回心
えー、大変長らくお待たせいたしました。年末に向けて色々なことがあり、クソ忙しい日々を送っていたためになかなか執筆する時間も、感想などを見る時間もとれませんでした。ようやく、ひと息つける状況になりましたので、ぼちぼち投稿を再開していきたいと思います。気になることなどあれば、感想を送っていただければと思います。
皆様、本年も拙作をお読みいただきありがとうございました。友人から異世界転生モノのランキングに載っていると聞き、大変ありがたく思っております。残念ながら、作者は喪中につきご挨拶はできません。その点についてはご了承ください。
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西国では発端である羽柴秀景の他に毛利、大友など中国や九州の一部大名が反旗を翻していた。中国方面でこれの対応にあたっているのが藤堂房高であった。
『本隊(具房)が着くまで攻勢に出る必要はない。確実に敵を封じ込めよ』
これが彼に下された軍令である。一軍の大将として作戦指揮できることに、房高は腕の見せ所だと意気込んでいた。そこにこの軍令はいささか彼のやる気を減退させたが、具房の信奉者であるがゆえに命令には従った。
軍の動員を進めていると、毛利家からの使者が現れる。曰く、安芸と石見を返還してくれるなら兵を退くという。房高はそんなことが呑めるわけないだろう、と思いつつ具房に問い合わせた。返答は当然、拒否である。
「残念ですな」
安国寺恵瓊と名乗った使者はそう言って帰っていった。これで毛利とは妥協する余地なく、戦争が確定した。房高は幕僚を集めて軍議を重ねる。そのなかである場所が注目を集めた。
「敵は恐らく、浜田城を狙ってくるはずだ」
浜田城と、そこに近い石見銀山の支配権は具房が握っている。これを奪われれば敵に経済的余裕を与えてしまう。さらに、緒戦の敗北は今後の戦局にも影響を与えかねない。
(思った以上に重大だぞ、これは)
房高は今更ながらに、中国戦線の重大さに気づく。加えていうならば、中国方面が崩れると、敵は一気に京へと東征作戦を行うだろう。そうなると但馬生野銀山、さらには京、堺などが陥落しかねない。もちろん北畠家にとってこれは大打撃だ。
これに気づき、房高は気を引き締めて作戦指導にあたった。浜田城には山陰の尼子軍を入れて守備に就かせる。安芸の北畠軍は瀬戸内側を固めた。後方の宇喜多家などは遊撃部隊として待機させてあった。
果たして、房高の予想通り、浜田城に毛利軍が現れた。総大将は天野元政。輝元は最初、穂井田元清に総大将を命じた。しかし彼は、敬愛する隆景が中立(実質的に敵対)姿勢を示していることから出仕を拒否。やむなく、元政が総大将となった。
「安芸の敵は殿が制してくださる。敵は尼子兵のみ。蹴散らせ!」
毛利軍は浜田城を取り囲み、攻勢を開始する。毛利家の人間は尼子軍を軽く見ていた。自分たちは彼らを一度、滅ぼしたことがある。再興軍との戦いでも勝利を続けた。上月城では敗れたが、それも救援に来た北畠軍のためで、いなければ落城していただろう。ゆえに、しばらくは来援の見込みがない浜田城を、彼らは落とせると踏んでいた。しかし、その考えは甘い。
「敵を寄せ付けるな! 撃てーッ!」
城からは猛烈な銃撃が浴びせられる。尼子軍によるものだ。彼らは再興後、北畠軍のように火器を重点的に整備していた。
一度、大名としては滅んで、再興運動に加わった家臣以外はほとんど毛利家に吸収されてしまった。再興を果たした後も帰参する者は多くなく、家臣団は勝久の代で新たに仕えた者ばかりだ。その出身地は北畠領に集中している。各種学校を卒業した者たちなのだから当然だ。
また、上月城で北畠軍に救われた山中幸盛などもそのやり方を参考にすることに賛成だった。家臣の大多数が北畠家のやり方に染まっているので、北畠家の思想は非常に受け入れられやすい。勝久の下、尼子軍は火器を豊富に装備した新時代の軍隊に生まれ変わった。その真価を、彼らは遺憾なく発揮する。
「敵を寄せ付けるな!」
城の前には空堀が掘ってあり、城兵はよちよちと堀を登ってくる敵兵を始末していく。弱い敵に手こずっていることに、元政らは焦れてきた。
「何をもたもたとしているのだ!」
