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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第十三章
187/226

山陰の戦い

 



 ーーーーーー




 京を発った具房は途中で味方と合流しつつ、山陰に向かっていた。合流した面子は波多野、赤井、長岡である。どれもこれまで友好的な関係を築いてきた勢力であり、具房は再会を喜ぶ。


「久しいな、幽斎殿」


「お久しぶりです」


 実はこの二人、これが久方ぶりの再会である。信長の死後、具房はあちこち忙しなく動き回っていたためになかなか会う機会がなかったのだ。


 幽斎はまず、忠興の妻について謝辞を述べた。


「あれはどうも明智の娘を気に入っているようで……」


「妻を愛しむのはいい心がけだと思いますよ?」


 妻は自分の子から見れば母である。それを大事にすることは、子を愛しむも同じ。子を大事にするなら妻も大事にせよ、とは具房の口癖のようになっていた。何かと女性は軽視されがちな時代であるから、機会があれば持ち上げなければいけない。


「たしかに」


 幽斎はバリバリの戦国人で、早くから中央で揉まれてきた人間だ。それゆえに権力者の嗜好を知り、迎合することに長けている。内心はどうあれ、反対はしなかった。


 途中、合流した兵士は一万余。都合、五万五千の兵を従えてやってきたのは鳥取城である。ここが拠点だ。戦国時代だけで通算六度落城しており、縁起はあまりよろしくない。しかし、ここが一番拠点として使いやすく、ここ以外には考えられなかった。


「「こ、これは……」」


 到着すると、具房は幽斎らを連れて城の蔵に向かった。何だろう、と一同が頭に疑問符を浮かべる。だが、目に入った光景を前にして、波多野秀治と赤井直正は度肝を抜かれた。


 そこにあったのは山と積まれた物資。北畠軍の軍事行動ではお馴染みの光景だが、何気に初めて組む波多野、赤井勢に見せるために案内した。例によって長島から運ばれてきたものである。長島から大津に陸路で運び、琵琶湖の水運で若狭に輸送。若狭から鳥取までは海運で。日本海航路も若狭以東は北畠家が掌握しているので優先的に船を回した。


 行程の多くが陸路であり、輸送コストは高い。しかし、この時代は現物支給でいいので金で払うより安上がりだ。具房たちからすればブラックだが、この時代としてはホワイトである。なにせ、戦に駆り出される兵士すら武器は無論のこと、食費さえも自弁という世界なのだから。毎日欠かさず十分な量の食事が出る北畠家の仕事がホワイト認定されるのは当然といえた。


「相変わらず、潤沢な物資をお持ちですな。羨ましい」


 慣れた幽斎はそう言って笑う。羨ましいというのも偽らざる本音だ。軍の規模が違うとはいえ、数万の兵士が必要とする食糧や武器弾薬を準備して運んでくるのだ。この時点で普通ではない。今、長岡家が用意した軍に必要な物資を賄うことすら厳しいのだ。その何倍もの規模でそれを行う北畠軍のポテンシャルの高さに恐怖する。


 それは秀治や直正も同じだった。眼前にある莫大な物資にまず度肝を抜かれ、立ち直って冷静に考えるとさらなる恐怖に見舞われる。しかも、これでまだ全力でないのだから笑うしかない。二人も具房には逆らわないようにしよう、と心に誓った。


 さり気ない示威行為が終わった後、山陰軍の諸将は軍議を開く。まず、現在の情勢が確認された。


「伯耆はおおよそ東西で織田、毛利に分かれています。今は羽衣石周辺で争っているところですな」


「山陰の毛利軍は八橋(城)か?」


「左様です」


 伯耆の有力国人である南条元続が状況を説明する。彼は先ほど出てきた羽衣石城の城主だったが、毛利軍の猛攻を受けて落城。今は鳥取城に身を寄せていた。


 元続は元々毛利家に与していたが、尼子家の旧臣である福山茲正の仲介で織田家に寝返った。茲正はその後、毛利家に唆された南条家の重臣・山田重直によって殺害されてしまったが、元続は茲正に感謝している。今回、尼子勝久らがお家再興を目指して従軍しているが、協力は惜しまないつもりだ。


