九州仕置、そして帰還
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具房の許に義久一行が姿を見せる。先触れがあったので、北畠軍は整列して見事な儀仗を披露した。
(血色はよく皆屈強。軍装、武具に至るまで統一されている……)
心のなかで舌を巻く義久。島津兵の精強さは自分が一番よく知るところだが、北畠軍のそれは自分たちと遜色ない。見栄えでも上だ。これが虚飾ならいいのだが、残念なことに実力も高い。自分たちを凌駕するほどに。
林立する兵士たちの合間を縫って進めば、具房がいる天幕が見える。具房はわざわざそこを出て、義久を出迎えた。
「遠路、ご苦労でした」
労いの言葉をかける具房。義久は困惑し、ありがとうございます? と微妙な反応。もっと高圧的な態度でくると思っていたから、腰の低い対応に驚きを隠せない。
「中へどうぞ」
具房の先導で天幕の中に入り、会談に移る。義久から直接、降伏の意思が表明されて、具房は受け入れた。具房からも、島津家に薩摩と大隈の二国を安堵すると伝えられる。さらに具房からは、残余の城の開城に協力するよう求められた。
「無益に血を流したくない」
「承知しました」
最大限の協力を約束する義久。叩き潰すこともできたが、具房は憎しみを増やすことはない、と開城を選択した。面倒だが、そこは島津側に上手く押しつける。
その他、細々とした条件は豊後府内にて話し合うとした。大友、島津など大名たちを集めて話し合いたいという具房の意向である。義久に否はなかった。出ていくのは面倒だが、具房が勝ったのだから言うことを聞くしかない。
なお、島津家の家督については特に譲ったりする必要はないと事前に伝えておいた。長兄として下をしっかりと抑えておいてくれ、と。その気持ちは変わっていない、と具房。史実のようにごたごたされるのは困るのだ。
「左府様。国割はどうされるので?」
「島津は先ほど伝えた通りだ。大友は豊前、豊後。龍造寺は肥前だ。日向、肥後、筑前、筑後は緩衝地帯とし、上方から太守を遣る」
問いに対して今後のビジョンを明確に述べる。ただし、実際に派遣される人物は未だに決まっていない。目をつけている人物はいるのだが、受けてくれるかは別である。
「なるほど」
義久は折り合いが悪いと問題になりそうだと思ったが、従来の勢力が隣接するよりはマシだと思った。九州の大名や豪族の多くは歴史が深く、百年やそれ以上の因縁がある。そう簡単に払拭できるようなものではない。ならば隔絶してしまうのが一番だ。
「ああ。そういえば貴殿の弟である中務大輔(家久)から、上方に行きたいという要望があったのだが」
「聞いております」
元より妾腹の生まれである家久の立場はあまりよくない。さらに薩摩侵攻を受けて兄弟のなかで唯一、当主より先に降伏した。その負い目から、薩摩を離れたい(上方に行きたい)と申し出たのである。
「彼奴の好きなようにさせたいと思います」
義弘や歳久とは折り合いがあまり良くないと知っていた義久。弟のためにも薩摩から離れる方がいいとこれに同意していた。実質的な人質でもある。
「私が責任を持って預かりましょう」
北畠家で身柄を預かると言った。彼ほどの武将なので、研修を受ければすぐさま一国を任せることになるだろう、とも。
「よろしくお願いいたします」
かくして家久の北畠家預かりが決定した。話し合いがまとまったところで一旦、別れる。二人が再会したのは府内での国割説明の場だ。
出席者は今回の戦に関わった人間ばかりだが、関係ない面子がわずかにいた。その筆頭は羽柴秀吉である。播磨におり、具房が留守中の畿内における重石である彼がなぜいるのか。それは彼に筑前移封の話があるからだ。
さらに細川忠興(姓を長岡から細川に戻した)もいる。彼は肥後に入る予定だ。最初は父の幽斎を入れるつもりだったのだが、隠居の身だと断られた。なので忠興が代わりに来たのである。
「これより国割を発表する」
府内の館にある広間。その上座に座るのは大友氏ではなく具房である。それが何よりも彼の立場を象徴していた。
