西方電撃戦
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日向方面を任された権兵衛は島左近率いる阿波兵団を先鋒に南下を始めた。陣立てとしては四番手までがすべて北畠軍。五番手にようやく小早川軍がいる。実質、北畠軍だけで戦っているようなものである。そんなことになったのも、彼らがとあるアクシデントに見舞われたからだ。
第一に、鶴ヶ城を救援しに行ってコテンパンにされた大友軍が戦力にならなかったこと。彼らは軍を再建している最中であり、日向方面軍に組み込まれてはいるものの、戦力外も同然の存在だった。代わりに同地の守備は毛利輝元が担うことになっている。
第二のアクシデントは、代わりの戦力として期待された毛利軍の機能不全だ。つい先日、毛利家の大黒柱である吉川元春が陣没した。これで吉川軍が一時的にせよ機能停止。戦力として期待できなくなっている。暫定的に吉川軍は嫡男の元長が指揮しているものの、父親を十分に弔わず戦はどうよ? そんなに戦力も厳しくないし、ということで吉川軍は陣立てから外れた。残るは小早川軍のみで、陣立てに彼らしかいないのはそういう背景がある。
「なかなかままならないね」
楽勝だと思っていたが、想定外の事態に参ったと権兵衛。しかし、北畠軍のみでも主力不在の島津軍を相手にすることはでき、瞬く間に日向北部を制圧。大友家にとっては因縁の地である耳川を渡り、南部の重要拠点・高城を包囲した。
砲を設置して攻撃するといういつものパターンでいこうとしたのだが、そこへ待ったをかけたのが長宗我部元親。
「周辺を見てきましたが、南の根白坂という地は島津勢が救援に現れたときに必ず通る場所。そこを押さえるべきです」
これに周りからは反対意見が噴出する。色々あったが、主旨としてはそもそも島津が救援に現れる保証はなく、それよりもさっさと城を落としてしまえというものだった。だが、権兵衛はその意見に流されることなく元親に問う。
「なぜそう考えた?」
「ここを落とせばいよいよ大隅、薩摩が見えてきます。しかし敵は本国で戦うことをよしとしないでしょう」
元親は高城の重要性から島津軍は救援に現れると言った。疑問の声は根強いが、権兵衛はこれに一定の説得力はあると判断。元親に対して根白坂の守備を命ずるとともに、高城への攻撃は延期することにした。
数日後、元親が予言したように島津軍が救援に現れる。しかも島津義久、義弘、家久と主力級が揃い踏み。兵力も三万五千という大軍だ。総力戦を挑んできたといって過言ではないだろう。
「思わぬ大物が釣れたな」
東西から敵が迫っている状況でこちらにほぼ全力を傾けてくるとは思わず、発案した元親も驚いてしまう。
一見無謀に見えるが、島津側はきちんと計算している。当初、敵の総大将である具房がいる肥後方面に兵を出そうという話になっていた。決戦で勝ち、戦況を変えようというのだ。しかし、その方針は転換される。なぜなら吉川元春が死亡して毛利軍が半ば機能不全に陥っているという情報がもたらされたからだ。そこに勝機を見出し、島津兄弟のうち三人が日向に集結したという次第である。
「この一戦にすべてを賭ける」
義久はそんな決意を秘めて決戦に臨む。同様に家久も、戸次川での雪辱を晴らさんと燃えていた。
高城救援のためには元親が言ったように根白坂を通らなければならない。島津軍はそこに殺到する。だが、根白坂は元親の手によって厳重な防備が敷かれていた。突破するのは至難の業である。
「かかれ!」
号令が下り、島津軍が攻撃を始める。迎え撃ったのは土佐兵団。北畠式の訓練を施され、潤沢な装備を与えられた結果、指折りの精鋭に育った。彼らは戦国最強ともいえる島津軍相手に一歩も引かない。
初日はとにかく火力を全面に出した。鉄砲、大砲、手榴弾に擲弾と、持っている火薬兵器をすべて使って島津軍を寄せつけない。
だが、相手も決死の覚悟で臨んでいる。屍が山と積まれても島津兵は臆すことなく攻撃を続けた。二日目になるとちらほらと陣地に到達する者が現れ始める。
(鉄砲の数では負けるが、兵の強さでは負けん!)
