山陽の戦い
ーーーーーー
「出陣!」
具房の号令により、各軍が予め決められた順番に従い、整然と行軍を始めた。先頭を行くのは織田軍だ。丹羽長秀を暫定的な総大将とし、行軍する。目指すは姫路。そこでは秀吉が軍を集めて待機していた。
「丹羽殿(長秀)。その他の方々もよくいらっしゃいました。料理などを用意させているので、疲れを癒やしてください」
秀吉は織田軍の将兵をもてなした。兵たちには明石焼きが振る舞われ、武将には膳が出される。将兵は戦のことを忘れ、美味しい食事を楽しんだ。
しかし、次の日には早々に戦の話になる。秀吉は毛利の動向を調べ、詳細を報告した。それによると、毛利軍もまた三軍に分かれたという。
「山陰は吉川、山陽は小早川、四国への備えに毛利本隊が当たるようです」
「毛利の本隊は援軍も兼ねているか」
「そう見るのが妥当かと」
長秀の発言を肯定したのは報告を担当していた黒田官兵衛である。彼は補足として、具房も同じ見解であると伝えた。事前に具房から秀吉に、毛利の動向が知らされていたのだ。秀吉が調べないはずはないと思ってはいたが、情報のソースは複数あった方がいい、と構わず知らせた。
「水軍は?」
「ほぼすべてが瀬戸内海に集結しています」
「北畠軍を警戒したか」
四国からの侵攻を毛利は相当警戒しているらしく、瀬戸内海をガチガチに固めている。村上水軍は完全に釘づけにされており、塩飽までは海上輸送路が使えた。山陰もほぼフリーだ。
「意外に四国の兵が利いていますな」
恒興は感心したように言う。具房に言わせれば、正面から殴り合うだけが戦争ではない。毛利の知恵袋である隆景は四国からの襲撃を警戒するだろうと思い、軍を配置した。基本的には予備戦力だが、隙を見せれば脇腹を刺す匕首にもなる。毛利としては割と気がかりで、奥歯に挟まった食べ物のような、邪魔で気になる存在だった。
四国方面軍の存在で毛利家の正面戦力に制約がかかり、各方面の兵力が減少している。それは山陽を守る小早川軍も例外ではない。秀吉たちは組み易し、と見て攻撃を中心に毛利攻めを行うという方針を決定した。差し当たっては猿掛城が目標である。そこまで決まったところで、官兵衛が秀吉に質問した。
「そういえば殿。左府様(具房)は毛利攻めについて何か仰っていましたか?」
官兵衛がそんな質問をするのは、毛利攻めにあたっては山陰、山陽道の連携が重要になるからだ。
「中国は山に隔てられてはいますが、相互に連絡できます。片方が突出しすぎれば、たちまち餌食になってしまう」
どちらかが快進撃をすれば、他方から援軍が送られ横腹を痛打されかねない。だからなるべく歩調を合わせるべきだと官兵衛。諸将もそれもそうだと賛同する。だが、秀吉からの返事は意外なものだった。
「進めるところまで進め、とのことだった」
「「「え……?」」」
具房から指示は出ていたが、それは超アバウト。どこまでなどの指示は出ていないのだ。さすがの官兵衛も困惑する。
「それは……左府様ともう少し打ち合わせした方がよいのでは?」
「儂もそう思って返書したのだが、左府様はこちらで合わせると仰った」
具房曰く、山陽軍が山陰軍より速く進撃することはない、と。
「「「……」」」
何も言い返せない諸将。曲輪を囲んでひとつひとつ地道に攻略していく織田軍と、曲輪ごと破壊して攻略する北畠軍のどちらが早いかは目に見えている。仮に山陰の毛利軍が野戦を挑んでも、破壊の対象が城から野戦陣地に変わるだけだ。
(損害を度外視すれば瞬く間に中国を席巻するだろう)
官兵衛は北畠軍の実力ならば容易いと思っていた。実際、補給が続く限り正面から戦って北畠軍に勝てる相手はいないだろう。