発表された国割は先日、義久に話したものをより具体化したものだ。島津、龍造寺の所領は変わらず。大友は宗麟が辞退したため豊前が削られて豊後一国のみとなっている。羽柴は筑前、豊前、日向。細川が肥後である。小大名や豪族はこれらの下に編成された。相良や伊東など、復活した家も多い。
ちなみに九州へ転出した羽柴の代わりに丹羽長重が、細川の代わりに津田信澄が入る。信澄の抜擢については異論もあったが、代わりの候補に上げられた信雄よりはマシということで配置された。
「豊前のみならず、日向も羽柴殿ですか? いささか多い気がしますが……」
文句をつけたのは毛利輝元。要するに豊前か筑前を寄越せや、という話である。所領を大幅に削られたため、財政が大変苦しい。とにかく領地が欲しかった。
「たしかに、今回特に小早川殿の活躍は目覚ましい。……よし。それでは日向に小早川家を封じよう」
「それは……」
困ってしまってワンワンワワン、といわんばかりの輝元。遠いじゃん、と言いかけるも慌てて言葉を呑み込んだ。なんか文句ある? と具房に睨まれたからでもある。
具房は意地でも豊前を毛利にあげるつもりはなかった。なぜなら、日本海から畿内へ向かう海運ルートが関門海峡を通っているからだ。毛利は大幅減封の恨みから歯向かってきそうな勢力筆頭であり、仮想敵も同然。そんな相手に戦略要衝を渡すはずがなかった。
「いいではありませんか」
しかし、日向へ行くことになるかもしれない小早川隆景は肯定的だ。北畠家に逆らって心象を悪くするより、従っておいた方が遥かに利益になる。遠いとはいえ所領を増やしてくれるというのだから、流れに反する行動を彼は好まなかった。
「そなたがそう言うのならいいが……」
輝元は渋い顔。彼だって所領が増えることは嬉しい。だが、頼りにしていた叔父である吉川元春が死んだことで、少し心細くなっていた。この上、隆景まで遠いところに行くとなると寂しい、というのが本音だ。
隆景本人に異存はなく、主君も不承不承といった様子だが受け入れた。これで小早川家の日向入りが決まる。
「よろしいですか?」
次に声を上げたのは大友義統。彼は立花統虎の処遇を問題視した。
「ここでは筑後柳川に異動とありますが……」
とだけしか言っていないが、要するに立花氏が大友の下から離脱することになっているぞ、という文句である。これに具房は、
「宗麟殿の承諾は得ている」
と答えた。既に根回し済みなんだよ、と。父親の名前を出されると義統はそれ以上、何も言えなくなる。
事実上、立花氏は独立してしまった。大友氏からすればふざけるなとなるが、立花氏からは何が悪い? となる。筑前を守る立花、高橋氏を放置していたのは他ならぬ大友氏だ。北畠軍が援軍に来たからよかったものの、それがなければ一兵たりとも寄越さなかっただろう。そんな相手に仕え続けたいと思うだろうか。彼らは自分を庇護してくれる存在を選んだのだ。
「九州のことについては概ね、筑前守(秀吉)を中心とした諸大名の合議に任せる」
細かいところまで指図はしないのが具房である。日本は意外に広い。地域によって文化も異なる。それを中央が一元的に管理するなど土台無理な話なのだ。だから細かなところは地域の人間に任せるようにしている。
会議自体は質問を受け付けているものの、ほとんど当初案から変化はない。根回しなどをして反論を潰して回っているという理由もあるのだが。
その後、四国軍を先に撤退させる。彼らは先に到着して戦っていたので、疲労を考慮したのである。具房の本隊は戦後処理の履行状況を監視するため現地に残った。抵抗する人間は少なくなく、実力行使をすることもしばしばだ。
(自分たちで片づけてくれよ……)
と心のなかで愚痴ってみる。言ったところで何かが変わるわけではないのだが、言わないとやってられないのだ。
しかし、九州での仕事は嫌なことばかりではなかった。とある人物との出会いである。それは上方へ行くことを望んだ島津家久だ。奇しくも二人は同じ天文十六年(1547年)の生まれ。つまりは同い年である。立場は異なるが、二人は意気投合した。
城の接収作業に伴う実力行使。それは家久にとって北畠軍の軍制に馴染む肩慣らしの場となった。尽きることない潤沢な火器、鍛え抜かれた兵士に満足する家久。
