蘭陵王
短いです
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陸奥国にて、具房に反旗を翻した南部家。当主、信直は九戸政実の乱で具房に没収された旧領の回復に向かっていた。急なことだったので北畠側は対応が間に合わず、旧領の回収に成功する。
目的を果たした信直は家臣たちと今後の方針について話し合った。家臣たちは守りを固めるべきだと言う。旧領を含む領域を守り切り、味方が勝つのを待つというのだ。
「近い味方は北条氏。しかしながら、間には伊達、最上など敵多く、連携は難しいかと」
「左様。ここは亀のように引き籠もって耐えるべきです。敵が疲弊してきたところで反撃に出るのが上策」
「我らは孤立無援。西国にてお味方が勝つまではあまり動くべきではないでしょう」
次々に自重すべきという意見が飛び出す。信直もそうしよう、と思い始めたとき、家臣の北信愛が別の意見を述べた。
「たしかに孤立無援の環境ゆえ、守りを固めるべきというのは理解できます。しかしながら、それはいささか早計。我らには未だやるべきことがあるはずです」
「ほう。尾張守(信愛)、やるべきこととは何だ?」
「浪岡新御所(顕康)を攻めるのです」
曰く、周辺には強大な敵勢力が多いが、顕康の勢力はそれらと比べると劣る。与し易い相手だ。
「しかし、見込みはあるのか?」
「無論。我らは先祖代々、南部家の旗の下で戦う歴戦の勇者。だが、新御所の家臣団は最近、組織された紛い物。ひと当たりすれば、敵は確実に瓦解するでしょう」
さらに、と信愛は続ける。顕康は最近、鷹岡(弘前)に居城を移したが、城は未完成。浪岡御所は新城に移築している最中で半壊している。まともな防御施設はなく、丸裸も同然だ。
「それにもし、新御所を虜にできたなら?」
その言葉に誰もが息を呑む。顕康は具房の子どもだ。家族思いで有名な彼が、息子を放置するとは思えない。危機に陥った息子のためならば大幅な譲歩も受け入れるはず。南部家の最盛期の所領を要求しても通るかもしれない。そこまでは無理でも最低限、九戸領は取り戻せる。そう考えたとき、信直の腹は決まった。
「直ちに兵を鷹岡へと進める。速さが勝負だ。周りの体勢が整うまでに片をつけるぞ!」
「「「応ッ!」」」
かくして南部家は浪岡領へと限定的に侵攻することとなった。九戸領から南部軍一万が進発した。これを聞いた顕康は即座に迎撃を決断する。
戦局は最悪だ。奇襲によって九戸領を失陥した。軍は鷹岡にいたため無傷ではあるが、開発を優先させていたため数は三千ほどしかいない。装備の差はあれど、実際には厳しい。
「周りが兵を出すまで耐えなければ」
勝ち目はそれしかない。顕康は持久戦を展開することにした。敵に正面から挑めればいいのだが、そんな兵力はない。敵は一目散に本拠地へ向かってくるはず。ならば、進撃速度を如何に鈍らせられるかが勝負の鍵となる。
顕康は兵を五つのグループに分けた。一隊は万が一のために本拠を守る。残りの四隊で敵の足止めをするのだ。
「一隊が接敵。一隊が後方を固め、二隊が前線と後方に移動する」
それはUボートの作戦行動のようだった。ドイツ海軍は通商破壊にあたって、潜水戦隊を四つのグループに分けて運用していた。一隊が作戦に従事し、別の一隊は基地で補給と休養をとる。他に作戦海域に向かう隊と帰投する隊とがいた。こうすることで切れ目なく通商破壊を行えるのだ。顕康の発想はそれとまったく同じであった。
さらに顕康はそこにひと工夫を加える。伊勢から来た年長の部隊長を指名し、その部隊を突出させた。
「急げ急げ! 敵は九戸領に向かっているぞ!」
九戸領の失陥を知らず、救援に向かっている軍勢を装う。彼らは敵軍を誘き出すための餌だ。住民にも噂を流しておいたので南部家の間諜に情報が伝わり、無事、この部隊は捕捉された。
「まず、奴らを血祭りに上げろ!」
南部軍の先鋒を務める信愛隊が襲いかかる。数の差もあり、形勢は浪岡方が不利であった。
「敵がこんなところに。一歩遅かったか……。退けっ! 殿にお知らせするのだ!」
「逃がすか! 者ども、追えっ!」
さすが歴戦の部隊長。偽装撤退が敗走のように見える。南部軍はそれに見事に引っかかった。敵は算を乱したと見て攻勢に出る。
