うどん国を目指して
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讃岐は四国のなかで最も面積が狭いが、山がちな四国において珍しく平野が多い。畿内にも比較的近いため、現代では四国における最大都市である松山市を差し置いて、高松市が中心都市となっている。そういう意味ではとても有望な土地であった。
「無事のご到着、おめでとうございます」
出迎えたのは六角義治。讃岐を預かる知事であるとともに、具房から見ると従兄弟にあたる準一門だ。弓の名手であり、北畠軍の弓兵訓練プログラムは彼(と承禎、義定)が作り上げた。
「ありがとう。しばらく厄介になるぞ」
「殿ならばいつでも大歓迎です」
男二人が挨拶を交わすなか、馬車から敦子がひょっこりと顔を出す。
「これは奥方様(敦子)。お久しぶりでございます」
「そうですね。お父君や義母上(北の方)にはお世話になっています」
敦子と義治が会ったのは指折り数える程度だが、父親である承禎や妹で敦子からすると義母にあたる北の方とは京の屋敷で毎日のように顔を合わせている。敦子は義治の話をよく聞かされ、義治は敦子の話を手紙などで聞かされていた。だから会った回数は少なくとも、相手のことを何となく理解している。
「……そうだ敦子。夜に京での話をしてくれ。父上の話が聞きたいし、右衛門督(義治)も承禎の話を聞きたいだろう」
「もちろんですわ」
具房は義治に気を遣って、敦子に京での話をするよう依頼する。手紙だけでは伝わらないこともあるから、身近な人間の話も聞きたいだろうと考えた。
その日の夜は具房の歓迎会も兼ねた宴会が開かれる。途中、具房と敦子、義治の三人で集まって、敦子から京で親の話を聞く。
「承禎殿は常々、『四郎(義治)はよくやっている』と仰っていました」
敦子のこの言葉に、義治は意外そうに目を見開く。
「そうだったのですか……書状ではちゃんとやっているのかと言われるばかりで意外でした」
「私も同じだ」
具房も具教からは色々と言われている。大体が、もっと信長に意見しろとか、この行動はけしからんから直すように言えとか、批判や注文が多い。
「義父上はあなた様を『誇りだ』と仰っていましたわ」
曰く、北畠家の勢力を伊勢志摩に留まらず伊賀、紀伊にまで拡大したことは歴代当主でもなし得なかった偉業だと常日頃から称えているという。無論、具房にそんな話は一度もされていない。
(ジジイのツンデレとか、誰得なんだよ……)
これが具房の感想だ。喜ぶというより呆れが大きい。具房は活躍しているーー現代的にいえば、成績がよく社会でも出世しているエリートだ。しかし、具房の出来が悪ければ批判されていただろう。親しい人間の間では言わなくても伝わることがある。それは認めるが、多くの場合は言われないとわからない。勝手に期待して勝手に失望されるなど理不尽すぎる。義治は喜んでいるが、具房はどうも喜べない。嬉しくないわけではないのだが、複雑である。
その後も敦子から色々な話を聞かされたが、具房は聞き流すだけに終わった。まあ、義治が満足していたようなのでそれでよしとする。
翌日から具房は仕事にとりかかった。ここでもゆっくりする暇はない。讃岐も泥沼の戦いによって阿波ほどではないものの荒れている。そこで阿波でやったように食料を支給することにした。例によって村長たちを集め、具房自らがその旨を発表する。量は阿波の半分(四人で一石)だ。
「「「おおっ!」」」
ここでも人々の受けはよかった。ただ、当然の疑問として、なぜ阿波よりも支給される量が少ないのかということになる。それに対する回答は先述のように、戦禍が阿波に比べると深刻でないからだ。隠しておいて禍根を残すより、正直に話して理解してもらう方がいいと具房は隠し立てをしなかった。
