日向方面軍の戦い
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日向方面軍も府内へと迫り、途中にある栂牟礼城の佐伯惟定、鶴崎城の妙林尼(吉岡氏)を攻めた。他に岡城の志賀親次もいたが、こちらは戦わずに降伏している。
親次は島津家との戦で局地的勝利を収め、敗戦続きの大友家中において武功を挙げた。家臣も多く失い、同じく奮戦した立花氏が独立したため、その発言力は義統に劣らないほど強大なものとなっていた。だからといって親次は何かしたわけではないのだが、義統からすれば存在自体が危険である。そのため、親次は疎まれていた。
愚かではない親次は主君の気持ちに気づく。それでも我慢して仕えていたのだが、やがて限界が訪れた。義統が、親次の庇護するキリスト教を領内で禁教にしたのである。宣教師たちは追い出され、親次の面目は丸潰れであった。この追放はキリスト教の布教を許す具房の政策に反していたため、上意によって取り消しになっている。しかし、これで両者の対立は決定的になった。これ以後、親次は適当な理由をつけて出仕していない。
そんな背景もあり、親次は戦わずして降伏した。小早川隆景は九州に根差した人間を求めていたため、親次を勧誘。彼はこれを受け、小早川家に仕官する。家中では九州の諸勢力との交渉を任されて台頭。九十五歳という大往生を遂げたこともあり、志賀家は小早川家の重臣になるのだった。
話を戻す。
栂牟礼城、鶴崎城を囲んだ日向方面軍はまず降伏を勧告した。房高の軍が城井谷城をゆっくりと攻略していること、具房からひとつひとつ丁寧に敵を排除しろ、と命令されていたことから、急いだことはないとゆっくり攻略にかかったのである。
このとき、栂牟礼城の佐伯惟定は即座に断ったものの、鶴崎城の妙林尼からは条件について話し合いたい、との回答があった。そこで攻略の要となる北畠軍の砲兵部隊を栂牟礼城に集中。攻撃を開始する一方で、妙林尼たちとの交渉に入った。
「母上。降伏するのですか?」
抵抗する気満々だった当主・統増は、開城へ向けた交渉を始める母親に対してそう訊ねた。返ってきたのは笑い声。
「ほほっ。いいですか、左衛門殿(統増)。正面から戦うのが武士の戦ではないのですよ」
妙林尼は試すようなことを言った。老臣たちは彼女の味方である。武功を挙げている彼らに、若く戦功もない統増たちは逆らえなかった。何が何だかわからず、言われるがままに交渉を始める。
交渉を任された尼僧として、大胆不敵にも敵陣へ赴く妙林尼。そのとき彼女は城内や周辺の村々からかき集めた酒肴を携えていた。それらを会見に先立って、包囲軍の指揮官である隆景に贈呈する。
「私たちから、心ばかりの友好の証ですわ。どうぞお納めください」
「これはご丁寧に。痛み入る」
大量にある酒肴は兵士たちにも配られ、あちこちで宴会が催されていた。和やかな雰囲気で始まった交渉はしかし、難航する。妙林尼はお家の存続、所領の安堵を求めたためだ。
気持ちはわかるのだが、隆景は引くに引けない。具房から一円支配を命じられているため、権力を残した状態で敵勢力を残してはおけないのだ。彼女に対して、お家の存続のみで妥協するように迫った。
「……此度はここまでにいたしましょう」
互いに言いたいことを言ったところで、タイミングよく妙林尼が切り出す。隆景にとってそれは渡に船であった。
「そうだな。また日を改めることにしよう」
こうして交渉は終了する。妙林尼が退出すると、話を聞いていた家臣たちが一斉に隆景に迫った。
「殿! 敵方は交渉をまとめるつもりなどありませんぞ!」
「左様です! 単に時間稼ぎをしているだけです! 今すぐ破談にして攻めましょう!」
「待て待て。落ち着け」
隆景は逸る家臣たちを宥める。
「交渉はそう簡単にまとまるものではない。今のような状況では尚更だ」
未だ一戦も交えていない。鶴崎城に関していえば、どちらが有利ともいえない状況だ。それにも関わらず、相手にこちらの要求を一方的に呑ませることができるはずもない。
「戦局が進展すれば考えも改まるだろう。時間稼ぎとは言ったが、時間が経てば有利になるのはこちらだ」
四方から味方が九州に攻め寄せている。遠からず戦乱も平定されるだろう。がてや優劣ははっきりとつく。そのときに条件を押しつければいいのだ、と隆景。理論的な説明に家臣たちは納得し、抗議の声を上げなくなった。
「ーーと、こんなことを考えているのでしょう」
所変わって妙林尼たちのいる鶴崎城。こちらでも、小早川方の陣で話されていたような問答があった。内容は妙林尼側から見たものだったが。当然、これには反発がある。
