戦後も何かと忙しい
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九州の平定が終わった具房は京都へ舞い戻った。足利義昭など反乱の首謀者も連れて。ぶっちゃけ義昭とは顔も合わせたくない。捕らえられた後に引見した際も、一瞥しただけだった。
義昭が活動できたのは、朝廷から与えられた将軍位があったからだ。具房はそう主張し、免官運動を行なっていた。何だかんだ義昭は決定的な事態を免れ、免官を回避していたのだが、今回、錦旗を持つ軍勢に公然と歯向かったことで命運が尽きる。朝廷は義昭の免官を決定。将軍位および大納言の官職を解いたのである。歴代足利将軍には、将軍位を退くとともに准后の称号が与えられたが、もちろん義昭にはなかった。
「あれでは擁護できんよ」
とは、二条昭実の談である。二条家は足利将軍家と親しく付き合ってきて、その縁から免官運動にも二条家が最後まで抵抗していた。ところが、錦旗を奉じる軍勢に義昭が逆らったことで反対しきれなくなった。
これで義昭は只人として生きていくことになる。彼は出家して昌山道休と名乗って余生を過ごした。もちろん死ぬまで監視があったことはいうまでもないが、失意のためか変な気を起こすことはなかった。
秀景と小少将は別々の道を歩んだ。秀景は淫蕩の限りを尽くし、大乱の首謀者である。しかし、調べれば小少将の悪巧みに巻き込まれたという側面もあった。そのため死一等を減じて無期懲役となり、佐渡の金山へと送り込まれた。無事に坑夫として働き通せば、三十年ほど後に解放されるだろう。無事にいられれば、だが。
一方、小少将に対しては、珍しく処刑の判断を下した具房。調査の結果、秀吉を毒殺したことが判明したのだ。迂闊にも下手人が残っていた。彼があっさりとゲロっている。具房の怒りは相当で、許さんと処断したのだ。
二人の処分が終わったところで、具房は九州の国割りに手を出した。羽柴家については筑前から旧南部領へ転封となる。博多商人への補償義務も負っており、城下町の整備など含めてかなりの出費となるだろう。厳しい処置だが、それくらいしなければ周りが納得しない。ある意味で具房の配慮であり、そのことは秀次もわかっていた。
「できる限りの便宜は図ろう」
北畠家は武家だけでなく商家としての側面も持っている。全国に広がる通商網を支配し、この国の経済を支配しているといってもいい。資金力は莫大で、資金提供するくらいわけはなかった。羽柴家には金を貸し補償に充てさせている。割と非道なことをしているが、周りからは親身にサポートしていると好意的に受け止められていた。
羽柴家が東北に転封となったために、空いた筑前には立花氏が復帰する。柳川より大きく加増された。さらに実子がいない房虎は具房の子(生母は葵)を養子に迎え、中央との確かな繋がりを得て権威を強化している。
肥前については正式に鍋島直茂に与えられた。ただし、旧主である龍造寺一族については、鍋島一族と同等の扱いをすること、という条件つきである。鍋島家はこれをよく守り、以後、領主の地位について揉めることはなかった。
豊後の大友氏は改易となり、房高が領主となった。佐伯惟定ら大友家臣団の多くは彼に仕え、豊後統治の大きな助けとなる。地元の人間がいるためそこまで大きな問題は起きず、房高は無難に統治を行なっていく。なお、房高の転出で空いた中国には新任の真田信繁、島津家久が入った。
異例のスピード出世を果たした二人だが、それなりに経験を積んでいたことが大きい。年齢もあるので二人は高級士官として北畠家でのキャリアをスタートさせている。伊勢の各学校で学んだ後は部隊研修などをすっ飛ばして実務にあたった。今回は早々に九州出兵となったので、二人は戦地に赴く。後方にて占領地行政にあたり、大きな混乱もなく治めたことから今回の抜擢となった。
