わたしたちが作りました
今日は終戦の日です。戦争の善悪はともかく、戦没者に対する畏敬の念を忘れてはいけないと思います。本作をご覧の皆様、一瞬だけでいいので黙祷を捧げていただければと思います。
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伊予の滞在は長かった。律の妊娠が発覚したため旅は危険と判断し、安定期に入るまで待ったからだ。その間、具房たちは温泉に入って身体を休めた。湯築に温泉があってよかった、としみじみ思う。
「世話になったな」
土佐へ向けて出立する際、権兵衛たちにそう声をかける具房。実際、彼らがいて助かった。大家族である権兵衛は妻も含めて妊婦の世話に慣れており、色々と助けてもらったからだ。具房も子どもは多いが、育児にはほとんど携われていないため素人に近い。なので彼らの存在はありがたかった。
「これくらいは当然です」
「律様。元気な稚児が産まれるといいですね」
「はい」
律も甲斐甲斐しく世話をされたことで、すっかり打ち解けている。妻のなかで一番、別れを惜しんでいた。道中も引きずっている様子だったので、具房は声をかけた。
「四国にはまた来る。そのときは生まれた子どもを見せに来よう」
な? と言うと、次があると知って安心したのか、柔らかな笑みを浮かべる。
「そうですね」
律は気持ちを切り替えた。一行の元気印である彼女がテンションを上げたことで、道中の雰囲気もよくなる。そして一行は山を越えて土佐に入った。
「ここが土佐。日記に書かれた地ですね」
敦子が言うのは紀貫之が著した『土佐日記』のことである。貫之は土佐国に国司として赴任していたが、その帰り道の出来事を綴ったのが『土佐日記』だ。女性に扮し、仮名文字で書かれている。その内容はフィクションも含まれているため正確には文学作品というべきだろうが、何にせよ名著といえるものだ。
当然、教養のひとつとして敦子は知っている。彼女はその舞台を実際に訪れたことに感慨を抱いていた。戦国時代は現代のようにあちこち観光できるわけではない。京から辺境の土佐に行くなど滅多にあることではないのだ。
「帰ったら友人に自慢できますわ」
と、敦子はとても満足そう。話のネタができたのはいいことだ。……貫之の行程は東回り(阿波から京へ向かうルート)なので、具房たちが今いるところとは逆方向なのだが、それは言わないでおく。
一行はさらに進んで岡豊に入った。ここで長宗我部元親による出迎えを受ける。
「長旅、お疲れ様でした。山越えなど、大変でしたでしょう」
「問題ない。道もよく整備されていたからな。そなたがやったのだろう? 感謝するぞ」
「ありがとうございます」
元親は少しでも移動が楽なようにと、事前に道を整備させていた。もちろん簡易的なものだが、おかげで移動も楽になった。そこには具房の心象をよくして土佐の安堵を維持しようという魂胆はあるのだろうが、満足しているのでそれでいい。
「移転の準備は順調か?」
「はっ。作業は進んでおります。……ですが、本当に移転するので?」
元親は躊躇いながらも訊いてくる。土佐の政庁は今の岡豊城ではなく、大高坂山(現代における高知市)に移転されることになっていた。かの地は海(浦戸湾)に面しているが、湿地帯かつデルタ地帯であるため水害が頻発する。そこに行政の中心を移すというのだから、困惑するのは当然といえた。
「もちろんだ。そなたはわかるだろうが、土佐は山に遮られて他国との交流は乏しい」
「それは重々承知しています」
交流があまりないことは元親も理解している。自分が四国統一を目指して討って出たときも、山の向こう(土佐)からなんか来た! と驚かれた記憶があった。瀬戸内海や畿内に面しておらず、隔絶されがちな土佐の風土も関係しているだろうが、それにしても交流がない。その点については両者の認識は一致していた。
「だが、海は別だ。これを見てくれ」
具房はお手製の世界地図を見せる。「南蛮人が作った地球儀を模写した」という触れ込みだが、実際は前世の知識を元にして描いていた。
