桶狭間の戦い
前回の投稿で、PVが6000になりました。何作か投稿しましたが、ダントツの新記録です。ありがとうございます!
正直、ここまで伸びるとは思っていませんでした。やっぱり、歴史モノは受けがいいのかな? なんて思う今日この頃です。
まあ、何はともあれ、もの凄い励みになります。これからも頑張りますので、よろしくお願いします。次なる目標、10000PV(日)!
ブクマも500を超えました(やはり新記録)。重ねてお礼を申し上げます。
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永禄三年(1560年)五月。ついに今川義元が挙兵した。目指すは尾張。その平定だ。織田家と今川家は三河の支配をめぐって軍事衝突を繰り返していた。当初は織田家が優勢だったが、第二次小豆坂の合戦と安祥城の失陥で織田家の勢力は三河から駆逐され、織田家の後継者争い(信長か信勝か)で尾張に今川の勢力が及ぶに至った。そして今回、決着をつけようと義元が動いたのである。
今川家が動員した兵力は二万強。さすがは三ヶ国を治める大大名といったところだ。この知らせに周辺諸国は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。織田家が限界まで動員しても一万にはならない。ゆえにその敗北は確定事項として、問題はどこまでいくのかということだ。
このまま上洛するのではないか。
いや尾張を併呑すれば止まるはず。
美濃まで行くのでは?
いや、伊勢湾航路を確保するために伊勢志摩に向かうだろう……。
様々な憶測が飛び交い、大名や豪族たちの頭を悩ませていた。そのような状況で具房は、
「ほら、雪。兄だぞ〜」
「きゃっきゃっ!」
霧山御所を訪ね、父・具教との会話もそこそこに、妹である雪姫をあやしていた。彼女の前で変顔をすれば、楽しそうに笑ってくれる。子どもは素直でいいなぁ、としみじみと思う。日ごろ素直ではない大人たちの相手ばかりしているためか、その思いは強い。
(はあ。子どもが欲しい……)
とは思うが、こればかりは運だ。もちろん確率を高める方法は知っているし、側室である葵に対して実践している。だが、結局のところ、最後は運なのだ。
具房には兄弟が多い。六男七女の大家族だ。雪姫は五女にあたる。小さいときから度々、兄弟たちと交流してきた。その結果、子どもをあやすのは手慣れたものである。侍女が子どもに変なことをしないかはらはらしながら見守るのが普通だが、具房については安心して見ていた。子どものお守りが上手であるから、当然、弟や妹には大人気である。
こうして具房は今川の動向などまったく気にした様子を見せない。どうせ勝つ、と結果を知っているのだから当然といえる。が、知らぬ者からすれば単に遊び呆けているうつけ者だろう。そう考えている者の筆頭が木造具政であった。
(今川が攻めてくるという噂があるのに、アレは対策を打つべしとも言わない。やはりただの愚か者よ)
彼のそのような考えは一門衆を中心に浸透していく。それは具房の耳にも届くが、意に介さず黙殺した。言いたい奴には言わせておけ、と。代わりに、鳥屋尾満栄や鳥羽成忠などの家臣と懇談するなど関係を強化していた。
そんな風に日々を過ごして弟や妹たちと心ゆくまで戯れて心の洗濯をし、五月の中旬になると本拠(津城)へと戻っていった。今川軍の先手と織田勢が戦闘に入ったのと同日に。
具政の危惧(具房は今川の動向に対策を打っていない)はまったくの的外れである。むしろ、この日のために具房は準備していた。帰城してすぐに命令を発していく。差配するのは葵だ。
「監物(鳥羽成忠)から水軍をいくらか貸してもらえることになった」
「では、雪の一番隊(雪部隊の一部、五百)をそれに乗せましょう」
