戦の足音
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土佐に滞在していた具房。四国を巡っている間、京に残していた雪が寂しがらないように手紙をまめに送っていた。当然、返信もある。今日も返信が届いた。
「さてさて、どんなことが書かれているのかな?」
仕事を終え、手紙を開封する具房。それを見て驚愕した。
「毛利との戦を準備って……どういうことだ?」
手紙には上杉が服属を表明したともあったが、毛利戦のインパクトが強すぎて気にならなかった。具房はとりあえず詳しい報告を求めたのだが、驚きの報告は間を置かずもたらされる。
「殿。宮内様(長宗我部元親)が訪ねてこられました」
「なに? もう夜更けだぞ?」
若干、非難するようなニュアンスが入っているものの、これまでにないことだからと面会する。元親は遅くの来訪を詫びつつ、
「火急の用件ゆえ、どうかお許しください」
と許しを乞うた。
「構わない。よほど大事なことなのだろう?」
「はっ。……こちらを」
そうして差し出された一通の書状。宛名を見れば、元親に送られたものだ。そんなものをなぜ見せるのかと思いつつ、具房はそれを読んでいく。瞬間、意図を察した。
「これは公方(足利義昭)からの?」
「そうです。味方すれば伊予を除いて四国を与えるとあります」
「なるほど。実はな、わたしのところにも書状があった」
「左府様(具房)に公方様から!?」
「はははっ。そんなことあるまい。わたしは公方からすれば、今は亡き前右府(信長)に次ぐ仇敵だろうに」
具房は義昭が裏切りを誘ってくるわけがないと言って笑った。それに一度、信長包囲網に参加しないかと誘われたが、協力する見返りが役職のみ。所領に関しては「伊勢に帰れ」というあまりに酷いものだったので、悩む余地すらなく信長に味方した。それ以降、義昭にとって具房は信長の次に倒すべき敵となっている。信長が死んだ今、絶許ランキングダントツ一位は具房だ。
(あれが俺を許すわけないじゃん)
立場がなければゲラゲラと笑ってしまいそうだ。
「それで、これを見せてきたということは、裏切るつもりはないのだな?」
「無論です。そもそも左府様のお力がなければ最早、三国は立ち行きません」
血みどろの戦いが繰り広げられた結果、四国は伊予を除いてかなり疲弊していた。具房が打っている政策は人々の労働力を使って復興や開発を行わせつつ、その見返りに伊勢から大量の食糧を輸送して配るというものだ。
前者は将来的に税収が上がるが、税と民の収入は正比例の関係にある。つまり、税収が上がるということは(過酷な税制を敷いていない限り)人々の収穫量や現金収入も上がっているということであり、全体としては民も潤っているのだ。後者に関しては規格外の経済力を持つ具房ならではの政策といえる。どちらも元親が真似できるものではない。細々とならできるが、かなりの時間がかかるだろう。なら具房に任せるほうがいい。それが民のためだ。
「それに今、謀反を起こしても勝てる気がしません」
北畠軍にこてんぱんに負けた元親は、その恐ろしさを忘れていない。それに、もし叛旗を翻したとしても民がついてこないだろう。元親は北畠軍に負け続けたために民心を失っている。
対して、北畠家の評価は高い。支配されて日は浅いが、その政策は支持されている。評価が高いのは軍隊だ。理由は単純で、軍に入れば腹一杯ご飯が食べられるから。戦争で困窮した人々にとって、ご飯を腹一杯食べられることは何よりも嬉しいことで、それを提供してくれる軍が人気なのもおかしなことではない。
そのような組織を持つ北畠家と、旧来の武器食糧は自弁という長宗我部家。どちらに人が集まるかは考えるまでもなかった。実質、謀反は不可能なのである。
元親はほっとした様子で帰っていった。彼としては黙っていて書状が見つかった場合、あらぬ疑いをかけられて地位を追われることを危惧したのだろう。まあ、動機はともあれ彼の行動は文官や侍女などに化けた忍が監視しているので正しい判断といえる。
「……御所様(具房)」
帰ったところで蒔が現れた。報告があるらしい。
「河野や三好にも密書か」
「……三好は帰農した一部の家臣が動いてる。本領は十河存保が抑えてるから多分、動かない」
「河野は?」
「……本家の周辺に動きはない。ただ、分家は積極的」
「まあ、そうだろうな」
河野は本家と分家が対立している。いざとなれば追い落とすというレベルだ。恐らく通直は同族を集めて書状を見せ、軽挙妄動は慎むようにとでも言ったのだろう。甘い。口では了承しておいて、裏で具房や権兵衛に密告したり、義昭の誘いに乗ったりするに決まっているからだ。その辺りは冷静な参謀役の登場に期待である。