前線に出て督戦を始める。それこそ、尼子軍の狙いとは知らずに。
「旗印が前に出てきたな。よし。大筒を撃て!」
城内で息を潜めていた大砲が火を噴く。これも北畠家から購入したものだ。北畠軍のものをダウングレードし、射程が短くされていた。それでも、この時代からすれば十分な装備である。
尼子軍の砲兵隊が元政のいるところへ向けて砲弾をつるべ撃ちした。技術的に正確に照準することは難しい。ゆえに北畠軍ではキル・ゾーンを設け、大雑把な狙いをつけて砲弾を叩き込むようにしていた。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる理論である。その教えを受けた尼子軍も同じ方法をとっていた。
しばらくして、毛利軍は急に攻撃を止めて撤退していく。包囲は解いていないが、城から少し距離を置いた。勝久は一度、体勢を立て直すために退いたのかと思ったが、一週間しても攻めてくる気配はなかった。
「敵は何をしているのだ?」
不審に思った勝久は調査を命じる。数日後、調べていた者が驚きの事実を持ってきた。
「敵の大将が負傷?」
「そのようです。敵陣の兵士の間でまことしやかに囁かれており、周辺の住民も知るところとなっておりました」
「むむっ」
勝久の頭では二つの考えがせめぎ合っていた。ひとつはこの噂が真実で、この機に敵を一掃しようという考え。もうひとつはこの噂は嘘で、敵が自分たちを罠に嵌めようとしているのではないかという考えだ。
(どちらもあり得る)
悩んでいると、そこへ幸盛が現れた。
「殿。某に出撃の許可を」
「なぜだ?」
「此度の敵の振る舞い、嘘か真かお悩みのご様子。ここは某が出て、真偽を探って参ります」
幸盛は勝久の悩みを見透かしていた。その上で、自分が実験台になるというのだ。
「……危険だぞ?」
尼子家の再興へ向けて苦楽を共にした仲だ。もし罠であれば、こちらを徹底的に撃ち破るものだろう。そこへ飛び込めとは命令しにくかった。
「殿」
幸盛と目が合う。その瞳は任せろ、と言っている。悩んだ末、勝久は彼の手腕に、これまで築き上げてきた信頼に賭けることにした。
「わかった。兵の半数を連れていけ」
半数の兵でも城は守り切れると判断し、それ以外を連れて行くように言った。幸盛も同意見らしく、何も言わずに頭を下げた。
「行くぞ!」
毛利軍に悟られないよう、密かに城を出る幸盛たち。さらに、やや迂回して毛利軍の陣地へと迫った。
そのころ、毛利軍の陣地では総大将の元政が医師の治療を受けていた。体のあちこちに包帯が見える。負傷したという話は本当だったのだ。
総攻撃の日、なかなか城が落ちないことに焦れた元政は前線に出て、兵士たちを鼓舞していた。だが、そこへ尼子軍の砲弾が飛んでくる。幸い、一命は取り留めたものの、全身に弾片が刺さる重症を負った。総大将の負傷により、毛利軍は撤退したのである。
「御大将。しっかりしてください!」
「ああ……」
応える声に力はない。全身に痛みが走っており、かなり体力を消耗していた。弱りきった姿を兵士たちに見せるわけにはいかず、こうして引き籠っている。本国にはことの次第を報告し、代理の派遣を求めていた。輝元は相変わらず穂井田元清の出陣を求めたが、彼は従わず後任人事は難航。結果、元政が前線に留まり続けている。
「敵はこちらに気づいていない、行け! 一気に蹴散らせ!」
幸盛は軍を突撃させた。
「……この騒ぎは?」
「敵です! 敵が攻めて参りました!」
元政の疑問に答えるように、ひとりの兵士が飛び込んできた。
「申し訳ありません。完全に油断しておりました」
配下のひとりが悔しさを滲ませて報告してくる。元政はしかし、それを咎めなかった。
「今は一兵でも惜しい。すぐさま兵を退かせろ」
「御大将は?」
「最後に退く」
自分は負傷しているので、一緒に撤退するとその速度が落ちる。元気な兵を先に退かせ、自分を含む負傷者は後回しにしろというのだ。
「しかしーー」
「いいから行け!」
先程までの弱々しさを微塵も感じさせない大喝が飛ぶ。最後の空元気であったが、その気迫は部下たちを圧倒した。言いつけに従い、負傷者を除いて撤退する毛利軍。それは、意外な効果を生んだ。
「歯応えがない」
簡単に蹴散らされ、崩れる毛利軍を幸盛は訝しんだ。
(これは罠なのでは?)
