結婚
残念っ! 一万PV届かず……。次こそは!
ですが、その代わりにブクマが1000件を超えました。ありがとうございます。これからも頑張って書いていきます!
【お詫び】前回の投稿時
具房の官位を誤って『侍従』としていましたが、上洛時に『左近衛少将』になっていました。すみません。
また、会話文に英語が混ざっていました。多くの皆様に誤りを指摘していただきました。ありがとうございます。たまにこんなポカをやるので、『ここがおかしい』と思ったら通報していただけると嬉しいです。
ーーーーーー
永禄三年(1560年)六月。尾張に侵攻してきた駿河、遠江、三河の大々名、今川義元を桶狭間にて撃破した信長は返す刀で尾張国内の今川方の城を攻略していた。沓掛城をはじめ、城を次々と落城させている。残る抵抗拠点は岡部元信が籠もる鳴海城だけだ。しかし元信は頑強に抵抗し、なかなか落とせずにいた。
「頑張るな……」
岡部元信が粘っているという話を聞いた具房の感想がこれである。彼は津城でのんびりと日々を過ごしながら、半蔵からもたらされる報告に耳を傾けていた。
「太郎様。お疲れですか?」
「ああ。疲れた」
側にいた葵が膝をポンポンと叩く。具房は厚意に甘えて寝転がり、膝枕された。落ち着く上に癒される。この時代の枕は硬い。そのため現代よりも太ももの柔らかさは具房の心を癒した。
このようにちょくちょく甘え、甘えられとバカップルしている二人だが、やるべき仕事はちゃんとしている。そのため、誰も何も言えなかった。
二人はイチャイチャしつつ、他愛もない話をするのが好きだった。今話しているのは清洲での話。主に信長の家族や家臣についてだ。彼は子沢山だが、変な子供の名前(奇妙丸、茶筅丸など)をつけていること、親族には美男美女が多いことなど、思いつくままに話した。しかし、葵はむくれてしまう。受けが悪いばかりか、機嫌までも悪い。
「どうした?」
恐る恐る、具房は訊ねる。するとぷいとそっぽを向きつつ答えた。
「よかったですね。たくさんの子どもに囲まれ、美しい女子にちやほやされて」
どうせわたしは貧しい村の娘ですよー、とふてくされる。どうやら妬いているようだ。具房は子どもなら集英館の子たちの面倒を見ているだろ、なんて地雷を踏むようなことはしない。的外れな回答だとわかっているからだ。
葵はよく己の理想を語っていた。夫とたくさんの子どもに囲まれて暮らしたい、と。ここでいう『子ども』は無論、葵の実子である。具房の側室となった時点で夫がひとりの妻(葵)を愛す、という理想は諦めたものの、子どもについてはまだ希望を持っていた。
ところがである。側室となってから行為に及ぶことは何度もあった。しかし、妊娠の兆候は未だにない。葵も稀にそういう"できない"体質の女性がいるのは知っている。なので、まさか自分が!? と焦っていた。もちろん、その可能性がないわけではない。だが、考えられる最大の要因は具房にあった。
具房は幼少期からともに育った葵を愛している。この先も人生を一緒に歩んでいきたい。だからこそ、具房は葵が妊娠しないよう立ち回っていた。葵は十四歳。妊娠・出産にはまだ早いからだ。
そこで具房は昔読んだ明の書物にあった、と適当な理由をでっち上げて感覚ながら彼女の体温を計測。排卵日を割り出し、それとタイミングが合わないように同衾していた。少なくともあと一年ーー葵が十五歳になるまではこれを続けるつもりである。
(すまない……)
それまで葵には辛い思いをさせることになるが、背に腹は代えられない。十五ですら具房にいわせれば早い(理想は十八歳以降)のだが、二十歳で年増扱いされてしまう世の中だ。引き伸ばすのもこれが限界である。若さゆえに周期が安定せず妊娠することもあるかもしれないが、ベストは尽くすつもりだ。
幸い、葵は子どもを授かっていない。だがそのことが彼女を不安にさせ、時折、このような嫉妬の感情を向けられることがあった。具房はこれを問題視することはなく、正面から受け止める。
「そんなことはないぞ。尾張守の妹(お市)にはなぜか睨まれたしな」
具房とお市に接点はなかった。信長の家族紹介で初めて会っただけだ。なのに睨まれた。具房は身に覚えがないためよくわからない。だが、なぜ睨まれたのかなど今はどうでもいい。伝えるべきは、美女にちやほやされたわけではない、ということだ。
「……本当ですか?」
葵が具房の顔を覗き込む。嘘を言ってないでしょうね? と詰問されているのだ。具房にやましいことはないので、そのままじっと見つめ返す。互いに無言。このままではどちらかが笑うまで終わらない睨めっこだ。それは面白くない。ということで、
「本当だ」
「ん」
手で葵の顔を下げ口づける。それは一瞬。だが、すぐ葵の方から口づけされる。二度、三度。回数を重ねるごとに深く。身体が燃え滾るのを自覚する具房。それは葵も同じらしかった。
「まだお昼です」
と非難がましく言う。だがその言葉とは裏腹に、彼女の息は荒く、目は潤んでいた。一体どの口が言うのやら。そのまま少し休憩(意味深)といきそうな雰囲気だったが、そうは問屋が卸さない。
「若様。大殿がお呼びです」
障子の向こうからそんな無情な声がした。
「「……」」
(どうする?)
