交渉妥結
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即位礼が恙無く終わった。そして待っているのは北条家との領土交渉だ。会談は和やかな雰囲気で始まる。冒頭の話題(雑談)になったのは即位礼であった。
「素晴らしい式でした。式場周りのことも相国(具房)が手配されたとか」
「いや、私は中のことで手一杯だったよ。現場の人間がよくやってくれた」
氏邦は即位礼に見物人という立場で参加していた。かつて、即位礼といえば文武百官が参加する大規模な式典だった。しかし、平安時代の中ごろになると、役割がある者以外は見物するだけとなっている。それは今回も変えていない。
しかし、即位礼に限らず朝廷の儀式には付き纏う問題があった。それが庶民の乱入である。これを防ぐため、具房は三旗衆と具藤の御親兵を動員。会場警備にあたらせていた。
「ただ規制するだけでは無理にでも入ろうとする輩が出る。ゆえに献金をした者だけを入れることにしたのだ」
庶民にも手が出る格安席から、公家のためのVIP席まで。価格帯を分けて売り出した。庶民は挙って手形を買い、式に参加している。これについては当初、公家たちが金を出してまで参加するのかという疑念もあった。これを具房は、
『理由なく式典を欠席するなんてないでしょう。新たな聖上の即位礼ともあれば』
何言ってんだよははっ、と一蹴する。参加しないなんて公家としてありえないよね、と言外に圧力をかけたのだ。
公家は経済的に困窮している。信長、具房と改善に取り組んではいるが、一朝一夕に解決はしない。そんな彼らが飯の種としているのは、朝廷と諸勢力とのパイプ役を務めること。その仲介料で金を得て生活している。なぜそれで金が入るかといえば、朝廷が権威を持っているからだ。諸勢力はその威光を借りるために種々の献金をするのである。
公家は朝廷、ひいては天皇がいるからこそ大きな顔をしていられるわけで、それを蔑ろにするなどあってはならない。具房はそう言ったのだ。
これを聞いた公家たちは慌てて席を押さえ始めた。摂関、清華家は特等席を。それ以外は上等な席を。ズラリと公家が並ぶ姿は壮観であり、天皇や上皇を大いに喜ばせた。
「それはそれは。失礼ながら、さぞかし儲けられたのでしょうな」
「いや。まったく儲かってないぞ」
氏邦は即位礼の見物料で具房が大儲けしたと思っているようだ。だから、それは違うときっぱり否定しておく。
「見物料はすべて朝廷に献上した。だから私は鐚一文儲かっていない」
さすがにそこで儲けようとするほど具房はクズではない。事実上、朝廷から委託されて会場運営にあたったということにしていた。
「失礼いたしました」
氏邦は慌てて謝罪する。そんなことをしているとはまったく知らなかった。自分なら儲けようとする。ゆえに、具房が聖人君子のように思えた。
もっとも、その認識は間違いだ。たしかに具房は会場運営では儲けていない。だが、その周りでは出店を出してたんまりと儲けている。お祭り気分なので人々の財布の紐は緩み、色々と買ってくれた。手形の製作費や人件費など、見物料の徴収のためにかけられた諸経費はここできっちり回収している。朝廷からの評価は上がり、金は儲かりで具房はウハウハだった。もちろんそんなことは口にしないが。
「気にしなくていい」
勘違いに目くじらを立てても仕方がないので、具房は失言を許す。
「さて、それでは本題に入ろうか」
挨拶と雑談に一区切りつくと、具房は交渉を始めた。とりあえず北畠側の条件を提示する。
「我らとしては、沼田の城を北条家に引き渡した上で、郡を東西の線で等分することが望ましいと思っている」
「それは以前の約束(関東を北条家が領有する)を違えることにはなりませんか?」
「他の北関東諸侯のように、貴家が優位な関係を築けばいいだろう」
あくまでも上野の直接領有を求める北条家に、それを拒む北畠家。構図は相変わらずであった。
氏邦としては、上野を何としても得たい。彼の受領名は安房守だが、これはかつて上野を支配していた山内上杉氏のものだ。つまり、氏邦こそが上野の主だというのである。そんな決意を表している身としては引けない。
対する真田家も昌幸が安房守を称しているように、上野の主としての姿を出している。しかし、こちらは遥かに柔軟で利益が出るなら上野はどうでもいいという判断だ。書状でも『信濃守にでも変えましょうか』などというジョークを飛ばしてきた。
ゆえに、着地の方向としては北畠側が譲って決着となる。しかし、ほいほいと言うことに従っていたのでは北条側が増長し、過大な要求をしてくる恐れがあった。引き締めるところは引き締めなければならない。そんな考えの下、具房はある程度、強硬な姿勢を見せていくつもりだった。
その日はやはりというべきか、議論は平行線に終わる。持ち帰って検討ということになり解散。後日、また交渉ということになった。
