具房と義昭
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輝元が降伏を決断し、元春と隆景にもそのことが通達された。伝達を行ったのは元秋である。
「そうか……」
元春は力及ばず申し訳ない、と心のなかで輝元に詫びた。書状では自分のことは見捨てろと言ったが、輝元にはできないと思っていたからだ。書状では『千軍は得易きも一将は求め難し』という司馬遷の言葉を引用して説得にかかっている。
「主命に従おう」
輝元の思いも汲んで元春は降伏を決断した。
「少輔十郎(元秋)。北畠左府(具房)に面会はできんか?」
「できます。左府様よりお誘いもありますし」
自分を見事に破った敵将の面を拝んでやろうと思っていたのだが、むしろ具房から面会を求められていたことに驚く元春。具房からすれば、自分に会う価値などないと思ったからだ。面会は戦国ファンとして、名将・吉川元春に会いたいという欲から出た行動である。もしマイナーな武将(山田重直など)であれば「会いたい」とは言わなかっただろう。
そして両者は鳥取城にて相見えた。冒頭、具房は元春の勇戦敢闘を称える。褒められるとは思っておらず、元春は面食らう。
「あ、ありがとうございます」
戸惑いながらもとりあえず受け取る。それから各地の状況を聞いて愕然とした。
「そんなことになっていたのですか……」
ただただ驚くばかりである。特に瀬戸内海は村上水軍がいる限り鉄壁だと思っていたので驚きは大きい。
「我が軍の精鋭が見事、村上水軍の拠点を襲撃してな。その混乱に乗じて海を渡った」
一瞬の隙を突いた作戦だった。博打の要素が多く、運に助けられたといえるだろう。山陰の吉川軍を撃破して月山富田から一気に南下、山陽の小早川軍を包囲するという作戦も予備案としてあった。しかし、上陸した方が楽なので作戦を決行した。
その後も具房は元春と色々な話をした。平家物語を書き写すだけあって、彼は教養のある文化人でもあった。そしてそこに混ざってきたのが長岡幽斎である。文化人を自負する彼がこの手の話に混ざらないわけがなかった。
「『少将乞請』のところなんだが……」
「それはこういうことですよ」
「なるほど。いや、こういうのはあまり得意ではなくてな」
具房は古文がやや苦手で、転生してからもなるべく触れないようにしてきた。結果が和歌に代表される体たらくなのだが、純粋な文学作品としての『平家物語』には興味があり、第一人者といえる元春に話を振ったというわけだ。
彼は嫌な顔ひとつせず解説してくれる。心理としては、自分の好きなことについて話すオタクであろうか。本当に色々なことを教えてくれた。
「しかし、意外でした。左府様にも苦手なものがあったのですね」
「当たり前だろう。私を何だと思っているんだ」
完璧超人じゃねえんだぞ、と具房。場の笑いを誘う。
「代わりに左府様は当代きっての能書家ですぞ」
「お噂は聞いています」
「……どうですか、ひとつ腕前を披露してみては?」
幽斎がそんなことを言う。仕事を増やすんじゃねえ、とキレそうになったが、何とかその衝動を押さえ込んだ。
「いいですよ」
夜、具房は一筆書いてみた。
「……これは?」
そこには「三位一体」と書かれている。元春は何のことだかわからない様子。なので具房が由来を説明した。
「三位一体、というのは南蛮人たちが信仰するキリスト教の考え方だ。キリスト教も様々な宗派に分かれている。仏教でいえば一向宗や臨済宗といったようにな。そこで問題になったのが神とその子、霊をどう看做すかということだった。結局、それらは一体であるということで話がついた。これが『三位一体』だ」
宗教の話をするも、元春はちんぷんかんぷんな様子。だが、教義はここではどうでもいいので具房は特に解説を入れなかった。
「それでな、わたしは毛利家も同じようなものだと思っている」
「同じですか?」
南蛮の宗教と一緒にするなという反論も顔を覗かせたが、ここはぐっと我慢した。
「毛利の家をまとめる毛利殿(輝元)、武で家を支える貴殿(元春)、智で家を支える小早川殿(隆景)。その三者が心を一つにしてこそ毛利の家は成立する。違いますか?」
「いえ。我が父(毛利元就)も同じようなことを申しておりました」
三本の矢の逸話である。あれ自体は史実ではないが、子どもたちが一致協力せよ、という元就の遺訓を『毛利家文書』の「三子教訓状」に見ることができる。それを知っている具房は三位一体という言葉で毛利家を表現した。
「それは重畳」
毛利家の人間からオッケーをもらい、具房は喜んだ。そして元春も、見事な筆致に感銘を受ける。
「しかし、見事な書ですな」
「そうでしょう、そうでしょう」
なぜか幽斎が自慢気に応える。どうも彼は、友人であった光秀が死んで悲しんでいるらしい。死んだ経緯はともあれ、友人であることには変わりがない。その死を惜しむ情の深い人物だった。そのため幽斎は残った友人である具房を大事に思っている。妙に持ち上げるのもそのせいだ。
「北畠左府様。これをもう二つ書いていただけませんか?」
元春の願いの意図を、具房はすぐに察した。
「毛利殿と小早川殿の分ですな」
それならばと具房は快く引き受け、追加で二枚書き上げた。
「これでいかがかな?」
「ありがとうございます」
