伊予の宝箱
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具房は妻たちを城に残し、供回りを連れて来た道を引き返す。讃岐に戻るのかといえばそういうわけではなく、途中で脇道に逸れる。道は山に入った。進むにつれて険しくなり、標高も高くなる。
「なかなか厳しいな」
「すみません。道は整備しているのですが……」
「あー、いや、気にするな」
険しい山道に思わず愚痴がこぼれる。すかさず房高が謝ってきた。具房は嫌味を言ったわけではないのだが、そう聞こえてしまったようだ。フォローを入れつつ、発言には気をつけなければと気を引き締める。
色々と苦労しながら山を登っていく。やがて現れたのは小さな村。この地名は別子。何も知らない者からすれば、こんなど田舎にやって来て何をするのかと疑問に思うだろう。だがここは、伊予を支配する最大の旨味といっていい。
「ここに銅があるのですか?」
「ああ。前に伊予の風土記に関する記述があってな。上古にはここで銅の採掘が行われていたらしい」
なんてことを言っているがもちろん嘘である。ただの未来知識だが、怪しまれることになるので散逸している風土記に書かれていた、と言ったのだ。
具房が別子銅山を開発しようとしたのは、北畠家の財源とするためである。史実では巨大財閥となる住友の飛躍には別子銅山が大きな役割を果たした。それに肖ろうというのだ。
「風土記に。なるほど」
北畠家は歴史ある名家ということもあり、昔のことを語らせれば信憑性は増す。周りの人間も呆気なく信じた。
「技術者は程なく伊勢から派遣されるはずだ。彼らが到着し次第、試掘を始めてくれ」
北畠領にも零細規模の鉱山はあるため、経営はぶっちゃけ赤字なのだがノウハウは蓄積している。技術者も育っており、彼らのなかでも若くて優秀な者を連れてくる予定だ。
ただ、本格的な開発は四国の防備が整ってからになる。鉱山開発にはかなり金がかかる。これを他所に奪われるのは避けたい。十分防備を固め、その上で奪われたのなら仕方ないといえるが、何もせず見切り発車で開発した挙句に奪われるのはただの馬鹿だ。
「銅が採れるようになれば、貿易も捗りますな」
「そうだな」
たしかに別子銅山から産出される銅鉱石の品質は高い。その含有率は驚きの二十パーセント。現在の銅鉱石の含有率は一パーセントであるから、品質の高さが窺えるだろう。
移動して山を登ったところで夜が近づいたので、今日はここで野営をする。近くに村はあるが、民家に泊まるより天幕の方が快適だ。湯を沸かし、乾麺と粉末(スープの素)を入れた椀に注げばカップ麺の出来上がり。兵士たちにも人気の野戦食だ。麺を啜りながら今後の予定を立てる。
「あと数日はここを見て回りたい」
具房はしばらくここに留まることにした。目的の第一はリラクゼーション施設を建てるにあたって何が適当かを決めることだ。
鉱山に関係する施設は技術者が勝手に建てるだろうが、それ以外はあまり気が回らない。まあ仕事が第一であるのでその気持ちはわかるが、リラクゼーション施設も必要である。日々、厳しい仕事をする工夫たちを労わなければならない。労働争議など御免だ。だから自ら足を運び、何ができるかを考える。
(芝居小屋、食事処なんかは必須だな)
別子の街は居住区、商業区などという具合に区画分けされる。その方がわかりやすいというのもあるが、隠れた狙いもあった。区画の間はそれなりに距離があり、移動も大変だ。だから乗合馬車を作ろうと思っているが、それは公営かつ有料とする。工夫には色々な手当がついており、これを少しでも回収するのだ。
そんなことを考えながら別子周辺を見て回る。担当する技官と一緒にここをこうしてああして、と相談するのは楽しかった。だが、楽しい時間というのは過ぎるのも早く、帰路につくまでの時間は体感的で一日ほどにしか感じられなかった。
