具房の天下
ーーーーーー
賤ヶ岳の戦いでは佐久間盛政、毛受勝照、柴田勝豊といった柴田家の大物を討ち取り、勝家の本隊を除く柴田軍を包囲殲滅、もしくは捕虜にすることに成功した。連合軍の大勝利である。
また、地味に続いていた信雄と信孝の兄弟対決にも終止符が打たれた。尾張へ伊勢兵団が侵入。尾張の諸城を落とし、紛争地帯の信雄軍を蹂躙。その上で清洲城を取り囲んだ。
「ふん、歯応えのない」
指揮をするのは一条信龍。甲斐や信濃で上杉や今川、北条といった強敵を相手に血みどろの戦いをしてきた彼に、この時代としては最良の装備を持つ北畠軍を指揮させればどうなるか。答えはほとんどの敵が相手にならない。信龍は「歯応えがない」と不満そうだ。彼が強すぎるのか、敵(信雄)が弱すぎるのかは議論の余地があるが。
包囲した後、北畠軍は城の外郭を砲撃で破壊。それで脅して降伏させた。尾張はとりあえず信孝預かりとして、伊勢兵団は北上。北陸の具房と合流する。
「お疲れ様」
「いえ、右衛門大夫(信龍)がすべてやってくれました」
「そうか。お疲れ」
「ありがとうございます」
信龍にもしっかりと労いの言葉をかける。言葉だけでなく活躍したら褒美も出るので、北畠家臣のやる気はとても高い。
具房がいるのは北ノ庄城。かつての勝家の居城だ。そこで今後の作戦が練られていた。といっても、勝家が逃げ込んだ富山城を目指してひたすら進軍するだけなのだが。先鋒は浅井長政。北陸戦線を担っており、地理に明るいことから選ばれた。第二陣は羽柴秀長。第三陣は秀吉。第四陣は具房で、第五陣が丹羽、滝川連合軍である。先鋒の長政を除けば、賤ヶ岳の戦いで活躍しなかった順になっていた。今は第二陣までが出発したところだ。
「そろそろ筑前殿(秀吉)の番だな」
と説明するのだが、具房はどこか浮かない顔。付き合いの長い徳次郎は、そのわずかな表情の違いを感じる。
「どうかしましたか?」
「あ、いや、筑前殿が動くか心配になってな」
「? 順番なのでしょう?」
「そうなんだが……まあ、筑前殿らしい理由でな」
具房は言葉を濁しているが、つまりは女だ。秀吉は女好きで知られている。その放蕩ぶりを見かねた正室のねねが信長に訴え、信長から彼女に励ましの手紙が出たほどだ。
そんな彼が虜になったのは小少将。具房や長秀は越前侵攻したときに一度会っているが、秀吉は初対面だった。挨拶のために小少将は訪ねてきたのだが、秀吉はその美貌にひと目惚れ。挨拶の後、個別に招いて側室に誘った。
(羽柴筑前……顔は悪いけど、嫡男がいなかったわね)
小少将は秀吉のプロフィールを思い出す。正室はいるが子どもはいない。生粋の女好きらしく、あちこちで女遊びをしている。農民出身らしいが、今や織田家臣の最有力者。その気になれば下克上もできるだろう。
(そうなれば、わたくしは天下人の側室。さらには次代の天下人の母……!)
秀吉個人にはまったく魅力はないが、その地位や将来性には魅力がある。小少将は脳内で算盤を弾いた後、誘いを受けた。それ以降、秀吉は彼女にべったりなのだ。具房は呆れるばかりである。
さすがに秀吉も順番は守らなければと思ったのか、第三陣として出陣した。具房の懸念は外れたわけだが、出陣の間際まで別れを惜しんでいた姿が頭に強く残った。具房も愛妻家という自負はあるが、あそこまで別れたくないと言うものかと。もっとも好色家の秀吉に愛妻家の基準が当てはまるかはまた別問題だが。
やがて具房が出る番になり、富山城へゆっくり進軍する。道中、何事もなく現地に着いた。富山城は既に包囲されており、キリキリと締め上げている。
「砲撃して落とします?」
「いや、それより上杉がこちらに兵を出そうと動いているそうなので、伊勢様にはそちらに向かっていただきたい」
具房の提案に、秀吉はこう答えた。言い方は丁寧だが、これはつまり富山城には手を出すな、ということである。賤ヶ岳の戦いでは北畠、浅井連合に活躍されたので、これ以上手柄を立てられては困ってしまう。だから大人しくしてほしいのだ。
「承知した」
それは具房もわかるので、文句を言わず越後の国境地帯に向かう。暇だが、戦わなくていいので楽だ。
「敵が来るまでは一杯までの飲酒を許可する」
兵士たちにも飲酒を解禁し、具房は喝采を浴びる。斥候からの報告では、上杉に動きはないらしい。領内が乱れているので、それどころではないのだろう。とにかく楽な戦だった。
北畠軍が国境でエンジョイしている間に富山城は陥落した。理由は勝家の自害。羽柴軍の本陣に突撃を敢行したが、数の差は覆せず失敗。勝家も負傷した。かなりの重傷だったらしく、最期を悟って自害したという。義理の息子である柴田勝政もこれに従って自害。残された佐々成政は娘を人質に降伏した。
