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北畠生存戦略  作者: 親交の日
第十三章
176/226

鳴門の名物

 



 ーーーーーー




 雪との話し合いから数日後、具房一行の姿は鳴門海峡にあった。ガレオンに乗って四国へ渡っている途中だ。天気は晴れ。波も穏やかで、船旅には最高のコンディションである。


「どうだ?」


「そろそろだと思います」


 具房が船頭に訊ねると、あまり自信なさそうな答えが帰ってきた。大名を乗せるだけあって船頭の腕は確かだ。ではなぜ自信がなさそうなのかというと、相手が自然現象だからだである。


 鳴門海峡といえば、と訊かれてまず思い浮かべるのは渦潮。そう、具房が訊ねたのは渦潮が起きるかどうかということだった。相手は自然現象なので、いくら経験豊かでも発生するかはわからない。科学が発達した現代でも予測が外れることだってあるのだ。


 渦潮が発生するのは、潮の満ち引きに合わせて太平洋と瀬戸内海で海水が移動する。鳴門海峡の潮流の速度(時速十二〜二十キロ)は世界でも屈指の速さだ。その速い潮流と、岸辺の遅い潮流の境目で発生する渦が渦潮である。


「あなた様、楽しみですね」


「そうだな」


 敦子はウキウキした様子で話しかけてきた。彼女だけでなく毱亜や律も興奮している。二人は舷側に張り付いてまだかまだかと待っていた。見逃さないように左右に別れている。敦子はご令嬢としてそんなはしたない真似はしないが、チラチラ視線を外に投げていた。気になっているらしい。


 彼女たちが渦潮を見られるよう、具房は日程を調整していた。船頭たちに訊き、そろそろだと聞いて出発したのである。そろそろ、というのはつまり大潮というわけだ。


 具房一行の盛り上がりに比例して、船頭の緊張度も高まる。期待に自然が応えてくれるか……世の中、欲しいと思うほど手に入らない。現代でいうところの物欲センサーというやつだ。それでも起きてくれ、神様仏様と船頭は近くの寺社に片っ端から祈ってきた。そのご利益はあるのか? あってくださいお願いします、と船頭はひたすら祈る。


 もっとも、具房たちは見られなかったからといって船頭を一族郎党処罰する、なんてことをするつもりはない。残念だったね、で済ますだけだ。ゆえに船頭の懸念は杞憂である。


「あっ! 見てくださイ!」


 渦潮を見つけたのは毱亜だった。船頭の祈りが通じたらしく、水面には複数の渦潮が出来ていた。


「凄い……」


「大きいでス!」


「音も凄いですね……」


 律、毱亜、敦子の三人は大自然が作り出す渦潮に見入る。轟々と音を立てている渦潮を近くで見ると、自然に対する畏れを感じた。だが、不思議と逃げようとは思わない。畏れているはずなのに引き込まれていく……。


 三人は感動しているが、船頭は気が気でない。操船を誤れば、渦に巻き込まれて操船不能になるからだ。ぶっちゃけ大きく距離をとりたい。さりとて観客のためには近寄らないわけにはいかず、非常に悩ましい状態だった。さすがに船がミスで沈めば責任問題である。


「いつもより大きいぞ、今日のは! 慎重にやれ!」


 船頭は部下に注意を呼びかける。具房たちにとっては幸運なことに、この日の渦潮はいつもより大きかった。それだけ迫力も上がっている。しかし、船頭たちにとっては操船がさらにシビアになるため、あまり歓迎されるものではなかった。


 頑張れ、と具房は船員たちに心のなかでエールを送りつつ、てくてくと船内を移動する。向かったのは船尾。具房が乗っているガレオンは船尾がやや高くなっており、そこからは海と船が一度に見られる。