「よし、まずは羽衣石を奪還する。次いで八橋、米子そして……月山富田だ」


 その名前を聞いた瞬間、ビクッと反応した者がいた。尼子勝久である。尼子氏は月山富田城を拠点に大名として興隆した。その奪還はお家再興の象徴であり、悲願でもある。


「孫四郎殿(勝久)。お家の再興はもうすぐだぞ」


「この身を賭してでも成し遂げて見せます!」


 勝久の決意は並々ならぬものがあった。羽衣石攻めはその号砲のようなものだが、勝久は先鋒を志願した。負けじと元続も志願する。具房は軍の数的に二人合わせて一人前だとして、共同での先鋒を命じた。


「ただし、焦って攻めかかることは禁じる。我が軍はまだ砲兵が到着していないのでな」


 山陰は山が続くため、火砲の運搬に苦労していた。今あるのは各師団が装備する擲弾筒と、伊賀兵団が持つ山砲のみ。他はえっちらおっちらと運んでいる最中であった。これが揃うまで具房は攻勢をかけたくない。ゆえに戦闘を禁止した。もちろん反撃はこの限りではない。


「承知しました」


 二人も北畠軍がいなければ毛利の圧倒的な軍事力に押し潰されることは理解している。軽挙は慎むことにした。


 砲兵が到着していないという事情もあり、先鋒は尼子・南条連合。二番手は装備の揃っている伊賀兵団で、三番手が伊勢兵団だ。総指揮は徳次郎が行う。残りの具房や丹波衆、長岡軍は留守番だ。あまり大勢で行くと補給が厳しい。それに毛利の動きを牽制することにもなる。


「頼むぞ」


「お任せあれ」


 自信満々に応えたのは一条信龍。武田信玄の下で働いた歴戦の強者である彼が実質的に指揮をとる。徳次郎の手腕には最初から期待していない。むしろ、余計なことはするなと言ってあった。徳次郎はそれで気分を害するわけでもなく、むしろちまちましたことをしないで済むと喜んでいる。


(お前が軽い神輿で助かるよ)


 具房は興味のないことに関してはとことん冷淡な徳次郎に対して、心のなかでそんなことを思っていた。




 ーーーーーー




 そのころ、八橋城では毛利山陰方面軍を任されている吉川元春は諸将とともに、鳥取城に集結する北畠軍の対処を協議していた。


「敵は羽衣石を攻めるらしく兵を発した。先鋒は尼子・南条、北畠がそれに続いている。特に第三陣(伊勢兵団)には武田菱が確認された。右衛門大夫(一条信龍)や逍遥軒(武田信廉)がいるのだろう」


「武田か……」


 強力無比な北畠軍を百戦錬磨の武将が率いているのだ。悪夢としかいいようがない。どう対応したものか、と頭を悩ませる。


「尼子や南条の兵など弱小。これを叩けばよいのです」


 声高に発言したのは吉川経言(広家)。元春の三男だ。勝てない敵とは戦わない、という選択は正しい。しかし、そんなことは誰しもが考えていた。


「それは道理だ。だがな、後ろには北畠軍がいる……」


 それに捕まることなく、なおかつ尼子・南条連合軍に壊滅的な損害を与えることは不可能だと元春。さらにいえば、彼らの後ろにいるのは猪武者である猪三だ。敵が現れたと聞けば、脊髄反射で攻撃を命じるだろう。


(その横をさらに叩くというのも手だが、そうなれば武田も出張ってくるはず。やはりこちらが厳しい)


