房虎軍の戦い
長くなりそうだったので分割しました。短いですが、許してください
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中国地方より攻め寄せる北畠軍を阻むべく強化された門司城。実際、外郭陣地こそ落ちたものの、肝心の城は毛利軍の侵攻を阻んで見せた。その防御力は確かなものであるが、戦力の均衡が崩れた今となってはもはやその程度でどうこうなるものでもなくなっていた。
「どんどん撃ち込め!」
門司城へ向けて砲弾の雨が降り注ぐ。関門海峡の制海権を確保した具房は主力部隊を渡海させた。九州へ上陸した北畠軍本隊は門司城を包囲。攻撃態勢を整えるや、猛攻撃を開始した。
陸からは大砲に加えて迫撃砲が撃ち込まれる。海上からも、北畠海軍の戦列艦が単縦陣で接近。その火力を遺憾なく発揮していた。門司城の防御施設は徹底的に破壊され、瓦礫の山と化す。
逆に、門司城側はやられる一方となっていた。ただえさえ火力が違うのに、多方面から攻撃されているためどこに反撃すべきかの判断がつかず、効果的な反撃ができずにいる。その間にも被害は拡大し、反撃の中核となる大筒がいくつも破壊されてしまった。
「これが北畠の力というのか……」
守る田原親賢は唸る。大友軍もできるだけのことはした。九州征伐の際に北畠軍が見せた戦いから、時代は銃砲の火力だと悟った大友家。時代に追いつくべく、大赤字を承知の上で援助物資として送られてきた北畠家の銃を買い、南蛮人から大砲を輸入した。それらを軍に配備して装備を整えている。門司城に入ったのはそうした部隊だった。
これが効果を発揮したのは間違いない。攻め寄せた毛利軍を撃退した。大きく寄与したのが火力であることに疑いはない。方向性としては間違っていなかった。
これならいける、そう自信を深めていた矢先に現れたのが北畠軍。まったくお話にならない。まず、密度が違う。本当の火力による戦い方はこうやるんだよ、とばかりに陸から海から、圧倒的な火力を叩きつけられた。
大筒も、隠れていた兵士も関係なく火力に呑まれていった。弾片で死傷したり、崩落した建物の下敷きになったり。そうやって戦闘能力が著しく低下した頃になって、陸兵が攻め寄せた。大友軍は何とか応戦したが、被害の状況も判然としないなか、個別に応戦するだけで組織的な対応はできず、各個撃破されていった。これまでの奮闘は何だったのか、という呆気なさで門司城は陥落。
「無念」
そう言い残し、親賢は北畠軍の中に突撃して戦場にその骸を晒した。
驚愕したのは敵だけではない。味方の毛利軍も、北畠軍の力を改めて認識した。毛利軍の武将のなかには、未だ少なからず反抗心を抱く者もいた。それは、北畠軍と戦った者たちは軍を出せる状況になく、後方で居残りをしていた者が多いからだ。しかし、そんなものはこれを見て吹き飛んでしまった。
経言は、それ見たことか、とばかりに反抗するのが如何に馬鹿げたことなのかを説く。力を目の当たりにし、力の差を悟ってもらおうという彼の作戦である。それは図に当たり、自分たちでどうにもできなかった城が容易く落とされるという実例を目にして、武将たちは認識を改めた。
「よし、これより二手に分かれる」
門司城に入った具房は、そんな経言の計画など知らず、諸将への労いもそこそこに次なる命令を下した。
具房率いる本隊は小倉方面に展開する毛利軍を先鋒に、羽柴家の本拠地である博多に迫る。その数は五万。
その一方で別働隊を編成し、豊後の大友領へ向かわせる。大将は房高。こちらも数は五万とした。
また、各地の友軍にも指令を飛ばす。日向方面に展開する権兵衛らには、北上して大友領へ向かうように指示。肥後方面に展開する細川、島津軍と肥前柳川方面に展開する立花、鍋島軍には博多へ進撃するように命じた。
「焦らず、ひとつひとつ確実に倒していけ」
具房はそれを徹底させる。各軍は彼の意向を受け、城砦をひとつひとつ丁寧に落としていった。基本に忠実に。周囲の敵を排除し、城砦を包囲。その上でキリキリと締め上げ、陥落させる。力押しで落ちることもあれば、抵抗を諦めて投降する者もいた。
