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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第十三章
190/226

斬首作戦

 



 ーーーーーー




 義昭は鞆に居を構えていたが、やがて内陸部へと移動した。山陽道に近く、陸から京に攻め上るという意思表示である。もっとも毛利軍は守勢に回ったため、その意思は今のところ全力で空回りしていた。


 鞆には義昭のために城が整備されたのだが、主人が不在のため暇を持て余していた。それは周辺を固める村上亮康(大可島城)、渡辺元(一乗山城)も同じである。さらに、塩飽諸島以西の瀬戸内海は村上水軍が押さえているという油断もあった。そのような諸要因が相まって、毛利側に大きな誤算を生じさせた。


「ふぁ〜っ」


 ひとりの男が浜辺で伸びをする。鞆城の守備を任されている村上亮康だ。留守番をしているのだが、こんなところに敵が来るわけもなく暇を持て余していた。浜辺で寛ぐくらいは余裕がある。


「ん?」


 何気なく浜辺を見ていると、釣り糸を垂らす人間がいた。あちらも気づいたようだ。見ていてわかりやすく慌てる。


「げっ。こ、これは……」


「はははっ。気にするな」


 亮康を見て叱られるのではと慌てた兵士。だが、気にするなと言って安心させた。自分もサボってるようなものだからだ。


「竿はもう一本あるのか?」


「あ、はい。どうぞ」


 兵士は予備の竿を手渡す。彼らは海賊をしているが、普通に漁業をすることもある。もちろん竿の扱いも手慣れたものだ。


「いや、よく釣れたな」


「あんな大物が釣れるとは思いませんでした」


 二人はアジやイワシといった魚を大量に釣っていた。さらに兵士はクロダイを釣り上げている。狡猾でなかなか釣れない魚だ。仲間に自慢できる。ホクホク顔で帰っていた兵士。頭のなかでは仲間に褒め称えられる未来の自分がいた。確実に訪れたであろう未来はしかし、唐突に幻想と化す。


 城が見えた。彼らの帰るべき場所。そこが何の前触れもなく爆発した。最初は焙烙火矢が誤爆したのかと思った。ちょっとした不注意が原因で、稀によくある事故だ。しかし、爆発は断続的に起きる。場所もまちまち。事故ではない。


「敵の攻撃か! いや、しかしどこから?」


「殿、あれを!」


 亮康が混乱していると兵士が外海を指さした。そこには濛々と硝煙を上げる特徴的な船ーー戦列艦が並んでいる。その手前には無数の小舟。志摩兵団が強襲上陸を敢行したのだ。


「戻るぞ!」


「はいっ!」


 二人は慌てて城に戻った。だが、まったく警戒していなかったために急拵えの防備しかない。そんなもので北畠軍を止められるはずもなく、大可島城は数時間のうちに陥落した。亮康は少しでも時間をかけさせるために決して降伏せず、城兵と共に城を枕にして討死している。


「城内の掃討は完了しました」


「よろしい。休息の後、本隊と合流すべく北上するぞ」


「「「はっ!」」」


 大可島城を落とした志摩兵団(別働隊)は勢いそのままに鞆城をも制圧。しばらく休憩を挟んでから北上を始めた。目指すは本隊が攻略する予定の神辺城である。


 ところで、ほぼ封鎖されているも等しい瀬戸内海を渡って北畠軍が上陸作戦を展開できたのか。話は先の襲撃隊による村上水軍の拠点に対する奇襲攻撃に遡る。


 あのとき、襲撃隊の援護に現れた北畠海軍はフリゲートだった。高速のフリゲートの方が中小型船を使う村上水軍の相手をしやすいだろう、という判断もあったのだが、一番の理由は戦列艦を回す余裕がないからだ。なぜか。それは並行してとある作戦が準備されていたからだ。その名を斬首作戦という。


「なあ、いつまで船に乗るんだ?」


「俺たちが船に乗るなんていつものことだろ」


「いや、港に停泊した状態で待たされることはないだろ?」


 ひとりの兵士が不平を口にする。彼は志摩兵団に所属しており、上陸作戦のために船に乗ることもしばしばだ。しかし、これまでは乗ってすぐ出港だったため、待機させられる現状に不満の声を上げた。同僚は諌めたが、彼も不思議に思っている。


 なぜこんなことになっているかといえば、襲撃隊の奇襲が成功するかどうかで作戦の発動か中止かが決まるからだ。成功の知らせがあれば即出港。数日待ってなければ中止となっている。兵士たちを乗船させているのは、少しでも早く動くためだ。村上水軍が態勢を立て直すまでの一時的な制海権を使っての作戦発動であり、時期を逸すれば大変なことになる。とにかく時間との勝負だ。