「おーい。ここは景色もいいし、昼食にしないか?」


「いいですね」


 敦子が賛同し、ほかの二人を船尾へ連れてくる。元より渦潮が見られたら、それを視界に収めつつ昼食をとるつもりだった。そのため船尾には椅子とテーブルが置かれている。


 敦子と律は着物姿だが、毱亜はディアンドルと呼ばれるドイツ南部の民族衣装に身を包んでいた。彼女も着物を持っているのだが、白人の特徴が強く出ているせいで違和感が凄い。見た感じ、浅草なんかをレンタル着物を着て歩いている外国人観光客のそれであった。具房はそれを言うのは失礼だと思って心のなかに留めていたのだが、雰囲気で伝わってしまったらしい。毱亜は日頃、洋服ばかりを着るようになった。今回の旅でも着物はわずか二着しか持ってきていない。


(……やっぱり、洋服の方が違和感ないな)


 思ってはいけないとわかっていてもそう思ってしまう。和服の人間が並ぶなか、ひとり異彩を放つ毱亜を見ていると、視線に気づいた彼女が具房を見てニコリと微笑む。奴隷根性が染みついていたが、宝や茶々に混じって淑女教育を受けてきた成果か、最近ではおどおどすることは少なくなっている。今も、昔なら身体を縮こまらせていただろう。微笑みを返すなどという行動はとれなかった。彼女もまた成長しているのだ。


 毱亜に笑みを返しつつ、具房は用意させていた昼食を三人に渡す。テーブルの上に出されたのは、特に装飾が施されているわけでもない木箱ーー弁当箱である。


「お弁当! 何が入っているのか楽しみです」


 律が嬉しそうに言う。何が入っているかを彼女たちは知らない。開けて中身を見る楽しみも、弁当の醍醐味のひとつだ。開封すれば、ホカホカと湯気が立ち上る。


「ご飯にタコの切り身が入っています」


「タコ飯だ」


 弁当のご飯物は明石のタコを使ったタコ飯。だし巻き玉子や金平牛蒡なども添えられていた。彩りが蒲鉾くらいしかなく寂しい茶色ばかりの弁当だが、トマトなどがないため我慢するしかない。まあ、同時代のものと比べれば内容ははるかに豪華なのだが。


 一同、まずはメインのタコ飯から頂く。出汁と醤油で炊かれたことでほんのりと茶色になったご飯の上に、プリップリのタコをひと切。それを箸で摘んで口へ運ぶ。


「うん。美味い」


「本当に。お出汁とお醤油の味もしっかり感じます」


「タコも弾力があっておいしいでス」


「海の食べ物って美味しい」


 敦子はそれなりにいいものを食べて育ってきたため、タコ飯の美味しさの立役者である出汁と醤油の味を敏感に感じ取る。特に醤油の役割は大きい。タコに限らず魚介類には若干の臭みがあるが、それを醤油が上手い具合に打ち消してくれるのだ。


 毱亜はとても素直な感想を漏らす。タコ飯に使われているタコは炊く前に茹でられている。単に茹でただけでは筋肉が硬くなってしまうため、日本酒に予め漬けて柔らかくしていた。程よい弾力はこうして生まれている。


 一方、律は海の幸に感動していた。小田原で生まれた彼女は幼い頃から海の幸を食べて育った。しかし、最初の嫁ぎ先である武田家は内陸に拠点があるため、海の魚を食べる機会はなかったのだ。魚といえば川魚。不味いわけではないが、慣れ親しんだ食材がないというのは辛い。そんな彼女にとって、海に近い場所に拠点がある北畠家に嫁げたことは僥倖だった。こと食事に関しては実家以上である。


「だし巻き玉子もいい味です」


「ご飯の味が引き立つよう、少し甘めにしてあるようですね」


 甘味を引き立てるために塩を加えることがあるが、その逆のことが行われていた。敦子はそれに敏感に気づく。だが、そんな彼女が当惑する逸品があった。金平牛蒡である。


「うっ」


「どうした?」


 急に顔を顰めた敦子を不審に思い声をかける具房。すると、形のいい眉を歪めたまま、


「すみません。少し塩辛くて……」


 と答えた。それに反応したのは律。


「そんなことないと思いますよ?」


 彼女は平気そうだ。毱亜も普通に食べている。


「料理人が気を利かせたんだろう。悪く思わないでくれ」


 これは味覚の地域性によるものだ。日本は西と東で味覚が異なっている。うどんでいうと西は昆布出汁がメイン、東は鰹出汁がメインだ。その結果、前者はどちらかというと薄味、後者は濃い(塩辛い)味に仕上がっている。これは公家文化の影響が強い西日本、武家文化の影響が強い東日本という特色があるからだ。