結局、頑張って進めるだけ進もうということになった。ここにいる人間はほとんどが信長に重用されてきた者たちだ。具房が求めている役割も理解している。毛利の兵士を少しでも多く釘づけにするのが織田軍に期待されている役割だ。
(左府様は恐らく、山陰で勝負を決めるおつもりだ)
ならば派手に動いて敵の耳目を集めてやろう、というのが諸将の共通認識となった。
織田軍は順次、備中へと軍を進めていく。同地では既に宇喜多軍が展開し、毛利軍と睨み合っていた。この時点で織田軍は五万を越す大軍であった。
「これは……厳しいぞ」
この方面を任されている小早川隆景は織田軍を見て、まともに戦うことを諦めた。毛利家も兵を集めたものの山陰、山陽の他に九州、四国への警戒に人手を割くことを余儀なくされ、山陽軍はわずか一万五千に留まっていた。敵の三分の一以下である。防御側ということを考えても絶望しかない。
隆景はとにかく耐えて講和に持ち込むしかないと考えた。どこぞの公方が言うように、戦って勝つなんて幻想は抱いていなかった。どうやって勝つというのか。口だけでなく、現実的な方策を示してほしい。
とりあえずは猿掛城が目下の焦点になる。そう判断した隆景は、同地を任されている穂井田元清を呼んで籠城しての徹底抗戦を命じた。
「今、領内を立て直している。数年すれば更なる兵が出せるはずだ。それまで何とか耐えてくれ」
「承知しました。猿掛を第二の石山にして見せましょう」
無茶な命令だったが、元清は何も言わず頷いた。石山は長期に籠城した上、講和によって一向宗自体は生き残っているため縁起は悪くない。
元清は隆景に依頼し、物資を優先的に回してもらった。城には入る限りの兵糧米が詰め込まれ、食糧には困らないようになっている。もちろん鉄砲や弓矢などの武器、投石用の石や補修するための資材も潤沢に用意された。
隆景は外に布陣して織田軍を牽制することにする。小早川軍はプレッシャーを与えるのだ。揃って籠城すれば囲まれて終わるので、妥当な選択といえた。いつ攻めてくるかわからない軍は脅威である。
「敵は守りを固めたか」
予想通りの展開だが、城攻めは面倒だから野戦で片をつけたいというのが本音である。だが、籠もられたものは仕方がない。織田軍は小早川軍に対する抑えの兵を置き、攻城戦にとりかかった。
「放てーッ!」
北畠軍とは比べ物にならないが、織田軍にも大砲は配備されている。それらが一斉に猿掛城へ向けて放たれた。周りにいる兵士は砲声に圧倒されながらも、やいのやいのと騒いでいる。城は侵入を阻む恐るべき相手だが、それを打ち壊す大砲は実に頼もしい存在だった。
ただ、悲しいかな弾がない。今回も五発で撃ち止めということになっていた。四斉射目を合図に兵士たちは突撃することになっている。
「かかれーッ!」
四発目の砲声を聞いた途端、兵士たちはウオォーッ! と喊声を上げて突撃した。空元気とはいえ、士気の盛り上がりは最高潮。だが、そこに冷や水をかけ?事態が起きる。
ダンッ! と砲声が上がる。前線の兵士は喊声を上げていて聞こえなかったが、後方にいる、まだ突撃していない兵士はしっかり聞こえ、疑問符を浮かべた。
「ん? 砲声?」
「おかしいな。さっきうちの大砲は撃ったはずなんだが?」
「遅れた間抜けでもいたんじゃないか?」
そんな話をする。かもな、とんだ間抜けがいたもんだ、などなど好き放題のことを言う。直後、近くで大きな爆発が起きた。
「な、何だ!?」