それが島津軍の頼みとするところ。修羅の国といわれる九州において最強といわれる島津軍。他所の兵に負けるわけがない、という自負心を胸にひたすら突き進む。
しかし、現実は非情だ。彼我の力の差をはっきりと示す。島津軍はたしかに強い。だがそれは、いってみると近所のガキ大将的な強さだ。戦があると集まって戦うだけに過ぎない。
一方、北畠軍は戦争という行為に特化している。日頃から訓練を積み、人殺しの技術を体系的に磨き上げてきた。具房は軍を火力重視で編成してきたが、刀剣での戦いを軽視してきたわけではない。柳生や宝蔵院など、刀や槍の技術にも習熟している。ゆえに白兵戦だからといって北畠軍が劣勢になることはなかった。
「手強い……」
両者の質が変わらないとなれば、戦略と数の勝負。残念ながら、そのどちらも島津軍は劣っていた。勝負の趨勢は決まっている。二日、三日と経っても前線は一向に抜けず、屍の山を高くするだけだった。
「殿。ここは攻め手を止めましょう」
「何を申すか。我らは確実に敵陣へ近づいている!」
「そうですが……三日三晩攻め続けたため、兵たちの疲れは相当なものがあります」
視線を動かすと、そこにはぐったりと横になる兵士たちの姿があった。食事をするとすぐに眠ってしまったのである。それだけ疲れているということだった。義久はその現実を受け止められない愚者ではない。
「……やむを得まい。明日は攻撃中止だ」
休養をとらせることを決める。歩哨を除き、島津兵は久方ぶりの休みを謳歌した。
他方、北畠軍でも少しばかり問題が起きていた。完全に暇をしている小早川軍が参戦させてほしいと申し出てきたのだ。置き物同然なのはさすがに困るらしい。
「う〜ん」
権兵衛は悩む。気持ちはわかるが、小早川軍が島津軍と戦えるかといえばわからない。不確実な要素に頼りたくない、というのが本音だ。
「大将。長宗我部様より文が届いております」
思案していると、元親からの手紙が届く。そこには防戦の状況と、とある提案がなされていた。
「戦いは順調そうだな……ん?」
報告の部分をすらすら読んだ権兵衛は、提案の部分を見て思案する。これなら戦に参加させて欲しいという小早川軍の要望を満たせるぞ、と。
「これを長宗我部殿と小早川殿に」
権兵衛は軍令を出し、元親と隆景に伝えた。
「なるほど。さすが権兵衛殿だ」
「面白い」
二人とも異論はなく、すぐさま行動を開始する。それは丁度、義久が兵たちに休養をとらせることを決めた日だった。
開戦の号砲は北畠軍から放たれた。久しぶりの休養をとっていた島津軍の陣地に相次いで砲弾が着弾する。完全に気が緩んでいた島津兵は大混乱に陥った。
「狼狽えるな! 身を隠すのだ!」
とはいうものの、大まかな狙いをつけただけの砲撃をそれで凌げるはずもない。島津兵は次々と容赦なく土ごと耕された。それでも生き残った幸運(?)な兵士は砲撃が途切れたところで身を晒す。
「終わった……?」
そう思ったのも束の間のこと。近くから喊声が上がった。小早川軍が突撃してきたのだ。元親は島津兵が攻め疲れていることを看破。権兵衛に対して逆襲することを進言し、援軍を要請していた。これに小早川軍からの要望が重なり、援軍に小早川軍が選ばれたという次第である。
「迎え撃て!」
さすがは島津軍というべきか、不意打ち同然で陣が乱れているにもかかわらずどうにか対処して見せた。しかし、これだけでは終わらない。逆方向から、今度は土佐兵団が押し寄せた。
「敵の後背を突け!」
彼らも戦続きで疲れていたが、毎日のように銃砲の嵐を潜り抜けた島津兵ほどではない。ゆえに土佐兵団が優位に戦いを進める。背後から刺されたこともあり、島津軍は耐えきれず潰走を始めた。
「追え! 逃がすな!」
元親は疲労を考えて追撃を行わなかったが、まだまだ元気な小早川軍は激しい追撃をかける。
「殿。ここは我らが食い止めます!」
対して島津軍は捨て奸での撤退を図った。少数の殿が残り、全滅するまで敵を食い止めるという究極の遅滞戦術である。これにより撤退には成功するが、義久の周りを固める兵は一万を割っていた。島津軍の大敗だ。
勝利の報せはすぐさま肥後にいる具房に届く。