やることが済むと下山して今張に入る。この地には旧河野水軍に属していた船大工が集められていた。彼らには海浜部のだだっ広い土地が与えられている。そこに造船所を作れというのだ。号令は具房がかけたが、船大工たちは困惑する。
「こんな広い土地を使っていいのか?」
「船渠が十は並ぶぞ」
ざわざわと落ち着かない。まあ、それも無理からぬ話だ。これまで細々と作っていたものを大々的に作れといわれれば誰だって戸惑ってしまう。しかも、与えられたものは広大な土地だけではない。和船の設計図に住居まで与えられた。住居は決して広いとはいえない長屋だが、新築で五人くらいなら余裕で収容できる。親方衆はいざ知らず、若い衆にとってこの待遇は破格だった。
「とにかく設計図にある船を造ってくれ」
その指示に文句を言う者もいたが、提示された給料を見ると態度を変えた。船大工としては十二分な値段だったからだ。それが貰えるなら、と大半の人間は指示に従った。
和船を造らせるのは、今張を国内向けの輸送船を造る拠点にするため。主に西国向けの船舶を量産してもらう。船大工が育てば順次、造船所も増やしていく。なお後年、具房の計画は結実し、今張ではいくつもの造船所が稼働することとなった。あわせて船会社も増え、後世においても商船を数多く所有する「船の都」として有名になる。
また、今張には別の産業も用意してあった。綿織物である。今治といえば造船の他にタオル。その生産も開発計画に入っている。ただ、原料である綿がない。三河の綿は伊勢で使われているし、運ぶとなるとコストがかかる。代わりに畿内で綿花栽培を始めさせているが、軌道に乗るには時間が必要だ。それに運ぶときは海運が使われるが、今は瀬戸内海の航路が使えない。
「できるところまでやっておいてくれ」
「わかりました」
瀬戸内海の航路が使えるようになり次第、三河から綿を運んで試験的に操業させる。工員の技術が向上する頃には、畿内の綿花栽培も軌道に乗っているだろう。それまでに最低限の施設は揃えておくよう指示した。設備がなければいくらロジスティクスが整っても意味はない。
町を見て回り、諸々の指示を出すと具房は今張を離れる。房高は町の外れまで見送った。別れ際、
「後のことは任せたぞ」
と声をかける。房高はこれに、
「はっ。他所に負けぬ立派な地にしてご覧に入れます」
と実に頼もしい返事をした。
これで湯築に帰るのかといえばそうではない。具房はやらなければならないことを一気に片づけてしまう派だ。夏休みの宿題を最初か最後にまとめてやるタイプの人間である。折角出かけたのにまた出かけるのは面倒。そんな思考が働き、街道に出るや湯築をスルーして一気に南下。南予は板島にやって来た。そこでは岸茂勝が待機している。
「ようこそ、殿」
「ああ。早速だが、例の計画の進捗が知りたい」
「承知しました。ご案内します」
昼に着いたので、即座に視察に入る。東予の産業は銅や造船、綿織物。中予の産業は観光だ。ならば南予は何か。それは真珠の養殖である。
「志摩のようだな」
入り組んだ岸を見て具房が感想を漏らす。南予の沿岸にはリアス式海岸が広がっている。それを具房は知っていたが、さも知らなかったように振る舞う。
「はい。ここなら真珠も育てられるでしょう」
真珠の需要は近年、爆発的に増加している。日本から大量に真珠が採れることがヨーロッパ本国に伝わったのだ。それで商人が大量に買いつけようとしたのである。
希少性が売りなので、真珠の生産量は抑えられていた。結果、真珠の取引価格が爆上がりしている。それ自体は嬉しいのだが、上がりすぎて商人の決済能力を超えかねないのだ。ただでさえ交易の機会は少ないのに、取引できないとなれば痛手になる。そこで増産が決まるとともに、新たな産地を設ることにした。白羽の矢が立てられたのは現代でも真珠養殖が盛んな南予だった。また、生産拠点の増加はリスクヘッジの観点から見ても有益である。