以上は具房が富山城に戻ってきて捕虜から聞いた話である。その後、降伏した成政の処遇について話し合われる。秀吉は勝家を城に収容したことはけしからんと厳罰に処そうとしたが、具房が庇った。
「かつて共に戦った人物が頼ってきたら庇うのが普通だ。責めるのは酷というものだろう」
上司から頼まれて断れる部下はいない。勝家がいなくなったら降伏したのだから、許してやればどうか? と具房。賤ヶ岳の戦いで決定的な役割を果たした彼の言い分を聞かないわけにはいかず、秀吉は成政を赦免。越中を安堵することにした。
「ありがとうございます、伊勢様(具房)」
お礼を言う成政。具房はいつも通り、気にするなと答えるだけだ。実際、上司を庇って罰を受けるなんて不憫でならない。寛大な処置をするのは当然のことだった。
「雪や三七殿(信孝)には私から事情を話しておきましょう。その代わり、越中のことはよろしく頼みます」
越中は上杉家の侵入に備えなければならない。そのためには成政が任国を離れるのは好ましくなかった。成政はただただ感謝するばかりだ。
北陸の敵対勢力を排除した具房は軍を返す。自身は伊勢ではなく京に向かった。実は先日、近衛前久に呼ばれていたのだ。戦が終われば向かうと連絡していたが、本音では伊勢に帰りたい。けれども約束がある手前、理由もなく反故にはできなかった。
「お久しぶりです。太閤殿下(近衛前久)」
「久しいな。まあ、ゆるりとするがよい」
「はい」
信長ほどではないものの、具房も前久とは親しい関係にある。なにせ、二人は縁戚だ(前久の妻は久我家の出身で、敦子と前久の祖父は同じ)。血の結合であるため、信長よりも関係はむしろ強固であるといえた。
二人はしばし雑談をする。北陸での戦やその他の近況を話す。互いが茶を二杯ほど飲んだ後、いよいよ本題に入る。そこで切り出されたのは意外な話だった。
「そなたを左大臣に補任することにした」
「ええっ!?」
えらく急な話だった。前久は驚いている様子が面白いのか呵々と笑う。しかし、彼には頭にあった展開らしい。それほど驚くことではないだろう、と言った。
「前右府(信長)亡き今、天下を任せられるのはそなた以外におらぬ」
朝廷でも具房を天下人にしようという計画が動いていたようだ。いや、正確には予備計画として。信長(織田家)に何らかの事故があったときに備え、ナンバー2である具房を擁立する計画はあった。朝廷が具房を信長に次ぐ地位につけていたのはそのためだ。
「主上も北畠ならば、と仰せだ。受けてくれ」
「……そこまで言われるならば」
具房は朝廷に望まれては断れない、と天下人になることを完全に受け入れた。満足そうに頷く前久だが、裏では具房が絶対に断れないように根回ししていた。そうに違いない、と確信していたので具房も抵抗しなかったのだが。
「ところで、そなたはどのような天下を目指す?」
前久が試すように訊ねた。これに対する具房の答えは決まっている。
「泰平の世です」
応仁の乱以来、百年以上も続く戦乱の世。それを収める、と具房は宣言した。
「できるのか?」
「はい」
それは歴史が証明している。織田、豊臣、徳川というリレーにより、江戸時代という世界的にも稀な二百五十年以上もの平和な世の中が続いた。
……しかし、具房はかつて歴史を学んでいた身ゆえに思う。江戸時代は本当にいい時代だったのか、と。たしかに戦乱はほとんどなかった。しかし、西洋文明との本格的な接触により、その平和は崩壊してしまう。このことから明らかなのは、江戸時代が日本という殻に閉じ籠もっていたから実現したのだということだ。
ペリー来航に象徴される欧米との接触によって殻は破壊され、日本は内乱が続いた。長州征討、戊辰戦争、西南戦争。大きなところで三つの内乱が起き、政情不安は驚くべきことに戦後まで続いている。大久保利通、原敬など、暗殺された著名人が多いことからも察せられる。戦後になれば暴力的社会主義革命だ何だと暴力が吹き荒れた。学生運動、あさま山荘事件などはその象徴である。
だからこそ具房が目指すのは、江戸時代のような封建的な社会ではない。それで作られる平和は虚像にすぎないからだ。具房が作るのは近代日本。江戸時代を飛ばし、明治時代に突入させるつもりだ。「知識を世界に求める」という明治維新の精神である。
積極的に他者と交わるーー当然、軋轢もあるだろう。国家間であればそれは戦争として現出するかもしれない。だが、そうすることで世界の潮流に乗り遅れない、所謂ガラパゴス化しない国にできるはずだ。
とはいえ、そんなことを前久に話せるはずもない。だから別のアプローチで理解を求めた。
「世が乱れ、戦乱の時代になる……それは幾度となく繰り返された歴史ですが、なぜそうなるのか。太閤殿下は考えられたことはありますか?」
「無論だ。それは世を治める者が拙い政をするからだろう」
