讃岐の価値
最近、前書きをあまり使っていないな〜、とふと思い立ったので作者の近況をお話ししようかな、と。早く本編を読みたいという方はスクロールをお願いします。
忙しい。そのひと言に尽きますね、最近は。読書時間というものを設けているのですが、その時間は専ら専門書や学術雑誌ばかり読んでいます。ラノベは全然読めてません。かれこれ二年分くらいは積んでいると思います。早く消化できないかな……と思う今日この頃。
忙しい要因はもうひとつありまして。ゲームですね。特にウマ娘にハマっております。それとhoi4というゲームとで時間が過ぎてしまっています。こちらは自業自得なのですが、止められません。周りからは研究に集中しろと言われるのですが、こればかりは性分ですからね。
さて、下らない話でしたが、以上が作者の近況です。何かあれば感想で。それでは本編をどうぞ。
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讃岐にうどんを普及させることに目処をつけた具房。だが、讃岐での目的はそれだけではない。オリーブの他にも育てたい産業があったし、阿波と同様に支配の中心となる新たな城を作ろうとしていた。
「ここが宇多津か」
讃岐国宇多津。古代においては朝廷への献納品を積み出した港として栄え、細川頼之が讃岐の守護所としたことから讃岐における中心地になった。港としての重要性は古代からのものだが、それ以上に注目されるのはここが塩の産地だということだ。日本は全体的に雨量が多い。そのため製塩にはあまり向いていないのだが、瀬戸内は降水量が比較的少なく、塩の産地となっている。特に北畠家が取引している東北や蝦夷地では塩の多くを輸入に頼っており、これを売ることができれば大きな儲けが期待できた。
「職人たちには話を通してあります」
宇多津を案内するのは義治ではなく、娘婿の高和だ。義治には男子がいないため、弟(六角義定)の次男を婿養子にした。彼が六角宗家を継承することになっている。若いが、学校では好成績を残していた。卒業後は武官となり、大和兵団に配属される。同兵団が解散となり、また義父の義治が讃岐を預かる身となったことから、新設の讃岐兵団の中核要員として讃岐へやってきた。
武官である彼がなぜ宇多津の案内をしているかというと、具房の護衛だからだ。日程は高和によって組まれており、実務にあたる文官は割り当てられた時間で説明することになっている。すべてを仕切っているのが高和なので、彼が案内をしていた。
具房は塩田を視察する。眼前に広がるのは揚浜式塩田。海水が地中に染み込まないように防水層を作り、その上に細かい砂を敷き詰める。塩田には海水を撒き、太陽と風の力を借りて水分を飛ばす。十分に水気が飛んだら砂を集めて海水で洗って鹹水を作り、釜で煮詰めて塩を得るのだ。
「おお、凄まじい熱気だな」
釜で鹹水を煮詰める場所は熱い。薪を焚いているからだ。それが何台もあるのだから、熱いのも無理からぬことである。
「こんなところへ、よくいらっしゃいました」
出迎えた職人がペコペコと頭を下げる。塩は生産に手間暇がかかって貴重なため、権力者が専売制を敷くなど統制の対象であった。そのため、彼らは自然と権力者に阿るようになっている。
だが、揚浜式塩田は非常に生産性が悪い。塩田に海水を撒き、海水を含む砂をかき混ぜなければならず労力がかかるからだ。そこで具房は流下式塩田を導入することにする。
仕組みはこう。水車や風車を使って水を汲み上げ、蒸発層に流し込む。太陽の光に当てて塩分濃度を高めるのだ。一度では足りないため二度、三度と繰り返すことで少しずつ高めていく。その後、枝条架と呼ばれる竹束を重ねて棚のようにまとめたものに流し込み、陽光と風によってさらに塩分濃度を高める。こちらも複数回繰り返し、十分に塩分濃度が高まったところで釜で煮詰め塩を得るのだ。
一見すると面倒そうだが、釜で煮詰める以外に人間の作業がないためかなり省力化されている。他にやることといえば機構のメンテナンスくらいだ。
具房はこの方法を瀬戸内の沿岸部や島嶼部で大々的に行うつもりだった。特に島嶼では現金収入のいい手段となる。塩は人間が生きる上で必要不可欠であり、人手がかからないため安く製造できた。こうして生産された塩は北畠家が責任を持って買い取るつもりだ。島で作ると輸送コストなどがかかるため、それによる価格の差をなくすためである。民も北畠家も互いに儲かるwin-winな関係だ。