「これならば薩摩と同じ……いや、それ以上の活躍ができそうです」
「期待しているぞ」
日本屈指の強さを誇る島津家で抜群の功績を残した家久への期待は大きい。その言葉に偽りはなかった。
家久もその期待に応える。最初は少し戸惑っていたようだが、何度か指揮するうちにコツを掴んだらしい。さらには既存の戦術に加えて、島津軍が得意とした釣り野伏を取り入れて見せた。
「引き込んで敵の態勢を崩してから逆撃か。こちらの方が洗練されているな」
これまでも釣り野伏に似たような戦術ーー偽装撤退からの反撃ーーはとってきた。とはいえ、日を跨ぐ大規模な作戦であるため失敗のリスクも高い。途中で敵が冷静になる恐れがあるからだ。だが、家久が伝えた釣り野伏は短時間のうちに反撃に出るためリスクはかなり低減されていた。今後の大きな手札となる。
対して、家久も釣り野伏の大規模なバージョンというアイデアを知って目から鱗。具房は失敗のリスクが高いというが、割り切ってより大きな規模にしてしまえば敵陣が長く伸びる。結果、後方が隙だらけとなって敵の退路を断つなんてこともできてしまうことに気づいた。
このように、家久の加入は北畠軍に新たな風をもたらすのであった。
「殿。城の開城は概ね終わったと報告がありました」
「そうか。ならば大軍を置いておく必要もないな。……後事は与右衛門(房高)に任せる」
他は撤退、と具房。中国方面を担当する房高とわずかな兵を残し、本領の軍は撤退を開始した。帰りはのんびりとしたもので、一ヶ月ほどかけて京へ帰る。そこでは雪が熱烈歓迎してくれた。このときはご機嫌なのだが、すぐに急降下する。
「今度は伊勢ですか」
雪という名に相応しい冷たーい視線が突き刺さる。具房はつーっと目を逸らした。悪くはないはずなのだが、なんとなくごめんね、と。
「すぐに戻ってくるから許してくれ」
「……ひと月以内ですよ」
むくれてはいるが、お許しが出た。具房は伊勢兵団とともに伊勢へ舞い戻る。
「お帰りなさいませ、父上」
「ただいま」
長男の具長らに出迎えられた。それにただいまと返す具房。普通の対応に見えるが、実は違う。いつもなら代表的な人間(具長やお市)には簡単な言葉をかけるからだ。誰もがおや? と違和感を抱く。ピンときたのはお市。
「もしかして、雪さんに何か言われた?」
「わかるか?」
「いつもと様子が違うもの」
「実はなーー」
かくかくしかじか。経緯を説明する。
「はあ……」
大きなため息とともに、お市はまったくあの子は……と呆れた様子。この時代の常識ではありえないことだ。とはいえ、彼女も慣れているので呆れはしても直そうとは思わない。正しくは、あの性格は直らないと諦めていた。
「それで、今回はどうしたの?」
「太郎(具長)に新たな側付きをと思ってな」
そう言って紹介されたのはひとりの若武者。名を島津又七郎忠豊という。新たなメンバーとなった家久の嫡男である。
「よろしくお願いいたします」
忠豊は少し緊張した様子。軽い調子で具房は紹介しているが、その相手は次期当主。しかも「側付き」と言った。それはつまり、次の世代を担う幹部候補というわけだ。嬉しい反面、責任重大である。
「そうなんだ。よろしくね。太郎! あなたも挨拶なさい」
「何ですか母上? ……はあ。側付き。島津家からですか。どうもよろしく」
そして具長も父親に似て軽い。あまり物事に頓着しない性格に育った。すぐ下の顕康は真面目というか厳格な性格に育っているので、子育てというのは不思議なものだ。
仕事を果たした具房は少し休んだ後、すぐ京へ戻っていく。北畠邸に帰るとすぐ雪に会いに行った。
「お早いお帰りですね。雪は嬉しいです」
約束の期限までに帰ってきたことに雪はご満悦。後から聞いたことだが、敦子たちも早く戻ってきたことを喜んでいたという。言わなかったが、内心では具房ともっとゆっくり過ごしたかったそうだ。
「……お前、それを察して?」
「何のことですか? 雪はただ、お兄様と一緒にいたかっただけですよ?」
惚けて見せる雪。しかし、その穏やかな笑みは言外に具房の言葉を肯定しているように見えた。