「四番隊、五番隊(合計千)は周辺の治安維持。残りは猪三と佐之助に任せる。長島へと向かい、権兵衛の指示に従え」
「「「はっ!」」」
陣容は速やかに整えられた。伊勢と尾張の国境である長島には増援を向かわせ、伊勢湾の制海権を保持するために鳥羽水軍から援軍をもらう。軍船には具房が自ら乗り込んだ。
「よろしく頼んだぞ、葵」
「はい」
そのようなやりとりを交わして、具房は船上の人となった。
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今川家が二万を超す軍勢を西進させている! その報告は、尾張をーーその地を支配する織田家を震撼させた。国内のゴタゴタを鎮めて反攻の準備(豪族の調略や鳴海城と大高城の周辺地域への砦建設)を行なっていた矢先のことである。
動員できる兵力は今川軍の半数以下であることから、清洲城で行われた軍議では家臣たちが異口同音に籠城策を進言した。これは史実と異なり、同盟関係にある北畠家の支援を受けられる可能性が高いことが大きい。
「尾張守(信長)様。お家を守るためにも清洲で待ち構えるべきです。二万もの大軍、容易に維持はできませぬ」
と、筆頭家老である林秀貞が進言する。
「左様。清洲で籠城する傍ら、北畠家に援軍を求めるべきでしょう」
次席家老である佐久間信盛も追従した。このように織田家の家臣団の意見は籠城でほぼ統一されている。しかし肝心の信長は、
「……」
と沈黙したままだ。彼の下知が下らない以上は本格的な籠城準備などできるはずもない。家臣たちが各々でできるだけの準備は整えたものの、中途半端だった。
「我は寝る!」
軍議に疲れた、と言って信長は寝室に籠もってしまう。
「「「……」」」
家臣団はそれを困り顔で見ていた。指示がなければ動けないので当然といえる。家臣たちの脳裏に『滅亡』の二文字が浮かぶ。信長はそれを予感し、動く気力をなくしているのではないか? そのような噂が彼らの間で囁かれた。
そのような信長の姿勢が変わったのは早朝ーーまだ陽も昇らない時間のときのことだった。
「今川勢が丸根と鷲津の砦に攻撃を開始したとのこと!」
伝令が駆け込んできて今川軍の動向を伝えた。それを横になって聞いていた信長は飛び起きる。
「人間五十年……」
と『敦盛』を舞い、
「陣貝を吹け! 具足を持て!」
出陣を告げる螺貝が清洲城に鳴り響く。具足を身に着けながら、
「湯漬けじゃ!」
と軽食を要望。立ち食い蕎麦よろしく立ったまま食べ、簡単な食事を終えると甲冑を着けて外へ出る。
「馬を引けッ!」
愛馬が連れてこられるとそれに跨り、鞭を入れて駆けさせる。
「殿! どちらに!?」
家臣が泡を食い、せめて行先だけでも知っておこうと訊ねる。それに信長は、
「熱田じゃ!」
そこに軍を集結させよ、と言い残してわずかな側近とともに城を出て行った。
「まったく。殿も無茶を言いなさる……」
筆頭家老である林秀貞は軍事には疎い。そのため指揮をとったのは次席家老の佐久間信盛であった。彼は熱田へ行軍する途中、そのようにぼやく。だが、なんだかんだ言いつつも熱田へと全軍を向かわせた。
目的地である熱田神社へは指揮官クラスの人間のみを連れて参詣する。信長はそこで戦勝祈願を行った。その帰り道、信長は信盛に訊ねた。
「兵はいかほど集まった?」
「この場には千。後から二千が追いつきます」
「であるか。……よし、ならば善照寺砦に向かう!」
織田軍は沓掛城(今川方の城)を睨む砦への移動を命じた。そこで全軍を集結させる、と。その道中、丸根と鷲津の砦がある方向に煙が上がっているのを見た。
「あれは……」
信盛は何となく事情を察したが、空気を読んで続く言葉を呑み込む。程なくして伝令がやってきた。
「ご注進! 丸根、鷲津の砦は今川方の松平、朝比奈勢に落とされました! 佐久間大学助(盛重)様、飯尾宿禰(定宗)様、織田玄番允(秀敏)様が討死との由にございます!」