浪岡軍は上手く撤退したが、やはり犠牲は出てしまう。それでも被害はかなり抑制されていた。
追撃する南部軍は隊列がすっかり縦に伸びてしまっている。しかも、逃げる敵を追うことに集中しているため注意散漫。横腹がガラ空きだ。
「よし、かかれ!」
それを顕康の部隊が突く。間延びした隊列は横腹からの一撃に耐えられず、容易く分断されてしまった。
「殿が仕掛けた! よし、我らも反転して攻勢に出るぞ!」
逃げていた部隊も攻撃に加わる。これによって分断され囲まれた南部軍は全滅。後ろから追いかけてきた部隊も戦力の逐次投入という結果になり、接敵してすぐ壊滅している。味方の屍を見て、後続の南部軍は進撃を止めた。
「……撤退だ」
それを見た顕康は後退を命じる。敵が分散していたから有利に戦えたが、不利を悟って集結を始めた。身動きができない間に姿を晦まそうというわけだ。
「くそっ。若造にしてやられた!」
大敗した信愛は悔しがる。そして、少人数の部隊を追いかけないよう、麾下の軍勢に言い含めるのだった。
だが、相手がそんな指示を出すことくらい顕康はお見通し。ゆえに、今度は別の手で敵を陥れる。やることは単純。夜襲だ。
「それっ!」
別の部隊を指揮して顕康は敵陣へと乗り込む。警戒はしていたようだったが、対応が遅い。しかも、攻める浪岡軍は鉄砲を盛んに撃ち込んでいる。兵法書では夜襲に鉄砲を用いることは嫌われるが、浪岡軍が装備するのは火縄銃ではない。だから夜襲にも使える。対する南部軍は刀剣、よくて弓で対抗するしかない。形勢は南部軍が圧倒的に不利だった。彼らにできるのは犠牲を出しながら耐え、反撃の機会を待つことだ。しかし、顕康はみすみす反撃の機会を与えることはしない。
「撤退するぞ」
戦果の拡大に固執することなく撤退する。大切なのは敵の足止めだ。そこを履き違えることはなかった。
さらに別の日。南部軍の行手には無数の罠が張り巡らされていた。これは後方に待機していた浪岡軍が作ったものだ。何も知らない南部軍はこれに引っかかる。負傷者を放置するわけにはいかず、後続の味方へ連絡もしなければならない。
さらに、顕康は忍を使って連絡に出た敵の使者を狩って連絡を遮断した。その後も奇襲、夜襲、罠などあらゆる手段で進撃を妨害した。その結果、南部軍の進撃は大いに鈍る。数日で踏破できる距離に、一ヶ月弱もかかった。
敵地ゆえに緊張を強いられ、南部軍の将兵は疲弊していく。妨害を仕掛けている顕康も、相手の反応から疲弊を感じとっていた。さらに、安東氏や最上氏などの動員が完了したとの報告が届く。
「反攻だ」
顕康は本格的な反撃に出ることにした。浪岡軍もこれまで戦い続けてきたが、定期的に休みをとっていたため疲労は少ない。全軍を集結させて反撃を始めた。
「殿は急ぎ、本城へお戻りください。ここは某が食い止めます!」
南部軍は兵士の動きが緩慢で、先鋒は浪岡軍に容易く撃破された。長期の行軍による肉体的疲労のほか、敵地ゆえの緊張で精神的な疲労も蓄積しているためだ。先陣を務めた北信愛は、主君・信直に撤退を進言。自身はこの場に残ると言った。
「しかし、それでは……」
お前が無事ではいられない、と信直は言いかけた。しかし、信愛はその先を言わせない。
「構わず行ってくだされ。なあに、必ず追いつきます」
「……頼むぞ」
その言葉を信じたわけではないが、信直は手勢を連れて離脱。他の武将も自らの隊を率いて離脱していく。残ったのは信愛と、次男の秀愛だった。
「そなたも離れればよいのに」
「いえ。兄上がいますし、父上をひとり残すわけにもいきませんから」
「ふん。好きにせい」
とは言いつつ、信愛はどこか嬉しそうだった。
浪岡軍は抵抗を排除しつつ進撃する。南部軍は敗走を続け、九戸領からも叩き出された。そして、南部領にたどり着いた者のなかに北親子はいなかった。
遅滞戦術を行って敵を疲労させ、反攻して勝つ。見事な作戦であり、顕康は諸侯から賞賛を受ける。
「浪岡の新御所はなかなかやる」
「さすが、伊勢様(具房)の子だ」
伊達政宗、最上義光など名だたる大名が顕康を褒める。天下人の子どもということもあり、中国の名将・高長恭に擬えて「蘭陵王」などと呼ばれるようになるのだった。