日和見ほど怖いものはない
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山崎での戦いは連合軍の勝利で幕を閉じた。前日の戦闘と合わせると伊勢貞興、津田信春といった明智軍の有力武将を討ち取り、軍勢もほぼ蒸発させるという大戦果だ。
しかし、連合軍はあまり喜べなかった。兵士たちは勝利を喜んでいるが、首脳陣に笑顔はない。それは、この戦いが単なる前哨戦だからとかそういうわけではなく、単純にそんな雰囲気ではなかったからだ。
「元助。何故だ、何故なんだ!?」
北畠軍の本陣で泣き崩れているのは池田恒興。彼は信長を討った光秀に復讐せんと先陣を志願し、織田軍の先鋒として戦った。そして、嫡男の元助が光秀に討たれた。医療体制が整っている北畠軍の陣地に担ぎ込まれたが、そのときには既に息がなかった。どんな名医でも死人は治せない。具房は残念な報告をするしかなかった。
数日のうちに乳母兄弟、嫡男を失った恒興に対してかける言葉が見つからない。その悲しみは計り知れなかった。とはいえ、いつまでもお通夜モードとはいかない。元助の遺骸は一旦、本陣の外に運ばれてその場で軍議が開かれた。恒興も参加している。
「日向守は京に逃げ込んだようだ」
「すぐ追って捕えましょう!」
具房が光秀の動きを伝えると、恒興が食い気味に意見を述べた。
「それはできん」
しかし、具房はその意見を一蹴する。
「なぜです!?」
「京だぞ? そこで鉄砲や大砲を撃つのか?」
「あ……」
恒興は言われて初めて気づいた、という様子だ。信長と嫡男の死で、復讐に思考が支配されていたらしい。それでも誤りに気づけるだけまだマシな部類だが。
「しかし、それでは我らは手が出せませんな」
「日向め、卑怯な……」
織田軍の諸将は苦い顔。だが、具房は気にしていない。
「手は出せますよ?」
「いや、伊勢様は先ほど仰ったではありませんか。京で武器は使えない、と」
「たしかに、我々だけでは使えない。だが、使える者からの依頼であれば可能だ」
「御親兵、ですな?」
「その通り」
さすがは官兵衛だ、と具房は褒める。
「そもそも、ことの発端は明智殿が義兄殿(信長)を討ったこと。これは京に軍を入れないという法に反している。罪に問われることだ。御親兵は明智軍の排除に乗り出すだろう」
具房が見解を述べると、信孝から疑問の声が上がる。
「ならば最初から御親兵が動けばよかったのでは?」
「万の軍勢を排除するのは難しいから仕方がないだろう」
朝廷に危険が及んでいるならその限りではないが、光秀に朝廷に対する害意はなかった。戦力的にも明智軍が優勢であるから、御親兵が明智軍と戦わず、朝廷の権威を盾に京の治安維持にあたっていたのは正しい判断だった、と具房は御親兵を擁護した。確かに、と信孝たちも納得する。
だが、今や明智軍の数は御親兵を大きく下回っていた。彼らは二条城に立て籠もっているが、間もなく朝廷は排除に乗り出すだろう。そして具房たち連合軍にも協力するように要請が来るはずだ。
(親父なら必ずそう仕向ける)
これまで色々と暗躍して迷惑をかけてくれたが、たまには役に立ってくれと具房は父に念を送る。それが通じたのか、翌日には具藤がやって来て光秀討伐の要請をした。朝廷が光秀討伐に乗り出すということで、これで彼は朝敵となった。
「是非とも先鋒を!」
「その意気やよし」
復讐に燃える恒興が先陣を望み、具房も心情を慮って許可した。北畠軍が砲撃で城門を破壊し、鉄砲で制圧射撃の下で池田隊が突入。橋頭堡を確保した後、連合軍と御親兵が乗り込むことになった。橋頭堡を引き渡してからは好きにしろ、と具房は上手く恒興を操縦する。
あまり軍を多く入れても無駄に混雑するだけなので、具房は数を絞った。北畠軍からは三旗衆、織田軍からは池田隊と信孝、信包隊(安土から呼び寄せた)、そして御親兵だ。
それぞれが持ち場につくなか、具房は隣にいる具藤に声をかけた。
「なあ」
「いかがしましたか、兄上?」
「本当のところ、朝廷の考えはどうなんだ?」
どう、とは朝廷の本音だ。半壊した明智軍は具房たちの協力がなくとも排除できる。それでも協力を求める真の狙いは何だと。具藤はさすが兄上ですね、と言ってから本音を明かした。端的にいえば、金をかけたくないということらしい。
