関門海峡突破戦 前夜
大変、大変永らくお待たせいたしました。本日より投稿再開です。理由は活動報告にて。
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博多城の広間を沈黙が支配していた。
「事態は切迫しております」
そんな言葉とともに始まった評定。そこでは各地での惨敗が報告された。
「情けない」
小さな呟きだが、静まり返ったなかではよく聞こえた。声の主は足利義昭。京を脱出して九州へとたどり着いた現職の将軍である。その地位を背景に、反北畠勢力の中心人物となっていた。
彼のなかでは上洛に成功し、名実ともに武家社会の頂点に君臨する自分が頭の中のキャンバスに明確に描かれている。九州から攻め上って天下をとるのは、初代の足利尊氏の事績を辿っているからだ。たしかに縁起はいいかもしれないが、それを以って勝利が確定するわけではもちろんない。だが、そんな現実からは目を背け、義昭は己の勝利を信じていた。
義昭は敗北する奴は無能。自分には必要ない存在だと捉えている。ならば自分はどうかといわれると、そこは見て見ぬふりをするのだ。なんともいい性格をしている。
「国境には続々と敵兵が集っております」
各地に展開する北畠軍の兵力が報告される。
赤間関に具房率いる本隊を含む兵十万余。
肥前、柳川方面に立花、鍋島軍一万。
肥後方面に細川、島津軍三万。
日向方面に北畠、小早川軍五万。
合計で二十万弱の敵軍が集結していた。
対する羽柴軍は、
豊後の大友軍一万余り。
筑前の羽柴軍本隊三万余り。
と、兵数では圧倒的に劣勢であった。
「逃げ込んできた切支丹を含めても、敵にはとても及びません」
「民を兵として送るのだ」
義昭が言う。彼にとって庶民は肉盾も同然。何人死のうが関係なかった。
「! そうだ。切支丹は神の国なるものを創ろうとしていたのだろう? ならば、九州こそが神の国で、そこが侵されようとしている、などといって兵を募れば集まるのではないか?」
「なるほど」
人々は納得し、そうしようということになる。キリスト教の関係者が聞けば怒りそうなものだが、彼らに協力している宣教師はこの場にはいない。
評定の場で置物同然に座っている秀景は、早く評定が終わらないかなー、などと考えている。キリスト教徒とて彼の領民であるが、秀景にしてもキリスト教は嫌悪しているため反対する気はなかった。
そんな評定の決定があり、キリスト教徒が兵士として動員される。彼らは司祭の下に編成され、主に関門海峡の守備を担うことになった。大砲やフスタ船を扱えるとの理由からである。信徒たちはそれらを扱えるわけではないのだが、そんなことは考えられていない。
「皆の者! 神の国を守るのだ!」
「「「オオーッ!」」」
日本人司祭を中心に部隊が組織され、彼らが音頭をとって防備につく。司祭たちは信仰を守ることをお題目に掲げ、信者たちのやる気を引き出す。だが、多くはあまり前向きではなかった。
「神の国を守るといっても、実際は羽柴の色ボケ(秀景のこと)にいいように使われているだけじゃないか」
事情を知っている司祭は不満を口にする。そうだそうだと同調する声が上がり、作業の進捗を報告するはずの場は愚痴大会の場となった。
さらに、本音では適応主義に賛成している司祭は、日本のキリスト教勢力の派閥争いに巻き込まれ、自分たちがその犠牲になることに忌避感を覚えていた。
「だが、ここで戦功を挙げれば我らの発言力が強まる。悪いことばかりではあるまい?」
「それはそうかもしれませんが、あまり気乗りはしませんね」
このように様々な事情から司祭たちの戦意は低かった。だが、そんなことを知らない信者たちは秀景が掲げたお題目を無邪気に信じ、神の国を守るために堅固な陣地を造るのだと毎日、疲労困憊になるまで働き続けた。見ず知らずの南蛮の兵器を使えるように熱心に使い方を学び、司祭たちもそれに専念させる。おかげで、敵の来襲までに一応の体勢を整えることができたのだった。
着々と海峡の対岸の守りが固められるなか、対岸の北畠軍の陣地では吉川経言が吼えていた。
「ここは我ら毛利に先鋒をお任せいただきたい!」
長年、毛利家は大友家と博多の支配をめぐって争い続けていた。旧臣たちは、その怨恨からやる気を滾らせている。経言たち若い世代からすれば、そんな過去の話など知ったことではない。だが、毛利家がここで活躍しなければ地方の一大名で終わってしまう。大毛利を知る彼らにそれは我慢ならなかった。
毛利家は年齢によって差はあれど、現状をどうにかしなけれなならない、という認識では一致していた。お家の思惑を背負い、経言は具房に先鋒を願い出る。
(焦ってるな〜)
彼らの思惑はともかくとして、必死さだけはよく伝わってきた。
(禊として戦わせた方が、戦後のためになるか)
クーデターで当主が交代して新生毛利家になったとはいえ、逆らった家に何もしなければ諸大名に誤ったメッセージを与えてしまう。最前線で戦わせて消耗させることが、ある意味での罰になるし、ケジメにもなる。具房はそう考え、先陣を許可することにした。
「いいだろう」
「ありがとうございます!」
「ただし、いくらか条件がある」
具房は先陣にあたって、毛利家にいくつかの課題を課した。
「まずひとつ目。渡海は敵に悟られないよう秘密裏に行うこと」
「夜間に向こう岸へ向かえ、ということでしょうか?」
「方法は任せる」
とにかく敵にバレなければ問題ないと具房。細かなところは丸投げした。
「なぜ秘密裏に渡るのかご説明いただけますか?」
「いいだろう。今後、九州に我が軍が向かうためには二つやっておかなければならないことがある。第一に、対岸に橋頭堡を確保することだ。これは先陣の毛利家の役割だな」
「承りました。ですが、それでは秘密裏に渡海する理由の説明になっておりません」
「焦るな。これからだ。上陸に成功した後、我らは敵の拠点へと侵攻する。その際には補給を万全にしなければならない。物資の備蓄は十分。しかし、海を越えて九州へ運べなければ意味がないのだ」
なるほど、と頷く諸将。北畠軍の強さは火力にある。大量の火器による圧倒的火力で敵軍を圧倒するーーそれが北畠軍の戦い方だ。
能力を十全に発揮するには、軍が使う武器弾薬や食糧を前線に運ばなければならない。ここで重要になるのが制海権だ。敵艦隊を壊滅させなければ補給路の安全は確保できない。制海権確保のためには敵艦隊を誘き出す必要がある。そのエサが毛利軍なのだ。
「渡海の報を聞けば、後続を断つために敵は艦隊を出してくる。関門海峡に出てきたところを一気に叩く!」
関門海峡での実戦経験がある毛利軍に加え、装備の質で時代の先を行く北畠海軍がいる。勝負に絶対はないが、普通にやればまず勝てるはずだ。
「なるほど」
狙いを話すと、経言はとりあえず納得したようだ。
「危険な役割だ。しかし、これを果たせばこの戦における功績は大きいものとなる」
具房は最後にニンジンをぶら下げることも忘れない。大きな功績、ということは合戦後に加増があり得るということ。経言をはじめ、毛利家臣たちの目の色が変わった。
「お役目、必ずや果たしてご覧に入れましょう!」
意気込みを述べた後、経言たちは作戦準備に取りかかった。