具房、人を攻める
【お詫びとお知らせ】
先日、水曜日は投稿がなく申し訳ありませんでした。現在、作者は多忙につきほとんど執筆できず、ストックも尽きてしまった次第です。そこで申し訳ないのですが、以後、週一ペース(日曜日)で投稿したいと思います。十二月いっぱいまでそうしたいと考えています。今年中に完結するか、年始までかかるかはわかりませんが、とにかくエタることはしないので、どうか暖かく見守ってください。
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小田原へと北畠軍が続々と集結するなか、具房率いる本隊も到着した。すると早々に、諸将から挨拶をしたいとの申し出を受ける。いちいち相手するのが面倒だと思った具房は一度、全体での評定を開くとした。それで挨拶に代えるというのである。何か話がある場合は、また個別に面会するとも伝えた。
「駿河殿(徳川家康)。首尾はどうだ?」
具房は家康に訊ねる。これまで小田原包囲の指揮をとっていたのは家康だからだ。
「はっ。既に包囲は完成しております」
小田原城から見て西に徳川軍、北に織田軍、東に東北軍、海には水軍連合という感じに展開している、と家康は説明した。
「なるほど。しかし、小田原城は総構え。単に包囲するだけでは効果は薄いぞ?」
「それに関しては、海上より相国(具房)の船に大砲を撃ち込んでもらい、敵の戦意を削ぐようにしています」
「なるほど」
満足そうに何度も頷く具房。小田原以外でも城の制圧は順調に進んでいる。忍城など、未だ抵抗を続ける城は残っているものの、下総や安房へと向かった浅井長政は各地の城をほぼ制圧していた。
「開城を交渉しよう」
具房は降伏してきた北条一門の武将(氏規や氏勝ら)を呼び出し、小田原城の氏政に対して降伏するように説得することを求めた。
「条件はいかに?」
氏規たちは自分たちが言えた義理ではないと知っているが、やはり北条家がどうなるかは気になる。機嫌を損ねることを覚悟して処遇を問うた。もっとも、その程度で機嫌を損ねる具房ではない。疑問に快く答えた。
「さすがにお咎めなしとはいかんからな。当主(氏直)は隠居。父君(氏政)とともに、伊勢で預からせてもらう。所領に関してだが、関東はすべて没収。代わりにどこか適当な国を与えよう」
関東からは出て行ってもらうが、国持ち大名としての存続は許す。そんな寛大な処置が示された。
「恐れながら……当主は誰になるのでしょう?」
氏直に子ども(男子)はいない。氏規の子どもが養子に入っているが、それが継ぐのかと訊ねたのだ。具房は首を振って否定する。
「いや。律の子に継がせる」
具房の許に嫁いできた律は北条家の出身。北条の血は入っており、血統としては問題ない。
「承知しました」
こう応えたのは氏規。養子が当主となれば、実父として権力を握ることになる。そんな彼が真っ先にこの方針に賛成したのだから、他の者も異論を唱えることはなかった。
律の子が北条家の当主となることで事実上、北畠家に家を乗っ取られることになる。それを容認したのは、当主となる人物に北条の血が入っていること。また、家を乗っ取られる損失より、具房の子を迎えることで得られる庇護の利益が上回ると考えた。何より具房は、子煩悩として有名である。家自体が悪い扱いを受けるとは考えにくかった。
かくして、寛大な条件を携えて氏規たちは小田原城へと乗り込み、氏政たちに開城を迫る。しかし、返ってきたのは拒絶の言葉だった。
「貴様らはそれでも北条一門か!」
悲願である関東統一を目前にして、すべてご破算にするような和平条件を持ってきた彼らに氏政は怒り心頭。手打ちにしてやる、とばかりの剣幕だった。
「しかしーー」
「しかしも何もあるか! 二度と目の前に姿を現すな!」
氏規は形勢不利を説こうとしたが、氏政は聞く耳を持たず姿を引っ込めた。氏直はどうかと訊ねるが、
「父上がああ仰るので……」
と断られた。氏直は父親の後見を受けているため、彼が頷かなければどうしようもない。力なく首を振ることしかできなかった。
「そうか。不首尾に終わったか」
「申し訳ございません」
氏規は謝罪したが、具房は問題ないと応じる。
「天下の小田原城。越後の龍(上杉謙信)も、甲斐の虎(武田信玄)も落とせなかった難攻不落の城に挑むのも面白い」
珍しく、具房は城攻めへの意欲を見せた。家臣や居並ぶ諸将は意外そうに目を見開く。このように拘りを見せるとは思わなかったからだ。
「面白いですな」
これを聞いて笑ったのは伊達政宗。如何にして攻めるのかと訊ねるとともに、先陣を申し出た。しかし、先陣は具房は必要ないと言う。
「は?」
訳がわからない、といった様子の政宗。そんな彼に具房は言った。
「私は城を攻めるのではありません。人を攻めるのです」
と。それは聞く人によっては謎でしかない。だが、付き合いの長い家臣や家康などはしきりに頷いていた。
かくして人を攻める具房の攻城戦が始まった。もっとも、やることは大したことではない。ただ大砲を撃ち込むだけである。それだけなら徳川軍だってやってきたが、今度それをやるのは北畠軍。規模がまったく違う。