だが、いくら説明しても不平不満は出る。進まない議論に人々は苛立ち、殺気立ってきた。自力救済が原則の時代に生きる人々だ。相手が武士ーー戦闘のプロでも引かない。野蛮である。だが、郷に入っては郷に従え、目には目を歯には歯を、という言葉がある。そこで具房もそれに倣い、実力には実力で対抗することにした。
具房が右腕をスッと上げれば護衛が現れる。彼らは鉄砲を装備していた。変な動きをすれば撃つ、というわけだ。北畠軍の鉄砲はパーカッションロック式なので、見ただけでは虚仮威しのように見えてしまう。そこで、空に向けて威嚇射撃を行った。これで戦意を削ぐ。その上で、
「諸君。普段、何か困っていることはないか?」
と問いかけた。
「食い物がねえ」
村長たちは困惑しながらそう答える。具房は頷くと、さらに問いを重ねた。
「戦によって蓄えが乏しくなったというのもあるだろうが、それだけが理由か?」
「違う」
「雨が少なくて、作物が育たないことが多いんでさ」
村長たちは口々に水不足が原因だと言う。
「なるほど。ならば、阿波より米が少ない代わりに、水不足で困らないよう我らが支援しよう」
具房は溜め池の増設、小麦やオリーブの生産奨励を具体策として挙げた。溜め池の工事に従事した者には給金と工事期間中の食料支給。作付け変更に従った者には金を支給するとともに税制で優遇すると伝える。
「小麦か……」
「不満か?」
「税が軽くなるのは嬉しいですが、小麦は美味くないから……」
気が進まない、といった様子だ。好き好んで不味い飯を食おうとする者はいないだろう。その気持ちはよく理解できる。だが、これこそ具房が狙っていた流れだった。
「小麦が美味く食えればいいのだな?」
「そりゃ勿論」
「ならばそれも教えよう」
小麦を美味しく食べる方法とは、ずばり讃岐うどんだ。讃岐の人間は小麦=不味いという認識から脱却できる。具房は蝦夷地から獲れる昆布の販売先ができて嬉しい。まさしくwin-winだ。具房は後日、講習会を開くから女房衆を連れてくるように言った。途中、盗賊に襲われては寝覚が悪いので、軍を出して護衛する。小学生の登校を警察官が見守るようなものだ。
そして後日。具房が滞在する十河城には数百人の女性が集まっていた。とても賑やかで、かれこれ三十分が経過しようとしているのに話し声が止むことがない。村長たちはどこか肩身が狭そうだ。
とはいえ、太鼓が鳴るとさすがに静かになる。その辺りは村長たちが言い含めていたようだ。太鼓の音とともに具房が姿を現して遠路ご苦労、とまず労う。
「諸君にはうどんの作り方を教えよう」
と、今日の集まりの主旨を述べた。屋内の厨房には既に道具一式が用意されている。そこでうどんの作り方を教える段取りになっていた。具房に随伴している北畠家の料理人が各グループごとに教える。前で実演するのは敦子たち女性陣だ。具房はその監督。本当は本人がやろうとしたのだが、左大臣という権威を盾にしている以上、イメージを崩すような真似はしないことにした。
讃岐うどんの作り方は割と簡単。まず小麦粉に塩水を加えてこねていく。少し黄色くなり、そぼろ状になるのが満遍なく水が行き渡ったというサインだ。これをまとめて団子状にする。
「……」
この工程を蒔が黙々と、だが手際よく生地をまとめていく。
「手慣れてるな」
その姿を見た具房が正直な感想を漏らす。
「……修行でやったから。粉をまとめるのは得意」
ふふっ、と笑う蒔。その笑みは暗い。魔女が鍋の前で浮かべるような顔だ。彼女の言う「修行」とは忍者修行のことで、そのなかには料理修行や薬作りも含まれる。薬は主に丸薬で、薬剤を丸薬にする作業と粉をまとめる作業はほぼ同じだ。手際がいいのも納得である。
