九州の前哨戦
作者喪中につき新年の挨拶は省略します。
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具房は関東から京へ戻ると、軍に休息と補給を受けさせてから山陽道を西へ向かった。道中、毛利家が降伏してきたとの知らせが届く。
「毛利の跡取りと少輔殿(穂井田元清)らが当主を幽閉したか」
「裏では小早川殿が動いていたとのことです」
「必死だな。しかし、これで敵の本丸への道は開けたわけだ」
具房は笑う。戦後、毛利家は確実に減封としなくてはならないが、とりあえず家名は存続する。ぶっちゃけると滅んでもらった方が面倒なことを考えなくていい。とはいえ、今となってはどこを与えるかを考えるしかなかった。具房としては手間だが、無駄な血を流すよりはいい。
「……報告は受けていたが、戦況を聞こう」
小難しいことは後から考える。気持ちを切り替えた具房は、安芸に入るや房高を呼んで報告させた。
「ご指示通り、西国は戦線の維持に努めております。中国では敵の侵攻に対する反撃に止め、毛利領国には立ち入りませんでした。九州では、龍造寺家が本家と鍋島派に分裂。筑豊からの介入は、柳川の立花殿が防いでおります」
さすがに肥前方面(大村、有馬氏)からの干渉は防げなかったが、鍋島直茂は彼らを相手取って統一戦争を開始したという。
「形勢はどうだ?」
「鍋島方が優位に運んでおります」
具房が本隊の到着まで防衛に徹しろと命じていたことで、北畠方の大名は防衛に徹していた。日向の小早川隆景が中立姿勢を示していた(裏では北畠側につくと述べていた)ことでそちらに兵力を割く必要がなくなり、かなり兵力に余裕があった。そこで立花氏には細川の、龍造寺氏には島津の援軍が送られている。
当初は籠城する姿勢を見せていた両者だったが、援軍によって城外で戦うという選択肢を得た。それは彼らが伸び伸びと戦えることであり、戦略の幅を広げさせる。一方的に優位な状況だと思っていた敵にとって、それは大きな誤算だった。
「我らに弓は引けぬだろう」
柳川の立花氏を攻めたのは大友親盛。大友氏は立花氏を未だに家臣扱いしており、今回も主家の意に従わない立花氏を征伐する、というお題目を掲げていた。隣接する肥後の細川氏、態度が煮え切らない日向の小早川氏への備えを残してはいるが、それでも柳川へと五千の兵を送ったのは流石である。対する立花方は三千余。ほぼ二倍の戦力差であり、親盛が自分たちを有利とした判断は間違ってはいない。さらに、切り札も用意していた。
「頼むぞ紹運」
高橋紹運。柳川にいる立花統虎の実父である。彼を交渉窓口にして帰順を促すつもりだった。
かつての主家であることから、主家の人間である自分がいれば立花氏は靡くと思っていた。だが、その程度で靡くならば最初から恭順している。していないということは、敵対する気であるということだ。
予定通りというべきか、使者として紹運がやってきた。二人の間では降伏へ向けた交渉……は行われなかった。
「与七郎(房虎)。やる気か?」
「はい。無論です。そのために改名もしたのですから」
柳川城の立花房虎(義統からの偏諱である統の字を具房からの偏諱である房の字にして改名した)は、愛想は尽きていると言った。改名もそのためだ。
「我らを見捨てた者につくわけないでしょう」
「まったくだな」
紹運も愛想を尽かしていた。房虎の言葉に同意する。しかし、彼らにはひとつ懸念があった。
「叔母上が心配ですな」
紹運の妹で房虎の叔母である菊姫(尊寿院)は義統の正室となっていた。二人が反くことになれば、大友家の憎しみは間違いなく彼女に向く。ゆえに、彼女を救うことが第一だ。
「安心しろ。既に策は打ってある」
尊寿院はここ数日、体調不良を装っている。義統には湯治だと言って城を出る手筈だ。後はトンズラである。その連絡があり次第、紹運は易幟するつもりだった。計画を房虎に話すと、なるほどと納得する。
「では、合図はいかがしますか?」
城にいる以上、外部との連絡は難しい。なくてもいいように合図がほしかった。
「それだが……儂は明日から病気になる」
「はい?」
怪訝な顔をする房虎。息子の間抜けな表情に、紹運は苦笑する。
「今日明日のことではない。しばらく時が必要だ。だが、そなたが拒否し続ければいくら儂が嘆願したところで話はできん。そこで仮病を使って時間を稼ぐのだ」