「念のためだ。他にも動きがないか確認してくれ」
「……わかった」
蒔は指示を受けてその場を立ち去る。続けて具房は伝令役の忍を呼んだ。
「今から書く書状を伊勢のお市、京の雪、姫路の筑前守(羽柴秀吉)に届けてくれ」
具房はそれぞれに書状を発した。内容を簡単にいえば、
お市 各兵団に対して動員令を出すこと
雪 東国は大和の滝川一益に任せ、織田軍の動員を開始すること
秀吉 与力の尼子勝久に旧領回復運動を始めさせたいのでそれを伝え、支援するように
である。お市に指示した動員令の発令は、すなわち毛利戦への準備だ。大和兵団は解散してしまったため伊勢、伊賀、紀伊、志摩兵団と三旗衆が対象となる。四国の各兵団は未だ実戦投入はできないため、これが北畠軍の全兵力だ。兵力はざっと見積もって四万五千。
雪への指示も毛利戦に備えるようにというもの。有力な家臣でいえば羽柴、丹羽、池田の参戦が見込まれる。その他も含めると都合、四万余になるだろう。なお、滝川一益に東国を任せるのは彼が以前、関東にあって織田政権に従う東国の諸勢力を統括していたからだ。経験者に任せたのである。負けているので侮られる可能性も否定できないが、一益なら上手くやるだろうと考えた。
そして秀吉への指示は特殊工作の一環である。尼子勝久が当主となっている尼子氏は一時期、中国地方に覇を唱えた大名だ。毛利に敗れて零落したが、今でもお家再興を目指している。具房はこの動きを利用し、毛利を背後から揺さぶろうと考えていた。一応、勝久を与力としている秀吉に伝える。具房は筋は通す主義である。
また、尼子家再興運動には花部隊のコマンドが援助を与える。アメリカのグリーンベレーのように、現地民に戦闘訓練を施して尼子家再興のための戦力にしようというのだ。一般人を兵士に仕立て上げるノウハウを北畠軍は豊富に持っているし、速成訓練もできる。
翌日、元親に対して京へ戻ると告げた。土佐でやることも大体終わっていた。後は権兵衛の指示に従うように、と言う。四国のことは基本、彼に任せるつもりなので自分に話を通す必要はないとも。
「世話になった」
「ご無事で」
歓待に謝辞を述べる具房に対して、元親は道中の無事を祈った。具房たちは船に乗って土佐、阿波の沿岸を航行。さらに畿内へと至った。
「お兄様!」
京に着くと、真っ先に雪の許を訪ねる。後回しにしていては何を言われるかわからない。しばらく放置していたお詫びも兼ねて、最初に訪問した。
「久しぶりだな」
「はい。雪は寂しかったです」
「俺もだよ」
甘えてくる雪を甘やかす。ご機嫌とりには成功した。重要なミッションを達成すると、後は恒例となりつつある公家などの挨拶を受ける。そうして忙しくしているうちにそれなりの時間が経ち、集結した北畠軍が京に到着した。
北畠軍は京郊外に駐屯する。具房は手が空いたタイミングで軍を閲兵した。このところ戦が続いているが、幸いにも戦意は衰えていない。一時金を支給したり、白浜などの観光地への慰安旅行を行ったりして士気を維持していた。
「諸君。此度は再び毛利との戦だ。かの軍には吉川、小早川をはじめとした猛将、智将が揃っている。しかしながら、彼らに諸君が積み重ねた日頃の研鑽が及ばないとは思わない! 才能は力だ! しかし、努力もまた才能であり、努力は力なのである! このことを忘れないでほしい。最後に、諸君らの勇戦敢闘に期待することとして、訓示とする」
具房の言葉をそれぞれが噛み締めていた。戦う相手は強敵だが、お前たちなら大丈夫。具房の訓示はそう受け止められ、北畠軍の士気を上げた。待機中の訓練にも身が入る。
その後、丹羽長秀や池田恒興など秀吉を除く織田軍およそ二万五千が集結した。出陣すれば長岡幽斎や波多野秀治、赤井直正などの軍も合流するため、姫路の秀吉軍を合わせると四万になる予定だ。
さらに、滝川一益も上京してきた。東国で変事があったときの対応を打ち合わせするためである。具房は「勝手次第」つまりは好きにしろと言っているが、大爆発している一益は不安で、大体方針だけでも聞こうというのだ。
「基本は駿河守殿(徳川家康)や三七殿(織田信孝)を上手く使うことだ」
具房の回答はそれだけだった。東国で何かが起きてもSOSが送られてこない限り、こちらが能動的に対応する必要はない。積極的に介入する必要があるのは、北条が何か行動を起こしたときだろう。徳川領が脅かされるため、その防衛に協力しなければならない。
「もっとも、律がいるからその可能性は低いと思うが」