(とりあえず岩櫃のラインまで下げるか)
譲歩のラインとしてまず岩櫃を提示する。あわせて、服属させる場合はどのような処置を行うのか質した。
「どうするかについてはお答えしかねますので、家中で相談いたします。そして領土に関してはあくまでもすべて我らで支配することが望ましく。真田には、どこか適当な地に移ってもらいます。もちろん、限りなく同じような封地で」
つまり、こと真田家に関して北条家は、完全な家臣化をしようとしているということだ。氏邦は、受領名通り安房に封じましょうか、などとのたまっている。
(ならお前が行けや)
同じ安房守なんだから問題ないだろ、と思ったが口にはしない。それよりも大事なのは、この一件から透けて見える北条の動きだ。どうやら彼らは大規模な転封を行うつもりらしい。真田だけではないだろう。他の北関東諸侯も対象に違いない。
(地縁を断つつもりか)
畿内などは戦国時代の中心であり、家の栄枯盛衰が凄まじい勢いで進んでいる。例えば畿内の支配者は室町幕府から細川、三好、織田へとここ百年で次々と交代した。
一方、東国や九州ではそれほど激しくなく、かなりの戦国大名や国人が室町、下手すると鎌倉やそれ以前の由緒を持つ名家である。長い年月で培われた地縁・血縁というのは侮れない。それは新興の大名家として関東を制圧した北条家が嫌というほど知っている。だからこそ、その断絶を図るのだ。
血縁は切れないが地縁は切れる。血縁は乗っ取ることもできるのだが果てしなく時間がかかるため、早期に領国化したい北条家がまず行うのは地縁を切ることだ。
(となると厄介なことになりそうだ)
この動きが真田家だけに限定されたものだとは思えない。つまりは、他の北関東諸侯にも転封の話が行っているはずなのだ。面倒ごとになりそうな予感がする。
そして、その懸念は的中した。真田家と連絡をとりあっていると、それに紛れて北関東諸侯からの書状が相次いで届いたのだ。内容はほとんど同じ。北条家に転封をさせられそうになってる。助けて! とある。北条家に従属はしてもらうが、家臣化させることはないと約束した手前、動かないわけにはいかない。
(まずは真田から止める)
北関東の諸侯にはギリギリまで拒絶するよう回答し、具房は北条との交渉に傾注した。交渉の場が持たれては意見が食い違い、持ち帰って検討となる。遠隔地との通信には時間がかかるため、交渉期間は半年にも及ぶ。
その日、いつもは和やかな具房の雰囲気が刺々しいものに変わっていることに氏邦は気づく。何かありそうだ、と本能的に悟った彼の判断は正しい。事態はいよいよ切迫したと見て、具房が最終案を提示してきたのだ。
「上野の真田領は北条家に属す。ただし、真田家は徳川家の寄力だ」
語気を強め、断固とした態度を示す具房。それはあれこれと細かい調整をしようとしていた先日の姿とは大違いである。
「……随分と急なお話ですな」
「色々と調整しなければならないからな。苦労したよ」
疲れた疲れた、と具房。厳しい交渉をしてきたんだ、とアピールする。前々から話はまとまっていたので嘘八百だが、氏邦は知る由もない。強大な勢力を誇るとはいえ、所領のほとんどを何の落ち度もないにもかかわらず没収するなんて荒技がよくできたな、と関心していた。
「よく真田が呑みましたな。代替地などはあるので?」
「もちろんだ。徳川家より真田家に、北信濃が分与されることになった」
「っ! それは……!」
実質的な加増だ。対して徳川家は無関係にも関わらず、とばっちりによって所領が削られたことになる。
「それでよく駿河様(家康)が納得しましたな」
氏邦は純粋な疑問をぶつける。自分たちならそんなことはしないからだ。それが多数派だろう。
「替地も用意した。後は誠心誠意、交渉した結果だ」
具房は事実を答えた。まずあり得ない領土割譲。それを認めさせたのは替地の提示もあるが、偏にこれまで具房が積み上げてきた信用の効果である。
割譲の話が家臣に出されると、当然のように反対の声が上がった。しかし、具房の協力なくして今日の徳川家なし、と言われると誰もが押し黙った。彼らがいなければ武田に押し潰されていただろう場面がいくつもあったからだ。
新参の旧武田家臣にしても、北畠さえいなければ……と口惜しい思いをした場面はいくつもある。ゆえに新参古参を問わず、徳川家臣の北畠家に対する恩や畏怖の念は強かった。それが「あり得ない」領土割譲を現実のものとしてしまったのだ。
「なるほど」
氏邦はそういうことにしておいた。
「ということで、上野は北条家のものとなった。引渡しについては半年ほどの猶予が欲しいとのことだ」
引っ越しの準備期間を寄越せというのだ。氏邦は了承した。上野のみならず北信濃までとなると、かなり煩雑になるだろうことは容易に想像できる。
(上野が手に入ったのだ。我らとしては満足できる結果だな)
と、氏邦は自信を持って帰国した。