最初から罠を疑っていたゆえに、この不審な行動は疑念を増幅した。ゆえに、幸盛は深追いはせず、適当なところで切り上げろと命じる。
「敵が潜んでいないか探索しろ!」
幸盛は敵勢力の駆逐に向かった。残党がいるだろうと考えてのことである。周辺の村人にも懸賞金をかけて協力を求めた。すると、ある村人から興味深い話を聞く。
「この先に、毛利の兵が集団で潜んでいます」
「それは真か?」
「はい。ご案内します」
村人に案内された先には、たしかに毛利軍がいた。兵士たちはほとんど傷ついてぐったりしている。
「助けてやれ」
忍びない、と幸盛は彼らの救護を命じる。救われたなかには天野元政もいた。
「鹿之助殿(幸盛)。某の首ひとつで兵たちを助けてやってはくれまいか?」
「そういうのは不要だ」
幸盛は北畠軍の戦でなければ敵と味方はない、という思想を取り入れていた。敵対する意思があるならともかく、従順な相手を無碍に扱わない、という考えだ。
(たしかに、要らぬ憎しみを生むことはない)
反抗されると統治しにくいし、領地の生産力も下がる。逆に傷ついたところを助けられればこちらに融和的になってもらえるかもしれない。そう考えると、助ける方がメリットが多い気がした。
尼子兵は幸盛の指示を受け、毛利兵を治療した。救えなかった命もあったが、多くは適切な治療を受けて命を繋いだ。
「感謝する」
「貴殿らの奮戦に敬意を表しただけだ」
具房にいわせればノーサイドの精神である。その後、捕らえられた毛利兵は後方へ送られ、戦が終わるまで尼子領で生活。定住する者も現れた。
尼子軍は毛利兵を後送する人員以外、浜田城の守備に戻った。毛利軍は再三、兵を差し向けたが、尼子軍は一致団結して侵攻を退けた。これは兵力の損耗を招き、毛利軍は攻勢能力を奪われるのだった。
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浜田城での敗北を重ねた毛利家は焦った。
「やはり、ここは叔父上に行ってもらうしかない」
輝元は各方面から兵を引き抜き、山陰侵攻軍を再編していた。穂井田元清にこの軍を指揮させるべく、何度となく使者を送っていた。しかし、いい反応は得られていない。理由は、元清が尊敬する兄・小早川隆景が静観しているから。現在の北畠体制に反抗する行為はできない、と屋敷に籠っていた。
なんとか引き出そうと、輝元は様々な手段に出ていた。重臣たちに説得させたり、叔父の小早川隆景に蜂起を促したり。だが、どちらもいい結果を得られなかった。
誰が説得に来ようと、元清は頑として首を縦に振らない。一度、主命に従えないなら腹を切れと言った者がいたが、元清は本当にやろうとした。死んでも戦いたくないらしい。
そんな意思を示された輝元は、無理強いするのはよくないのでは? と思わされた。こんなことで貴重な人材を失いたくはない。仕方なく、元政らを派遣した。ところが、なかなか城を攻略できない。それどころか、毎度のように敗北してくる。決定的な敗北は喫していなかったが、少なからぬ被害を被っていた。
こうなると、残された道は元清を出すか、自分が行くか。しかし、輝元は自分の軍才が元清よりも高いとは思っていない。自然、元清を使うという考えに回帰する。梃子でも動かない元清を動かすため、輝元は切り札ともいえる人材を使うことにする。
「そなたが説得してくれ」
「承知いたしました」
切り札とは、養子の昭元(史実の毛利秀元)であった。彼は元清の実子である。子どもの頼みなら動くのでは? と輝元は考えたのである。
「断る」
だが、その程度で元清を動かすことはできない。考え直せ、と逆に説得を受けた。
「父上のご意志は変わらないのですね?」
「無論だ」
「「……」」
昭元の意思確認にしっかりと頷く元清。重い沈黙が場を支配した。しばらくして、昭元が笑う。
「それはよかった」
「は?」
突然の発言に、呆気にとられる元清。この反応はさすがに想定外だった。
「どういうことだ?」
「どうも何も、わたしも北畠家と争うのは愚かな行為だと思うのです。前回は大幅な減封で済みましたが、今回ばかりは改易を免れないでしょう。私怨からこのような愚策に出ることを、わたしは最初から快く思っておりませんでした」
後継者とはいえ、若い昭元には何の力もない。流れを止めることはできなかった。そしていざ始まった戦いでは案の定、劣勢。今は敵が東国に目を向けているからいいものの、西国へ主力が来れば蹂躙されることは想像に難くない。
「そして先日、東国の北条家が降伏したそうです」
「いよいよだな」
「はい。その破滅を迎える前に、わたしは行動しなければなりません。父上、協力していただけますか?」
昭元は明言こそしなかったが、クーデターへの賛同を元清に求めていた。
「そなたひとりでは何もできまい」
「同志がおります」
お耳を拝借、と言って昭元は元清に計画に賛同した人間の名前を打ち明けた。出てきたのは吉川経言をはじめとした重臣やその一族のなかでも比較的若い人間。外部では小早川隆景も支援しているという。
「元より、叔父上の計らいなのです」
指嗾したのは隆景だと知った元清。これだけで彼の腹は決まった。
「わかった。乗ろう」
元清は説得に応じたふりをして登城することを表明。昭元は父を盛大に送り出してあげたい、と城下に軍を勢揃いさせることを提案した。
「もちろんだ」
輝元は元清の出馬表明に歓喜し、また敗戦で沈滞して士気を上げようとこれを承諾する。当日、軍が萩城下に集合。そのなかを元清が進み登城した。
「叔父上。よく決断してくれました」
ニコニコしながら迎える輝元。しかし、元清は厳しい表情のまま、言い放つ。
「此度はお家のために出馬しました。それゆえのご無礼、ご容赦願います」
「? 何を申されているのですか、叔父上?」
「こういうことです」
答えたのは昭元だった。その声を合図にして評定の場に兵士たちが現れる。
「貴様ら何をしている!?」
「お家のため、北畠家と和睦する。当主の一族として、家臣を露頭に迷わせることはできません!」
昭元はそう言って、家臣のためだと自己正当化した。彼らの行動により、輝元を含む毛利家の上層部はほとんど幽閉される。昭元は元清や経言とともに実権を掌握。即日、北畠側に講和を申し入れた。