改元と新制
先週は投稿せず、すみません。作者多忙につき、投稿を週一とさせていただきます
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時は進んで1596年。
具房は相変わらず太政大臣を続けている。何度か引退を仄めかしたが、強く慰留されて引くに引けない。だらだらと最高位の官職に居座っていた。
さて、そんな具房であるが、最近はちょっとした悩みがある。京にいると連日、公家が訪ねてきて言うのだ。
『相国はいつ将軍になるのか?』
と。まるで、孫はまだかと義理の両親に急かされる嫁になったような気分だ。その話になる度に、具房はさあ? と惚けていた。簡単だが、追及がしつこい。具房は半ば鬱となっていた。
さらに、天皇に対しても将軍宣下はまだか、と催促しているらしい。天皇や近衛前久から話を聞いている。一部の人間を除き、具房が将軍になることは間違いないと思っていた。だが、具房は将軍になる気などなかった。
(誰があんな面倒を背負うんだよ)
魂は現代人。さらに束縛を嫌う性格の具房は天下人となって自分がルールを作る側になったことから、その立場を遺憾なく発揮して新たな秩序を作ろうとしていた。
これに協力しているのが天皇と近衛前久だ。前久には以前、目指す天下を語ったことがある。それを理解し、彼は行動していた。もちろん、彼にも利益があるからなのだが、とにかく朝廷工作は具藤や敦子も動員して全力で行っていた。
それと同時並行で天皇も丸め込む。天皇は野心家だった。先代の正親町天皇が衰退していた朝廷(天皇)権威を復活させ、公家たちの賞賛を得ている。ならば孫である自分も!と思うのは自然だろう。そんな野心を上手く利用して、具房は大改革を準備していた。
石山の本願寺跡は接収された後、織田家によって軍事施設化が進んでいたのだが、本能寺の変が起きてからは放置されている。余裕がなかったからだ。整備が進んだのは、北畠家の時代になってからである。
地名である大坂を「士が反く」として大阪と改め、城郭も大阪城とした。城下町の整備も行われており、伊勢の商人を中心に商業的盛り上がりを見せている。
街道もできるだけ大阪を通るように設定されていた。五畿七道を参考に再整備が進む京発の街道網については、山陽道と南海道が接続されている。航路も大阪を中心に設定され、陸海交通の要衝となっていた。こうした交通網が経済的利益をもたらすのはいうまでもない。こうして具房は、大阪発展の基礎を築いていった。
街道の整備は単にここからここが街道と机の上で決めて終わり、とはしなかった。地面を石で舗装するとともに宿場町を設置。そこを起点に新たな道を設定する……といった具合に、費用の点から主要な街道のみとしているが、ともかく中央が道を改造する形態をとっていた。場合によっては治水であったり、宿場町の建設といったこともしている。
「街道建設で、地方は空前の賑わいだそうだ」
具房は報告書を見て、傍らで執務をする師房(幼名は颶風丸、毱亜の子)に声をかける。彼は内政官として仕事に参画していた。クォーターだが、外人の血が混ざっているとしてどことなく敬遠されている。そこで、具房は内政官として家に置いておくことにした。ちなみに、本職は外国通商だが、応援として具房の下についている。
「ええ。戦が終わりどうなるかと思いましたが、これでひと安心です」
日本開闢以来、空前の大事業となっている街道建設。その真の狙いは公共工事による景気の下支えであった。北畠家は戦乱の終息により、軍需産業の縮小を行っていた。工員は北畠家が雇うという形をとっていたので命令には従いそうだが、問題は彼らをどうするかということだった。如何に財政規模がデカいとはいえ、剰員をそのままにしておくほどの余裕はない。どうにか使えないかと思っていたところ、道路工事に思い至った。
「整備するのは構わないが、計画に沿ってやれ。修繕周期に合うようにしろ」
「もう一度、徹底させます」