(仕方ありません)
とアイコンタクトを交わす二人。結論は諦めるだった。偉い人の言うことには逆らえないのである。
(恨むぞ……)
十代男子のエロスを舐めてはいけないのだ。父への恨み言を口にしつつ具房は霧山御所へと向かった。ひと言文句を言ってやる、と意気込んで臨んだ対面。しかし、ここで具房は先制パンチを食らう。
「婚姻相手が来るぞ」
「は?」
いきなりすぎてわけがわからない。そりゃそうだ。本人の知らぬ間に結婚が決まっていたのだから。具房はつい間抜けな声を上げた。しかし、そんな息子(具房)の姿を尻目に、具教はニヤニヤと笑っている。困惑する姿が面白いようだ。
そんな父親の姿を見ていると、なんだか狼狽えているのがバカバカしくなった。元々、婚姻の自由などない身分なのだ。おろおろするのを止め、具房は当然の質問をする。相手は誰なのか? と。だが、その質問をした瞬間に具教の笑みが深まった。そしてその口から驚くべき名前が飛び出す。
「尾張守の妹君、市姫じゃ」
「……」
具房は思った。来ちゃダメだろ、と。彼女の来訪は、色々と不味かった。
ーーーーーー
「どういうことですか、兄上!?」
清洲城にお市の怒声が響く。彼女が怒っているのは、いつの間にか自分の嫁ぎ先が決まっていたからだ。別に不満はない。女として生まれた以上、そういう運命にあることはわかっていた。姉たちが嫁いで行ったのをこの目で見ている。
問題は、兄(信長)が自分に相談もせずに決めたことだ。裳着を済ませたとき、必然的に婚姻の話になった。そのときお市は言った。心の準備などもあるから、縁談については事前に話しておいてくれ、と。そしてそれは信長も了承した。なのにこれである。怒って当然といえた。
怒り心頭のお市に対して、信長はなだめにかかった。
「落ち着け。話をしなかったのは済まぬ。これには事情があったのだ」
「……どのような?」
「そなたの旦那には驚かされる一方ゆえ、少し仕返しをしてやろうと思うてな」
そう言う信長の顔は三十路になる男のものとは思えない悪戯小僧のようだった。お市は子どもっぽい理由に呆れる。
「別に秘密にしなくてもいいではありませんか」
「いや、かの御仁は耳がいい。用心せねばなるまいて」
信長は理由あってのことだ、と主張した。過ぎたことなので、お市もそれ以上は言わない。嫁入りを告げられたということは、話は先方とほぼまとまっているということになる。つまり、今さら破談にはできないのだ。
「ところで、兄上は先ほどから『旦那』とか『御仁』と名を避けていますが、誰なんですか、私の婚姻相手は?」
その質問に、信長はどこか得意気に答えた。
「羽林殿じゃ」
と。
その後、お市は嫁入りのために清洲を発った。滝川一益が責任者となり、五千人の行列が伊勢路を進む。輿に乗ったお市がその中心にいた。道中、輿に揺られつつ羽林ーー北畠具房について考える。
具房とは面識がある。それはつい先日、信長が桶狭間で大勝したときに次期当主でありながら、自ら清洲を訪ねて祝いを述べたのだ。信長は歓待し、家族を紹介した。そのとき少しだけ会っている。
飄々としている。
それがお市の具房に対する評価だ。信長に桶狭間の結果を予見した戦略眼、真珠や絹といった贈り物を用意した手腕を褒められても、そんなことはないと謙遜する。その一方で、信長たちの業績や容姿を褒めていく。お市は『日本一の器量よし』と言われた。それ自体は嬉しいが、何を言われてものらりくらりと受け流す姿はあまり好感を持てなかったのだ。
縁談の話を聞かされたのが対面の直前だったため、つい具房を睨んでしまった。彼が機嫌を損ねた様子はなかったが、間違いなく気づかれている。なぜわかるかといえば、兄弟のなかで一番丁寧に接してきたからだ。あれは自分の機嫌を損ねないためにしていた。そんな相手が縁談の相手になるのだ。あまりいい感情を向けられはしないかもしれない。
(だけど、『日本一の器量よし』なら……)
悪い感情も忘れるかもしれなかった。あのときの言葉は本当なのか試してやろう、と意気込むお市。そうこうしているうちに目的地である霧山御所に着いた。いよいよ婚姻の儀式が始まる。お市は覚悟を決めて輿を降りた。
ーーーーーー
婚姻はあれよあれよという間に終わった。お市は翌日に到着ということで、具房は霧山御所に宿泊して婚礼に備えた。