「この通り、海はあらゆる場所と繋がっている。畿内とも、唐(中国)とも、南蛮とも。四国については言うまでもない。つまりは、海の道を整備することで交流を活発にできるのだ」
「なるほど」
口だけで説明されるとわかりにくいが、実際に地図を見せられると納得できる話だ。たしかに海は四国に、日本に、世界に繋がっている。
(この人は我らとは見ているものが違う)
戦ではまったく予想していなかったところから攻められ、降伏を強いられた。最終的な原因は背後からの奇襲上陸であるが、それも「海は道」という発想がなければできない。元親は具房が自分とは次元の違う存在であるように思え、彼が自分の主君になることを実力のみならず、心理的にも受け入れられた。
「とはいえ、移転は治水工事が終わってからの話だ」
水害が起きる地域に行政の中心を置く危険性は具房もわかっている。十分な対策をとるよう何度も言い聞かせていた。水害が起きる地域は伊勢にもある。長島だ。こちらも治水を行った上で大要塞が建築されている。そこでノウハウを学んだ技術者を多数、土佐に派遣していた。
到着した日は一日休み、翌日から各地の視察を始める。まずやってきたのは大高坂山。治水工事を見るためだ。治水ができていないため、築城はまだ行われていない。
「進捗はどうだ?」
「あっ、左府様(具房)」
「こんなところへわざわざ……ありがとうございます」」
技術者たちは具房の登場に驚き恐縮した。絶賛作業中であり、土埃が立っている。あまり近寄りたくない場所だ。しかし、具房は気にしない。
「現場が見たくてな。邪魔はしないから、少し見学させてくれ」
「わかりました」
色々と現場を案内される具房。現在は市街地に沿って堤防が築かれている。堤防の内側を市街地、外側を農地として利用するつもりだ。もし水害が起きたときは農地に水が流れ込む。これなら人的な被害はなく、物的な被害だけで済むというわけだ。
(命がなくなるよりはマシだろ)
農地が破壊されることは農民にとっては耐えられないことかもしれない。だが、命と田畑のどっちが大切かといえばもちろん前者だ。
具房が支配する地域はどこも台風が直撃する可能性がある。水害も起きていた。そういうとき、具房は他の地域から納められた年貢を使って支援を行なっている。北畠領の年貢は他所と比べて安いわけではないが、目に見える形で使われている(還元されている)ので人口の流入が進んでいた。開発が行われている平野部を中心に開拓村がいくつもできている。
閑話休題。
「市街地側の堤防から着工。目処がつけば農地側の堤防を築く作業に取り掛かります」
農地側の堤防は市街地側のそれよりも低いため、越水するのは農地側が先になる。川の氾濫は大きな被害をもたらすが、悪いことばかりではない。山の肥沃な土を下流に運ぶという役割もある。それが農地に流れ込めば土地が豊かになるわけだ。ナイル川の氾濫が起きるエジプトがまさしくその例である。まあ、稲作にはあまり恩恵はない(むしろ稲を薙ぎ倒す厄介者といえる)ので、エジプトの理論がそのまま当てはまるわけではないのだが。
「城を造るのはしばらく先のことだから、そこまで急ぐ必要はない。焦らず、頑丈なものを造ってくれ」
「承知しています」
技術者たちは頷く。ここでは堤防に加えて港の修築も行われている。そちらも目処がつかなければ政庁の整備はできない。四国では船が主要な交通手段になるからだ。浦戸港があるが、手狭なため拡張工事が行われている。
「浦戸の工事をご覧になりますか?」
「いや、それよりも農業試験場が見たい」
「わかりました。ご案内します」
具房が見学を希望したのは農業試験場だった。土佐で栽培しようとしているいくつかの作物。その生育技術の確立と伝達のために作られたのが農業試験場だ。そこでは伊勢から派遣された専門家と現地の農民が働いている。
「どうだ?」
「長宗我部様が間に入ってくださるので、かなり円滑に進んでおります」
曰く、領主である元親が間に入ってくれているので、農民たちも農業試験場の存在や指導を受け入れてくれているという。
(大名は残しておくべきか?)