混乱する兵士たち。そんななか、兵士のひとりが城から煙が漂っていることに気づく。炎が見えないことから火が放たれたわけではない。ではなぜ煙が上がっているのか。兵士は同じような光景を見ていたために正体を理解できた。
「敵の砲撃だ!」
そう。兵士が言ったようにこれは猿掛城に籠もる毛利軍による砲撃だった。北畠海軍に敗れてから、隆景は小早川水軍の方針を転換した。これまでは他の瀬戸内水軍と同様に中型以下の船を主力としていたが、これでは淡路の砲台を抜けない。そこで、大砲を配備した大型船をいくつか建造していたのだ。
しかし今回の戦場は瀬戸内海。大型船はあまり役に立たない。そこで艦載砲を陸揚げし、ありったけの弾薬ごと猿掛城に配備した。砲撃に驚いて織田軍が混乱すればいい、と。
この効果は覿面だった。織田軍は自分たちが砲撃することには慣れていたが、砲撃されることには慣れていなかった。兵たちはあっという間に混乱する。
「これでは戦にならん」
秀吉たちは一度、兵を退いた。山陽の戦い、その初戦は毛利軍の勝利で終わった。
城攻めが失敗に終わった後、秀吉たちは軍議を開いて対応を協議した。議論は紛糾する。ある者は城攻めの継続を主張し、ある者は小早川軍に目標を変えるべきだと言う。またある者は坑道を掘って城内に攻め入るべきだと唱えた。まったく話がまとまらない。
「……夜襲ならばどうだろう?」
そんな声が上がる。声の主は城攻めの継続を主張していた池田恒興だ。攻撃目標を変えるとなれば配置転換など手間が多いから城攻めを継続すべし。しかし、今回と同様に昼間から攻撃したのでは大砲が撃ち込まれるため、夜襲で攻撃するべきだと言ったのだ。
「それでいこう」
総大将である秀吉がゴーサインを出し、夜襲が決行されることになった。先鋒は言い出しっぺということで恒興。城では篝火が煌々と焚かれており、近づけば気取られる。なるべく直前まで自軍の存在を隠匿するため、恒興は細心の注意を払う。鎧の接合部にはボロ布を挟み、嘶く馬は放置。さらには刀は鞘に納め、槍は泥を塗って反射を抑制した。池田隊は息を殺して前進。対策の甲斐あって、城のすぐ近くまでやってきた。
「よし。抜刀!」
その声で兵士たちは一斉に刀を抜く。刀身が篝火の光を反射し、白刃が煌めいた。
「突撃ッ!」
池田隊による夜襲が幕を開けた。毛利軍はよほど慌てたのか、意味もなく大砲を撃つ。もちろん暗闇で目標を定めることもままならず、実際にラッキーパンチも起こらなかった。
「敵は慌てているぞ。好機だ! 者ども、進めぇッ!」
恒興は兵たちを奮い立たせる。その声に押されて兵たちは城壁に梯子をかけて登っていく。彼らは無事、城内に到達して凄まじい白兵戦が展開された。もちろん恒興も乗り込んだ。
「そなたたちはここで敵を押し留めよ。他は城門を開き、味方を誘い込め!」
恒興の指示で兵士は二手に分かれる。その場で城兵を押し留める役割は見事に果たされ、犠牲を出しつつも城外からちらほら現れる増援や恒興の激励を受けて耐え抜く。
だが、城門に向かったグループに問題が生じた。ここは敵が容易に突破できないように、瓦礫で封鎖されていたのだ。撤去はかなり骨が折れる作業になる。部隊長は恒興に報告した。
「むっ。仕方ない、作業にかかれ。なるべく早くしろ」
そう指示し、恒興は指揮に戻った。指示を受けた部隊は瓦礫の撤去を急ぐ。ようやく開け放ったとき、味方が一斉に雪崩れ込んできた。
「っ! これは?」
困惑する恒興。兵士たちが慌てているように見えたからだ。近くにいた兵士を捕まえて事情を訊く。すると、意外な答えが返ってきた。
「敵です! 小早川軍の一隊が我らを襲って参りました!」
「なにっ!?」