「撃てーッ!」
昼に夜に。陸から海から。規則性などなくランダムに撃ち込まれる砲弾。とにかく、具房が気まぐれに砲撃を命じる。数時間ほどしか空けないときもあれば、一週間近く間隔を空けるときもあった。味方は知らないので驚くわけだが、北条側はより深刻である。砲弾が飛んでいき、被害を受けるのは彼らなのだから。叩き起こされては砲撃の被害を被る。守備兵は満足に睡眠をとれない上、常に緊張を強いられた。
人間、眠れなくなるとイライラしてくる。城内では兵士同士の争いが絶えなくなった。普段なら気にもしないような些細なことさえも、気が立っているため気になってしまうのだ。
現代的な感覚だとそう論理的に説明でき、仕方ないとなる。だが、中世の人間からすれば気の緩みだと捉えていた。
「近頃、兵たちが騒がしい。今一度、綱紀粛正にあたれ」
氏政は引き締めを図る。当然のことなのだが、これがむしろ逆効果となった。
「ふざけるなよ!」
「オレたちは敵に撃たれているのに、籠もることしかできない領主に言われたくないわ!」
隠れたところで兵士たちが不平不満を言う。最初は諸将が宥めていたが、兵士たちと関係が近いため、彼らの気持ちもわかる。そしてあるとき、
「……そうだな」
と、兵士たちに賛同する者が現れた。小田原に籠もる、と命じられて居城の大部分の兵力を連れて馳せ参じたが、ただ籠城することしかできない。籠城とは、敵が退く見込みがあるから行うこと。だが、現実はどうか。敵には畿内、北陸、東海、甲信越のみならず、奥羽の軍までいる。奥羽では南部氏が蜂起していたはずだが、既に鎮圧されたのだろうことは容易に想像がついた。
さらに、城には敵方の使者として北条一門が乗り込んできた。彼らから聞いた話だと、関東の城はほぼすべて敵の手に落ちたという。当然だ。主力は小田原にいるのだから。
(援軍は見込めない。孤立無援となっては、もはや城も長くないだろう)
氏政たちは上杉謙信や武田信玄といった当代きっての名将をしても落とせなかった小田原城の防御力を頼みにしているようだが、敵が引かないならこちらがジリ貧になるだけだ。
具房がとった作戦により北条兵の戦意はほぼ削がれた。この間にも開城を促す交渉は進められており、使者が互いの陣営を往復している。そのときに北条方への接触がなされ、懐柔が行われた。先に降伏した北条方の武将が、
「おお、貴殿はどこそこの……」
と偶然を装って接触。雑談のなかで、居城は落ちたと明かすという手口だ。妻子は無事だが……と含みを持たせる。敢えて答えは言わずに、
「北畠相国は主家への義理を汲んでくださるお方だ。それでも決定的な対立になるとわからない……まあ、某からもよしなにとは頼んでおく」
なんてことを言って不安を煽る。すると、言われた武将のみならず、他の城の武将も勝手に想像していく。自分が言われたわけではないが、自分に向けて言われているような気がするのだ。
そしてついに、城を出て投降する者が現れる。氏政たちからの締め付けへの反発。家族の無事への不安。先行きの不透明さ。籠城戦への疲れ。そういった様々な要因から、投降した。
「このままではいかんぞ!」
氏政は焦り、希望を持たせるための攻勢に出ることにする。夜間、密かに部隊を城外に出して夜襲を仕掛ける。標的は北畠軍以外だ。北畠軍以外には引けをとらない、というのが氏政たちの見立てだ。だから、勝てる相手に戦を挑む。
まず、篝火へ向けて発砲。その後、喊声を上げて突撃する。不意打ちは成功した。いきなりの攻撃に混乱し、序盤は大戦果を挙げる。しかし、北条軍は大きなミスを犯した。
「いけるぞ! このまま押し切れ!」
北条軍は戦果を拡大しようと、さらに攻勢を強める。結果として、敵が体勢を整えて反撃するまで戦場に居座り続けてしまった。
「生かして返すな!」
怒った諸将は猛烈な反撃を加えた。圧倒的に有利な戦いで負けたとなれば汚名になる。懸念を払拭すべく、諸将は全力で北条軍の夜襲部隊を攻めた。
数で劣る夜襲部隊は劣勢になり、潰走。這々の体で小田原城へと逃げ帰った。氏政は戦果を強調したが、敗北の方が強い印象を残す。ますます士気が低下する結果となった。
「仕上げにかかるか」
さらに具房が追い討ちをかける。麾下の砲兵部隊に全力の砲撃を命じた。これまで散発的なものに終始していたが、今度は正真正銘の全力だ。諸将がすわ、総攻撃でも始まったのか!? と驚くほどの迫力である。
陸と海上から小田原城に砲弾が降り注ぎ、城郭に街に着弾した。撃ち込まれたのは榴弾と通常弾が半々。城郭は破壊され、街も所々破壊されていた。もちろん、人的被害も少なからず出る。
北畠側が降伏を促していたこともあって、残っていた城兵や住民が城を出て行った。もはや北条家にこれを押し留めるだけの実力はなかった。
城郭が破壊され、城兵や住民が逃亡するなか、城を囲んでいた敵軍が前進して総攻撃の構えを見せた。抵抗する力はない。
「降伏しよう」
氏政は降伏を決め、北畠側に申し入れた。