これまでは大名と領地の関係を切るため、早々に大名を他領に飛ばしていた。だが、土佐では元親を残した結果として支配が早期に固まった。渋々残しただけなのだが、嬉しい誤算である。
(……いや、今回が特殊なだけだな)
伊予の河野氏も残っているが、あちらは揉めに揉めている。長宗我部氏が特別なだけだ。
「順調に育ちそうか?」
「少し時間が経たねば確かなことは言えませんが、今のところは順調です」
生育は良好だという。その調子で頼むぞ、と激励する。土佐に寄る機会があれば、育てた作物を使った料理を食べてみたいものだ。
そんなことを思いながら岡豊へ戻る。敢えて遠回り。途中、浦戸港の拡張工事を見学するためだ。こちらでも作業員や責任者を激励した。偉い人は基本的に黙って金を出しておけばいいのだ。
さて、城に戻った具房だが、庭を見て驚く。山のように刀剣が置かれていたからだ。
「何だこれは?」
刀狩なんてやってないよ? と困惑する具房。その疑問に答えたのは、主人の帰りを聞いてやってきた元親だった。
「その刀は岡豊城下に住まう職人たちが作ったものです」
元親は鍛治職人を集めていた。刀剣の製造はもちろん、鉄砲も作ることができる。四国の過半を平定した長宗我部の力の原動力だった。
北畠家の傘下に入った今、彼らの仕事は主に刀剣の製造だ。銃器は作らせてもらっていない。彼らが作るものより、北畠家で作られたものの方が強力だからだ。実戦でも絶望的な差があったが、目の前で見せられるとその差がより明らかに感じられた。
そこで土佐の鍛治職人は二つの選択肢が与えられた。ひとつは職を続けること。鉄砲は作れないが、元から作っていた刀や槍を作ることはできる。
二つ目はどこかの村に引っ込んで村の鍛治職人になること。そうなると主に作るのは農具となるが、前者の場合より収入は安定する。村にとって必要不可欠な人材だからだ。まあ、需要をほぼ独占するのだから食いっぱぐれる心配はない。
だが、元親は別のことを考えていた。伊勢に留学中の信親や派遣されて来た文官から、北畠家の統治についての情報を集めている。それによれば、武器生産は伊勢周辺で一元管理されているという。
(しかし、伊勢からここに資材を運ぶには時間がかかるはず。それよりも、四国に生産拠点を置く方がいいはずだ)
そう考えた元親は職人たちに声をかけ、自慢の逸品を用意させた。技術力を見せつけて、土佐に工場を誘致しようというのである。実際、職人は多く三方を山に囲まれた土佐は立地がいい。元親の狙いは素晴らしかった。
「ふむ……」
具房はそのなかの一振りを手に取る。そして刃紋や重さなどを確かめた。それを見て元親は試し斬りの提案をする。用意のいいことに、丸太も用意されていた。
(意外と狡猾だな)
用意のよさに違和感を抱き、具房も元親の狙いを看破する。悪くはない提案なのだが、北畠家の秘中の秘である軍需工場を土佐に置くことは躊躇われた。有能なのは確かだが、元親にそこまでの信頼は寄せていない。
(輸送は手間だが、腐るものでもないしな)
銃の在庫はたくさんあるので倉庫を建てて保管しておけばいいのだ。それに四国での輸送は基本的に海運となるが、土佐だと遠い。畿内との連絡がいい阿波や讃岐、九州を睨むなら伊予に置いた方が合理的だ。
なのだが、元親が期待した目を向けてくるので具房は言い出しづらい。結局、結論を先送りにして、若手の職人を伊勢に受け入れて技術を習得させるということになった。彼らが育つころには、情勢も変わっているだろうとの判断だ。
元親に勧められるまま試し斬りをする。使い勝手はいい。元親がどうですかと訊いてくるので、いいんじゃないかと答えておく。だが、これを軍の標準装備にしようというのは無理だ。こんな銘品を揃えられても困る。数がないだろうし、間違いなく高い。数打ちの安物でいいのだ。
元親の猛プッシュを凌ぎ、言質をとられることは防いだ具房。その後、鍛治職人たちは農具製作などに軸足を移し、それが特産品となるのだった。