陰の戦い
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北畠軍は武器食糧を自領から運ぶ、自給自足の軍事行動を基本としている。米は伊勢から運んでくるし、主菜となる肉や魚は干物にして日持ちするようにしていた。現代の料理を再現しており、他家の陣中食と比べると格段に美味しい。とはいえ保存食であり、工夫を重ねても出せる味には限界がある。
そこで具房は、各部隊が自由に食料を現地調達することを許可していた。現地調達とはいえ、略奪や脅迫をしてはいけない。あくまでも買いつけや狩猟のみだ。
ずっと続けているため、そのことは今や日本中に広まっていた。北畠軍がやってくると物が売れる、と人々は自ら売りにやってくる。賢いところは町や村ぐるみで行動し、軍相手の需要を満たしていた。
こうなると北畠軍の側も慣れ、隊商が来ればはいはい、と手慣れた様子で誘導。取引を済ませる。一部は村の職人が作った雑貨を売りに来る者もおり、そういった者たちは集められて市場を開く。兵士たちは彼らの許を訪ね、気に入った物を土産として買っていた。
各隊がそうしているため、具房の本隊(三旗衆)も同じように人々から食料や土産を得ていた。旅行など気軽にできないこの時代ゆえに、臨時の市は大人気だった。毎度のように人混みが出来上がる。
「何かいい物はないかな?」
そんな雑踏が消えた昼過ぎに、具房は市に姿を見せる。最初は商品が充実しているときに、という話だったのだが、兵士たちに珍しい品を買ってもらおう、という計らいから最後に顔を出すようにしていた。具房はその気になれば、商人に頼んで取り寄せてもらうことも可能だ。彼はあくまでも雰囲気を楽しみたいのである。
「これなどいかがでしょう?」
「短刀?」
「ええ。相州は正宗をはじめ、打ち物で有名です。これは当代でも屈指の名工が打ったひと振りになります」
「ほう。銘はつけたのか?」
「ついてはおりませぬが、もう決まっております」
「それは?」
「『国切り』ですよ」
「なに?」
言うや否や、その商人は鞘から刃を抜き放って突っ込んできた。
「痴れ者め!」
具房は咄嗟のことに頭が真っ白になったが、身体はきちんと反応していた。相手の腕をとり、投げ飛ばす。しかし、相手は受け身をとっており、すぐさま体勢を立て直していた。
「北畠相国(具房)。ここで消えてもらう!」
「「「覚悟!」」」
周りの商人たちも一斉に得物を取り出し襲いかかってきた。
「くっ。こいつら忍か!」
気づいたときにはもう遅く、商人に扮した敵が多数、陣内に入り込んでいた。具房は護身用の短刀で癖のある忍たちの攻撃を凌ぐ。
「っ! 御所様」
「行かせんぞ!」
「……邪魔っ!」
護衛の蒔が援護に入ろうとしたが、別の忍に阻まれてしまう。その他の護衛も同じような状況だ。敵の方が数が多いので、形勢はかなり不利である。
具房はまず数人を斬り伏せた。それはいずれも真っ直ぐ突っ込んでくるだけの単調なもの。明らかに戦い慣れていない。
(近隣の百姓か?)
何となく、忍たちに扇動されて加担したのだろうことはわかった。助命してやりたいところだが、そんなことを気にしていられる余裕はないので大人しく斬られてもらう。
「おっと!?」
百姓たちの相手をしていたところに苦無が飛んできて、具房は素っ頓狂な声を上げる。
(厄介な!)
素人の攻撃のなかに上手く隠れて攻撃してくる忍たち。
(これは、護衛たちが敵を排除するまで待つしかないな)
周りから味方が集まってきて加勢してくれたので雑兵狩りは捗っているが、忍によって少なくない護衛が犠牲になっていた。具房は集中的に狙われたが、何とか生き残っている。
「もういい。本命を狙うぞ!」
不意打ちのアドバンテージがなくなりつつあることを悟った忍たちは、具房へ向けて最後の特攻を試みた。しかし、その特攻戦術はこれまでの巧みな攻撃と比べるとはるかに稚拙で、却って与し易い。犠牲を払いながらも、何とか忍たちを討ち取った。
「ふう。何とかなったな」
「お怪我はありませんか!?」
「ああ。問題ない」
心配する家臣に、自分は元気だと応じる具房。犠牲になった味方は丁重に弔うこと、敵の死体も片づけておくことを指示して自分の陣幕へ戻っていった。
「敵は北条傘下の忍のようですな」
「そうだと思う。北条は暗殺に出てきたか……」
卑怯な、と憤る家臣たち。その気持ちはわからんでもないが、と言いつつ戦に卑怯も何もない、と具房。彼はあくまでも冷静だった。だがそれは、彼らの行いを許すということではない。
「今度はそういうことができないようにしてやる」
具房はこれより、全軍に錦旗を押し立てて進撃するよう通達を出した。これまでは最後方に置いて大事に守っていたが、これからは前面に置いて天皇に認められた軍隊であることを誇示する。これに刃を向けることは即ち、朝廷に刃向かうことも同義。暗殺などもってのほか、というわけだ。
「……御所様。しばらくは市に出るのは禁止」
護衛の蒔からは市への訪問禁止令が出された。
「……仕方ないかぁ」
大袈裟な、とは思ったが心配する気持ちもわかるので大人しくしておくことにした。とはいえ、自分だけ禁止というのは釈然としない。
「他の者も危険になるし、混乱の元だ。軍司令官が市に出ることを禁止しよう」
巻き添えを食らう軍司令官たち。しかし、彼らは市に出られないからといって困らない。取引が全面禁止になったのなら話は別だが、あまり用のない彼らからすればああそうですか、程度に軽く流してしまえることだった。
(畜生!)