日本の道路行政の致命的失敗として、高度成長期にインフラを整備しすぎたという問題がある。修繕の時期が全国ほぼ同時にきてしまい、手が回らないというのが現状だ。そんなことにならないよう、工区ごとに竣工がズレるよう具房は計画させていた。
従来なら、こうした工事は諸大名が文句をつけてきた。国境紛争の引き金にもなり得る話である。しかし、今は北畠家の軍視力に誰も逆らえないので、文句を言う者はいない。
事業を指揮する具房たちは大阪城へ拠点を移している。津城は具長に譲っていた。天下のことは具房が、お家のことは具長が、と役割分担をしている。でなければやってられない。
大事業で官吏たちが大忙しな大阪城だったが、最近は城全体が忙しい。それは近々、ここに全国の諸大名が集まるからだ。具房が呼んだのだが、そんな経験はないために人々は忙殺されていた。警備だ飲食の手配だと大騒ぎである。大阪の町にも伝播し、あちこちで怒号と悲鳴が飛び交っていた。
そんな感じで月日は過ぎ、ぼちぼち大名が集まってくる。浅井家や織田家など近隣の大名から入府したが、意外にも早かったのが徳川家であった。
「此度は何の用だろうか?」
「わかりませぬ」
長政と家康は集まって話し合う。二人とも具房の親戚でかなり長い付き合いだが、今回の集まりが何の目的か聞かされていない。具房のことなのでただ集めただけ、なんて無駄なことはしないだろう。
「本人に訊いてみましょう」
長政の発案で具房に面会したのだが、返事は曖昧だった。
「そのときになればわかりますよ。それまでは秘密です」
と言って何も教えてくれない。具房は巧みに話題を逸らし、この城は松永久秀の孫が縄張りしたんだとか、天皇が滞在するための専用御殿があるんだとか、益体のない話をされる。それに相槌を打ちながらも、二人はもどかしく思った。
大阪に到着した大名が増えると挨拶がてらの井戸端会議が起き、そこから様々な憶測が生じた。
最も有力なのは、勅使がやってきて将軍宣下を伝えること。朝廷と深い繋がりがある具房ならば、その程度の演出は容易い。また、参集に際して束帯を持参するようにとの指示があったことから朝廷の関与が窺われたため、多くの者が納得した。
少数派は引退宣言。これは身内から出た話だ。具房が大名の仕事が辛い。引退したい、と愚痴っているのを聞いている。なので、諸大名を集めて具長に忠誠を誓わせるのではないか、などという話になっていた。
そして、その日がやってくる。
大阪城の大広間。天下人の城らしく、大名たちを余裕をもって収容することができるほどの広さだ。そこへ束帯姿の大名たちがズラリと並ぶ。彼らを見渡せる上座に座った具房は、上意であるとして「御一新の詔」を読み上げた。その主旨は、
一、年号を慶長と改める
二、律令に代えて憲法を発する。以後、天下万民はこれに服すること
三、憲法その他の法令に則り、諸官の人事を発する
四、令制国は府県と改め、府県には知事を任じる
五、仔細は北畠具房に任せる
であった。読み上げが終わると、詔勅を文書にしたものが配られる。それを読み終わった諸大名からは反発の声が上がる。
「相国! これは認められませんぞ!」
「我らの立場はどうなるのです!?」
と具房に詰め寄る。そう。詔勅には大名に関する記述が一切ない。にもかかわらず、国は府県になり、そこは知事なる人間が統治するという。ならば、自分たち大名はどうなるのか、と慌てたのだ。事は自分たちの生計であるから、上位の権力者である具房にも食ってかかる。
「落ち着け」
だが、具房が睨めば大人しくなった。彼らは戦国を生き抜いた人間。具房の殺気にも似た雰囲気に身の危険を感じて、本能的に黙る。それを確認して、具房は話し始めた。
「まずは謝罪する。貴殿らを驚かせようとしたのだが、脈絡がなさすぎてかえって混乱させてしまった」
そう言われると弱いのが日本人。大名たちも、こちらこそ申し訳ない、礼を失したと謝罪する。空気がいくらか和んだところで、具房は再び口を開く。
「諸侯に集まってもらったのは他でもない。天下の一大事ゆえに、遠路この地へ参集してもらったのだ」
