海兵隊
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「申し上げます。島津勢が筑前に侵攻。島津右馬頭(忠長)、伊集院右衛門大夫(忠棟)が率いる兵二万が岩屋城に迫っております」
「そうか」
岩屋城に向かって島津軍が出陣したという報を掴んだ具房。一方の北畠軍はというと、ようやく各地で動員が完了しつつあるという段階だった。即応部隊である志摩兵団も陸路で移動中。到着にはなおも時間がかかる。
「志摩兵団に強行軍にて赤間関(下関)を目指すよう伝えましょう」
「待て待て。強行軍で疲労した兵を前線に送っても意味はない。徒に犠牲を増やすだけだ」
「しかし!」
なおも言い募ろうとする参謀のひとりを、別の参謀が制した。
「それよりも、毛利家に出兵を急がせるべきでしょう」
「それが、あちらさんはどうも兵の集まりがよくないらしい」
防長は比較的、戦での犠牲が少ない。それでも領内には厭戦気分が蔓延し、また戦かよ、という反発も起きていた。当然、動員は遅々として進んでいない。
「参ったな……」
「見殺しにするのはなぁ……」
高橋紹運は立花道雪亡き今、大友氏の主柱である。これを見捨ててはいよいよ大友の所領保持は難しくなるだろう。下手をすると、来援前に領土を失陥しかねない。
(まあ、大丈夫なはずなんだが)
史実では岩屋城は陥落。紹運も戦死するが、島津軍は足止めを食らい、大友氏は領土を失陥せずに済む。だが、現世では毛利家は具房によって叩きのめされているため、先陣を切ることになる毛利軍が間に合うかは怪しかった。
「仕方がない。呉の海軍に連絡。海兵隊に出撃準備」
志摩兵団は上陸戦を得意とする戦国版海兵部隊として編制された。では、具房が言った海兵隊とは何なのか。それは、海軍の船に乗った近接戦闘要員のことである。
そもそも海兵隊とは、接舷攻撃が海戦の主要な戦術だった時代に設けられた組織だ。海戦で敵艦に乗り移って戦う部隊で、陸軍が母体だったり海軍が母体だったりと様々である。その後、欧米が植民地を持ち始めると反乱鎮圧の即応戦力としての性格を強めていった。時代が進むと接舷攻撃がなくなり、活躍の場を陸に移す。そうして現代の海兵隊へとつながる。
北畠軍では接舷攻撃に備えて各艦に海兵隊を配属している。これを陸戦に転用するというのだ。
「戦えるのですか?」
幕僚のひとりが疑問を投げかける。
「一応、陸戦の訓練もしているから問題はないだろう」
「確かに銃は定数配備されていたはずですが、砲はまったく持っていなかったような……」
「海軍の砲撃支援が前提だからな、上陸戦は」
火力に不安があると言う幕僚。たしかに、海兵隊は大砲どころか擲弾筒すら持っていない。具房はその懸念を肯定しつつ、心配ないと答えた。
「そのときには艦砲を陸揚げする」
「水兵を支援に充てるのですか?」
「そうだ」
陸運を前提としない設計になっているので難儀するだろうが、砲は砲だ。艦砲でも陸戦に使うことはできる。
「海兵隊で千は確保できるだろう。これを岩屋城の救援に送る」
「しかし、島津兵の勇猛さは我らも知るところです。それで足りるでしょうか?」
「足りんだろうな」
断言した。その程度の兵士でどうにかなるなら苦労しないのである。
「ならば……」
「それでも時を稼ぐことができる。投入する価値は十分にあると思うが?」
「……殿がそう仰るのなら」
幕僚たちは渋ったものの、具房が派遣の方向で押し通した。毛利家にも連絡が行き、赤間関で大友氏に有償供与された武器弾薬の一部を海兵隊が受領できるようになった。配備されている銃を使わないのは、全滅して敵に銃の秘密が漏れないようにするためだ。
「千の援軍か」
「北畠軍の精強さは聞きますが、これでは……」
岩屋城に籠もる高橋紹運と吉田兼正は微妙な顔をしている。この程度の援軍で何になる、と。紹運は元からここで死ぬつもりだった。島津兵を集め、大友氏の本領である豊後への侵入を一刻でもいいから遅らせるのだと。
北畠軍の加入でその目的が果たされる可能性は高まった。自分が攻め手なら、千を越す兵力が籠もる城を放置することはない。だが、それに他所の兵を巻き込むことは本意ではなかった。