「そうです。しかし、我々はつい視野が狭くなりがちだ。実際、多くの者が武士を中心にした政に違和感を抱かなくなっている。領地が与えられることに対しても」
ここで具房が言うのは、平安時代の貴族を中心とした政治や公地公民のことである。前久もそれは理解した。その上で、
「政治のあり方が変わったのは、それが合っているからだろう」
時代に適応したからだと答える。具房が望む通りの回答だった。
「はい。ですが、今の政治のあり方が、後の世に適合しているかといえば、そうではないでしょう」
「であろうな」
「つまり、また戦乱の時代がやってくるわけです」
「……何が言いたい?」
具房の言葉は、自分が天下をとっても後々世が乱れるということだ。泰平の世を実現すると言ったさっきの言葉と矛盾する。前久は、彼が何を言いたいのかわからなくなった。そんな混乱を感じてか、具房は薄く笑う。そういう反応をされるのはある意味で予想通りだからだ。
「つまり、戦乱は回避できないということです」
「待て待て。それは話の筋が通っておらん。そなたは泰平の世を作るのだろう?」
「そうです。戦乱は回避できない。しかし泰平の世を作らなければならない。この二律背反の命題を達成するには、戦乱を戦乱でなくすればいいのです」
具房は結論を述べる。が、前久にはよく伝わらなかった。
「すまん。『戦乱を戦乱でなくす』とはどういうことだ?」
「戦乱が戦乱たる所以は、古い政体を武力で倒すからです。ならば、政体の打倒に武力が用いられないようにすればいいのです」
「そんなことができるのか?」
「ええ。人々から武力を取り上げればいいのです」
近代国家というのは正当に暴力を独占する。その暴力装置が警察であり軍隊だ。具房は明治時代に倣って武士を軍隊や警察に吸収する気である。刀狩どころか廃刀令にまで進めるのだ。たしかに、武器を持つ人間が行政の統制下に入れば、よほどのことがなければ戦国時代のような戦乱は起こらないだろう。
「しかし、武力を用いずにどうやって政体を変えるのだ?」
不可能ではないかと言う前久。懸念はもっともだが、それは可能だ。
「人々が従う権威の下に政体を構築し、権威が定める法に則って政が行われれば可能です」
つまり朝廷が律令のような基本の法(憲法)を定め、その下で政治を行う。もし政治が悪ければ、人々が為政者をその座から引きずり下ろすことができる。具房はそう説明した。
「しかし、民が政を理解するだろうか?」
前久は懸念を示した。彼といえど現状維持バイアスからは抜け出せないらしい。具房もこれは想定していた。それに対する反論も。
「太閤殿下は伊勢を訪れたことがあったはず」
「ああ。そうだが?」
公家ーー特に北畠家と親しい関係にある家の人間は伊勢を何度となく訪れていた。前久もそうだ。それが何か? と前久は不思議そう。これに具房は、
「伊勢の政を担っている家臣、彼らの多くは百姓の出身です」
「そうなのか!?」
何度も訪れていても細かな実情は知らない。具房が民にも学校を設けて教育をしていることはよく知られているが、その成果に関してはあまり知られていなかった。前久もそんなことになっているとは知らず、それを聞いて驚いた。
具房が言いたいのは、人間の能力は一般的にある程度、教育によって左右されるということだ。生まれが悪いからといって無能、というわけではない。福沢諭吉曰く、『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云へり。されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかな人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。されば前にも云える通り、人は生まれながらにして貴賤貧富の別なし。唯学問を勤め物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり』だ。
もっとも、具房はいきなり普通選挙を実施しようとしているわけではない。反発は予想されるし、何より大衆による選挙は十分な準備がなければ危険だ。昭和における軍部の台頭も、未熟な大衆政治がひとつの要因である。ゆえに最初は制限選挙を行うつもりだ。
「なるほど……考えてみると悪くない」
具房の構想を聞かされた前久は中身を検討するが、悪くない案だということがわかる。国の中心は天皇であり、自分たち公家はそれを補佐する貴族としての地位を得られるからだ。朝廷機構はほぼ残るということなので、前久としては文句はない。
「主上にも話をしておこう」
「よろしくお願いします」
ペンでの戦乱。その実現に向けての第一歩が踏み出されたのだった。