関東処分
何とか間に合った! げふんげふん。お待たせしました。遅れた申し訳ありません。
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具房は降伏の申し出を受けるとこれを快諾。条件を詰めるべく、直ちに小田原城へ氏規たち交渉役を送った。北条の家名は存続するが、当主は交代(具房と律の子)。関東以外へ転封となる。氏政たちは切腹覚悟のようだが、具房はそんなことをさせる気はなかった。
だが、具房がまず関心を払ったのは小田原の住民たち。攻城戦の過程で街には砲弾が落下し、少なくない被害を受けている。戦災を受けた人々の救護にあたることを、具房は氏規たちを通じて氏政に伝えた。
「わかりました」
そこまでする必要はあるのか? と思いながらも氏政は許可する。被災民には北畠軍の天幕が提供され、しばらくはそこで起居することになった。野宿しなくていい、と住民たちは喜んだ。炊き出しも行われ、北畠軍のフォローに住民たちは満足している。
その傍らで、城の接収作業も行われていた。氏政たち在城した者たちは早雲寺へと蟄居することとなる。城には具房が入り、ここから北条攻めの後始末の指示が飛ばされた。
「関東の城で残っているのは忍城くらいのものです」
「落ちなかったのか?」
具長を派遣していたはずなんだが、と具房。報告によれば、忍城を攻めていた浅井軍が水攻めを展開していたため、上手く攻められなかったらしい。
「水攻め?」
「参軍の石田殿が献策したとか」
「なるほど」
と流しつつ、
(自分でもやるんかい)
と三成に突っ込みを入れていた。史実では攻めあぐねた末に、秀吉からのアドバイスを受けて水攻めをした三成。今回は秀吉がいないためまともに攻めるかと思いきや、水攻めを自ら選択したようだ。
「城には成田殿が詰めていたな?」
呼んでくれ、と具房。広間に現れた成田氏長は現れるや否や平伏。さながらスライディング土下座をかました。
「命に代えても説得いたします。ゆえに、どうか寛大な処分を!」
未だに居城が落ちず粘っていることは誇りであったが、同時に具房の機嫌を損ねたのではないかと肝を潰した。そしてあのリアクションだったのである。説得して開城させるから、厳しい処分は下さないでくださいと頼み込んだわけだ。
「何を言っているのだ? 城主がいないにもかかわらず、皆が一致団結して城を守ったのだ。褒めることはあれ、罰することなどない」
具房は成田氏の奮戦を称賛した。氏長は意外そうに目を見開いたが、すぐまた平伏する。今度は怖れというより、畏敬の念が強かった。
氏長は北条氏規とともに忍城へ派遣され、開城交渉にあたる。城を守っていた長親は何の保証もないなか開城することに難色を示すが、氏長が鬼気迫る様子で説得にかかった。それに折れ、開城が決まる。
「悪いようにはしない」
報告に来た氏長は守将の長親らを伴って現れた。開城の際に今後の保証がないことが問題視されたということで、具房はそう約束した。
「誠ですか!?」
「これ!」
ひとりの女性が声を上げた。紅一点に注目が集まる。氏長はすぐに嗜めたが、具房が制した。
「そなたは?」
「成田下総守(氏長)の娘、甲斐です」
「なるほど。そなたが」
忍城の女武者ということで、彼女が甲斐姫だということは何となく予想していた。それでも実物を見て、うんうんと頷く。
「相国(具房)は私のことをご存知なのですか?」
「あ、ああ。息子からの文でな。忍城にはなかなかの女武者がいる、と書いてあった」
もちろん適当である。史実の知識があるためについ口にしてしまったのだ。しかし、忍城の攻囲軍には具長の軍もいたことから、その場で思いついたそれっぽい言い訳は通った。
「そうだったのですか」
得心がいったという様子の甲斐姫。そんな彼女に氏長からの厳しい目が突き刺さる。
「いい加減にせんか。我らが直答を許されているのは相国のご厚意。それに甘えるでない!」
「ははっ。その程度、気にすることはない」
そう言って具房は氏長を黙らせ、甲斐姫との話を続ける。北畠領では妻たちが領地運営のトップを担っていると話した。そう聞いて、甲斐姫は北畠領に興味が湧いたらしい。
「ならば、伊勢に来るか?」
「よろしいのですか?」
「ああ」
「では、是非!」
甲斐姫は嬉しそうにこれを受け入れた。氏長たちは異論を唱えることはなかった。
「娘を預かる以上、そなたたちを粗略に扱うことはない」
甲斐姫の身柄を預かる代わりに成田一族を保護すると具房。それを聞いて彼らはハッとした。
広間から出た成田一族は集まり、甲斐姫に言う。
「しっかり励めよ」
「必ず相国のお役に立つわ!」
成田一族の行く末は甲斐姫に託されたといっても過言ではない。氏長たちは彼女に期待したし、彼女もそれに応えると決意を述べた。
後日、約束通りに甲斐姫は伊勢で暮らすこととなった。武芸に秀でている彼女だったが、豪族の娘として最低限の教育は受けている。そのため、異例だがお市や葵の下に見習いとしてつけられ、実践で鍛え上げられた。その傍らで学校に通い、北畠家独自の知識(国語や算数)を身につけていった。
努力は実を結び、お市たちからも親切にされる。それは成田氏だからではなく、純粋に彼女の能力を見込んでのことだ。本邸に招かれてお茶をする機会も多かった。