 徳次郎も猪武者で組み易いのだが、後続の信龍が上手くそれをフォローするだろう。冷静に考えると隙がない。


「しかし、我らの全力を挙げれば足止めくらいはできます」


「だろうな。だが、敵は我らより遥かに多いことを忘れるでない。仮に総力を上げて羽衣石を救援したならば、鳥取の敵軍が大挙してここ(八橋城)に攻めてくるぞ」


 毛利軍の泣きどころは、あちこちに戦線が広がったために一方面に展開される兵力が薄いことだ。北畠軍の別働隊に割ける戦力にすら制限がかかるのだから如何ともし難い。ない袖は振れないのだ。


「このまま何もしなければ羽衣石は落ちますぞ!?」


「……」


 その反論に黙り込む元春。何もしないというのが安全策ではあるのだが、代わりに確実に負けるという問題点がある。リスクをとらなければリターンは見込めないのだ。ローリターンを求めてもハイリスクを背負うことになるのだから、釈然としないところはあったが。


(隆景は一年耐えれば兵力に余裕が出るというが……)


 ぶっちゃけ領内はボロボロである。領民は重税に苦しみ、怨嗟の声が上がっていた。果たして兵が出るかどうか。とはいえ、こうなったらもう後には退けないのだ。隆景を信じるしかない。


「一理ある。よし又次郎(吉川経言)。そなたに兵を預ける。尼子・南条連合に一撃を与えてこい」


「よろしいのですか!?」


 元春は頷く。


「ただし、北畠軍とは戦わないようにしろ」


 そこは明確に禁止された。損害の如何にかかわらず、北畠軍を見たら撤退である。経言も出陣させてくれるなら、とその条件を呑んだ。彼には五千の兵が与えられ、奇襲を試みることとなる。


「一気呵成に攻め込むぞ」


 経言は乾坤一擲の攻撃を考えた。なにせ北畠軍が現れたら終わりなのだ。何よりも優先されるのは速度である。それは正しい判断だ。


 さらに幸運だったのは、尼子・南条連合軍は警戒が疎かになっていたこと。尼子は現実味を帯びてきた旧領奪回、南条も居城の奪回に気をとられ、前のめりになっていた。結果、視野狭窄を起こして周辺への警戒が甘くなってしまう。


「……よし、今が好機だ!」


 経言は隙だらけの敵を見て、反射的に攻撃を命じた。突然のことに尼子・南条連合軍は大混乱に陥る。吉川軍はその混乱に乗じて戦果を拡大した。


「見たか! 敵など恐るるに足らず!」


「「「おおーっ!」」」


 兵士たちも明らかな勝ち戦で士気が上がる。現金なものだ。


「殿。ここは下がってお味方と合流しましょう」


「うむむ。油断した」


 副将格の山中幸盛(鹿之助)が撤退を進言する。勝久はほぞを噛みながらそれに従って後退を開始した。


「逃がすな! 追え!」


 しかし、敵も甘くない。経言は後退しようという敵の意思を動物的な勘で感じるや、すぐさま追撃を命じる。かくして苦しい撤退戦が始まった。


 尼子軍も南条軍も主力は農民兵だ。訓練もされておらず、プロと呼べる者はごくわずかである。遅滞戦術などできるはずもなく、追撃で勢いに乗る毛利軍とまともにぶつかることになった。こうなると後退している尼子・南条連合軍が不利だ。


 激しい追撃を受け、連合軍の兵力はじわじわと削られる。後退速度も鈍く、このままでは呑み込まれかねなかった。一同が諦めかけたそのとき、救世主が現れる。


「敵だ! 見つけたぞ!」


 そんなことを言ったのは猪三。具房には『見敵必殺』『猪突猛進』と呼ばれていたりする。その言葉通り、敵を見るや突撃を開始した。


「援護しろ!」


 副団長がすかさず指示を飛ばす。団長が前線に出てすぐいなくなるので、事実上の指揮官だった。突撃する味方に射線が被らないように脇にいる者たちが発砲。援護射撃を行う。


「笹竜胆。北畠か!」


 経言は北畠軍の出現に撤退を命じようとしたが、はたと気づく。戦果拡大のため尼子・南条連合軍に対して激しい追撃をかけており、前線は乱戦気味だ。これで撤退は厳しい。連合軍を逃さないために突っ込んだのだが、逆に自分たちが逃げられなくなるという皮肉な結果になった。