「ふう。これで治まるだろ」
一連の始末を終えてひと息吐く具房。実務を担当する官吏たちは未だ奔走していたが、ボスたる彼はひと足先に平穏を取り戻した。
居間で何をするでもなくぼーっと過ごす。そこへ敦子が入ってきて、ちょこんと隣に座る。そして、
「お疲れ様です」
と声をかけてきた。
「ああ。しばらくはのんびりしたいものだ」
これは最近の口癖である。信長の死後、天下人として各所から期待され、なし崩し的にその役割を担わされた具房。あちこちでトラブルが起き、解決に奔走させられている。出兵もあったが、それがなくても忙しい。
必要な忙しさであることはわかっている。昔のようなやり方では日本をまとめられない。だから強引な手段をとるし、それに起因する様々な厄介事も甘受する。とはいえ、平穏な生活を送りたい、というのが本音であった。
しかし、天はそんなささやかな願いすら許さない。殿! 殿! と慌ただしい声が近づいてきた。
「何だ、騒々しい。とりあえず入れ」
「失礼いたします。お寛ぎのところ申し訳ありません。しかし、一大事なのです」
「何が起きた?」
「久我大納言様(敦通)と左近様(通世)が勅勘を蒙りました」
「なに!?」「なんですって!?」
驚きの声は二つ。具房と敦子のものである。主筋(実家)が勅勘を蒙るというのは相当な衝撃だった。二人は慌てて久我邸へと向かい、敦通らに説明を求めた。
「それは、その……」
「……」
口が重い。言いたくない、という言葉にならない言葉を聞いた気がした。しかし、言ってもらわなければ困るのである。二人は詰め寄った。
「実はな……」
敦通は重々しく口を開いた。曰く、勅勘を蒙った理由は二人が揃って宮中の女官と密通していたためだと。
「「……」」
理由を聞いた具房たちは言葉を失う。理由が下らないからだ。
「事実なのですか?」
一縷の望みをかけて問う。もしかすると、久我家を貶めようとする者による陰謀かもしれない。だが、答えはイエスだった。
天を仰ぐ具房。
「何をしているんですか……」
敦子は呆れた様子である。汚物を見るような目で二人を見ていた。戦国時代の女性であるから、男が妻以外の女と関係を持つことに関しては特に気にしていない。側室どころか、愛妾がいることも珍しくないのだから。
問題は、相手が宮中の女官であるということだ。しかも、相手は勾当内侍(長橋局)。掌侍(女官のトップ)のなかでも最高位に位置づけられ、後宮における事務全般を掌る。他の掌侍は従五位の扱いを受けるが、勾当内侍は正五位の待遇を受けるのだ。そんな大物に手を出せば、天皇が怒るのも当然といえる。こんな大スキャンダルを引き起こしてしまったために、二人にはかなり厳しい処分が下されるそうだ。
「洛外へ所払いですか」
「ああ」
それは顔も見たくない、ということであり、事態の深刻さを物語っていた。
酒、金、女。
男をダメにするとか身を滅ぼすとかいわれているものだが、彼らは見事これに引っかかった。
「とりなしはしませんよ?」
具房は釘を刺しておく。こんなバカみたいな理由で勅勘を蒙った人間を擁護するなど御免である。ダメなものはダメなのだ。それをわかっていて犯したのだから、擁護のしようがない。
「わかっている」
と敦通はいうが、そこに苛立ちが見てとれるのはワンチャンないかと期待していたからだろう。かすかな希望が断たれてつい苛立ったようだ。もっとも、具房が擁護したところで天皇の判断が変わるとは思えないが。
「ではなぜ?」
「……わたしは無論、倅(通世)もこの件で主上よりの覚えはめでたくなくなった。相国(具房)により一門も興隆している。それに水を差すことは本意ではない」