そんな挨拶とともに、具房は知事について説明する。曰く、知事とは詔勅の通り、天皇から府県の支配を任された者であり、中央政府の基本方針(諸法令)の下で政を行う。任命されるのは今現在、領国を支配している大名。つまり、今とほとんど変わることはない、と。
これを聞いて安堵する大名たち。今までと変わらないではないか、と胸を撫で下ろした。厳密にいえば今までとは違うのだが、具房はそのことを敢えて説明しなかった。
何が違うのか。ひとつは知事が天皇による任命制であることだ。詔勅にあるように、憲法の制定と同時に各種の法令が制定された。このなかには府県知事について規定したものもあり、そこにははっきりと知事が天皇に任命される存在だと書かれている。そこに「世襲」の文字はない。
(まあ、細かい法律なんて誰も読まないよ)
膨大な法律を誰も把握していない、という法治国家の大いなる欠点を上手く利用して、具房は置県に成功した。
ついでだからと、具房は憲法制定の背景を語る。長らく歴史の表舞台から消えてしまっているが、実は戦国時代においても律令は有効な法令だ。古代とは社会構造が違うから、当然、格式や新制によって適宜修正されてはいるが、ともかく律令はある。
具房は天皇に対して、天下が平定された今こそ、今の時代に適したものに変えるべきだ、と上奏した。天皇は納得し、近衛前久など一部の人間とともに密かに新たな基本法令の制定にあたる。そのとき、具房は聖徳太子が示した「憲法十七条」に倣い、法令の名称を「憲法」にしてはどうかと提案、承認された。
「今後、忙しくなるだろうから心してかかるように」
新体制ということで、やることは山のようにある。新たに知事となった彼らは、具房が言ったように任地に帰るや忙殺されることとなった。
まず、大阪から離れる際にドン、と渡された書類の山。新たに発布された諸法令の写し、やらなければならないことと期限を記したリストである。その内容は多岐に渡り、税制の統一であったり学校の建設、軍隊の整理など分野も様々だ。
これらは北畠家にて既に行われていることで、北畠領やそこを参考にしているところならそれほど煩雑ではない。だが、そうでないところは天地がひっくり返ったような大騒ぎだった。しかし、命令されたからにはやるしかない。さもなくば、これまで反乱した家のように攻め滅ぼされるだけだ。各自、泣きたくなりながらもやっていくのだった。
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慶長への改元とともに行われたこの大改革は、後世において「慶長維新」と呼ばれる。それを起こしたのが権力の座についた具房であることから官製革命ともいわれ、世界史的にも稀有な事例とされた。この件で、具房の名は歴史に深く刻まれたのである。
そんな大袈裟なことになるとは思わず、まあ、歴史の教科書に乗るんだろうなぁ、くらいに考えている具房。維新の成功によって平穏な隠居生活の下地は整ったが、国家の基盤が安定していない以上は隠居はできない。具房は憲法にある首席宰相として、政府を率いて天下の政務に励む。
まず、具房は政府の組織にかかる。その際には混乱を避けるため、太政官機構を現代的に再編した。左右大臣や納言などは廃止し、首席宰相と閣僚(大臣、長官)で構成される閣議が政治的な決定を下す。八省については改編。役割を追加したり削ったりして外務、大蔵、軍務、法務、文部、福祉、運輸、商工、農林水産省、警察、消防庁など様々な省庁の立ち上げを行う。
主だった人員は北畠家から引っ張ってきた。この制度自体、北畠家の統治機構を移植したものだ。加えて新制に移行する際、各地の北畠領は独立して知事となっている。領土が減り、広大な領土を統括する必要がなくなったため、人員が余っていた。それを政府に引き込んだのである。ノウハウは持っているし慣れているので、直ちに業務にあたりほとんど混乱を生じさせなかった。
これで北畠家の領土は大幅に減ったわけだが、その力は落ちていない。富の源泉は商売であり、そこは切り離していないこと。北畠軍は政府直轄としたこと、がその理由である。不穏なことをすれば政府軍(北畠軍)が飛んでくる上、朝敵の汚名がすぐさまついてくるとなれば、この日本において誰も逆らえない。
