それぞれの決断
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上信での騒動を暫定的に収めた具房。後は双方の担当者が上洛して話し合いが行われるのを待つだけだ。だが、それで落ち着くかと思いきや、他所でまた火の手が上がった。
放火したのは伊達家。きっかけは蘆名氏の後継者問題だった。当主の死後、後継者は誰かということになる。佐竹義重は多数派工作を行い、次男を擁立して蘆名義広と名乗らせた。
これに文句をつけたのが伊達政宗。義広が当主になってから、伊達派の家臣たちは次々と粛清され、蘆名氏は佐竹の傀儡同然となっている。そもそも血縁があり、後継者となり得る小次郎(政宗の弟)がいるのに、何の断りもなく義広を当主に据えるとはどういうことか云々。これを蘆名、佐竹側が黙殺したため対立が先鋭化し、北は大崎、南は佐竹を巻き込む大戦争へと発展した。
「まるで複雑に絡み合った糸だな」
報告を受けた具房は東国情勢をそう評した。あちらが動けばこちらが動く。厄介なことこの上ない。まあ、室町以来の守護が多数残っており、歴史やら血縁やらで雁字搦めになっているので間違いではなかった。
具房も具房で九州へと遠征していたり、国替えをさせたりと忙しくしていたが、その間に情勢は大きく変化していた。史実とは少し異なる形で。
まず、伊達の膨張が早まった。史実では蘆名氏を下すのは天正十七年(1589年)のことだが、この世界では早まって天正十五年(1587年)となる。理由は上杉家が最上氏と緊張関係にあったこと。揚北衆はこの世にいないため、両者が協調するという史実ルートを辿らなかったのだ。結果、最上氏が伊達との戦いに割くリソースが低下。伊達の勢いを削げず、膨張を許している。
しかし、史実と異なる展開は悪いことばかりではない。政宗は蘆名氏の始末にこそ成功したものの、それ以上の南下はできなかった。それは北関東の諸侯が名目上は北条傘下にあり、一致団結して対抗したからだ。本来なら惣無事令を守る佐竹氏に他の諸侯が反発して伊達方に走るのだが、そうはなっていない。さらに同盟相手である北条が後ろにいるため、下手に叩けないのだ。
「くそっ。三方が敵とは厳しいぞ」
政宗は本拠の米沢城でどうにもならない状況にぼやく。せめて二正面にと伯父である最上義光に和睦を申し込んだが拒否された。上杉の脅威がある最上家にとって、正面を二つ抱えるのは不利だろうとの考えからだったが、一顧だにされていない。政宗にとっては間の悪いことに、先に上杉家が接触していたことが原因だ。
『近く中央(北畠家)は東国に対して朝廷を介して停戦命令を出すようです。上杉家はこれに従いますが、最上家はどうされますか?』
上杉家からの使者の言葉がこれである。仲良くするならよし。しないなら覚悟しとけ、という副音声がありありと聞こえる。義光は想像してみた。この提案を断ったらどうなるか。
彼の脳裏にはどこかしらの拓けた場所で戦う自軍と北畠軍が浮かぶ。そのとき、自軍は凄まじい銃砲火に見舞われ壊乱していた。
今度は山形城に籠城する自軍と、それを攻める北畠軍が浮かぶ。こちらでも砲撃によって城ごと吹き飛ばされてしまう。
ぶるり、と身を震わす義光。勝てるビジョンがまったく思い浮かばない。さらに北畠家には上杉や畿内の諸将がついてくる。安東氏とも仲がいいので、彼らも加わる可能性が高い。逆らうのは愚策だと考え、義光は従う旨を上杉家を介して具房に伝えた。
「なら、伊達の膨張を抑えるために圧力をかけておいてくれ」
それが誠意の示し方であり、同時に功績となる、と具房。彼は最上家の悲願である出羽の統括者(羽州探題)の地位を餌に前記のことを要請した。俄然やる気になる義光。政宗の和睦要請を蹴るのも当然だった。