紹運は宗麟に対して北畠軍は不要と言ったが、北畠側からどうしてもと言われたので、とやんわりと拒絶された。北畠軍の指揮官にも自分たちはここで討死する覚悟だと言って撤退を勧めたが、主命なのでのひと言でまったく取り合ってもらえなかった。
そうこうしているうちに島津軍が来てしまい、戦いとなる。仕方がない、と紹運は諦めた。
「撃て!」
盛り土に身を隠した北畠軍が猛烈な勢いで発砲する。ライフリングがないため普段より射程は短く、弾道性も悪い。それでも濃密な弾幕が張られ、島津兵を倒していく。さらに後ろには陸揚げされた艦砲が撃ち込まれた。
「な、何だこれは!?」
鉄砲を用いた戦いを得意とした島津軍も、この弾幕には驚いてしまう。とても敵わない、と島津忠長は攻撃を一度中止した。
驚いたのは紹運も同じだった。北畠軍が鉄砲を使うと聞いていたが、これほどとは思わなかったのだ。鬼のような島津軍がこうも容易く撃退されるなど想像もしていない。
(これは……望みが出てきたぞ)
たった千人の北畠軍が来たところでと思っていたが、万の軍に勝るとも劣らない心強い援軍だと紹運。己の目的が達せられそうだ、とほくそ笑む。
一方、後方の立花山城を守る立花統虎はやきもきしていた。父の命で立花山城を守っているが、本音では前に出て一緒に戦いたい。吉田兼正を派遣したが、やはり自分が行かないと気が済まない。
「父上にお話ししよう」
統虎は紹運に書状を書き、援軍に行かせて欲しいと懇願した。色々と交渉した結果、島津軍を超える援軍が来れば救援を許すとの言質をとる。以来、本家に対して援軍の派遣を求めていた。
「しつこいの、彌七郎(統虎)は」
「はい」
鬼電を受ける宗麟、義統は辟易とした。そして、北畠からの援軍をすべて筑前方面に派遣することにする。大友氏が手っ取り早く四万の兵を確保するにはそれしかなかった。
「大丈夫なのですか?」
「何だ?」
「援軍を筑前に回すと、豊後の兵が薄くなるのでは……」
家臣のひとりが援軍をすべて筑前に回すことに懸念を示す。当然だが、島津軍は筑前のみに侵攻しているわけではない。豊後にも迫っていた。だが、宗麟たちは大丈夫だと自信を持って答える。
「届いた物資を見てみろ。この辺りの村民全員に配ったとしても有り余る鉄砲が届いているぞ」
鉄砲でこれなので、打刀はもっと多い。支援物資で完全武装の大友軍が出来上がってしまう計算だ。だから、援軍を取られても問題ないという結論に至った。
「これだけあれば時間も稼げる」
前線から抵抗し、少しずつ後退していく。遅滞戦術だ。領民を犠牲にするのは躊躇われるが、家がなくなるよりマシである。それに北畠軍は精強と聞く。評判通りであれば筑前の島津軍を早々に駆逐し、救援に来られるだろう。
「そうか。了解した」
北畠軍の先鋒である志摩兵団は進軍目標を立花山城に変えた。上陸地点は博多である。物資の集積地にもなる予定だ。しかし、ここでひとつ問題が生じる。博多湾は水深が浅く、北畠軍が使う大型船は寄港できないというのだ。そこで北畠家が持つ和船から毛利水軍をも動員した大輸送が行われた。赤間から博多までのピストン輸送である。
「しかしまあ、凄いもんだ」
輸送を担う村上水軍の船頭のひとりは呆れ声だ。
「お頭。これだけあればひとつくらいくすねてもわかりませんぜ?」
「バカが。箱ひとつひとつに番号があって、それで管理されてんだ。わかるんだよ」
所謂シリアルナンバーというやつだ。北畠家では箱ひとつひとつに番号が刻印されていて、それで管理されている。盗むことはできてもすぐ発覚した。既に事件が起きており、毛利家の責任問題になっている。バカなことを言うな、と船員を叱りつけた。
ピストン輸送の最後の方で運ばれたのは兵士である。こちらは本当に重要なので、北畠海軍が護衛についた。
「でかいな」
「あの突起が全部砲だろ。……どれだけ金が要るんだ?」
そんなことを言っていた。淡路海戦の恐怖は彼らの記憶に新しく、口にこそしないが今は味方でよかったというのが本音である。
