勝つことが正義
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月山富田城の陥落は当然ながら、各方面に大きな影響を与えた。まず吉川軍。
「謀られた!」
報告を受けた元春は絶叫した。まんまと釣り出され、囲まれてしまっている。中国山地を抜けて離脱するという手もなくはないが、すぐ南は宇喜多氏の勢力が強い備中だ。無事ではいられない。
(それに、我らが退けば羽衣石は落ち、八橋や米子は粉砕され、月山富田と繋がってしまう……)
大きな戦線後退であり、備中で何とか支えている小早川軍の側面が脅威に曝されることとなる。こうなれば全滅のリスクを承知で居座るしかない。
「我らは動かんぞ」
元春は腹を決めた。
一方、山陽の小早川隆景もまた知らせを聞いて愕然とした。
「志摩兵団は四国にいるのになぜ月山富田が落ちる!?」
隆景は北畠軍と戦う上で、彼らが多用する強襲上陸を警戒していた。なぜ村上水軍を瀬戸内海に張りつけているかといえば、四国からの強襲上陸を恐れたためだ。隆景は強襲上陸を行う志摩兵団が四国にいることも、予備役が召集されていないことも掴んでいる。ゆえに月山富田城の陥落はまったく予期していなかった。
「とにかく情報を集めよ!」
何がどうなったのかわからなければ対応のしようがない。隆景は情報収集に努めた。その結果、月山富田の陥落は強襲上陸ではないことが判明する。
「尼子の残党が決起した……一掃したはずだったのに!」
悔しがる隆景。だが、まだ挽回は可能だと考えていた。月山富田は飛び地であり、北畠側は海路で補給を行なっているという。ならば海上封鎖をして、敵の補給を断つ。
「村上水軍の一部を山陰に回すぞ」
隆景の号令で、瀬戸内海に展開していた水軍の一部が山陰へと向かった。彼らは期待通り、月山富田城への補給路を断つことに成功した。しかし、籠もる兵士の数は少ない上に、越後屋がたんまりと溜め込んでいた兵糧がある。補給が絶たれたところで、月山富田にはさしたるダメージにはならなかった。
また、毛利輝元も動く。自軍の半数を月山富田城の奪回に向かわせたのだ。この方面が手薄になるが、北畠軍に好き勝手動き回られる方が厄介である。一万余の軍勢が山陰に急行し、月山富田城を取り囲む。
「これは落とせるのではないか?」
右田元政(毛利元就の七男)はわずかな兵しかいない月山富田城を見て、力押しで落とせるのではと考えた。そこで試しに総攻撃を命じてみる。だが、これがなかなかの難物であった。
「固い……」
北畠軍は頑強に抵抗した。元政はただの寄せ集めの兵士だと思っていたが、簡単ながらもきっちり訓練を受けた兵士だ。今、攻めている毛利軍よりも質はいい。簡単に崩れるはずもなかった。
結局、毛利軍は囲んで干上がるのを待つことにする。それは月山富田城と吉川軍、どちらが先に限界を迎えるかというチキンレースであった。しかし、準備を整えていた前者とまったく予期していなかった後者。どちらがより耐えられるかは明らかである。もっとも具房はそんな生温い手を使うつもりはなかったが。
だが、まず動き出したのは瀬戸内海だった。村上水軍が一部、山陰に回ったことで警備が緩んだ。そこで志摩兵団が動き出す。
伊賀兵団が山のスペシャリストだとすれば、志摩兵団は海のスペシャリスト。全員が幼い頃から海と親しんでいる彼らは、兵団で更なる訓練を積んで化け物クラスの身体能力を獲得している。
「海上に敵船なし」
「よし、行くぞ」
団員の小集団が泳いで海を渡っていた。ここは海流が速いものの、彼らは上手く渡り切る。この辺りは小島が多く、移動距離がそれほど長くないことも幸いした。緩んだ警戒網の隙を突いて目的地へ向かう。目指す先は因島、向島である(来島村上氏は既に服属しているので除外)。
夕暮れ時に海に入り、島影を頼りに進む。基本的に一日に島をひとつ移動する。昼間は茂みなどに潜んでいた。食事は初期こそ、おにぎりなどがあった。しかし、日が経つと保存の関係から羊羹のような嵩張らず、カロリーが高いものに限られている。それを服で口元を隠し、なるべく咀嚼音を立てないよう口にした。
「ここから先、敵の警戒網に入る。その前に今一度、情報と作戦をすり合わせるぞ」