別子銅山とは異なり、南予は敵に渡すことは考慮されていない。なので最初からフルスロットルで開発が進められている。伊勢志摩から技術者を呼んで早速、作業に入らせていた。海上には真珠養殖の筏が既にいくつも浮かんでいる。
「順調そうだな」
「まだまだ試験段階ですが、志摩で養殖を始めた頃より楽だと古参の技術者が申しておりました」
「なるほど」
違いない、と具房。志摩での養殖は今でこそかなりの生産性を誇るが、昔はそうでもなかった。不慣れなため、貝が途中で死んでしまうことが多かったのだ。色々と試行錯誤して今の真珠養殖が成り立っているのだが、南予ではその必要はない。もちろんこの地域独特の環境から多少の工夫は必要だろうが、志摩ほどの苦労はないはずだ。
「漁師たちとの関係はどうだ?」
「今は不干渉という感じですな」
領主肝煎りの政策ということで、漁師たちは一応、協力してくれている。ただそれは海の特徴など最低限で、操業などには協力してくれない。乞われれば教えるけど、自分たちの邪魔はしてくれるなというスタンスだ。
「そうか」
「すみません。自分の力不足です」
「問題を起こさないよう気をつけれていればそれでいい」
余所者なので警戒されるのは当然である。拒絶されていないだけでも喜ぶべきだ。今後は伊勢から人が来るので、彼らと地元民の間で軋轢が起こらないよう注意しろと指示しておいた。
沿岸を歩いていると、小舟が接岸した。アコヤガイを採取した船である。母貝となるアコヤガイは養殖できていないため現地調達。ごそっと獲ってきて、然る後に選り分けている。具房は何気なく見ていたのだが、そのなかで目に留まったものがあった。
「この貝は?」
ホタテのような貝殻の形をしているそれを持ち上げて訊ねる。
「それはヒオウギガイといって、母貝とは別の貝ですよ」
茂勝が答える。フジツボなどがついており、水揚げの段階では区別ができないのだそうだ。一応、食用ではあるが特別美味というわけでもないらしい。
「ふーん」
ホタテかと思ったんだがな、と心のなかで思いつつ掌で弄ぶ。すると、意外な側面を覗かせた。
「ん? この貝、色がついていないか?」
擦ってみると紫色の貝殻が覗く。普通の貝ではまずない色だ。
「本当ですな」
「……他のものも調べてみよう」
好奇心に突き動かされ、ヒオウギガイの貝殻に付着したものをとっていく。すると次々と鮮やかな色をした貝殻が現れた。黄色、橙、赤そして紫と概ね四色。微妙に色味が異なるものも入れれば数えられない。他に褐色のものもあるが、色がついているものはともかく美しい。
「これは何かに使えるのではないか?」
「たしかに」
小さめの貝ならそのままアクセサリーにできるし、大きいものはインテリアの装飾品として使える。また、料理の盛りつけにも彩を添えてくれるだろう。思わぬ気づきから新たな産業が生まれた。ヒオウギガイを使ったアクセサリーやインテリアは、後に南予の特産品のひとつに数えられることになる。
視察を終えた具房は休むことなく湯築へと引き返していった。お土産にヒオウギガイのペンダントを携えて。敦子たちにはお守りのようなものと認識され、喜ばれた。
「ーーですが、誤魔化されませんよ」
ひとしきり騒いだ後、敦子たちがぐっと距離を縮めてきた。そう。湯築では温泉に浸かるなりしてまったりしようという話だったのが、着いてからは仕事仕事で約束が果たされていない。有耶無耶にしようとしている、と思われたのだ。
「おいおい。誤魔化すなんてそんなつもりはーー」
なかったといえば嘘になるが、忘れていたわけではない。だが「お預け」を食らっていた妻たちの不満は収まらず、翌日からしばらく彼女たちと一緒に過ごすことになった。