「それでは、我らはジリ貧ではないですか!」
そう。彼女は追い詰められているとわかっていながら和平をしようとしていた。反対論が出るのも自然である。統増以下、若い者たちを中心に激しい反発が起こった。さながら革命前夜といった騒ぎである。これをピシャリと収めたのは、他ならぬ妙林尼であった。
「誰が降伏すると?」
首を傾げる妙林尼。はて、そんなこと言ったかしら? とでも言わんばかりに惚けている。
「はい? ならば母上はなぜ交渉などしているのですか?」
そんな彼女の態度に勢いを削がれた統増ら。一転して落ち着いた調子で訊ねた。すると、また笑う妙林尼。
「左衛門殿。私がいつ、降伏すると申しましたか? それからここを発つ前、私は何と申しましたか?」
二つの質問が投げかけられ、記憶を振り返る統増。たしかに、降伏するとはひと言も言っていない。交渉する、と言っただけだ。それを統増たちは降伏交渉と勝手に解釈していただけである。いやまあ、盤面的に降伏交渉以外にない。誤解とは必ずしもいえないだろう。だが、解釈などどうでもいい。次だ。
次なる質問は、妙林尼が城を発つ前に何を言ったのか。直近の話なので、こちらはすぐに思い出せた。
「『正面から戦うのが武士の戦ではないのですよ』と」
「そうです。敵は我らよりも遥かに優勢。まともに戦って勝てるわけがありません。勇ましく散るのも武士の華。ですが、私は武士ではありませんし、戦うからには勝たねばなりません。だからこそ、正面から戦うことはしないのです」
「そ、それでは、母上は最初から戦うつもりで?」
「ええ。既に準備は始まっていますよ」
妙林尼は笑う。それから数日が経ち、敵軍の配置状況がもたらされた。それによると包囲していた部隊のうち、大筒を備えた部隊が栂牟礼城へ向かったという。
「それは真か?」
「はっ。大筒を引いてこの地を離れる敵を住民が目撃しております」
「これで、厄介なのが消えましたね」
妙林尼は満足そうにしている。ここまで聞いて、ようやく統増にも彼女の狙いが少しわかってきた。降伏の意思を示して敵の攻城戦において中核をなす大筒部隊を遠ざけさせる。栂牟礼城からすればたまったものではないが、鶴崎城からすれば万々歳だ。
「栂牟礼城が落ちるまでが勝負です。その間に敵を一掃しますよ」
「しかし、そう容易くいくでしょうか?」
「私が何のために毎回、酒肴を持って行っていると思います? 敵に飲ませるためですよ」
敵兵を酔い潰し、その隙を突いて奇襲。鶴崎城の周辺から敵軍を排除する。それが妙林尼の描くプランだ。統増らはそれに協力することにした。交渉に随行して敵兵と気さくに接し、酒を勧める。そうやって親交を深め、警戒心を解いていくのだった。
そして、
「いよいよです」
妙林尼は栂牟礼城への攻撃が始まったことを伝えた。交渉においては強硬姿勢を貫く彼女に状況を知らせるため、隆景が教えたのだ。もちろん、裏もとっている。
「今宵、我らは討って出ます。皆、準備を」
「やるぞ!」
「「「応ッ!」」」
鶴崎城内は一気に慌ただしくなる。将兵は武器の確認に余念がない。武具の手入れをし、腹ごしらえもして夜を待った。
「皆、よいな?」
夜襲をかけるのは統増たち。彼が問いかけると、周りの兵士たちが頷いた。
密かに門を開き、敵陣に迫る。念のために敵を偵察させた。この奇襲は一発勝負。失敗するわけにはいかない。相手が油断しているのか、念入りに調査しなければならなかった。
「どうだった?」
「はい。敵は酒に酔い、兵の多くが寝ております。歩哨も僅か」
「よし。一気呵成に敵を撃ち破る!」
統増は攻撃を決断した。従う者たちは気合を入れる。彼らは初陣だったり、宗麟に従って臼杵城に籠城していたりした若い衆だ。機敏な動きを求められる夜襲には彼らのような若い人間が適任だ、と言って妙林尼は送り出した。それもひとつの理由だが、最大の理由は今後のためである。若者たちが活躍すれば、その名声によって重用される、栄達につながると考えての起用だった。
「突撃ッ!」
統増は勇ましく先頭に立って敵陣に突入する。
「な、何だ!?」
「て、敵だ! 敵が攻めてきた!」
襲撃を受けたのは小早川軍。完全な不意打ちにまったく対応できなかった。応戦する者は少なく、ただ逃げ惑うのみ。統増たちは七面鳥撃ちのごとく敵を薙ぎ倒していった。
「おのれ、謀ったな!」
不覚、と悔しがる隆景。知恵袋として毛利家の拡大を支えたという自負がある彼にとって、まんまと騙されたことは非常に屈辱であった。
「殿! お逃げください!」
「すまぬ!」