「であるか……」
なんとも言えない空気が流れた。佐久間盛重は信盛の同族である。さらに織田秀敏も信長の大叔父であり、彼の後見人だった。大将格二人の親族が立て続けに討ち取られ、士気が下がる。しかし、信長はその程度ではへこたれない。
「大叔父上(秀敏)たちの弔い合戦だ! 憎き今川を討て!」
「「「オオーッ!」」」
信長の声に、将兵は槍や刀を突き上げることで応えた。親族の死をバネに、信長は軍勢の士気を上げる。織田軍は意気揚々と善照寺砦に入った。
今川軍の動向を調べるために斥候が放たれる。しばらくして、今川軍を発見したとの情報が入る。もたらしたのは、付近の豪族である簗田政綱だった。
「今川勢およそ五千、桶狭間山に布陣している模様です」
「これよ!」
信長は直ちに出撃する。手元にある軍勢は二千。対して、大高城の救援に向かった今川軍は一万。これにはまず敵わない。だが、桶狭間山にいるという五千ならば、勝つ見込みがある。信長が目指していたのは、戦力を分散させた上での各個撃破であった。
「……曇っておりますな」
信長の横を駆ける信盛が空を見て漏らす。彼の言う通り、雲は低く黒い。ひと雨降りそうであった。
「好都合よ」
これに信長は不敵な笑みで答える。周辺は起伏が多く軍の動きは隠せるが、今川軍に打ちかかるときには山を登らなければならない。もちろん、高いところにいる方が有利である。それを少しでもカバーするため、発見はなるべく遅くなるのがいい。雨が降ると視界は悪くなる。ゆえに降雨は望むところだ。
さらに信長にとって好事が起こる。それは、功を焦った佐々政次と千秋季忠がわずかな兵で今川軍に攻撃をしかけたことだ。二人は討ち取られたものの、これによって今川軍の陣形が崩れた。
「目指すは義元の首、ただひとつ。かかれやっ!」
しとしとと雨が降るなか、信長は全軍に攻撃を命じる。これに従い織田軍およそ二千は桶狭間山を猛然と駆け上がった。鬨の声が木霊する。
これに焦ったのが今川義元だった。織田の小勢を蹴散らしたと思ったら、突如として同規模の軍勢に襲われたのだ。陣形は崩れ、兵も浮き足立っている。義元の決断は早かった。
「逃げるぞ」
奇襲に崩壊した陣形、そして乱戦。あまりにも不利である、とあっさり勝負を投げた。逃げるのですか、といまいち納得していない家臣の声にも構わず、馬に乗って戦場からの離脱を試みる。思い切りのよさは、『海道一の弓取り』と呼ばれているだけのことはあった。義元は近衛部隊に守られながら離脱する。
だが、義元はつくづくついてなかった。乱戦のなか、団体行動をしていれば当然だが目立つ。信長はそれを見逃すほどバカではなかった。
「あれは何かを守っておるに違いない。皆の者、あれだ! あの集団にかかれ!」
信長は声を張り上げ指示を伝える。彼の声は降雨と剣戟の音が鳴り響くなかでもよく通った。織田軍は義元を守りながら撤退していく近衛部隊に殺到する。近衛部隊はその迎撃に少しずつその戦力を削がれていった。そしてついに織田軍の攻撃が義元にも届いた。
「服部小平太(一忠)推参! 今川義元公とお見受けいたす。いざ、覚悟ッ!」
「控えよ、下郎!」
服部一忠が義元に斬りかかる。義元の周りにいた家臣は既に別の相手と戦っており、彼自身が応戦するしかなかった。仕方なく太刀を抜いて斬り結ぶ。数度打ち合わせた後、義元の太刀が一忠の膝を捉えた。
「ぐっ!」
よろめく一忠。義元は止めを刺すべく太刀を振り上げる。だが、
「ぐふっ!」
脇腹に槍が突き刺さり、苦悶の声を漏らす。彼を刺した槍の主は毛利新介(良勝)であった。一忠の窮地を見て助太刀したのである。この一撃を受け、義元の太刀は狙い(一忠)を逸れた。
「お、おのれ……」