例えば、豊前の城井氏。彼らは本拠地にして要害である城井谷城に立て籠もって抵抗を続けていた。地元であることを活かし、城井氏はゲリラ戦を展開。攻め寄せた房高ら北畠軍は苦戦を強いられる。だが、
「焦るな。冷静に対応しろ」
房高は具房の指示を忠実に実行した。城井氏のゲリラによって損害が出るが、それに対して冷淡ともいえる態度をとる。損害の多寡に拘泥せず、ゲリラの捕捉に専念した。
襲撃を未然に防ぐため歩哨を増やすなど、警戒を怠らない。襲撃による被害を最低限に抑える努力をする。そして、襲撃を受けた後は撤退するゲリラを追跡させ、彼らの拠点を把握していく。
「概ねこんなところか」
しばらくして、房高は敵の拠点を概ね炙り出すことに成功した。ゲリラの拠点を監視し、人の往来を把握。未だに動いていない拠点をも発見している。
「皆、よく耐えた。ここから反撃だ!」
「「「応ッ!!!」」」
房高は部下たちを前にそう言い放った。命令に従って守りに専念していたが、やはりゲリラを壊滅させられないことに兵士たちはストレスを感じていた。散々「待て」をされた後での「よし」だ。貯まりに貯まったエネルギーが解放される。
北畠軍は大隊ごとに分かれてゲリラの掃討にあたった。拠点へ向かい、包囲網を敷く。周辺地理は不案内だが、綿密な事前偵察によりかなり正確に掴んでいる。ゆえに、包囲もほぼ漏れのないものとなっていた。包囲が完了するや、部隊は拠点に強行突入する。
「何者ーーぐわっ!?」
「て、敵衆! 敵衆ッ!」
銃砲をぶっ放しながら突入する兵士たち。アメリカ軍よろしく賑やかな襲撃だった。
「歯向かうなら容赦しない。抵抗の意思がないなら武器を捨てろ!」
そんなことを言いながら制圧を進める。派手にやっておきながら、武器を捨てた者は言葉通りに見逃していた。たまに誤射することもあったが、仕方のないことだ。投降した人間は事情聴取のために捕らえられる。とはいえ、基本的にはそのまま故郷へ帰された。敵の家臣は捕えたままにしたが。
「くそっ! なんでここがわかったんだ!?」
一部の幹部たちは状況が好転しないと見るや、一目散に逃げ出した。北畠軍に見つかって命を落とす者もいたが、戦場の混乱を利用して上手く逃げ果たせる者がほとんどだった。そんな彼らの末路は二つ。
ひとつは逃げた先に北畠軍の包囲部隊がいて、それに捕まったり殺されたりする者。
もうひとつは北畠軍が調べきれなかった抜け道を使って味方の許へたどり着く者。
運という、自分では如何ともし難いものによって行く末は決められた。
こうして一部を取り逃しはしたものの、目的であるゲリラの掃討には成功した北畠軍。早々に損害の集計と再編成を済ませ、城井谷城へと進軍した。
城は難攻不落と言われたが、北畠軍の火力を前にして防御施設と兵員が大きな損害を受ける。半日と経たないうちに本丸を残して城を攻略されてしまった。ここで城井氏は降伏交渉に乗り出す。背景には、ゲリラ掃討戦から逃げ帰った者が中心となって形成された和平派閥の存在があった。半日にして城がほぼ陥落するという現実も助けになって、抵抗を主張する当主を動かしたのである。
城井氏側の要求は、祖先伝来の土地である城井谷周辺に自分たちが居られることだった。これは具房に上申され、豪農レベルの土地ならば私有を認めるとの回答を出した。「領主」ではなく「豪農」というのが肝である。この判断は温情というよりコストパフォーマンスからのものだから、見合わないならば戦って族滅した方が早い。
だが、城井氏は賢明だった。それならば、と受け入れたのである。戦って滅ぼされるより、要求を容れて存続すべきだと考えたのだ。それに、抵抗すれば和平派閥が反乱を起こしかねない。そんな判断もあった。
最大勢力である城井氏が完封されたことは、周辺の勢力に大きな衝撃を与えた。彼らは雪崩を打って北畠軍に投降する。早い者勝ちといわんばかりに、房高の許には降伏を申し入れる使者がひっきりなしに現れるのだった。
使者たちを捌き終わると、房高は行動を再開する。豊後府内を目指して進軍。これを阻む勢力はほぼなく、ろくな抵抗もないまま府内に到達した。