じゃあやるなよ、という言葉が出かかったが慌てて呑み込む具房。迂遠な言い方をするので要領を得ず、つまりは? と核心に迫った。
「相国にこの家を継いでもらいたいのだ」
「っ!?」
それは意外すぎる言葉だった。たしかにそうした方がいい。しかし、家柄を何より大事にする公家が、それも清華の家格を持つ久我家がそれをするというのはインパクトが大きかった。
「し、しかし大納言はこの前、次男が産まれています。いくら敦子を娶っているとはいえ、私ではなく次男に継がせるのが筋では?」
後見くらいならいくらでもするよ、と具房。しかし、敦通は譲らない。
「だからこそだ。アレが授爵するにはまだ幼い。貴殿が嫌ならば、敦子の息子でもいい。後見しやすいだろうからな」
あれこれ理由をつけて具房に継がせようとする敦通。彼を支配するのは、久我家を盛り立てようとする意思である。具房という波に乗るのだ、と考えていた。
具房は北畠家という名家の生まれであり、正統な村上源氏の末裔である。久我家の娘を娶り子どももいる上、太政大臣で天下人。これ以上の好物件はない。その子どもが自分たちの家の跡取りとなれば、北畠家が天下人である限りお家は安泰だ。
そんな計算も敦通にはあった。とにかく、自分たちが勅勘を蒙ったために、ここで何とかして逆転の一発を放とうとしているのだ。
救いを求めるように通世を見る具房。しかし、彼も事前に話を聞いて了承していたらしく、具房が期待した反応を返すどころか、むしろ是非にと肯定されてしまった。こいつもか、と具房は毒づく。
こうなりゃ最終手段だ、と敦子を見た。笑顔である。具房には聞こえた。あなた様が久我家の当主となってくれて嬉しいです、と。彼女のなかではもはや当主という扱いらしい。逃げ道は、ない。
「……息子になら」
「おおっ! 受けてくれるか!」
具房は敦子の子どもを久我家の養子とし、その名跡を継がせることとした。敦通親子は喜び、敦子は少しがっかりした様子ではあるが、自分の子が家を継ぐことになったので嬉しそうにしている。
(とはいえ、それだと可哀想だ)
誰が、といえば敦通の次男である。幼子であるから事態がわかるはずもないが、ともかく突如として親戚にその地位を奪われたのだ。将来的にあまりよろしいとはいえない。ということで、
「ーーこのような次第でございます」
参内して身内の不始末を詫び、そのついでに天皇に次男の件について依頼をした。久我家の別家を興す依頼である。家格は同じく清華。
「後になって相論になりそうな話だな。保元の乱のようになっては困るぞ」
天皇が警戒しているのは、長者の地位をめぐる対立である。保元の乱がまさにそれだ。乱では藤氏長者の地位をめぐって藤原忠通、頼長が対立。最終的に軍事衝突に至った。北畠家は武家ーーしかも天下人であるため、対立は諸大名をも巻き込むかもしれない。そんなことになれば、戦国の幕開けになった応仁の乱の再現だ。そんな未来は悪夢である。
「そこは主上のお力をお借りしたく」
「朕のか?」
「はっ。例えば、久我大納言の次男が別家を興す際、主上の『格別の御趣意』があるとすれば、異議を唱えることは不忠となります」
「相国、考えたな」
天皇はニヤリ。摂関家など公家も息を吹き返しつつあるが、朝廷で今一番元気なのは天皇である。そしてそれは具房の調整によるものであり、北畠家の天下が続く限りはその体制は安泰というわけだ。自分の言葉に異議を唱える者はなく、何よりの裏打ちとなる。これはいける、と天皇は考えた。
後年、件の敦通の次男が授爵した際には、具房が言ったように『格別の御趣意』を以って別家を立てることを認める、との勅旨が下った。この効果もあってか、久我家は相論を起こすことなく後世に続く。また、皇室もこれで言い訳を見つけ、何か起こる度にこの手を使って治めるのであった。