(前線の兵は諦めるか? いや、しかし……)


 最近、毛利領内は度重なる敗戦とそれを補うための重税で疲弊していた。領民の不満もかなりのもので、ここで領民でもある兵士を見捨てて「信用」までも失うわけにはいかない。そんな判断が働き、経言は撤退を決断できなかった。


 経言が躊躇っている間にも状況は悪化する。北畠軍との乱戦に陥ったのだ。戦闘訓練を積んだ北畠軍は強く、毛利軍は押される。どうにもならない、と思ったところで経言はようやく決断した。


「撤退だ」


 前線に出た兵士の収容を諦め、今いる兵をまとめて退却する。


「待てーッ!」


 猪三も間髪入れず追撃を始めた。兵士も精鋭ばかりということもあって機敏に反応する。瞬く間に毛利軍は獲物を追う狩人から、追われる獲物の立場になった。


 這々の体で逃げる毛利軍。だが、その先には武田菱が待ち構えていた。


「げっ、武田!?」


 思わぬ敵の出現に驚愕する経言。その耳に無慈悲な声が届く。


「それ、鼠狩りだ!」


 徳次郎の号令で一斉に襲いかかる北畠軍。後方からも北畠軍が迫っており、経言たちは窮地に陥った。挟撃策など徳次郎が思いつくはずもない。副団長である一条信龍の進言だった。


 なぜこうも見事に策を成功させたのか。要因のひとつは北畠軍の偵察能力の高さだ。北畠軍には偵察隊が存在し、近づいてくる敵の動向を監視している。戦地に張り巡らされた諜報網とも連絡をとっており、組織的に偵察が行われていた。策の成功はその結果である。


 前後で挟まれた毛利軍に逃げ場はなく、組織的な撤退は無秩序な敗走に変わった。経言も逃亡したが、偉そうな彼は特に激しい追撃を受ける。


(このままでは八橋にたどり着く前にやられてしまう)


 そう考えた経言は止むを得ず行き先を変更。八橋城に帰還することを諦め、羽衣石城を目指した。


「又次郎様!?」


 驚いたのは城将の山田重直である。主筋の人間が前触れもなくやってくればその反応も仕方がない。経言は理由を説明しよう悩んだ。正確には、正直に伝えるべきか否かを。


(ここで事実を言えば兵の士気にかかわる)


 だが、北畠軍の追撃によって入城した者はわずか。見てくれも落武者一歩手前だ。完全に嘘はつけない。そこで、嘘と真実を混ぜこぜにしてみた。


「我らは城の救援に来た。だが途中、敵に襲われてこのような姿になってしまった。まったく不甲斐ない話だ」


 芝居がかった口調で理由を述べる経言。それに乗っかったのは重直だった。


「そのようなことはございません。我ら一同、救援に感謝いたします! 皆の者! 味方はそこまで迫っている! もうしばらくの辛抱だ!」


「「「応ッ!」」」


 重直の声に応えてあちこちで歓呼の声が上がる。味方が救援に来てくれると知ってやる気になったのだ。


 その後、経言は身だしなみを整えるとして引っ込む。重直は兵士たちの目がなくなったところで再び話しかけた。本当のところはどうなのか? と。経言はかくかくしかじかと事情を説明した。


「そうでしたか。この件は八橋城の少輔次郎様(吉川元春)にお知らせしておいた方がいいでしょう」


 ある打算から重直はそんな申し出をした。話を聞く限り、元春は羽衣石城を積極的に救援する意思はない。遠巻きに眺めて敵を牽制するだけだ。それでは遠からず落城する。ならば元春の子どもを城に留め、助けざるを得ないようにするのだ。


(何とか光明が見えたな)


 ツキがある、と重直はひとりほくそ笑むのだった。







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