よろめきつつ、二人を射殺さんとばかりの強烈な視線を注ぐ。かなりの深傷を負ったはずだが、なんとしても生き残る、という生への執念が感じられた。
しかし、それは虚勢にすぎない。しばらく対峙した両者だったが、不意に義元の体勢が崩れた。その瞬間を良勝は逃さない。義元に飛びかかり、組み敷く。そして首を獲らん、と刀をその首にあてる。
「お覚悟!」
「今川を舐めるでないわ!」
手に力を入れる直前、義元が良勝の手に噛みついた。このとき良勝の指が噛みちぎられる。
「んぐっ!」
その痛みに顔をしかめつつ、良勝は渾身の力で刀を進めた。ゴロリ、と義元の首が落ちる。良勝は叫んだ。
「今川義元、毛利新介が討ち取った!」
これに今川軍は動揺する。
「なんだと!?」
「殿様が!?」
最初はデマではないかと疑っていたが、良勝が首を槍に掲げて示すと事実だとわかった。兵士たちは我先にと逃げ出す。
「追え! 一兵たりとも逃すな!」
信長は当然、追撃を命じた。大将の討死と織田軍の猛烈な追撃により、今川軍は大混乱に陥る。そのなかで今川家の有力家臣が討たれていく。松井宗信、久野元宗、井伊直盛、由比正信、一宮宗是、蒲原氏徳といった者たちが討たれ、死者は二千ほどだった。対する織田軍は千名ほどを失っている。
今川義元の討死により、攻め寄せた今川軍は駿河まで後退した。信長は今川家に与する尾張の城を落とし、国内を掌握していくこととなる。
かくして桶狭間で大勝利を収めた信長だが、各地に押さえの兵を置くとすぐに清洲に引き上げた。斎藤が南下してくる恐れがあったためだ。しかしそのようなことはなく、暦は進む。
信長の許には次々と祝いの使者が訪れる。さすがに合戦の直後にやってくるのは尾張国内の家臣や豪族ばかりであった。それをつまらなさそうに処理していく信長。そんなとき、彼に来客があった。妹・お市である。
「兄上。戦勝、おめでとうございます」
「うむ。それにしても市は大きくなったなぁ。いくつになる?」
「十三になります」
「そうかそうか」
信長はしきりに頷く。そんな兄を、お市は不思議そうに見ていた。自分の年齢がどうしたというのだろう? と。だが、すぐにどうでもいいやと思い直す。それよりも彼女は兄に物申すことがあったのだ。
「ところで兄上! 家臣たちから聞きました。どうして私がーー」
「殿。失礼いたします」
「おお、勝三郎(池田恒興)か。いかがいたした?」
やってきたのは信長の乳母兄弟である池田恒興。信長の小姓を務めている。お市はよくも邪魔してくれたわね、と恨めし気に恒興を睨むが、彼は知らんぷりをした。信長との付き合いは長く、お市とも関わることは多かった。そのため慣れたものである。かくして、お市を空気にして話は進む。
「はっ。北畠羽林様が桶狭間での戦勝祝いに参られました」
「…………………………………………は?」
その言葉の意味を理解するのに、利発な信長をしてたっぷり十秒の時間を要した。
【解説】
桶狭間の戦いは織田信長が寡兵で今川義元の大軍を打ち破った戦いとして有名です。しかし、双方の兵数がどれだけだったのかについては史料によってバラつきがあり、有識者の間でも意見が分かれています。今回は織田軍を三千、今川軍を二万五千(作中では二万強と表現しています)としました。
服部友貞は尾張の海西郡に拠点を持っていた豪族で、信長と敵対していました。彼は桶狭間に今川方として参戦していたとされており、義元が討死すると海路で撤退しました。作中では具房がその隙を突いて、彼の本拠である市江島を奪取したことにしています。
桶狭間に関連する史料では、織田家に六角家が援軍を派遣して今川軍と交戦した、という記述が見られます。ただ、これを作中に盛り込むと話がややこしくなるため、織田家単独で今川義元を撃破した、ということにしています。
以上が桶狭間についての解説でした。疑問点などありましたら、感想をお寄せください。