「お金では苦労しましたから」
節約意識が残っているのではないか、と具藤は自分の推測を述べる。大当たりであった。色々と助けてくれた具房の勧めということもあり、御親兵を創設した朝廷。だが、すぐに作ったことを激しく後悔する。まあ金のかかることかかること。貧乏根性が染みついていた彼らは廃止すべきでは? という空気になる。とはいえ、大々的なセレモニーをやって作った以上「なかったこと」にはできない。なので、具藤にはなるべく金をかけるな、というお達しが出ていた。
「それはまた難儀な……」
お前も大変だな、と弟に同情する。同時にそういう精神は改めていかねばとも思った。だが、今はまず光秀だ。応じるとは思えないが一応、降伏を勧告する。光秀自身の極刑は免れないが、家臣などは情状酌量の余地ありとして裁くよ、というわけだ。これは家臣団が強硬に反対して跳ねつけられた。生き長らえても汚名を着て暮らすことになる。ならばここで戦って華々しい最後を飾るというのだ。
「池田殿。道は我らが切り拓く」
「頼むぞ、勝三郎(池田恒興)」
「兄者の仇をとってくれ」
具房が突入路の確保を請け負い、信包と信孝は自らの思いを恒興に託す。本当は二人とも乗り込みたいところだが、立場がそれを許さなかった。だからその思いを恒興に伝える。
「お任せを」
恒興はそんな二人の期待に必ず応える、と一度だけ強く深く頷いた。
明智軍は城門付近にへばりついて来攻を待っている。その手には弓矢や鉄砲などの飛び道具があり、近づけば蜂の巣にされるだろう。だが、相手は普通ではなかった。
「放て!」
北畠軍が誇る便利兵器、擲弾筒。普段は榴弾を撃ち出し、歩兵が持つ簡易な大砲(の代替品)という位置づけだ。その気になれば兵士ひとりで持ち運びができる上に平射も可能で、弾種を徹甲に替えれば城門をも撃ち抜ける万能さである。
今回、大砲を使うと射程の長さゆえに城を飛び越し町へ落ちてしまうかもしれない。そんなことになれば大惨事になるため、より射程の短い擲弾筒を使用することにした。射程は遥かに短いが、それでも火縄銃の射程外からアウトレンジ攻撃が可能だ。
徹甲弾が城門へ向けて放たれ、門扉を木っ端微塵にする。周囲には榴弾が撃ち込まれ、城門周辺の脅威を排除していく。池田隊が城門付近に到達するまで続けられた。
「伊勢様、感謝します」
手厚いエスコートに恒興は心からの感謝を呟く。そして後ろから続く兵士たちを見て叫ぶ。
「お前たち! 伊勢様がここまでお膳立てしてくださったのだ。我らは逆賊を討ち、これに報いるぞ!」
「「「応ッ!」」」
兵たちを鼓舞し、士気を高める。全軍が高揚した状態で、池田隊は城へと踏み込んだ。城門周辺は「悲惨」のひと言に尽きる。周りには多くの兵士が倒れていた。ある者は榴弾の破片で傷を負い、ある者は吹き飛ばされた瓦が頭などに当たって絶命している。運よく命が助かっても、痛みに悶えていた。そんな世の地獄を体現したような場所で、池田隊は熾烈な戦いを繰り広げる。
明智軍は必死だ。城の中に入られればもう後がない。城門における戦いは、今後の運命を決定づけるものだ。あちこちから集まってきては池田隊に襲いかかる。
対する池田隊も負けてはいない。絶え間ない攻勢を真っ向から迎え撃ち、一歩も退かないほど士気が高かった。それは光秀たちが朝敵とされているからではなく、山崎の戦いで元助が命を落としたことへの弔い合戦だからだ。
正直なところ、池田隊の兵士たちにとって信長や房信が光秀に殺されたなんてどうでもいい。そんなことより、村の作付けはどうなっているかということの方が関心は高かった。だが、領主の嫡男くらい近い存在になると話が変わる。領主クラスといえど共に戦った仲間であり、その死は親兄弟のそれに等しい。ゆえに明智軍に対して、彼らは激烈な復讐心を抱いていた。
「進め、進め、進めーッ!」
死を恐れず飛び込んでいく。その勇気は凄まじいが、少しばかり地形が悪い。防御側に有利な場所で、比率でいえば池田隊の損害が多かった。守りを突破できず苦戦していると、後ろから北畠軍が現れる。