既に彼女が妊娠したことは北条家にも伝わっている。娘婿がバックにいる勢力に対して敵対するようなことはしないだろう、と具房は判断していた。一益も可能性は低い、と同調する。
「それでも万が一ということがある。そのときは頼むぞ」
「承知しました」
一益は思っていたより楽だと安堵する。いきなり東国のことは任せたと言われたときはどうしようと思ったが、期待される役割はそれほど重くなかったからだ。何なら具房の名前を出してくれてもいい、と言ってくれた。身構えていたこともあり、気が楽になる。
京の郊外に大軍勢が集結するなか会議が開かれた。毛利攻めの方針を打ち合わせるためである。これには後で合流する予定の家も幹部級の人間を派遣していた。
「軍の割り当てを発表する」
具房は軍を三つに分けた。山陰、山陽、四国の三軍である。別勢力を寄せ集めると指揮系統など面倒なので、織田軍は一部の例外を除いて山陽方面軍に配置。秀吉を総大将として全権を委任した。
山陰方面軍の総大将は具房。山がちであるため、三旗衆の他に山岳兵である伊賀兵団を配置した。その他、伊勢兵団に例外である尼子軍が加わる。これは尼子の名前で山陰地方の毛利勢を動揺させようとの目論見からだ。
四国方面軍の総大将は権兵衛。四国の統括、伊予の統治にと忙しい彼には更なる負担だが、頑張ってほしい。こちらには志摩、紀伊兵団が集められる。兵員が不足すると判断した場合は、権兵衛の裁量で四国の兵団から旧大和兵団の人員を引き抜いて混成旅団を編制することを許可していた。
なぜ四国に正規兵を置くのか。それは脅しだ。毛利領の背腹を突く位置にあり、制海権は毛利が握っているといっても虚を突いて侵攻することも可能である。毛利はこれを警戒せざるを得ず、前線に展開できる兵力は少なくなるはずだ。そうなれば山陰、山陽方面からの攻撃がやりやすくなる。北畠海軍もほぼ全艦艇が淡路や讃岐に停泊し、瀬戸内海を窺う。村上水軍も出てきて睨み合いになるはずだ。それこそ具房の狙いである。
会議は特に紛糾することなく終わった。文句をつけるところがなかったからだ。四国方面軍は要らなんいんじゃね? と思ったが、口にする者はいなかった。無敗という具房の輝かしい戦績もあるが、それ以上に後ろで微笑む雪が怖かったからだ。歴戦の武将をも萎縮させるプレッシャーを放っている。織田家を完全に牛耳る彼女を前にしては逆らえない。
そして会議の後、出席者は自軍に戻ったり結果を主君に伝達するために城に戻ったりした。そんななか、具房を訪ねてきた人物がいる。長岡幽斎の嫡男、忠興だ。
「お久しぶりです」
「おお、与一郎殿(忠興)か。大きくなったな」
言ってることはジジくさいが、この時代でいえば親子ほどに年齢が離れている。子どもに対するような言葉をかけるのは無理もない。
「今日、訪ねてきたのは細君のことだろう」
「は、はい」
具房は忠興が訪ねてきた理由を察していた。妻である明智珠の処遇についてだ。書面で処罰などは不要と伝えていたが、長岡家としては不安材料だったらしい。だから直接、訊ねてきたわけだ。なので具房は改めて、光秀の縁者だからといって特別な対応をする必要はない、と言った。
「ありがとうございます」
忠興はホッとした様子だ。彼は珠を愛しており、できるなら離縁をしたくない。具房から許しを得たときは狂喜乱舞したが、父親である幽斎から早とちりするなと嗜められ、一転して意気消沈していた。だが今回、口頭で許しを得たことでもう遠慮する必要はなくなる。
「幽斎殿にもわたしから口添えしておこう」
具房は忠興を見て、彼ならば珠を粗略に扱うことはないだろうと考えた。しかし、幽斎はわからない。念のため、彼に書状を送る。忠興にもその場でどういう内容かを伝えておく。簡単にいえば、謀反を起こした光秀の娘だからといって辛く当たるようなことは許さない、である。妻に迎えたなら珠は最早、長岡家の人間も同然。本人の落ち度でもないのに、辛く当たるのは許されない、ということだ。
この処置は忠興の心をガッチリと掴んだ。具房にそんな意図はなく、単純に家族は大切にしましょうという道徳的観念の下に説いただけである。しかし、忠興からすれば珠を愛していることを理解した上で、そのことで彼が苦しまないようにする配慮に思えた。
(ありがたい)
他人を「将棋の駒」と言い切る忠興だったが、具房だけは別となる。恩人であると言って憚らず、遂には「第二の父」と呼ぶ始末だ。幽斎も北畠家との関係はいいことだと止めずに放置したため、その呼び方が定着してしまう。
(いやまあいいけど……家族愛について説いただけだぞ?)
転生して三十余年。大分慣れたとはいえ、まだまだ馴染めないことも多い具房であった。