「なるほど」
それはいい、と房虎。ヒントを与えられると、頭のいい彼は紹運の考えた合図を察した。
「つまり、次に父上とお会いしたときが合図というわけですね?」
「その通りだ」
細かいことはそのときに詰めることとなり、その日は解散した。予定通り、紹運は陣中で病に倒れる。見舞いに来た義統に対して、息子との交渉は自分に任せてほしいと迫った。
「わかったわかった」
義統は気が弱く、紹運が強く出ると引き下がった。
数日後、尊寿院が無事に脱出。肥後の細川領へ逃げ延びたとの報告が上がってきた。紹運は、このことが義統に知られないように早馬の監視および抹殺を命じる。自身は柳川城へと乗り込み、房虎と話を詰めた。
「ーーでは今宵、打って出ることにいたします」
「それを合図に我らも攻めよう」
話はあっさりとまとまり、紹運は城を出る。義統にはあとひと押しだと伝えておいた。
そして夜。立花軍は城を出て大友軍へと夜襲を仕掛ける。同時に高橋隊も大友軍に攻めかかった。
「おのれ紹運!」
気の弱い義統もさすがに激昂。数はこちらの方が多い、とまとめて始末するよう命じた。しかし、立花と高橋という大友家の武の中核を担っていた家が相手である。数が多いからと簡単に勝てるわけがなかった。しかも、夜襲に裏切りと突発的な事態が続き、大友軍はかなり混乱していた。
「勝てねえ!」
「逃げろ!」
と、形勢不利を悟った兵士たちが逃亡を始める。初めは一部だったが、やがて軍全体へと波及。総崩れとなった。こうして、細川家からの援軍が到着するまでもなく、柳川での戦いは終わった。以後、立花軍は背中を鍋島軍に預け、自分たちは細川家からの援軍とともに、筑豊方面からの介入を阻止し続けた。
一方、敗れた義統は辛くも脱出に成功する。
「酒だ酒!」
やけ酒に走る義統。酒が入ると性格が変わる彼は、酔った頭で正室の尊寿院のことを思い出す。
(奴は紹運の妹だったな)
と思うや、刀を片手に尊寿院の部屋に向かう。彼女を斬り殺そうというのだ。しかし、そこはもぬけの殻。人にどこだと訊ねれば、湯治に行ったっきり戻ってこないという。
「恐らくですが……」
「恐らく、何だ?」
「実家の裏切りに際して逃亡したのではないかと」
「クソが!」
怒りの余り刀を滅茶苦茶に振り回す。室内は盗賊が入った後のように荒れ果てる。家臣たちはそれを遠巻きに眺めるしかなかった。
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そのころ、肥前国では龍造寺家が分裂した大抗争が展開されていた。隆信の時代は当主を龍造寺四天王、などと呼ばれる重臣が補佐する体制で家政が運営されていたが、現在は鍋島直茂と龍造寺政家との間で綱引きが行われている。
直茂は隆信の死後、混乱する龍造寺家を主導して厳しい情勢を乗り越えた。その功績から、家中では当主の政家を凌ぐ権力を誇るようになる。
これに危機感を覚えたのが政家だった。実権が奪われることをよしとしない彼は、直茂への対抗勢力を作り上げようとした。直茂の栄達を妬む者は多く、それなりの勢力には成長する。しかし、それ以上に輝かしい功績がものをいった。それゆえに、なかなか直茂の支持層を切り崩せない。
また、この動きを直茂が黙って見ているだけのはずがなかった。彼は中央ーーすなわち具房との交渉窓口となり、政権中枢へのパイプがあることを匂わせる。具房が佐賀藩の藩祖ということで、直茂に目をかけていたこともプラスに作用した。天下人との繋がりを背景に、直茂は支持を固めていく。その勢いは一門の龍造寺信周、長信らの支持を取り付けるに至る。
このような事情があり、龍造寺家では深刻な対立が起きていた。そこに今回の騒乱。やはりというべきか、意見は割れる。中央と繋がりがある直茂派は中央に味方して羽柴氏らを討て、と主張。これに政家派は羽柴氏(その背後にいる義昭)に従って北畠を討つべし、と言い張る。積もり積もったエネルギーがここで噴出。龍造寺家は一気に内乱へと突き進む。
そこへ羽柴、細川や島津といった勢力が介入し、内乱は大規模なものとなっていった。とはいえ、隆信に従って肥前統一に貢献した直茂と政家では実力が違いすぎた。戦況は直茂有利の状態で進む。危機感を抱いた政家は羽柴家に援軍を要請。これに応じて有馬や大村家から援軍が派遣された。
「信仰を守れ!」