「援護する」
一部の兵士が前線に飛び出すと擲弾筒を構え、平射した。一応、周りに配慮した減装薬を使用している。とはいえその発砲音は凄まじく、耳を塞いでいなかった味方の聴力を一時的に奪う。
「耳! 耳が〜っ!」
いい歳したおっさんが身悶える姿は実にシュールだが、本人たちは至って真面目である。若干の不幸はあったものの、この一撃によって明智軍は崩れ、池田隊は浸透に成功した。
城門における戦いは城攻めにおける序盤戦にすぎないが、ここで全てが決した。恒興は防衛線を作られては堪らない、と部隊をどんどんと先に進ませる。明智軍は小部隊で移動しているところを捕捉され、各個撃破された。曲輪の境にある城門は固く閉ざされて守られていたが、北畠軍が擲弾筒を撃ち込んで破壊、突破している。怒涛の進撃を見せた池田隊は無停止攻勢により、本丸までたどり着く。
「火が……」
そこで池田隊が目にしたのは、本丸に火がかけられる様子だった。首は渡さない、ということらしい。そうはさせん、と恒興は消火を行おうとする。だが、残り少ない明智軍によって作業は阻まれた。
「何としても我らで時間を稼ぐ」
藤田行政や溝尾茂朝がわずかな手勢とともに行手を塞ぐ。織田家臣のなかでも屈指の大身となった明智家で重臣を務めただけあって、二人は有能だった。巧みな指揮で時間を稼ぐ。衆寡敵せず最終的に二人は討ち取られるも、城に消火不能なレベルで火が回る時間は稼いで見せた。
「正気か? 京のど真ん中だぞ?」
一方、外から成り行きを見守っていた具房は、城に火が回ったことを確認して光秀の神経を疑う。日本は木造家屋が多く、飛び火でもすれば大火事である。
「城内にいる者に退避を命じろ! その後、擲弾を撃ち込んで城郭を崩す!」
京を守るため、具房は城の外郭を破壊することにした。水では消せないと考えたため、破壊消防にしたのだ。外からは砲兵も呼ばれ、到着し次第、砲撃を開始する。延焼するのが早い風下を優先して破壊していった。
幸い、炎は京の町を焼くことなく鎮火する。その後、小火を消しながら光秀の遺体捜索が行われた。しかし、黒焦げになった焼死体から個人を識別することは難しく、予想はしていたが光秀個人を特定することはできなかった。死亡の可能性は極めて高いが、公式には「生死不明」となる。
「終わりましたな」
「そうだな」
信孝と信包は敵が討てたことで溜飲を下げたようだ。二条城の焼け跡を見ながら少しばかり満足そうにしている。
「むしろ始まりではないかな?」
そんな二人に、具房はそんな言葉を投げた。
「始まり?」
「ああ。義兄殿(信長)、そして義弟殿(房信)亡き今、誰が織田家を担うのか。新たな段階への入口といえよう」
「っ!」
それを聞いてはあ、と薄い反応を示したのは信包。権力にあまり頓着しない彼は、織田家の後継者ーーつまりは次の天下人に自分がなろうとは毛ほども思っていなかった。
対して、ビクッと大きな反応をしたのが信孝。長兄の房信亡き今、生まれ的には信雄が次の当主だ。しかし、信雄が無能であることは周知の事実。ならば三男の自分にお鉢が回ってくることも十二分にあり得る。
「その、叔父上(具房)は誰が適任だと思われますか?」
「さあ?」
知らんよ、と具房は素っ気ない態度。信孝はできれば実力者である具房にバックについてほしいなと思ったが、ここで支援を依頼して不興を買うのは得策ではない、と引き下がる。
その判断は正しい。口では織田家の後継者について不干渉と言ったが、具房の心は最初から決まっている。雪が産んだ房信の子、三法師だ。天下人の伯父という盤石のポジションを得て、政権内における地位を不動のものにする。ドジを踏まない限り、所領が削られることはあっても、改易にはならないはずだ。
そんな計算をしつつ、具房は自軍へ京から出るよう指示。自らは具藤とともに参内し、朝廷へ賊の討伐を報告する。
「協力に感謝するぞ」
「ありがたきお言葉」
具房は賊討伐への助勢について感謝の言葉をかけられた。明智軍が強いと日和っておいて、弱ったと見るや朝敵認定して軍を差し向けるハイエナっぷりにはただただ感服する。だが明日は我が身という可能性もあるため、具房は密かに警戒心を強めるのだった。