年は改まり、天正十五年(1587年)。年賀の行事も済んだタイミングで具房は伊勢に下った。帰郷もひとつの目的だが、メインは別にある。
「お久しぶりです。相国様」
「よく来たな督姫。相国など他人行儀な。昔のようにおじさまでいいのだぞ?」
「昔の話はおやめください。……恥ずかしいです」
部屋でちょこんと座っている小柄な女性は督姫。徳川家康の娘で具長の婚約者だ。齢十二の少女だが、伊勢に来た目的は具長と婚姻するためである。もう少し先という話だったのだが、北信濃を割譲する交換条件として具房が提示した替地の約束を、より確実に履行させようとする家康の思惑から早められた。
(そんなことしなくても約束は守るのに……)
とはいえ、口約束だけではという気持ちもわからなくはない。具房の心中は実に複雑であった。
挨拶を終え、旅の疲れを癒すために一日休みを入れて式となる。嫁入りの列を率いてきたのは本多正信。彼は具房にあるタレコミをしてきた。
「先日、北条が我らの許を訪れたのですが、その際に北信濃割譲についての話になりました」
「ほう。どのような?」
「損をして災難だったな、と」
その話を聞いて怪訝な顔をする具房。正信はどうかしましたか? と訊ねた。旧主であり知恵袋として近侍していただけあって、この辺りの機微を読み取るのは上手かった。
「いや、北条側には徳川家にきちんと替地を用意したと伝えたはずなのだが……」
「そうなのですか?」
それは聞いていない、と正信。沈黙が場を支配する。その間、考えていたことは二人とも同じだった。
「もしや、北条は我らの間に楔を打ち込もうとしているのではないか?」
「某も同じことを考えました。そうとしか考えられません。恐らく、此度の一件が我らの間にできた矢穴だと考えたのでしょう」
見当違いもいいところだが、その意図するところは読める。北畠、徳川の連携を妨害だ。何のためにそうしようとしているのかはわからない。徳川家が北畠家の言うことを聞くようになると、北条家としてはやりにくくなるから、というのが妥当な解釈ではあるが。
「いずれにせよ、此度のことは矢穴どころか、むしろ我らの連帯が強固になった」
「左様です」
正信は頷く。具長と督姫の婚姻はその象徴であった。
「ところで替地についてですが……」
ひとつ、連絡があると正信は話を切り出した。替地については先日、因幡と但馬になったと徳川家に連絡されている。これらはかつて秀吉の領地だった場所だ。九州へ転封となるにあたって丹羽長重が秀吉の領国を継承したが、それは播磨のみ。山陰の国は北畠家が管理していた。丁度、空白地帯に入れ込んだ感じである。半国を譲ると二ヶ国になって返ってきたのだから、家康はわらしべ長者であった。家臣たちに遠隔地であること以外の不満はない。
遠隔地なので何か不都合があったかな? と具房。だが、話はそういうことではなかった。
「該地の領主は於義丸様にやっていただこう、というのが主君の希望です」
「なるほど」
具房は家康の考えが何となく読めた。因幡、但馬は遠隔地。誰を行かせるべきなのか。家康としては、北畠式の統治を行いたいだろう。問題は誰に任せるのかである。真っ先に候補に挙がるのは本多正信。だが、一ヶ国程度は与えてもいいが、二ヶ国となると反発がある。彼は一度、徳川家から離れており、依然として風当たりは強い。
そんなわけで二ヶ国を与えるわけにはいかない。ではもう一ヶ国を別の人間に、と思っても北畠式の統治ができる者がいない。正確には、それだけの古参の家臣がいないのだ。新たな統治方法に慣れているのは若手ばかり。これに一ヶ国を与えられない。信康はできるだろうが、跡取りである彼を遠隔地に送り込むのは躊躇われる……。
ーーと、具房はそこまで考えたのだが、家康の思考を見事にトレースしていた。そこまで考えたとき、家康はかつて北畠家に預けた於義丸に白羽の矢を立てる。生母の身分は低いが、家康の息子であることは変わらない。
(正信が補佐し、彼の下に若手の家臣をつける。それが一番だろう)
若手の家臣なら正信に対するアレルギーは少ない。円滑に統治ができるだろう。
「承知した。細かいことは駿河殿と決めよう」
「某からもそう伝えます」
かくして合意がなされた。その後、二人は結婚式に参列。宴会の後、別れた。
家康とのやりとりで、於義丸には徳川家からのみならず、北畠家からも家臣がつけられることになった。はじめましての徳川家臣ばかりでは困るだろうということで、仲のいい人間から選び出すことにしている。
(うちのノウハウを持ち出したいんだろうなぁ)
具房としては大歓迎である。軍事関連はともかく、行政のノウハウなら喜んで供与するつもりだ。
「平和だ……」
怪しい動きはあるものの、平和であることは間違いない。さて、これからどうするか。自らが思い描く天下を実現するための道筋を思案する。それはとても充実した時間であった。