 そんな感じで味覚に差異があるため、西日本の人は塩辛い味に違和感を抱く。逆に東日本の人は昆布出汁の薄味に違和感を抱くわけだ。ちなみに、両者の境目は親不知から関ヶ原のライン。伊勢も東国である。金平牛蒡を担当した料理人は東国の出身だったらしい。


「そ、そうだったんですね」


 敦子は納得した様子だ。


「うう……」


 塩辛い理由は理解しても味が苦手なようで食べ辛そうにしている。見るからに箸が重い。そんな敦子を見かねてか、


「ご飯と一緒に食べると丁度よくなるんじゃ?」


 と、律がそんな提案をした。そのアドバイスに従って金平牛蒡を食べるとすぐにタコ飯をパクリ。


「……これなら」


 いくらかマシになったらしい。その後、問題なく完食した。食後に確認すると、金平牛蒡以外は西日本出身の料理人が担当したそうだ。では、なぜに出汁がメインのタコ飯やだし巻き玉子に律や毱亜が違和感を覚えなかったのか。タコ飯に関しては塩辛さ以前にタコのエキスによって濃い味に感じられたから、だし巻き玉子は甘く味つけしてあるのでそういうものかと流されたからだと推測される。


 いちいち作り分けるのは面倒なので、敦子がいるときの弁当は味の濃さが気にならないものにしてくれ、と注文をつけておいた。それ以外はトラブルらしいトラブルはなく四国に着いた。渦潮も見れて大満足である。


「長旅、お疲れ様でした」


「左近か。久しぶりだな」


「はい。ご無沙汰しております」


 出迎えたのは島左近。阿波の統治を任せている人物だ。具房が来るということで、彼自らやってきた。


「……あれが新型艦ですか」


「ん? ああ、あれか。そうだ。連れてきた」


 やや遠いところにいるのが、フリゲートを改造した新鋭輸送船・雷鳥だ。船体後部にはスロープがついており、四隻の上陸用舟艇が搭載されている。この舟艇一隻に三十名の兵士を乗せることができ、一隻で一個中隊を運べ、四隻で大隊規模の部隊を運ぶことができた。将来的には志摩兵団の緊急展開に使われる計画だが、今は試験運用の段階である。具房は馬車を四国に運ぶために連れてきていた。


 バシャン! と音を立てて馬車を乗せた舟艇が降ろされる。操作員が四方に陣取り櫂を漕ぐ。機走といきたかったが、エンジンなど作れるはずもないので人力だ。えっちらおっちらと漕ぎ、岸に近づく。そろそろ浜に乗り上げるというところで、操作員のひとりが後部にある小さな錨を海に投げ入れた。


「あれは何を?」


「海に戻るときに錨を巻き取ることで、浜から逃れるときに容易に沖へ出られるのさ」


「なるほど」


 左近は頷くものの、納得はしていないようだ。理解できていないのかもしれない。百聞は一見に如かずというので、実際目にすればわかるだろう。


 浜に乗り上げた舟艇の前部の板が倒され、陸地へと続く道(道板)となった。浜辺にはさらに板が敷かれ、馬車はその上を走る。役目を終えた舟艇は後部の巻き取り機で錨を回収し、その反動で離岸。くるっと方向転換すると母船へ戻っていった。引き上げるときは艇後部の金具に縄を括りつけ、スロープを使って引き上げる。


「上手いことできていますな」


「まあな」


 具房が設計に携わった。我ながら上手い機構だと思っている。


 新造船のお披露目が終わったところで一行は一宮城に向かう。妻たちを馬車に乗せたが、具房自身は左近との打ち合わせのため乗らなかった。移動時間も仕事に使うという、忙しい経営者のような仕事スタイルだ。実際、やるべきことは京を離れても多い。


(天下人ってこんなに忙しいのか……)


 信長凄え、とリスペクトの念が今更ながらに湧き起こるのだった。







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