そうして出来上がった生地を板に挟んで踏む。
「えいっ! やっ!」
律が掛け声とともに板を踏みつける。彼女は北条家の出身で、料理の勉強などしていない。北畠家に来て日も浅いため、まったくできなかった。だから簡単な作業に従事している。
「力任せに踏んではダメだ。内から外へ押し出すようにして」
見ていた具房が踏み方を指導する。讃岐うどんのコシの正体は何重にも重なった生地の層。足踏みの工程はコシを出すためのものなので、単純だがとても重要。適当に踏めばいいわけではないのだ。
「わかりました」
律は具房の指導に素直に従う。そうしておよそ五分間、内から外へ踏み踏み。それが終わると一度生地を出して畳む。端を内側へ折り込み、また板に挟んで五分間踏み踏みする。今度は三つ折りにして正方形にし、また板に挟み三分ほど踏む。これで踏む工程は終わりだ。
足踏みの工程が終わるときには生地は平らになっていた。生地の端を中心に寄せ、また団子状に包む。丸くなったら端からグニュッと生地を押し出し、また中心に寄せて団子状に。それを繰り返して円形にする。担当は再び蒔。こういう繊細な作業は器用な彼女が適任だった。
スライムみたいになった生地は一時間ほど寝かせておく。熟成させるためだ。丸くしているのは均等に熟成させるためである。その間にうどんの汁を作っていく。
うどん汁の作り方はとてつもなく簡単。まず出汁(一番だし)をとる。それにみりん、醤油を適量入れて煮立たせれば完成だ。担当は毱亜。お茶を淹れるのが得意だが、エキスを抽出するという点では出汁も同じ。この手の作業に彼女は天才的な才能を有していた。
出汁をとるとき、昆布は水から入れる。そして沸騰直前に取り出すのだ。煮ていくとふつふつと気泡が浮かんでくる。これがやがてぼこぼこと激しく泡立って沸騰するのだが、毱亜はその直前にサッと昆布を取り出す。
「相変わらず見事なものだ」
手際は無論のこと、勘というかセンスに脱帽する具房。北畠家の料理人はいずれも素晴らしい腕を持っているが、出汁をとる腕は毱亜に及ばない。特に若手料理人は彼女の審査を受けて合格しないと、ひとりで出汁をとらせないことになっていた。
「これだけは負けませン」
ネガティブな思考が染みついてきた彼女も、お茶や出汁を淹れたりとったりする技能では誰にも負けないと自信を深めたようだ。いい傾向といえる。
話している間も毱亜の手は止まらず、沸騰する出汁に差し水をして落ち着かせ、すかさす鰹節を投入。その香りがふわりと広がる。また沸騰すると火から離して鰹節が沈むまで待つ。ザルに布巾をかけ、漉せば絶品の一番だしの完成だ。
このように出汁をとることは単純なようでいて実は複雑なことである。しかし、クオリティに拘らなければそこまで手がかからない。つまり暇になる。生地の熟成が終わるまで、女性陣のお喋りが続いた。
熟成が終わると作業は延しに入る。生地を平らにしていく作業だ。麺棒を使って円形にしていく様はまさしく職人技である。そんな達人が意外なことに敦子だ。
「はっ、ほっ!」
敦子が麺棒を転がせば、ピザ生地のように薄い円形になる。まさしく職人技。それでもって、貴族令嬢である彼女が汚れてもいいように着古した着物を纏い、襷で袖を上げている労働者スタイルをするのはとてもレアだ。
「見事なものだ」
「料理は教わりましたから」
礼儀作法や芸事は完璧だった敦子。だが、お市も含めて具房の妻たちが料理ができると知ると、対抗意識を燃やして料理も習ったのだ。
北畠家で出される異色の料理のなかで彼女が気に入ったのは蕎麦。それまで「蕎麦」といえば蕎麦がきを指していた。しかし、北畠家で提供されていたのは蕎麦切り。麺状に切って食べるもので、斬新かつ美味だった。さらに具房が、