夕方に白装束へと着替える。夜にはお市を乗せた行列(約五千人)が到着。北畠家側は篝火を焚いて迎えた。花嫁が化粧を済ませたタイミングで対面し、侍女を交えて式三献ーー三三九度が行われた。その後、夫婦は寝所へと入る。(←今ここ)
「「……」」
重苦しい沈黙が場を支配していた。具房とお市は二人きり。しかも両者は夫婦となる。ならばいかがわしい雰囲気になってもおかしくないが、そんな空気は一切ない。むしろ、戦場で好敵手同士がバッタリ出くわしたような緊張感があった。
(睨まれてたぞ……)
式の間、目が合うと必ず具房を睨んでいた。清洲で会ったときと同じように。また、所作も式を乱さない最低限のラインであり、不機嫌さを感じさせるものだった。
長い艶やかな黒髪。指は白く細い。小顔でパーツも整っている。背は年齢(十三歳)ゆえに低いが、それでも文句なしの美少女である。不機嫌なのでとても怖いのだが。
しかし、このまま互いに黙ったままでいるわけにはいかない。具房は意を決して口を開いた。
「お市。これからよろしく頼む」
「……」
頭を下げた具房だったが、返ってきたのは沈黙だった。少しずつ顔を上げ、お市の顔色を窺う。
無。
今のお市を表すのはその一文字で事足りた。恐ろしいまでの無表情である。とても十三歳ーー現代であれば姦しい女子中学生ーーとは思えない。具房はどうしていいかわからず、ただ戸惑うばかり。再び静寂が訪れる。
「……はぁ」
それを破ったのはお市の深い深いため息だった。諦念が滲み出ている。とても十三歳が出すものではない。
お市は不意に布団の上に倒れた。黒髪がフワッと広がる。そして具房はこの日初めて彼女の声を聞くことになった。
「どうぞ、お好きなように」
自分の身体を好きにしろ、と言う。言葉にはなっていないが、身体は好きにできても、心は好きにできないわよ! というくっ殺女騎士を想起する台詞である。お市のような美少女が言うと、男を否応なしに興奮させた。年齢がもたらす背徳感もスパイスになっている。
誘われている。夫婦となるのだから当然といえるが、具房は動かなかった。そんな彼にお市の視線が刺さる。彼女は何も言わない。しかし、言外に意気地なし、と非難されているような気がした。
「女に恥をかかせないでよ!」
いや、言葉にして非難される。据え膳食わぬは男の恥とはよくいったものだ。だが、具房は動かない。何もしない、と表明するように首を横に振った。
「このまま寝よう」
そう言うと、具房は自分用の布団に入ってしまう。お市のお誘いは完全に無視された。もちろん、ここで引いては女が廃るというもの。彼女は具房の布団を剝いだ。
「いいから抱きなさいよ!」
「嫌だね!」
ドッタンバッタン、初夜にして夫婦喧嘩をする二人。女が抱けと迫り、男が断固拒絶するという構図は珍しい。具房は枯れたわけではない。葵とは熱い夜を何度も過ごしている。また、恋仲でなければ嫌だというわけでもない。政略結婚による愛のない関係というのも覚悟していた。
では、なぜ具房はここまで頑なに拒否するのか。それは感情的なものだ。いくら愛のない関係とはいえ、ここまで投げやりにされるとさすがに苛立つ。お市を抱かないのは、一種の意趣返しであった。
結局、この日の夫婦喧嘩は決着がつかずに翌朝を迎える。結婚式二日目だ。親族へのお披露目は三日目なので、この日も二人で過ごすことになる。もちろん、両者の間にはギスギスした雰囲気が流れており、身の回りの世話をする侍女たちは針の筵に座らされているような気分だった。
だが、いくら夫婦仲がギスギスしていても、そんなことは知らんとばかりに時間は過ぎていく。かくして二度目の夜が訪れる。それは夫婦喧嘩が再開する合図であった。
「今日こそは抱いてもらうわよ!」
「今日も寝るぞ!」
寝所に入った途端にこの調子である。昨日と同じような展開。このままずるずると言い争いが続くのかと思われたが、今日は違った。お市が泣いたのである。嗚咽が具房の耳に届く。これを放置するほど鬼ではない。身体を起こし、お市と向き合う。
「どうした?」
「何でも、ありません」
「……」
具房は無理に聞き出そうとはしなかった。代わりに抱きしめる。お市は抵抗したが、アスリート並みに鍛錬を続けている具房に敵うはずがなく、振り解くことはできなかった。彼女が泣き止むまで抱き締める。その間、お市はぽつぽつと己の気持ちを話す。
兄が急に決めた縁談で、気持ちの整理がまったくできていないこと。