恒興は初めて小早川軍の逆撃を受けていることを知った。夜襲を受けた直後に放たれた大砲、あれは織田軍を撃退しようとしたものではなく、小早川軍に敵の襲来を知らせる合図だったのだ。
「後続は?」
「宇喜多勢は奇襲を受け敗走。三番手の丹羽様や総大将の救援を待っております。今は若殿(池田照政)が食い止めておられますが、いつまで保つか……」
「それは……致し方ない。ここは撤退だ」
恒興は即座に決断した。さすがに前後を挟まれれば攻撃を継続することはできない。照政の部隊を引き受け、代わりに自分の部隊を預ける恒興。前線で戦い続けて消耗した兵士を先に撤退させ、元気な兵士を殿にした。
「早く退け!」
「しかし父上!」
照政は反対した。恒興はずっと戦い続けている。兵士を入れ替えるなら、率いる武将も替えるべきだと。しかし、恒興は受け入れなかった。
「元助を失い、さらにそなたまで失うわけにはいかんのだ」
照政は養子に出されていたが、元助が戦死したことで呼び戻されていた。他にも兄弟はいるが、立て続けに子どもを失うのは辛い。だから早く安全なところへ逃げてくれ、という恒興の親心であった。
「……わかりました」
こうなった父はいうことを聞かない、と照政はわかっている。不承不承ではあるが、命令を受け入れて撤退を開始した。
やがて救援に現れた小早川軍と恒興の殿が激突する。池田隊は終始劣勢であったが、恒興の奮戦と叱咤激励もあって味方の到着まで耐え抜いた。
「これ以上の追撃は不要」
穂井田元清は敵の救援を見て追撃を中止した。敵にかなりの打撃を与えたので、無理に突っ込んで兵を損耗させる必要はない。
「出入りが楽になったな」
「左様ですな」
城門の瓦礫は敵の侵入を阻むが、同時に味方とのつながりも断ってしまう。だが、織田軍が撤去してくれたおかげで連絡が回復された。元清は小早川軍から兵や物資の補充を受けると、また城門を閉じて瓦礫を積み上げて籠城する。
一方、またもや攻勢に失敗した織田軍では、再び城を攻めるべきか小早川軍を攻めるべきかという論争が行われていた。城攻め論者は二度失敗しているために旗色が悪く、話は小早川軍を攻めるということでまとまりつつある。そんな会議の席上で宇喜多忠家(家氏の代理)は隣にいた池田照政に話しかけた。
「先日は申し訳なかった」
先日、というのは猿掛城を夜襲したときのことである。小早川軍の奇襲を受けて宇喜多軍は敗走。そのために救援が遅れ、池田軍は窮地に陥った。大損害を出した挙句、恒興が負傷。現在は寝込んでいる。その件について謝罪したのだ。
「そう気に病まないでください。敵に地の利があるのですから、仕方のないことです」
照政は戦で負傷するのは別におかしなことではない、と気にしていない。奇襲を受けて宇喜多軍が敗走したのは事実だが、敵の方がこの辺りの地理に詳しいので、奇襲を受けたことについてどうこう言うつもりはなかった。
それに自分だって殿を父に任せたのだ。恒興が負傷したことへの責任は照政にもある。だから忠家を責めることはせず、謝罪なら父にと言って話を終わらせた。
その後、話は小早川軍を攻撃することになった。しかし、小早川軍を率いる隆景は織田軍とまともに戦わない。押せば逃げ、退けば押すという具合に上手く間合いを保って決戦を避けた。織田軍は深入りすると手痛い反撃を受ける可能性があるため追えなかった。
埒があかないので、秀吉は小早川軍との決戦を諦めて城攻めに方針を戻す。城を囲んで干そうという計画だったが、先述のように城内にはたっぷりと物資が溜め込まれている。なかなか音を上げず戦は長期化した。