北畠家といえば、具教の代から剣術などの武芸に長けている。具房もそうだし、具長や他の息子たちも剣や槍に精通していた。当然、武芸者でもある甲斐姫が黙っていられるはずもなく、北畠家の人間と一緒に鍛錬をすることも多かった。そんななかで、年の近い顕政(若竹丸。蒔の長子)と恋仲となり、婚姻することになる。これに氏長たちがガッツポーズしたことはいうまでもない。かくして成田氏は北畠家と縁戚になるという逆転ホームランを放ち、北畠家の有力家臣となった。
閑話休題。
北条氏が降伏したことで、東国は完全に北畠家の支配下に入った。未だ西国には敵が残っているが、とりあえずということで論功行賞と、それに伴う東国の領国再編を行うこととなる。
既に小田原へは東国での戦いに参戦した諸将が大集結していた。房総半島へ侵入した浅井長政、東北から遥々やってきた顕康なども含まれている。
「まずは皆、ご苦労だった。未だ世は乱れているが、東国はこれを鎮めることができた。ひとえに、皆の働きがあってのことだ」
冒頭で具房は戦働きに感謝する。偉い人間が頭を軽々しく下げてはいけないという者もいるが、感謝や謝罪など、その場面ごとにきちんとした態度をとるのは当然だと具房は思っている。偉かろうが何だろうが、そんなものは関係ない。
その後、お決まりのように諸将が、いやいや勝てたのは具房の卓越した指導の賜物、云々とお世辞を述べる。まあ、こんなものは社交辞令だと具房は軽く流していた。そして次が本題である。
「まず駿河殿(徳川家康)」
「はっ」
「そなたは東海道の軍を上手くまとめ、小田原への道を開いた。また、その麾下の軍勢は私をよく助けてくれた。よって、この戦での戦功第一とする」
「ありがとうございます」
家康は頭を下げる。
「ここで大きく加増、としたいところだが、貴殿は既に四ヶ国半の大身。これ以上は他からの僻みなど、要らぬ軋轢を生むことになる。そこで、貴殿の子であり私の義息子である於義丸に所領を与えたいと思う」
「格別のご配慮、感謝いたします」
これは事前に話しておいたため、家康から異論は出なかった。具房は於義丸に北条氏の旧領(武蔵、相模、伊豆)を与えることにした。関東は広大な平野があり、将来、巨大な都市圏を形成する。そこを具房の手で開発しようというのだ。徳川家に与える所領ではあるが、実権は具房が握る。家康もそれはわかっているが、抵抗したところでどうにもならないし、資金面では太刀打ちできない。ならば、具房に抵抗して心象を悪くするよりも、利権に噛ませてもらったり、開発のおこぼれに与ったりした方がいいと考えたのだ。賢い判断だ。
「次に新九郎殿(浅井長政)」
「ははっ」
「貴殿は北陸より攻め入り、房総まで平定した。その功大として、三男に上総、下総の二国を知行する」
浅井家はとある火種を抱えていた。それは、後継者問題である。長政には前妻の子と後妻の子がいるのだが、後妻は信長の妹である犬姫だった。お市と姉妹であり、天下人の具房と仲良くしていくには犬姫の子である三男を跡継ぎとすればいいのではないか、という論調があるのである。具房は以前から長政に相談され、嫡男(前妻の子)に茶々を嫁がせると決めるなどしてきたのだが、未だその論は根強い。こうなれば最終手段だ、と三男を独立させたのである。
「ありがとうございます」
別家を興すわけだが、実質的な加増であり長政は例を述べた。
その他としては、上野にかつて関東管領を務めた滝川一益の子である一忠が入り、大和国は北畠家が回収する。さらに池田氏も於義丸の転封で空いた伯耆へと異動。五畿内を北畠家がすべて支配することとなった。
(これで中央は固まったな)
友好、あるいは縁戚関係にある家が周りを固めている。具房は心の中で何度も頷いた。
旧南部領については、とりあえず顕康預かりとなる。下野は下野守を務める宇都宮氏に任せることとした。とはいえ、彼らは大いに弱体化しているため他の豪族たちとの連合政権に近い政体をとった。
その他、協力してくれた諸大名には金品で褒美を与える。だがひとり、その働きについて不手際を追求された人物がいた。織田信孝である。
「三七殿(信孝)。功をとるならば、罪を咎めねばならぬ。そなたは今回、韮山攻めに消極的だった。その責めは負ってもらう」
所領没収とはならなかったが、加増などの処置はなかった。
処分の発表後、一同は宴会に突入した。具房へ挨拶を済ませると、仲のいい者同士で集まって手柄話をする。具房も長政、家康コンビと懇談していた。三人とも忙しく、なかなか会うことがなかった。こういう機会は貴重である。積もる話もあり、話し込んだ。
「此度の処遇、家のことを考慮していただきありがとうございます」
「某も軋轢を生まずに済みそうです」
それぞれ家に問題があったり、所領が大きかったりと気にすべき事柄は多い。具房の配慮はありがたかった。
話に花を咲かせる三人の許に信孝がやってきて開口一番、
「汚名を雪ぐ機会を与えてください!」
と訴えた。お願いします、と据わった目で見てくる。その切羽詰まった様子に、具房はたじろいだ。
「戦は西国で続いている。そちらへ兵を出せばいいのでは?」
「むう」
家康が言うが、具房としては東国の人間は東国の戦だけと考えていた。もちろん、来るべき西国での戦いに信孝は構想外の存在である。しかし、家康たちも信孝の雪辱を晴らす機会を、との訴えから、
「わかった」
と回答。ここに急遽、信孝の参戦が決定した。
小田原では宴会が開かれるなど、兵たちにしばしの休息を与えた。それが終わると、各自が軍をそれぞれの領地へと返していく。そんななか、具房は軍を率いて東海道を西進。京を経由して西国へと入った。