誘っても具房が乗ってこないので、自分には女としての魅力はない(自信をなくした)こと。
清洲で会ったとき、『日本一の器量よし』と言われて嬉しかった。しかし抱かないということは、あれは嘘だったということーーなどなど。
大半が具房のせいであった。お市の言葉が具房にダメージを与えていく。ただただ申し訳ない。具房はそれらに丁寧に答えていく。
曰く、具房も縁談のことを急に教えられて困惑していたこと。
曰く、女の子の純潔は大切なものだから、昨日のように投げやりな態度でやれと言われても困ること。
曰く、清洲のときに言った言葉は本心である。お市のような美少女がお嫁さんになってくれるのは嬉しい。手を出さなかったのはさっきと同じ理由だということ。
この語らいで、両者の間にあった誤解は解けた。要は急な結婚で互いに困惑して冷静さを欠き、意固地になっていただけなのだ。
「誰が悪いかといえば、父(具教)と義兄(信長)が悪い」
「そうね」
責任を他人に押しつけ、二人は笑いあう。一部始終を見ていた人間からすれば、本当に同一人物なのか疑いたくなるほど仲よくなっていた。外で控えている侍女は目を丸くしている。だが、そんなことは二人が知る由もない。
こうして蟠りも解けた段階で、お市は改めて希う。
「夫婦になりましょう」
昨日と同じように布団に倒れ込む。違うのは、具房がそれに乗ってきたことだ。
「ああ」
その夜、二人はひとつになった。
ーーーーーー
翌朝。具房とお市は同じ布団で目を覚ました。起きた後は気恥ずかしくて相手をまともに見られない。
(戦国一の美女と結婚しちゃったよ。どうしよう!?)
と嬉しさ半分、混乱半分な具房。
(凄かったわ……)
と半ばトリップしているお市。
起きてしばらくはぎこちなかった。しかし、今日はゆっくりしていられない。なぜなら、結婚してから三日目ーーお市は色直しをして、親族と対面することになるからだ。
侍女が入ってきて男は出ていくよう迫る。具房は了承しつつ、お市にこれだけは言っておかなければならないと少しの間その場に残った。
「色々言われるかもしれないが、わたしに言ってくれれば何とかしよう」
と。そして、具房の危惧は的中した。親族との対面では、北畠家の主だった面子が揃っていた。具房の父母は勿論のこと、祖父母や兄弟、分家の当主などもいた。具教を筆頭に祝いの言葉をかけてくれる。具房とお市はそれに答えていった。
問題を起こしたのは分家である木造家の当主、木造具政(具房の伯父)であった。
「ふん。成り上がり者の一族が……」
そんな彼の声は決して大きなものではなかったが、二人の耳にはっきり聞こえた。お市の身体が強張る。しかし、目敏く気づいた具房が身体を寄せ、大丈夫だと無言のメッセージを送った。お市は大丈夫、と微笑む。具房は笑い返しつつ、あいつ(具政)はいつか絶対泣かせてやる、と誓った。
居心地が悪いところにいる必要はない、と具房は婚姻が終わるやお市を連れて津城へと舞い戻る。だが、そこも決して居心地がいいわけではなかった。具房はすっかり忘れていたが、そこには葵がいるのである。当然、修羅場になった。
「正室のお市だ」
「よろしくね」
具房は軽い調子で紹介し、お市も簡単に挨拶した。
「よろしくお願いします、奥方様」
葵も表面上はさらっと受け流す。だが、その夜に具房を訊問した。
「どういうことですか!? 急に城を出て行ったと思ったらーー」
「待て待て! これには事情が……」
かくかくしかじかと事情説明。お市との結婚は寝耳に水であって、隠していたわけではないのだと、具房は主張した。
葵もいずれ具房が正室を迎えることになることは百も承知だった。しかし、今回はあまりにも急なので動揺してしまったのである。結局、これもまた具教と信長が悪いということで決着した。
だが、彼女はそれで満足しない。
「償いをしてください」
と要求するくらいには強かだ。具房は仕方がないな、と言いつつ葵の要望通り、先日の埋め合わせをするのだった。
【解説】お市の性格について
信長の妹であり、戦国時代で一番の美人と名高いお市の方。そんな彼女はこうした創作の場合、おしとやかな女性として描かれることが多いように思います。しかし、あの信長の妹ですよ? 大人しいわけがないじゃないですか(偏見)。ということで、私の作品ではお市にやんちゃな子になってもらいました。北畠具房を主人公にしたのに並ぶ挑戦です。