しかし、決断は早い。家臣に離脱を勧められると、まとめられるだけの兵を連れて逃げた。ここで抵抗するより、体勢を整えて戦う方がいいと判断したのだ。怒りに任せて判断が鈍ることがないのはさすがである。家臣たちも心得たもので、隆景が逃げると各自の判断で遁走を開始した。
「敵はどこに逃げた!?」
「身なりのいい者が真っ先にあちらへ!」
「追うぞ!」
統増は隆景を探していた。敵の大将を討てばかなりの戦果になるからだ。捕捉さえすれば容易く討ち取れるーーそう考えていた。その考えは間違っていない。普通なら。が、相手は普通ではなかった。
「ぐはっ!」
「殿!?」
落馬する統増。慌てて家臣たちが駆け寄った。
「銃撃だ!」
耳聡く発砲音を聞いたひとりが叫ぶ。正解、とでもいわんばかりに第二射が彼らを襲った。
銃撃は土佐兵団によるもの。小早川軍の陣地で只事ではない騒ぎが起きたことで警戒体勢をとっていたところへ、隆景が駆け込んできて急を知らせた。そこで彼らは被害拡大を抑止すべく行動していたのだ。
「敵を通すな! 撃て!」
土佐兵団は中隊ごとに統制された射撃を見せる。暗闇が広がるために敵がいるらしい方向に乱射するのみ。なので昼間に比べて密度は低い。とはいえ、ある程度的確に統増たちを捉えていた。
「くそっ。あと一歩というところで!」
銃創が痛むも、戦の興奮と悔しさで大量に分泌されたアドレナリンが、感覚を麻痺させていた。
「殿。ここは引きましょう」
「小早川軍だけでも追い散らせました。これは立派な戦果です」
「…………………………………………うむ」
何かを呑み込むような長い間をとって、統増は頷いた。
「……引いたか」
長宗我部元親は喧騒が遠ざかっていくのを感じ、敵が引いたことを悟った。念のために偵察隊を各方面に飛ばして確認をとる。
「災難でしたな、小早川殿」
「かたじけない」
「何を。我らは友軍。助けるのは当然ではないですか」
元親はそう言うが、隆景からすれば完全におんぶに抱っこである。情けないにも程があった。
一日空けて、太々しくも妙林尼たちが再集結した小早川軍の陣地を訪ねてきた。しかし、隆景はこれを拒絶する。
「お帰り願おう」
「……それは、交渉はしないと?」
「一昨日、あのようなことをしておきながらよく来られたものだ」
隆景は冷笑する。いずれにせよ、一度やられた以上は意趣返しをしなければ面目が立たない。面子はとても大事なのだ。
「わかりました」
妙林尼は仕方がない、と引き下がる。相手を怒らせた。拙かった、と思う一方でどこかに強がる自分がいた。
(今さら何をするというのです? 城は容易に落ちませんよ)
歩兵ばかりしかいない以上、鉄砲の数が増えた島津軍と大して変わらない、と考えていた妙林尼。敵が大筒を戻してきたら、その時点で降伏する気でいる。そのときに判定勝ちならばそれでいいのだ。
しかし、彼女は知らなかった。攻城戦に使えるのは大筒だけではないことを。それをすぐに知ることとなる。
「お返しをしてやれ!」
隆景は直ちに城攻めを開始した。戦いの火蓋を切ったのは土佐兵団と阿波兵団。彼らは大筒を欠いていたものの、中距離で使える火力兵器を保有していた。歩兵が持つ擲弾筒である。分隊に配備されているためそれほど数はないが、小型の大砲と威力はほとんど変わらない。北畠軍はこれらを集中運用し、曲輪をひとつひとつ攻略していく戦術をとった。
対して、鶴崎城の防備は脆い。板塀や畳を用いた即席の防御陣地に過ぎず、旧態依然としている。当然、北畠軍の砲撃によって粉々に破壊されるか、爆炎が引火して激しく燃えるかして、遮蔽物にはならなかった。そこに隠れていた兵士は死傷し、火を避けて外に出れば歩兵による銃撃の嵐に見舞われる。
北畠軍に有効だったのは落とし穴くらいのものだが、それに嵌っている味方を助け出す彼らを邪魔する者はいない。予め周囲の脅威は排除してあるからだ。したがって与えられる損害は微々たるものであり、結局は嫌がらせ以上の意味を持たなかった。
「こ、こんなはずでは……」
想定外の事態に慌てる妙林尼。彼女は虎の尾を踏んだ、と今さらながらに後悔したが後の祭りであった。
北畠軍が城を丸裸にしたところで、復讐を誓う小早川軍が突入を開始した。本丸も砲弾で侵入路がいくつも開かれていたため苦戦。後がない背水の陣ゆえに奮闘し、当初は拮抗状態に持ち込むも、兵力差もあり押し切られた。抵抗する者は女子供といえど容赦なく殺害される。見かねた北畠軍が止めに入るほど、小早川軍は復讐心に駆られていた。
このような次第では妙林尼たちに否やはなく、無条件降伏をすることとなった。なお、大筒を投入して行われた栂牟礼城攻略も滞りなく終了。城主の佐伯惟定も降伏している。
豊後南部を守る有力な氏族が排除されたことにより、いよいよ大友氏は追い詰められることとなった。