「うるさかった連中も、かなり静かになったわ」
激務に追われる具房の許にやってきたのは近衛前久。彼には元公家たちに対する説得をほぼ任せていた。その報告に現れたのである。
今回の改革は、公家たちにも基本的に秘密とされた。なので、勅命が発された段階で公家たちは御所に押し寄せ、陳情を行なっている。前久ら改革を知る人間はこれを宥めすかし、また最後に具房がいると知った公家たちは、標的を具房に切り替えた。彼の狙い通りである。
「お手数をおかけします」
「何の。奴らも華族となり、職にありつけると言われれば黙ったわ」
はははっ、と前久は笑う。陳情に押し寄せた公家には、同時に発布された「華族法」によって家格に応じた爵位が与えられ、また政府や宮中の役職に就ける、と説明していた。すると、多くの公家は引き下がった。彼らの大部分は自分の将来がどうなるのかについて心配になったからであり、既得権益が守られればそれでいいのである。
ちなみに、近衞家をはじめとした五摂家は公爵。清華家、大臣家が侯爵で、名家と羽林家が伯爵。諸大夫家は子爵以下となっている。知事となった大名たちも公家の家格を領地の広さ、織田・北畠家への貢献度などを参考にしつつ決定、爵位が贈られていた。なお、北畠家は公爵。織田、浅井、徳川家には侯爵位が授けられている。
「まあ、公家のなかには他では代替できない故実などを掌っているところもありますから」
宮中の儀式は公家が長らく守ってきた。そういった伝統については、具房も徒に破壊するつもりはない。むしろ保護を与え、後世にも伝えていこうと思っていた。そういう考えも、この措置にはある。
「与えられる職は、次代以降、変わるかもしれんがな」
「仕事がこなせないなら雇うことはできません」
今は旧体制と新体制の「のりしろ」にあたる期間であるから、臨時的な措置として各省庁の管理職には、公家たちを据えている。実務を担うのはその下の官吏たちなので、彼らの言うことに首を縦に振って決裁してくれればそれでいいのだ。しかし、いつまでもそうしていられるわけではない。職の世襲は許されず、有能な官吏が任じられる。
「ところで、今は何をしているのだ?」
「新たな法律を起案しています」
「ほう」
興味深そうにする前久。具房は丁度いいから彼の意見も聞こう、と原案を持ってきて見せる。新法案は二つ。「帝国議会法」と「元老院法」であった。
憲法には議会が立法の権利を握るとされていたが、発布に際しては欽定憲法という性質を活かし、議会が開会されるまではその条項を留保するとしていた。代わりに政府がその権能を有するともされている。具房は議会法が固まり次第、議員を選ぶ選挙法の制定にあたるつもりだ。議会は衆華二院制。当面は制限選挙の予定である。
元老院は天皇の諮問機関であり、国家の重大事に関して助言を与えることが仕事だ。そして、スケープゴートでもある。この政体は天皇のカリスマに依存しており、失政は起きてはならない。権威に傷がつくからだ。だから、天皇が判断するレベルの重大事は元老がアドバイスし、彼らが出した結論を天皇の意向とする。あくまでも判断したのは元老であって、天皇ではないという建前をとるわけだ。
「ほう。それは面白いな」
前久は天皇の神聖性を傷つけない良策だと評価する。だが、それは具体的に誰が担うのかという話になった。当然の疑問であり、具房もちゃんと答えを用意してある。
「最初は公卿の皆様にお願いしようかと」
改革により参議以上の人間は失職していた。次の処遇が決まるまで、という条件つきで前職と同じ禄を支払っている。だが、具房は働かざる者食うべからず、なので彼らをさっさと仕事に就けたい。そこで元老院となったわけだ。
「そなたは宰相を辞めた後は引退か?」
前久が皮肉っぽく言う。
「いえ。その後は元老院に入りますよ」
元老院の構成員は国家の要職を経験した者に限る、と法に書かれている。具体的に三権の長と軍部大臣、と規定されてあった。具房はこれを破るつもりはない。
「そうか」
安心したように前久は笑う。その後、いくらか言葉を交わして別れた。