「あっ、狼煙です!」


 狼煙が一本上がっている。それは作戦成功の合図だった。これを以って、志摩兵団と北畠海軍には出撃が下令された。


 そして時間は飛んで上陸日。志摩兵団の本隊は杉原保(広島県福山市)に上陸を敢行する。防御施設や敵はおらず、上陸はスムーズに行われた。


 部隊の目的は神辺城を占拠すること。これで猿掛城で粘る小早川軍を包囲できる上、毛利輝元が率いる予備部隊との連絡を断つことができる。


「後続の紀伊兵団が来る前に終わらせるぞ」


 兵士たちに発破をかけたが神辺城の守りは想像以上に薄く、さほど時間もかからず占領できた。


「速度が命だ。急げ!」


 占領後、物資の本格的な揚陸が始まる。知らせを受け、村上水軍が出てくるまでに終わらせなければならない。身分の貴賤に関係なく、作業は総出で行われた。その結果、積み込んできた物資すべて(三ヶ月分)の揚陸に成功。そして順次、周辺を制圧する。


 鞆から北上を続けていた別働隊も同じように動いていたが、彼らは思わぬ敵と出会す。それは一乗山城の渡辺元が率いる部隊だ。ここには意外なゲストが含まれていた。


「むっ。北畠! 蹴散らせ! あの者どもを討ち果たすのじゃ!」


「敵だ。撃て!」


 敵地だからと油断していなかった別働隊。敵がいるとはいえ、味方の勢力圏だからと警戒が疎かになっていた渡辺隊。出会った瞬間、どちらが有利かは考えるまでもなかった。


 別働隊が鉄砲を撃ちかける。突っ立っていた渡辺隊の兵士はバタバタと倒れた。


「公方様(足利義昭)。ここは危のうございます。お下がりください」


 そう。ここには義昭がいた。敵が来たと聞いて、小癪な追い払ってやる、と威勢よく出てきたのである。


「うむ。そうだな」


 だが、実際に戦地に立つとさっきまでの威勢はどこへやら。すっかり萎縮してしまう。ヒュンヒュン、と銃弾が近くを掠める音を聞き、義昭は馬から転げ落ちそうになった。銃弾が当たればただでは済まないことを知っている。命を奪うかもしれないものの存在を感じ、彼の心は恐怖に支配された。元の進言に従って後退する。


「公方だと?」


 しかし、別働隊は確かに「公方」という言葉を聞いた。敵を見れば、敵兵に庇われている男たちがいる。彼らは状況を理解し、


「「「逃がすな!」」」


 異口同音にそんな指示が飛ぶ。指揮官という指揮官がほぼ同時に同じ命令を下した。擲弾筒の射撃を受けて渡辺隊の前線は瞬時にして崩壊する。そこから北畠軍の兵士が雪崩れ込んだ。


「……なあ、一発くらいいいよな?」


「殺さなければ?」


 志摩兵団には一部、元雑賀衆がいた。狙撃の上手い奴らである。竜舌号を渡されるような化け物ではないが、かなりの射撃精度を誇っていた。そのうちのひとりが義昭を見て撃っていいかと仲間に訊ねる。仲間は殺さなければいいんじゃね? と雑に返した。


「なら遠慮なく」


 パーン、と軽い調子で引き金を引く。狙いは足だったのだが、逸れて馬に当たる。ヒヒーン、と棹立ちになる馬。義昭は振り落とされた。


「ひいっ!」


 文句を言っていたが、好機と見てさらに攻勢を強めた北畠軍は義昭に肉薄する。その迫力に萎縮し、義昭はおろおろするばかり。戦場に出ることはほとんどなく、ましてや自分に対して明確に殺意が向けられたことなどなかった。


 放置してはおけないので、渡辺隊は被害が出ることを覚悟して義昭の周囲を固める。だが、足を止めたせいで別働隊に囲まれた挙句、フルボッコにされた。義昭はお縄となる。将軍とは思えない扱いだ。


 義昭は神辺城の一室に放り込まれた。食事はきちんと出されるが、あれが欲しいなどという我が儘は一切受け付けない。


「公方様が!?」


 慌てたのは毛利側だった。鞆や神辺に上陸された挙句、義昭が捕らえられるなんて思いもしなかったからだ。吉川、小早川は動けないために輝元が対処することになる。しかし、既にあちこちへ兵を出していたため元から少なかった兵はさらに少なくなっており、北畠軍は奪回を目指す毛利軍本隊を容易に跳ね返した。補給が望めないことから反攻は行わなかったが。


 同時に山陰でも大きな動きがあった。鳥取城に留まっていた北畠本隊が進軍を開始。八橋、米子と電撃的に陥落させ、月山富田を囲んでいた毛利軍を蹴散らす。これで同地との補給線が繋がり、吉川軍が行動できる範囲が一気に狭まる。


「締め上げよ!」


 具房は吉川軍へ猛攻撃を行う。陣地には絶え間なく砲弾が降り注ぎ、銃弾が飛び込んでくる。気を抜けば一瞬にして竜舌号の餌食となった。これが兵士たちを恐怖のどん底に陥れる。