部隊は来島通総ら来島村上氏から聴取した他の海賊衆の情報を頭に入れており、そろそろ敵の警戒が厳しくなると知っていた。その確認と、目的の統一を図る。
今回、彼らに与えられたミッションは敵勢力圏に潜入しての破壊工作だ。具体的には停泊している船舶(なるべく大型のもの)に爆弾を仕掛け、敵船を撃破する。村上水軍は焙烙火矢を用いるため、それらを納めた弾薬庫のような場所に設置することが望ましい。
「各員、壺(爆弾の隠語)は四つ。隠密が基本だが、発見された場合は速やかにこれを無力化せよ。念のために言うが、原則として火器の使用は禁じる」
火薬の音は目立つ上、急所を狙いにくい(正確に攻撃できず呻き声などを上げられる可能性が高い)ため、秘密作戦ではなるべく使わない、という方針だ。口に手を当てて黙らせ、喉元を短刀でグサリ。それが基本である。
「以上。疑問や質問は?」
「「「……」」」
「よし。なければこれにて解散」
その後、隊員たちは二手に分かれる。能島と向島に行くためだ。襲撃のタイミングは同時にしなければならない。決行は五日後と打ち合わせてあった。襲撃隊はそれぞれ伯方島と岩子島に潜伏し、時期を待つ。そして日没のタイミングで両隊は動き始めた。
ちゃぷ、ちゃぷと波打ち際に音が立つ。だが、耳を澄ませばそうした潮騒のなかにジャブジャブという異音が交じっていることに気づく。それこそ、襲撃隊が接近する合図だ。彼らは島に打ち寄せる波に乗って、流木が打ち上げられるような自然さで上陸を果たす。
「……敵影、なし」
「よし。森に入って着替えた後、目標に向かう」
海を渡るときは褌一丁だったが、そんな姿では怪しまれる。一旦、姿を隠して着替えを行った。全員が一斉にではなく、交代で警戒しながらの着替えである。然る後、目標に向けて進み始めた。
「さすがに歩哨がいるな」
大量の船が停泊していたが、当然ながらそれなりの警備が行われている。ただ、味方の勢力圏ということもあってか油断も見受けられた。
「あそこの暗がりから行こう」
暗く、歩哨の目が届かないところを見つけ、素早く船に乗り移る襲撃隊員。乗り移った船にいた人間は先述の方法で排除していった。そうして安全を確保したところで、爆弾の導火線に火をつける。およそ三十分後に爆発するよう設計されていた。
「各自散開」
導火線に火がついたことを確認すると、二人一組になって行動する。ひとりは爆弾を運び、もうひとりが戦闘するという役割分担のためだ。
「なるべく同じ型の船がいいな」
「形がわかってるからな」
そんなことを言いながら獲物を見繕う。まあ適当でいいのだが、最初に踏み込んだ船はすべてを制圧したため形がわかっている。弾薬庫をいちいち探さなくていいのが嬉しい。
「これだな」
同じ型の船を見つけ、そこに忍び込む。ただ、北畠軍のようにどこを何に使う、と決まっているわけがないので外れも多かった。そういう場合は船底や可燃物が多い場所に設置することになっている。三十分しか猶予がないため、主に後者の方法がとられた。
「油を撒くぞ。置き土産だ」
作戦計画にはなかったが、襲撃隊はより大きな戦果を挙げるために工夫を凝らしていた。そのひとつとして油を撒くというものがある。逃げるときに火を放てば火事が起き、追撃が鈍ると考えたのだ。
「ん?」
ジャバジャバと油を撒いていると、陸が騒がしいことに気づく。敵が侵入を察知したようだ。死体を発見したか、敵を逃した間抜けがいたのだろう。変化に気づいた者から襲撃隊は撤退を開始する。
襲撃隊が集まったのは最初に踏み込んだ船だった。潜入したときのように密かに脱出はできないので、堂々と逃げ出すことにした。能島を襲撃した部隊は四国へ、向島を襲撃した部隊は中国へ向かうことになっている。
「出帆!」
帆を上げ、漕ぎ出す船。味方の勢力圏まで逃げれば勝ちという鬼ごっこである。
「逃がすな! 追え!」
「舐めた真似しやがって!」
「皆殺しだ!」
ネズミが紛れ込んでいたということで、村上水軍の人間は怒り心頭だった。仲間を暗殺同然に殺されたことにも腹を立てている。一斉に船に乗り、追いかけようとした。だが、そのタイミングで仕掛けられていた爆弾が次々と爆発する。