博多に上陸した志摩兵団は休息の後、立花山城に向かう。そこで統虎は団長である柳生宗厳に懇願した。
「お願いだ。援軍を急いで派遣してくれ!」
「何か異変でもあったのか?」
「違うが……岩屋城に父がいるのだ。兵力差は歴然。このままでは父が!」
「わかったわかった」
宗厳はその必死さに負けて援軍の急派を約束した。その要請は早船で具房に伝えられる。彼も軍を率いて西進していたのは幸いだった。
「先行しているのは伊賀兵団だったな。両者で共同作戦をとるようにしよう」
具房は大友家とは指揮系統が異なることを利用し、独自に岩屋城の救援に向かわせることにした。具房が指揮するつもりだったが、とても間に合わない。そこで一時的に方面軍を創設し、指揮を任せることにする。指揮を任されたのは藤堂房高だ。すぐに動けるのが彼しかいなかった。
「お任せください!」
話を聞かされた房高はやる気を漲らせる。具房を崇拝する彼は、いわば代理として軍司令官を任されたことを心から喜んでいた。意気揚々と九州へ向かう。また、こうした一連の動きは統虎にも伝えられた。
「恩に着る!」
統虎は飛び上がらんばかりに喜んだ。言葉通り、立花山城には立て続けに援軍が到着する。伊賀兵団に加え、毛利軍(約一万、指揮官は吉川元春)も来た。
「よし。これより岩屋城に向かう!」
北畠軍は行動を開始した。岩屋城付近に布陣し、島津軍を牽制する。島津軍はこれで攻め手を緩めた。
「援軍だと?」
紹運は統虎が来たのかと思った。だが、実際は北畠軍である。彼らは城外に駐屯して拠点を固めると、島津軍と対峙した。
「敵の先遣隊だろう。これ以上時間を費やすと勝機を逸する。……決戦だ!」
忠長は決戦を選択した。北畠軍へ向けて突撃を開始する。
「中隊、射撃準備。……放て!」
島津軍は鉄砲を多く保有している。火力には自信があったが、北畠軍には敵わない。威力、射程ともに。その差は如実に現れた。
「なぜだ。なぜこんなにも遠くから弾が届く!?」
常識外れの射程。それは北畠軍の銃にライフリングが刻まれているからなのだが、単に構造を見ただけでは原理はわからない。大きなアドバンテージである。
「構うな! 進め!」
それでも島津軍は前進する。大きな犠牲を出しながらも肉薄し、白兵戦に持ち込んだ。しかし、思うように戦果を拡大できない。北畠軍はきっちり訓練を積み、白兵戦にも対応しているからだ。
「くっ。思ったよりも手強い」
「態勢を立て直す。者ども、退け!」
島津軍は誤算が生じたと見るや撤退を開始する。とても潔い。
「逃がすな!」
「追撃に移る。砲兵隊、援護射撃!」
「……砲撃始め!」
今度は北畠軍が前に出る。進路啓開と逃げる敵の足を鈍らせるべく砲撃が行われた。それが思わぬ効果を挙げる。
島津軍の常套手段は「釣り野伏」という作戦だ。部隊を三つに分け、一隊が突撃。然る後に撤退する。当然、敵は追撃するのだが、そこで伏兵として待機していた二隊が攻撃。出鼻を挫くとともに、撤退していた部隊も反転攻勢して敵を三方から叩くというものだ。
しかし、これは失敗した。攻勢に出る味方の援護を行うために発射された大砲が、偶然にも潜伏していた島津軍の陣中に着弾。相当数の被害を出していたからだ。鉄砲には慣れていても大砲は初見である。島津軍は大混乱に陥った。
「失敗か……。悔しいが、ここは退却だ」
常に大きな戦果を挙げてきた釣り野伏。それが失敗してしまったことに悔しさを滲ませながら、島津忠長は撤退を命じた。しかし、それは相当な困難を伴う。なぜなら、味方の勝利を見た紹運が、岩屋城から討って出たからだ。
「お前たち。たっぷり礼をしてやれ!」
「「「オオーッ!」」」
城兵は籠城の疲れもあったが、これまで一方的に攻められていたことへの鬱憤を晴らすべく最後の気力を振り絞った。激しい追撃を行い、島津兵を追い回す。
さらにここで泣きっ面に蜂ともいえる事態が起きた。島津軍の大敗と北畠軍の到着を見た龍造寺家(鍋島直茂が主導)が離反し、これに加わったのだ。それもあって筑前に攻め入った島津軍は肥後にまで後退。北九州から島津家の勢力はほぼ駆逐された。