長崎をイエズス会に寄進していたことが問題となり、そこを召し上げられた有馬家などは具房の施政方針(特に宗教政策)に反対する宣教師やキリスト教徒たちと結んで参戦した。
「行くぞ!」
有馬、大村連合軍は勢いよく龍造寺領に雪崩れ込む。政家は有馬家などと組むことを内心では快く思っていなかった。軍にしても一部が火縄銃、わずかに大砲を有するのみで、大多数は百姓の寄せ集めといった感じだ。とはいえ、数は多く士気も高いので使い捨ての戦力にはなるだろうと思っていた。
敵は万にも上る大軍。三千ほどしかいない鍋島軍の諸将が厳しい戦いになると考えるなか、大将の直茂はまったく脅威に感じていなかった。
「敵は大軍です」
「そうだな。しかし、敵は所詮、烏合の衆。与し易い」
万を越す軍の食糧を維持するのは大変で、領国の大変な負担になる。早く解散させてやろう、と直茂は決戦を挑む。その際、援軍に来る島津軍に連絡をとり、敵の根拠地である城を落とすよう要請した。
「かつては敵であったーーしかも、我らが大将(龍造寺隆信)を討った島津と今度は共闘する……。不思議な気分だな」
そんな気分になりつつ、戦いに臨んだ。
兵数では連合軍が圧勝していたが、戦いは鍋島軍が有利であった。
「敵にできるのは前進と後退のみ。そんな奴らには負けぬ」
そんな言葉で、諸将に自信を示す。適当に戦うと、鍋島軍は撤退を始めた。これを見て、連合軍では二つの命令が出た。
「敵が逃げたぞ、追え!」
と指示したのは有馬、大村連合軍。
「怪しい。深追いするな」
と指示したのは龍造寺軍である。
「はははっ! 雑魚めが!」
「鍋島など我らの敵ではないのだ!」
「主に背く愚か者を成敗せよ!」
勢いに乗った有馬、大村連合軍は猛烈な追撃を行う。まさに破竹の進撃だ。それを苦々しく見ていたのは直茂ーーではなく、味方であるはずの政家であった。
「馬鹿者どもが。あまりに脆すぎる。罠に決まっているだろうに」
直茂のことだ。撤退は罠で、絶対に反撃がくる。政家はそう確信していたため、追撃を行わずにいた。ところが、追撃に参加しないのは裏切り行為だと連合軍から糾弾される、
「うるさい。追えばいいのだろう、追えば」
政家は渋々、軍を進めた。
そのころ、最前線の連合軍兵士は長い距離を追撃したために体力が限界を迎え、その足が鈍っていた。
「ふむ。そろそろいいだろう。さて、芝居は終わりだ。存分にやれ!」
敵がバテたのを確認すると、直茂は反撃を命じた。政家の罠だという予想は当たっていたのだ。
「て、撤退ーっ!」
最前線にいた連合軍の兵士は未だ意気軒昂な鍋島軍に容易く破られ敗走する。撤退の命令が出るが、後方からやってくる前進命令を出された味方と衝突。大渋滞が起こる。そこへ鍋島軍が襲いかかった。戦場は阿鼻叫喚の地獄となる。
後から向かっていた龍造寺軍も巻き添えを喰らい、かなりの損害を受けた。だが、鍋島軍は追撃の手を緩めない。敗走する連合軍を執拗に追撃していく鍋島軍。部隊は交代しており、一方が追撃している間は片方が休んでいるという状態だった。そのため、前線の兵士は常に体力に余力がある。
他方、連合軍は常に追われ、戦い続けているために疲労困憊。損害も時間の経過とともに加速度的に増えていった。
「無念だ」
龍造寺軍に対しては、一族の信周や長信が降伏を勧告。政家は家名だけでも、と自分の系統が龍造寺宗家として残されることを条件に降伏した。
有馬、大村連合軍にはそのような勧告はなく、地の果てまで追い回された。彼らは這々の体で領地に戻るも、出迎えたのは味方ではなく敵だった。直茂の要請に応じて、島津義弘率いる島津軍は主力が出払った有馬、大村領を急襲。日野江、三城城などを陥落させた。
根無草となった連合軍は進退極まる。そこへ使者がやってきて鍋島、島津家ーーひいては北畠家の意向が伝えられた。それは今後、信仰のために武器を取らないと神に宣誓するならば民百姓については赦免するというものだった。これで領民層はほとんど離脱してしまう。
残るは有馬晴信ら指導者層だが、何をするでもなく褒美目当ての領民が捕らえて突き出した。直茂と義弘は相談の上、彼らを細川家に預けることにする。領国は龍造寺家と島津家で共同統治することになり、比較的余裕のある島津家を中心に行政が敷かれた。
一連の戦いで羽柴方の勢力は削られ、九州においても北畠側の有利が確定するのだった。