恭しく受け取る元春。そんな珍重されるようなものか? と思いながらも、大事にされるのは嬉しいと思う具房だった。
そんな交流をしながらも、やるべきことはきっちりやる。元春とともに接収対象である城に寄り、武装解除を行う。当面は織田・北畠連合軍が管理を行うことになっていた。以前のように、約束を反故にされては堪らない。前科がある以上、毛利側も拒めなかった。
「では頼むぞ、徳次郎」
「任せろ」
同方面の管理は徳次郎が担うことになった。織田側の管理責任者は秀吉である。獲得領土の分配など、細かな部分は凱旋後に話し合いで決めるという合意がなされていた。
接収が終わると具房は京へ凱旋する。その途上で拾いものをした。足利義昭である。
「無様か?」
「いえ」
義昭は具房を見て自嘲するが、具房は気にした様子はない。あ、将軍だ、くらいの気持ちしかなかった。彼は恨み骨髄といった様子だが、具房からすれば一方的に恨まれているだけ。ドライな反応にもなろうというものだ。
「公方には京に戻っていただく。生憎と城(烏丸中御門第)は焼けているので、どこかの寺にでも入るといいでしょう」
「ふんっ。随分と偉くなったものだな」
「ええ。偉くなりましたよ。今では左大臣という重責を担っております。おや、大納言(義昭)はご存じない?」
義昭に痛烈な嫌味が飛んだ。左大臣と大納言という地位の差、都落ちして田舎に暮らしていたことを揶揄する発言である。武家秩序では義昭の方が上だが、公家秩序では具房の方が上だ。そして具房は後者を重んじている。だからこそ義昭を「公方」と呼ぶし、嫌味を容赦なく飛ばす。
「公方として命じる。城を再建せよ」
「お断りします」
従う義理はない。民の血税をなぜ、害を与える人間に対して使わなければならないのか。ノータイムで拒否した。
「き、貴様!」
「お話は以上です」
激昂する義昭だったが、具房はさっさと会話を打ち切った。これ以上は話す価値すらないということだ。
義昭は京へと護送され、槇島城に押し込まれた。もちろん監視役がついている。仲良くされると困るので、縁遠い人物を短期間に次々と交代させた。おかげで義昭は手紙を出す以外、身動きがとれなかった。
また、義昭には大きな誤算が生じている。公家たちの支援を期待していたのだが、挨拶程度しかしてこない。これは北畠家が睨みを利かせているからだ。公家も両者の実力を考えて、北畠側についている。具房の機嫌を損ねれば干されかねない。公家たちはそれを恐れていた。
「おのれ、北畠め……」
城で手紙を書きながら、ぶつぶつと具房に対する恨み言を口にしていた。
将軍の権威などもはや有名無実と化しているのだが、やはり腐っても将軍である。支持する勢力は未だ一定数、残っていた。それを具房の家臣たちは危惧する。
「殿。獅子身中の虫となりかねませんぞ」
「しかし、どうもできんだろう」
具房だって義昭などに構いたくはない。だが、彼が将軍である以上は処すなんて真似はできない上、放り出しておくとどこで悪さをするかわからないのだ。ならば手許に置いて監視しておく方が楽である。
その後、引き揚げてきた秀吉たちとの間で会議が開かれた。領土配分を決めるためのものだ。ここで秀吉は領土を主張しなかった。
「ほとんど左府様の功績ですから」
「自分も異議なし」
「「「異議なし」」」
秀吉以外にも、山陽方面軍にいた武将たちは具房にすべてを任せるということを主張した。ということで、配分は具房が行うこととなる。秀吉は要らないというので、与力である宇喜多家に備中美作を与えて事実上の加増とした。尼子家には本領である出雲、伯耆を任せる。
具房は安芸、石見、備後を取ることになった。安芸には呉、広島といった重要拠点があり、石見には銀山がある。備後はこれといって欲しいものはないのだが、誰も要らないということだったので具房のものとなった。
「大身となったな」
「はは。さすがに持て余しております」
京の北畠邸を訪ねてきたのは近衛前久。こちらが訪ねるべきなのに、と恐縮しながら迎え入れる。前久は義昭について、ざまあみろとか色々な悪口を言っていた。かつて自分を追放したのが許せないらしい。
言いたいことを言って満足すると、具房が手に入れた新領土についての話になった。随分と手に入れたな、と。具房は要らない、と本音を吐露する。この場合は備後を指していた。
「とはいえ、そなたはこれからの日本を担う人材。むしろこれまでが少なかったのだ」
妥当なところではないか、と前久。しかし、新たな領土が増えても当面は開発などで持ち出しが多いのでありがたくない。
(いや、止めよう)
これ以上は気持ちが落ち込みそうなので話を変えることにした。話題にしたのは九州。最近、島津家が勢力を拡大している。三国志状態だったが、最近はその一角である龍造寺氏を滅ぼしていた。
「次は大友ですかね」
「さすがに九州が統一されるとそなたも厳しいのではないか?」
「そこまで厳しいわけではないですが、面倒であることには変わりありませんね」
九州攻めは秀吉や明治新政府など事例が多い。それらを参考にすれば攻略は容易いと思っていた。だが、相手はあの島津である。油断はできないし、戦わないで済むならそれでいい。
「介入するなら早い方がいいぞ」
「ははっ」
前久の誘いを、具房は笑って躱した。