「ーーというようにするつもりだ」
自らの構想を話す具房。既に計画は動いており、伊勢の試験場で雛形は完成している。後は現地で作るだけだ。モデルとして選ばれたのがここ宇多津と伯方島。前者は古くからの塩の産地であり、瀬戸内海沿岸にあるから。後者は島嶼における塩田のモデル例として選ばれた。
なお、無理に生産方式を変えさせるつもりはない。そんなことをしても揉めるだけだからだ。強制はせず、官営の塩田を作って彼ら自身の判断で製法を変えてもらう。
「それは……」
やはりというか、製法を変えることに難色を示す塩職人。そんな彼らに具房は強制するつもりはないと言う。今はあくまでも、こういうことするからよろしくね、というお知らせにすぎない。
なお、高和によれば既に数名の塩職人が興味を示しているという。伊勢から人は派遣されるが、地元の人間の存在はありがたい。彼らから大きな流れになってくれることを祈る。伊勢から移った人間が当面、生産にあたるとはいえ、彼らが育つよりも既存の職人が転向した方が早い。
塩の売買にはかなりの利益を見込めるため早期に結果がほしいところだが、それで民衆との軋轢を生んだのでは困る。逆に計画が立ち遅れ、人が育つよりも遅くなるかもしれない。強要はするな、と何度も言い聞かせた。
それで塩田視察は終わり。昼食を食べた後、流下式塩田の建設予定地を見学する。随行していた技官が問題ないと判断すると、四国開発局に塩田の建設にとりかかるように指示を出した。
「人足が多く集まる。食事や寝床の手配はしっかりするように」
「はっ」
計画にゴーサインが出たので、高和にも注意を与える。工事にあたって讃岐の行政府の仕事は、現場警備や人足の宿泊所の建設だ。余所者は村社会において秩序を乱す厄介者と見られるため、しばしば排斥の対象となる。その懸念を払拭するため、食事と住まいの環境を整えて地域社会から隔絶することとした。これなら村人も人足も不快な思いをせずに済む。
そんな配慮は塩の積み出しを行う港湾の改修工事でも行われている。製塩業は基幹産業ということで、本来は後回しにされる港湾の改修も特別に前倒しされた。もっとも本格的なものではなく、使いやすいように手を加えるだけだ。
具房の構想では、宇多津港の役割は荷物(塩)の積み出しのみ。塩を讃岐の中心港に運ぶだけでよく、運用されるのも中小型の和船だ。よって本気で開発する必要はない。開発すべきは中心港のみ。金だって無限にあるわけではないので、当然の判断だ。
宇多津の視察を終えると、具房は休む間もなく次の目的地に向かう。香東郡篦野。現代では高松と呼ばれている場所だ。ここが讃岐国の政庁となる。畿内に近く平地が多いこの地はかなりの発展が見込めた。城に町、港湾などなど、整備するものが目白押しである。そのため、讃岐の開発優先度は最前線の伊予に次ぐ二番目だ。
「ここ、玉藻浦に城を築く」
具房は技官から受け取った設計図を広げる。ここに築かれる城は政庁というだけではない。城内に軍港を設け、海軍基地としても活用できる海城として計画されていた。
「これは……随分と大きな城ですな」
「そうだな。しかし、天下の巨城に水軍とは、六角家の腕の見せ所ではないか?」
高和は設計図を見て驚いていたが、具房はさらに挑戦的な言葉をかけた。かつて、六角家の居城であった観音寺城は日本でも屈指の巨大な城であった。さらに堅田衆などの水軍を配下に収め、琵琶湖を支配している。海と湖という違いはあるが、讃岐で義治に期待されている役割は近江時代のそれであった。
具房の意図に気づいた高和ははっとする。それに頷きつつも裏で、
(考えたくはないが最悪、伊予は失陥するからな)
と隠された意図について考えていた。
塩飽水軍は織田方についており、讃岐までの瀬戸内海は安全だ。しかし、それ以西となると未だ村上水軍が元気で、制海権を握られている。電撃的に侵攻されれば、態勢が整っていない伊予は落ちる可能性がある。畿内から救援を送ろうにも遠いのだ。
戦闘計画では最悪のケースとして、毛利の電撃的な侵攻を受けることも想定されている。想定される来攻地点は伊予。その場合、伊予兵団は讃岐、土佐兵団の支援を受けて遅滞戦術を用いつつ東と南に後退。時間を稼ぐ間に畿内からの増援を受けて反攻に転じる。その際は中国方面からも侵攻することとしていた。