(まあ、こちらから侵攻はしないがな)
具房は侵攻しろと注文していないので、消極的な姿勢をとっても問題にはならない。注文の内容からして、具房は伊達を滅ぼしたいわけではない、とその意図を正確に読みとっていた。
「さすがだな、出羽侍従(義光)は」
同じ「よしあき」でもどこぞの公方とは大違いだ、と内心でブラックジョークをかます具房である。
こんな事情があり、政宗は最上との和睦が頓挫することとなる。南北も解決する見込みはなく、八方塞がりとなった。ここへ具房からの使者が現れる。奥羽における惣無事を伝える使者であった。
「これ以上、武力における現状変更は認めない、と左府様(具房)のお言葉です」
「我らは戦の最中なのだが……」
そこんところはどうするん? と政宗。使者は周辺の諸勢力にも同様の通達が行っているとして、
「現状維持となります」
と用意してあった答えを述べた。受け渡しをしていると揉める。揉めてまた戦争になると面倒なので現状維持とした。
「承知した」
敵に囲まれた状態での惣無事令は都合がいい。政宗はあっさりとこれを受け入れる。彼は色々と破天荒ではあるが、馬鹿ではない。自分に不利な状況で徒に戦を継続する愚は犯さなかった。
政宗が惣無事令に同意したという大きな成果を引っ提げて意気揚々と伊勢に帰還する使者。政宗の説得は難航するだろうと予想していたため、具房は報告を聞いて驚く。
「そうか。受け入れたか」
驚いた顔をするが、すぐ引っ込めて使者を労う。意外だったが、戦がないことはいいことだと思い直した。とはいえ、国割は厄介になる。伊達の失点がほぼないため、これをほとんど削れないのだ。
(問題は旧蘆名領だ)
ここをどうするかが問題だ。佐竹氏の元に現在の当主ということになっている義広がいるが、これを戻せばまた諍いの種になりかねない。かといって伊達領でも文句が出るだろう。北畠家に近い人間を適当に押し込めればいいのだが、領国が広いし遠いしで正直なところ要らない。これについては今後の検討課題である。
だがしかし、
「伊達が降ったか……」
具房はポツリと呟く。政宗の降伏により、東北南部に至るまで敵はいなくなった。関東が不穏であるものの、現時点で日本にいる敵はただひとつである。それは東北の北部地方。そこに割拠する南部、大浦氏が主敵だ。
そんなことは両者もわかっており、具房に対してラブコールを送っている。戦う意思はない、ということだ。それも当然で、もし戦えば日本中が敵になる。遠隔地であることを考慮しても、やがては限界がきて敗れることは明白。ならば最初から恭順した方がいい。
しかし、両者の扱いはまったく別だった。南部氏に対しては所領を安堵したのに対して、大浦氏との通交は拒否している。これは大浦為信が浪岡北畠家を滅ぼしたからだ。大昔に別れた同族だが、蝦夷地に進出する助けをしてくれるなど付き合いもあった。それを滅ぼしたことは許せず、仇をとると具房は決めている。
「道はできた。後は実行するのみ」
安東氏の協力で具体的な作戦計画は立てられている。後は東北まで部隊や物資を移動させるだけだ。硬い決意の下、大浦氏討伐の準備を進める具房。ところが、意外な相手から待ったがかけられた。それは近衛前久である。
「大浦は我らの祖父(近衛尚通)が奥州を訪ねたときの落胤だという。同族で殺し合いをすることはあるまい」
と、大浦氏の擁護を始めた。
「しかし、奴は浪岡を滅ぼしたのですぞ。いくら同族だからといって、それを看過するわけには参りません」