「死にたくない、死にたくない、死にたくない……」


「うわっ、殺される! 殺される〜っ!」


 いつ殺されるかわからない。それが猛烈なプレッシャーとなり、耐えかねた兵士がPTSDを発症した。数としてはわずかだが、軍全体の士気は大いに下がった。「死ぬ」「殺される」というワードが、その危険があることを強調したためだ。マイナスな言葉を聞き続けていると、空気も悪くなる。


 さらに拠点がなくなったため補給が受けられず食糧が尽きた。狩りなどで凌ぐことにしたが、万単位の人間の胃袋を満たすことはできない。栄養不足により、吉川軍の兵士たちはすっかり痩せこけてしまった。ガダルカナル島のような惨状である。


 骨と皮だけになった吉川軍の兵士は動くことすらも億劫になっていた。昼も夜も、ほとんどの兵士は座ってなるべく動かない。砲弾が落ちようが銃撃されようがお構いなしだ。


(これは……)


 この世の地獄である。元春は自軍の惨状に戦慄した。厳しい場面には今までにも幾度となく直面したが、こんな経験はない。この窮地をどう脱するか、ひたすら考えを巡らす。


 そこに足を踏み入れる者がいた。


「何者だ?」


 辛うじて歩く元気が残っている兵士が誰何する。体格がしっかりしており、足取りも軽やか。ゾンビみたいにとぼとぼと歩く人間が多いので、敵だとすぐにわかった。


「毛利少輔十郎(元秋)だ。兄上にお会いしたい」


「し、失礼しました」


 毛利一族を名乗ったので焦る兵士。なぜそんな人間がここに現れたのだろう? と不思議に思いながらも元秋を通した。兵士も歩哨には立てても歩く元気がない。


「兄者」


「少輔十郎? 無事だったのか!」


 元春は元秋を見て喜んだが、すぐに訝しげな表情になる。彼の格好がえらく整っているからだ。とても落ち武者には見えない。


「……何をしにきた?」


「北畠左府(具房)の使者として参りました」


「っ! 裏切ったのか!?」


「違います。捕らえられ、兄者への使者となることを条件に解放されたのです」


 元秋は慌てて自分に起きたことを話した。カッとなった元春だったが、それを聞いて落ち着く。


「疑ってすまなかった」


「気にしていません」


 仕方ないよね、と元秋。使者となる時点で誤解されることは覚悟していた。想定内である。


「それで、北畠は何と言ってきた?」


「兵糧を提供する、と」


「……は?」


 元春はわけがわからなかった。飢えさせたのは北畠である。にもかかわらず、兵糧を提供するとはどういうことなのか。元春はそこを質した。


「何でも、飢え殺しにするのはしのびないとのことです」


「???」


 ますます困惑する元春。飢えさせておきながら、それで殺すのは嫌だという思考がわからない。なら最初からするな、という話である。そう思っているから、元春はこの発言を真に受けなかった。


(絶対に裏があるはずだ)


 その推測は正解である。具房は裏で輝元と交渉を行っていた。元春と隆景の命が惜しければ降伏しろ、というのだ。まるでテロリストのような交渉である。もちろん決裂すれば情け容赦なくぶん殴る予定だ。


 斬首作戦は交渉を有利に運ぶべく行われた。つまり輝元に対して降伏を迫るにあたって義昭、元春、隆景の生殺与奪の権を握り、圧力をかけるのだ。対織田・北畠の旗頭である義昭に加えて叔父である元春、隆景の命がかかっているとなれば折れるはずだと。


 しばし考え、元春も同じようなことを考えた。


(これはいかん!)


 自分たちの存在が輝元の判断を誤らせることになってはならない。元春は書状を認め、元秋に託した。隙を見て輝元に出してくれ、ということだった。


「わかりました」


 と言いつつ、元秋は北畠軍の陣地に帰ると具房に書状を渡した。届けてくれ、というのである。元春が輝元に書状を発するだろうから、それについては何もせず送ると事前に約束していたのだ。ついでにその使者は秋元自身が務めることになった。それなら心配ないだろう、とのことだ。


(まあ、手紙ひとつでどうにかなるものでもないしな)


 元春たちを人質にとって降伏を迫ることくらいは容易に想像されるだろう。逆に具房は彼らがそれをよしとせず、諌める書状が送られることを想定していた。しかし、それによって輝元が翻意するかといえば、常識的に考えてない。もし拒めば待っているのは徹底的な蹂躙である。主力軍が消滅するのだ。侵攻してくる北畠軍を止めるものは何もない。つまり、毛利家に迫られているのは降伏か継戦かではなく、生きるか死ぬかという選択なのだ。


「……致し方ない」


 北畠家からの降伏条件は周防、長門二ヶ国のみという非常に厳しい条件だったが、叔父たちの命には代えられない、と輝元はこの条件を呑むことにした。


 かくして思いがけず始まった毛利家との戦いは、毛利側の全面降伏という形で幕を閉じるのだった。







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― 新着の感想 ―
[一言] 北畠と毛利の戦、終わったか。 勝者は北畠、分かってたけどね(笑) さて次は・・・。
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