『蕎麦は色々と工夫をすることで美味になる』
と吹き込んだので、敦子はトッピングを変えたり出汁の比率を変えたりと工夫しまくっている。京の北畠屋敷では週に二、三回は蕎麦が出るようになっていた。そして更なる美味を求め、自身が蕎麦打ちをするようになるまでそう時間はかからなかった。その技術がうどん作りに転用されている。
畳んで切るのもスムーズだ。トントントン、と包丁が規則的なリズムを刻み、生地を正確に三ミリの幅で切っていく。最初は蕎麦と同じ要領で細く切ろうとしていた。
「待った! 待った!」
具房は慌てて止める。讃岐うどんの特徴、美味しさの秘訣はコシ。細く切れば折角のコシが台無しになってしまう。太くするように言い、三ミリ幅で落ち着いた。
切り終えれば余分な打ち粉をふるい落とし、釜で茹でる。茹で時間は十五分弱。あまり茹ですぎるとドロドロになり、やはりコシがなくなってしまう。その加減が大事だ。
茹で上がれば器に盛り、汁をかけてネギなどの具材をトッピングすれば讃岐うどんの完成。オーソドックスにかけうどんだ。人々はそれを食べ、
「美味い!」
「凄い歯応え!」
美味しさに感動し、独特のコシに驚いた。
「美味しいけど、これだけだとなぁ……」
「夏は食べられねえよ」
しかし、肯定的な意見だけでなく不満の声も上がる。これだけでは飽きてしまうというのだ。もちろんそんな反応も織り込み済み。具材を変えれば飽きがこないし、夏には冷たいうどんにすればいいと言った。
冷たいうどんの代表格はざるうどんだが、他に釜玉うどんやすだちうどんなども紹介する。だが、それを作るには材料が足りない。人々は文句を言ったが、具房たちはそれらがいかに美味かを説き続け、食欲を煽る。その上で、
「卵は鶏を飼えばいい。すだちや醤油など、足りないものは阿波など近隣の国から買えばいいのだ」
「待ってください。鶏を飼うなんて、そんな余力はありません」
農作業すら苦労しているのに、鶏を飼うことはできないという。人々は頷く。
「お金の余裕もありません」
この声にも次々と同意が示される。もっともな意見なのだが、どれも具房が予想していたものだった。それどころか、この流れを望んでいた。
「そうだな。だが考えてほしい。自分たちではできない。なら、周りの村と協力するのはどうか?」
「協力?」
「自分たちの村では人手が足りない。とはいえ、ひとりも出せないというわけではないだろう。他所の村もそんなところだ。ならば、いくつかの村々で共同して鶏を飼い、出した人手に応じて分配すれば鶏を飼うことができる」
「な、なるほど」
「金子も手に入るようになる。これを見てほしい」
具房は緑や黒の果実を見せる。
「これは?」
「オリーブといって、南蛮では様々なものに使われている。上方でも流行っているが、何せ高い。つまり、これを買って育てれば高く売れるということだ」
南蛮人が、讃岐はオリーブの栽培に適した土地だと言っていた、と付け加える。第三者の声を入れ、信憑性を高めるためだ。それでも不安に思うかもしれない、と具房は北畠家が生産されたオリーブをすべて買うと保証した。無論、技術指導も行う。
ここまで破格の対応なのは、オリーブ油は加工して売り払うので仕入れ値以上の売値が期待されるからだ。また、オリーブの栽培は養鶏にも活かせる。搾りかすを飼料として与えれば、鶏に与える穀物を減らすことができた。
「なら、やってみるか」
領主の支援があるならひとつやってやろう、という空気が生まれ、具房の政策は受容される。オリーブ産業は軌道に乗り、讃岐の人々はうどんに好きなものを乗せられるようになった。具房の狙い通り、讃岐国は「うどん国」として世間に知られるようになる。