同族殺しを先にやったのは大浦だと具房。討伐するという考えは変わらなかった。伊勢には浪岡顕村の忘れ形見である湊がいる。彼女の心境を思えば、仇討ちは是非とも成し遂げたい。というか、尚通の落胤というが、怪しいものである。地元民の求心力を集めるため、適当にでっち上げただけに思えた。
具房は大浦許すまじ、と不退転の決意を示すのだが、前久は諦めなかった。
「別に大名として残す必要はない。何とかならないか?」
「大浦城を残し、他は浪岡家を再興した上で返還。右京亮(大浦為信)の切腹ですね」
家ごと消し飛ばしてもいいくらいだが残すのはせめてもの温情である。だが、前久にとっては不足のようだ。
「腹は切らんだろう」
「そうでもしなければ家中が納得しないでしょう」
示しがつかない、と具房。とりあえず為信には死んでもらわないと、腹の虫が収まらないという。これに前久は、自分が泥を被ると言った。
「ならばわたしが『聞き入れられなければ自害する』と言ったということにしてくれ。それならばそなたの顔も立つだろう」
「え? いや、しかし、それでは太閤殿下(前久)の名誉が……」
「耄碌しかけの爺には丁度いい役だろう」
つまりはキチガイ老人の戯言に具房が付き合った、という体をとってヘイトを自分に向けさせるというのである。それならばヘイトは前久に向かうだろう、と。
「それで、どこまで譲れる?」
「……領地については先ほどの条件で。右京亮は永劫、幽閉ですかね」
事実上の無期禁錮である。減刑もない。死ぬのを免除しているのだからそれくらいはしてもらわなければならなかった。
「ならばいい」
向こうも納得するだろう、と前久。北畠家の方が圧倒的に重要だが、繋がりが多いに越したことはない。切腹は回避しましたよ、と言って恩を売りつける気満々であった。それくらい図々しくないと公家なんてやってられないのだ。
具房の意向は直ちに大浦氏に伝えられる。減ったとはいえ過酷な条件に為信は渋い顔をするが、家が滅ぶよりはマシだと受け入れた。
連絡のため使者が往復している間、具房も旧浪岡領の受け取りに向けた準備を進め始める。接収する軍隊は北伐用に集めていたものを転用。家臣の次男三男を中心に文武官団を編成する。そのトップは顕康だ。浪岡領の回復を受け、彼は北畠家で養育されていた浪岡顕村の娘・湊と婚姻。浪岡姓を名乗り、家を再興した。奥州に派遣される人間は、そのほとんどが新生浪岡家を支える人材なのである。別家を興すことになるため、次男や三男を中心に選ばれたのだ。
出立前、具房は朝廷を動かして顕康を従五位下侍従とした。家格は羽林家相当とし、将来的には中納言くらいには就いてもらう。
「しっかりな」
「はい」
激励の言葉は簡潔だった。困ったときは自分や、近場なら安東、伊達、最上、上杉などに頼るように言う。
「母上は?」
「残念だが間に合わなかった。代わりに手紙が届いているぞ」
そこには村娘だった自分の子が名門の跡取りになることへの驚きとともに、身体に気をつけて夫婦仲よくすべし、と綴られていた。
顕康が手紙を読み込んでいる間に、具房は顕康の隣にいる湊にも声をかける。娘同然の彼女に、
「旦那が頼りなければ尻を叩いてやれ」
「ふふっ。お父様ったら、私がそんなことをするとお思いで?」
「気概の話だ。此奴は小難しく考えることがあるからな。時にはお市のように旦那を叱咤するのも妻の役目だぞ」
「承知しましたわ」
大浦氏についての話はしない。彼女は賢いから、処分に納得できなくともどうしようもないことはわかっている。後は感情との折り合いだが、それは本人が解決すべき問題だ。だから何も言わない。
「向こうに着いたらまた手紙をくれ」
そう言って奥州へ旅立つ顕康たちを見送る。具房は落ち着いたら葵を連れて旅行するか、なんて実に平和的なことを考えていた。