「ご報告します! 四国軍および小早川軍が日向に進出した島津軍を撃破しました!」
敵の総大将が島津義久。他に義弘、家久がいたことが伝えられる。
「つまり敵の主力は東にあり、それは権兵衛らによって討ち果たされたというわけだな?」
「恐らくは」
具房の言葉に房高が同意する。島津家の国力からして、三万五千の兵を簡単に動員できるわけではないだろう。正真正銘、彼らの全力だったということだ。それを権兵衛は粉砕した。となれば、肥後方面の敵は増援があっても程度が知れる。具房の決断は早かった。
「南進の速度を速めるぞ」
そのことは全軍に通知される。沸き立ったのは立花勢だ。島津の落日だと騒いでいる。そんな彼らに先鋒を任せる一方で、彼らを通して島津方の諸勢力に降伏を迫った。
「……意外に多いな」
電撃的な南進を始めた具房。数が多いことを活かして敵の拠点は迂回し、少数の包囲部隊を残して前進を続ける。そんな彼の許には、各地の豪族が降伏してきたという報告が毎日のように届いていた。
「決戦に敗れた話は各地に伝わっているようです」
広めたのは忍たち。速報を伝え、各地の豪族
上杉が確認をとった。ゆえに多くの豪族は根白坂で何が起きたのかを知っている。強い者に従うのが戦国の掟。雪崩をうって豪族たちは北畠軍に降伏していった。
気がつけばほとんど戦闘することなく、北畠軍は薩摩へ侵入しようとしていた。何度か交戦をしたが、火力ですべてを解決。ついには島津一門すら軍門に降るようになる。
「一度、軍を止めるぞ」
薩摩に入ったところで具房は進軍を停止した。ここまでノンストップで進軍してきたため、さすがの北畠軍も疲れている。休息をとらせる他にも目的がひとつ。
「太閤殿下(近衛前久)。よろしくお願いします」
「任せよ」
近衛前久を派遣し、島津家に降伏を促すためだ。史実では足利義昭が担ったが、彼は未だに反抗姿勢を貫いている。ゆえに前久にお鉢が回った。
島津家の本拠である内城に赴いた前久。さすがに関白経験者ということで、丁重なもてなしを受ける。そこで前久は状況を語った。
「又太郎(島津忠辰)、右馬頭(島津忠長)は敵に降ったか……」
面会した義久はそう力なく言う。
(随分と老いたな)
昔、面会したときより義久は老けたように見えた。年齢だけではない。このところ負け続け、猛烈な心労がかかっているのだろう。義久は決戦に負けて完全に追い詰められていた。お家の未来を思えば、その心労は凄まじいものだということが察せられる。
既に本領である薩摩も侵された。ここからは本当に後がない。だが、抵抗するだけの戦力は既に失われていた。
「降伏してはどうだろう? 伊勢左府(具房)は薩摩、大隅を安堵するとのことだ」
「……家中に諮らせていただきます」
力なく答える義久。前久も当然だと了承し、そこで会談は終わる。義久は早々に評定を開いたのだが、家中は未だ反対論に支配されていた。特に義弘、歳久、新納忠元が反対している。前久と家の間で板挟みとなり、義久の心労が加速度的に増していく。
だが、現実とは非情なもので、悪い知らせが次々と舞い込む。曰く、総攻撃によって高城陥落。島津家久降伏、と。反攻の芽が確実に摘み取られていく。
(仕方ない)
翌日。義久は前久に対して降伏すると伝えた。
「そうか。肩の荷が降りたぞ」
前久は満足して帰っていく。当然だが、家中からは納得できないという声が盛んに上がった。しかし、家をここで潰すわけにはいかないと押し切る。
「色々とあるだろうから、当面は進軍を止めると伝えよ」
帰ってきた前久から話を聞いた具房は、義久の難しい立場を察して軍事行動を停止。静観の構えをとる。ただし変な行動をとれば容赦はしない、と釘を刺すことも忘れなかった。
(我らが守りを固めたところで、容易く破れるというわけか)
義久は裏に込められたメッセージを正しく受け取る。降伏を受諾するフリをして時間稼ぎをしても無駄だぞ、と。まあ、事実そうだ。砲撃でまとめて耕されるのが目に見えている。
以後、義久は家臣たちが暴走しないよう抑えながら、義弘や歳久たち主戦派の説得に尽力した。その甲斐あって義弘が折れ、忠元が折れ、それならばと歳久も納得。家中の意見をまとめてから、義久は具房に面会した。