大規模かつ装備の整った部隊を編成することはできなかった。用意できたのはわずかに五百。これが、人員と装備を整えられる限界だったのだ。この戦力で籠城に臨んでいる。
具藤にとって幸いだったのは、長野親子の軍も千ほどしかいなかったことだ。これは具房が兵役を課したことで、周辺に余裕がなかったためである。しかし、相手は城の構造を熟知しており、具藤は苦戦を強いられた。
「腰曲輪(城の周辺陣地)が突破されました!」
「敵は止められないか……」
五百の兵を有効活用すべく、具藤は東、中、西の城を放棄した。戦で大活躍した具房の、兵力は基本的に集中運用した方がいい、とのアドバイスに従ったのだ。防御力は普通に守るよりも高くなっているが、それでも長野親子は確実に城の各部を攻略していった。具藤がいる本丸もそろそろ危ない。
さらに、具藤を悩ませていたのは兵糧だった。装備を整えるのに大金が必要で、備蓄する兵糧を減らしていたのだ。それが尽きようとしている。この調子で消費すると一週間も保たない、というのが具藤の計算だった。
(だけど、兵糧よりも兵士の方が心配だ)
兵は戦闘で次々と負傷し、消耗した。既に半数は後方で休養を余儀なくされている。この調子でいけば、兵糧よりも先に兵士がいなくなってしまう。具藤も前線を回り、懸命に兵たちを励ます。だが、それで戦況が好転するわけではなかった。
(僕にもっと力があれば……)
具藤は拳を握る。己に力がーー才能があれば、と。
たとえば、自分に父(具教)のような剣の才能があったなら、自らも敵と戦うことができた。
たとえば、自分に兄(具房)のような将才があったなら、他にもっといい策を思いつき、このように落城寸前の状態に追い込まれることはなかったのではないか?
そんなことをついつい考えてしまう。今になれば、兄のようになると直向きに剣の稽古をしていたとき、周りが向けていた視線の意味がわかる。
何を無駄なことを、と。
お前は兄のようにはなれないーーそう言っていたのだとわかる。そんなとき、自分と違って才能豊かな兄が恨めしくもあった。だが、そのような気持ちになるたびに、どんなに忙しくても自身の鍛錬に付き合ってくれた兄のことを思い出す。
(兄上は、僕にそんなことは言わなかった)
言葉にすることはもちろん、目にもそんな感情はなかった。あったのは、弟の成長への期待。色々と難しい長野家の舵取りに具房が口を出してくることはなく、すべて任せてくれた。
具藤は兄の期待に応えなければならない、と決意を固めた。とりあえず、今はこの籠城戦を切り抜ける。
「通用すればいいんだけど……」
秘密兵器の投入を決意する具藤。少しでも時間を稼ぎ、自軍の兵士が休む時間をとるのだ。そうすれば、兵糧が尽きるまでは戦える。出し惜しみをしている場合ではないのだ。具藤は早速、前線へ赴く。
「っ! 殿、ここは危険です」
「わかっている。だが、ここで押し返さねば城が落ちかねない」
だからこそ自分が出てきたのだ、と具藤は家臣の制止を無視して、彼らには 運んできた秘密兵器を渡す。それは具房から渡された陶器であった。口から火縄が伸びている。周りの者が怪訝な顔をしていることなどお構いなしに、具藤はこれを渡されたときの説明を思い出す。
『いいか、火縄に火を点けたら五つ数えた後に爆発する。だから、火を点けたらすぐに敵に向かって投げろ』
城が危なくなったときのため、と具房はこれを二十五個ほど渡していた。陶器の正体は簡易的な手榴弾だ。火薬はそれなりに生産されているが、火縄銃に優先して割り当てられている。ゆえに手榴弾はまだまだ生産数が少ない。そんな貴重な代物を具藤に渡しているあたり、彼の溺愛ぶりがわかる。
具藤は体格的に遠くまで投げられないので、周りの大人たちに投げてもらう。手榴弾は点火から五秒後に大爆発を起こし、陶片を撒き散らす。金属製の手榴弾より破壊力は弱いものの、この時代では十分。爆音も相まって、長野親子の軍を混乱に陥れた。
「妖術か!? 引けっ! 引けーっ!」
長野親子は軍を一時的に後退させる。だが、異変がないため翌日には攻撃を再開した。少しずつ小出しで手榴弾を使ったが、足止め以上の効果はなく、遂に本丸付近まで押し込まれてしまう。
(こうなれば、北畠家の者として敵をひとりでも多く道連れに……)
具房が聞けば怒りそうなものだが、具藤は討死を覚悟した。少しでも多くの敵を倒してやる、と刀の状態を確かめる。
「殿。敵が攻めて参りました」
「そうか……」
具藤は瞑目し、言葉少なに返しつつ、鯉口を切った。行くぞ、と言おうとしたその瞬間、長野城に轟音が響く。それは、手榴弾が爆発したときのような音だった。
「どうした!?」
「殿様、あれを!」
そのとき、兵士のひとりが城下を指さした。そこには軍勢がいた。北畠家の家紋(笹竜胆)を掲げる軍勢が。
「援軍だ!」
具藤は思わず叫んでいた。途端に今までの緊張や決意などが色々と吹き飛ぶ。兵士たちと共にへなへなと座り込む。力が抜けたのだ。しかし、具藤はすぐに気をとり直す。
「この機を逃すな。打って出るぞ!」
「えっ?」
戸惑う兵士。しかし、具藤は構わず馬に飛び乗った。
「行くぞ!」
「と、殿様に遅れるな!」
兵士たちは具藤に死なれると給料が支払われなくなる恐れがある。そんな現金な理由で飛び出していった。
結果的に、これが決定打となった。長野親子の軍は背後から具房に攻められて混乱する。なんとか体勢を立て直したものの、そこへ具藤が突入してきたのだ。再び軍は混乱し、立て直すことはできなかった。長野親子は捕らえられ、津城へと連行される。
長野親子が負ける姿を、木造具政は近くの山中に潜んで見ていた。
「……戸木城に向かう」
具政は方向を変え、自身の隠居城である戸木城に向かった。
【解説】長野親子について
長野稙藤、藤定親子は史実において、1562年に死亡しています。病死とされていますが、親子が同日に亡くなるのは(疫病のようなミラクルがない限り)あり得ないので、筆者は北畠家による暗殺だと考えています。しかし、このお話では生き残っています。
ここからは私見ですが、北畠家が長野親子を暗殺したのは、国内統治と北伊勢を睨んでのことだと思います。つまり、彼らを殺して後継者を具藤に一本化することで、不穏分子の動きを封じようとしたのです。長野家の支配地域が安定すれば、北伊勢に出兵する際に後顧の憂いがなくなるわけですから。
ですが、このお話しでは既に北伊勢は(願証寺の一向宗を除いて)北畠家の手に落ちているため、長野親子を殺す必要性は下がりました。しかも具房は有能ですから、具教も親子を暗殺して国内統治の難易度を下げるとか、そんな親心を発揮しなくても済みます(というか、彼らが反乱したところで秒殺です)。なので、長野親子は生き残っています。
【補足】
木造具政は1554年に家督を息子・長政に譲り、隠居場所として戸木城を整備しました(築城主は木造具康ともいわれます)。なので、具政は既に木造家の当主ではありません。