そんな最悪の想定の下、内政も考えられている。讃岐に四国における水軍の拠点を造ったのもその一環だ。伊予にも大きな港を造るが、あくまでも前進基地。本格的な整備は毛利の脅威がなくなってからだ。
(だからこそ、讃岐は大事になる)
反攻における肝は四国に侵入した毛利軍の殲滅だ。中国からの侵攻を察知すれば、四国に展開されている軍が撤退するのは明白。それを包囲殲滅する。
具体的には讃岐に伊勢、志摩、伊賀兵団を展開。志摩兵団が伊予(三津浜)へ強襲上陸を敢行する。このとき北畠海軍は全力出撃し、村上水軍を相手に戦う。たとえ壊滅しても、兵士を乗せた輸送船だけは守り抜く。志摩兵団が勝山(松山)を制圧して敵の後方を断つとともに、伊賀兵団を先鋒に敵前線を突破し、伊勢兵団が続く。東予を一気に陥れ、中予の志摩兵団と合流する。こうして南予に毛利軍を閉じ込めるのだ。
この計画からもわかるように、反攻の拠点は讃岐となっている。そこを優先的に整備するのは当然だった。
具房はここでも人足と地元民とが衝突しないよう隔離しておくように言う。理由は宇多津と同じだ。しつこく言うのは軽視されると困るからだ。大事なことは強調する、が基本である。
「徹底するよう伝えます」
何度も言われたため、高和も大事なことだと思って義治に報告。それを受けて義治は現場に隔離を徹底させた。おかげで大きなトラブルは起こらず、概ね円満に工事を終了するのだった。
滞在最後の夜、具房は義治と二人きりで話していた。義治から相談したいことがある、と誘われたのだ。家臣の相談に応じないはずがなかった。
「息子(高和)はしっかりやっていましたか?」
「ああ。色々と手配してくれていて、無駄なく回れたよ。優秀だな」
「ありがとうございます」
そう聞いた義治は嬉しそうだ。娘しかいなかったせいか、高和のことをかなり気に入っているらしい。それでも甘やかすということもなく、真っ直ぐに育て上げている。部隊を指揮する腕前は知らないが、参謀など裏方の仕事は少なくとも務まるだろう。将来は出世すること間違いなしだ。
「そういえば、若殿(具長)はいかがですか?」
「飛び抜けて優秀というわけでもないが、なかなか利発だよ」
流れで具房は子どものことについて話す。娘たちはそれぞれの母親に似て美人だし、賢い。息子たちも美形で頭もいい上、剣や弓などの武術が得意だった。家系を辿れば直近でも剣豪・北畠具教、弓や馬術の名家・六角家の血を引いている。いい血統を集めたまさしくサラブレッドだ。
「殿は子沢山で羨ましい」
娘二人しか子どもがいない義治からすると、子どもの多い具房は羨ましかった。
「それで、話とは?」
このまま話していると義治にとってあまり快くないことになるので話題を変えた。義治もそうだったと言って本題に入る。
「計画に遍路のことについて書いてありましたな」
「ああ。伊勢参り、熊野詣に次ぐ観光の柱とするつもりだ」
お大師様(空海)の軌跡を辿り、ご利益にあやかりませんか? とか何とか適当なキャッチフレーズをつけて観光を推進するつもりだ。道の整備など大規模な事業になるが、既存の観光ルート(伊勢参りや熊野詣)に飽きられる前に新たな選択肢を与えるべく、優先度は中程度になっている。
ちなみに、四国八十八ヶ所巡り(遍路)は空海が始めた、とされるがあれは宗教上の建前にすぎない。誰が始めたのか、なぜ八十八の寺院を回るのかなどなど、詳しいことはわかっていないのが実情だ。空海の弟子が始めたとか、別の僧侶が開いたとかいわれ、時期も平安時代末から江戸時代までとてんでバラバラ。歴史学者の端くれとしてこれは気に食わないが、商業的にはどうでもいい。福沢諭吉を印刷したただの紙切が一万円の価値を持つように、遍路は空海が作ったと信じられていればそれでいいのだ。
「某は反対です」
義治は四国遍路を観光の目玉にすることに対して反対姿勢を打ち出した。
「理由を聞こうか」
「乞食などが多すぎます」
公家などが巡るには不適当だと義治は主張した。お大師様のご利益にあやかろうと多くの人間が遍路に繰り出している。だが、そのなかには訳ありの人間もおり、一時的な巡礼だけでなく、一生を終えるまで永遠に回っている者もいるということだ。
「そうだったのか……」
具房は想像と実態が大きく乖離していることを知った。
「了解した。わたしの方でも考えてみる」
「ありがとうございます」
進言を受けた具房は四国遍路の実態を調べようと考えた。