凄まじい衝撃とともに、船体の半ばが吹き飛ぶ。単体ではそれほど威力はないが、辺りの焙烙火矢に引火したため破壊力は何倍にも上がった。あるいは、舷側で爆発したものもあった。焙烙火矢が見当たらないため喫水線付近に仕掛け、撃沈を狙った。狙い通り、破口から海水が入ってその船はやがて沈没する。
また、爆発の後に火災が起きると、襲撃隊の「置き土産」が発動した。油である。あちこちに撒かれた油に火が引火し、船はあっという間に火達磨となった。燃え移るということはあまりなかったが、航路の障害となる。
「避けて追え!」
とは言うが、あちこちで爆発したり大火災が起きていたりするので進みにくい。数が多いためどうしても時間がかかり、追撃の手は遅れた。先頭にいた船はどうにか追いかけることができたが、能島襲撃隊を追跡した船は痛い目を見る。
「おお、味方だ!」
襲撃隊員の闇に慣れた目が捉えたのは、特徴的な構造をした味方のフリゲートだった。襲撃隊の撤退支援に現れたのである。攻撃されてはたまらないので、決められていたように松明を回して合図を送った。通り過ぎる途中、
「首尾はどうか!?」
と訊かれる。隊員たちはタイミングをとることもなく、自然に声を合わせて答えた。
「「「大成功だ!」」」
「よくやった!」
成功を確認すると、味方から喝采が上がる。襲撃隊員たちの胸を誇らしさが満たした。
その後、追撃に現れた村上水軍の船に対してフリゲートから猛烈な砲撃が浴びせられた。使われたのは淡路島でも猛威を振るった焼夷弾である。村上水軍はここでも火によって大きな損害を出すことになった。しかも五月雨式に到着するため、数の多さも活かせない。
「畜生! 撤退だ!」
能島の村上水軍は涙を呑んで撤退した。
他方、向島の村上水軍は北畠海軍に遭遇することはなかった。さすがにそこまで侵入はできないからだ。襲撃隊が操る船は陸に近づく。
「追い詰めたぞ、ネズミめ」
だが、それは誤りだった。襲撃隊は猛スピードで浜へ突進。船ごと乗り上げる。そしてすぐさま船を乗り捨て、近くの森に入っていった。
「くそっ、陸に行きやがった」
「どうします?」
「敵は少ない。追え!」
村上水軍も陸に上がる。しかし、船を乗り捨てるなんてことはしなかったのでタイムロスが生じ、襲撃隊の逃亡を許してしまった。
彼らは無事に味方の勢力圏にたどり着く。この功績を具房が褒め称えたのはいうまでもない。
「よくやった!」
具房は報告を受けるや、隊員ひとりひとりに自ら感謝状を認める。また、しばらく遊んで暮らせるような莫大な恩給も添えた。それらを息子である具長と顕康に託し、それぞれの襲撃隊に渡している。
対して、山陽方面を指揮する小早川隆景は奇襲を受け、村上水軍が少なくない被害を受けたと聞いて唖然とした。
「油断が過ぎるのではないか?」
いくら自分たちの庭だからといっても、警戒が緩すぎないかと隆景。報告した使者は返す言葉がなかった。事実だからだ。
「……まあいい。過ぎたことだ。それよりも、山陰ではそのようなことがないように頼むぞ」
「はっ。これ以上の失態はいたしません!」
そう言って下がる使者。隆景は誰もいなくなった部屋ではあ、と大きなため息を吐いた。この先、憂鬱なイベントが待っているからだ。それは義昭への報告である。文句を言われるに決まっているが、報告しないという選択肢はなかった。
「ーーという次第でして」
「馬鹿者が!」
言い終わるか否かというところでそんな叱責が飛ぶ。義昭は幕府軍が劣勢であることに我慢ならないらしい。内実はともかくとして、一大名に武家の棟梁が敵わないことに納得がいかないのは理解できる。実態を考慮すると当然なのだが。
(敵はまだ半数ほどしか兵を出していないのだから、劣勢ならまだいい方だぞ)
正面から言えないので黙っているが、隆景の本音はそれである。言いたい衝動を理性で抑え込み、義昭の文句を聞いていた。
とはいえ、隆景が帰っても義昭の気は晴れない。ひとり具房を「卑怯者」「武士の風上に置けぬ奴」と罵っている。それを聞いたら具房は、勝てばいいんだよ、と真顔で答えたことだろう。歴史を知る具房からすれば、どんな手を使ってでも最後に勝てばいいんだと本気で思っている。現代人と中世人の価値観の違いが顕著に現れていた。
そんなことをしている義昭に危機が迫っていることを、彼はまだ知らない。