軍司令官の反対があるから、と早々に自粛を止めるつもりだったのだが、アテが外れて具房は内心で後悔していた。
「暗殺に失敗したか……」
氏政は報告を受け肩を落とす。具房を殺して敵を混乱させ、上手く講和へ誘導しようとしたのだが大失敗に終わった。さらに後日、具房から使者が送られてきて、暗殺に出たことを糾弾される。
「武士であれば戦で決着をつけよ、か……」
北条氏は鎌倉幕府で執権を務めた北条氏の名跡を継承した、という建前をとっている。そんな彼らに和田合戦や宝治合戦を持ち出して、北条氏は政争の最後、決着は合戦でつけてきたと言われれば返す言葉がなかった。
さらに小田原を包囲する軍が高々と錦旗を掲げたことから、北条家は朝廷への反逆者、ということが強調される。暗殺の件も喧伝され、北条氏の威信はだだ下がりだった。
「挽回しなければ……」
氏政は日に日に悪化していく戦況に精神的に追い詰められ、挽回しなければならないと強迫観念に駆られた挙句に塞ぎ込むようになるのだった。
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そのころ、京にて。
ここにはこのところすっかり存在感が薄れている人物がいた。足利義昭である。
信長と反りが合わず中国へ下向するも、信長の後を受けた具房が攻め込んでサクッと捕まり連れ戻されていた。
その後、実権は具房にあるんだから早く将軍辞めろ、具房に譲れ、と公家などから言われまくって塞ぎ込んでいる。
義昭にとって、具房に将軍の座を譲ることは絶対にしたくない。これまで続いていた幕府を自分の代で終わらせたくない、という気持ちもある。また、源氏長者の地位を掻っ攫っていったのも屈辱であり許せない。そんな私怨から、未だ将軍の地位にしがみついていた。
この間にも色々と悪さを企てていたが、応じた相手は悉く敗れ去り、今は乗ってくる勢力すらいなくなっている。
「余は公方だ。余は公方だ!」
縋れるのは己の立場だけ。室町将軍であることを心の支えとして、今日も今日とて手紙を出し続けていた。内容は相変わらず、室町将軍の命に応じて逆賊を討伐せよというもの。
そんな彼の手紙はすぐに紙くずになるのが通例だったが、最近は違った。久しぶりにこれに応じてくれる勢力が現れたのである。それは、羽柴家だった。具房に代わる権力の源泉として、羽柴家は足利将軍に目をつけたのだ。
京は日本の中心。情報は色々と集まってくる。東西で複数の勢力が蜂起したと知り、義昭は上機嫌だ。
「よしよし。これで北畠も慌てふためくことだろう」
ほくそ笑む義昭。彼は蜂起を知るや早速、具房に対して仲裁を申し出た。将軍である自分が間に入ってやる、というのである。自分で騒ぎを起こしておいて、わざわざ自分が治めようとするのだから、敵味方からして害悪以外の何者でもない。だが、義昭からすれば具房から自分が頼られることで、上下関係をはっきりとさせ、将軍の復権に繋げたいと考えている。武家の棟梁である将軍が命じれば武士は従え、というのが義昭の考えだった。
「あの公方(義昭)はバカなのか?」
そんな言葉とともに、具房は提案を一蹴した。魂胆が見え見えである。余裕がないわけでもないので、誘いに乗るつもりはまったくなかった。
いざ戦端が開かれると戦況は北畠側が圧倒的に有利で、東国の反北畠勢力はあっという間に駆逐されるか押し込まれている。
「このままではいかん!」
義昭はそう思った。ここは将軍である自分が立ち上がらねば、と。
(初代様(足利尊氏)も九州から攻め上り幕府を立てた。余もその故事に倣うのだ!)
そんな信念の下、義昭は京を脱出するという計画を立案した。町のごろつきを雇い、自身の屋敷がある周りで騒ぎを起こさせる。義昭はそれが怖いと寺に避難する、といって脱出。そのまま九州へと逃亡した。具房にその報告が入る。
「まあいいよ」
義昭にはうんざりしていた具房。いっそ戦の事故だと始末してしまおう、と暗い笑みを浮かべていた。