魔王より魔王している光秀さん
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石山に上陸した具房はまず摂津にいる諸勢力(池田恒興、中川清秀、高山右近など)を掌握にかかる。やることは簡単。彼らに使者を出し、うちの軍に信孝がいるんだけど挨拶に来ない? と誘うのだ。織田と明智、どちらに与するのかという踏絵である。これで断られると面倒なのだが、幸にして彼らは大人しく出頭した。
「三七様(信孝)、凱旋おめでとうございます。ですが……」
「大殿たちが……」
「わかっておる」
信孝は具房とともに光秀を討つと宣言した。
「おおっ、立たれますか」
「右府様(具房)が助勢してくださるとは心強い」
「我らも急ぎ、兵を整えましょう」
こういう次第で、摂津は味方になった。元々、光秀を警戒して摂津は臨戦体制をとっていた。なので出兵の準備は早々に整う。だが、軍の采配を任された具房は山崎で進軍を止めた。
「一気呵成に攻めかからないのですか?」
「諸々の準備があるのだ」
具房だけで片づけてしまってもいいのだが、焦ることでもないのでここは待つ。狙いはいくつかある。ひとつは周りを固めること。丹波の波多野氏や丹後の長岡氏を味方か中立とし、後方の安全を確保する。さらに秀吉が大返ししてくるのを待ってこれと合流。山崎に明智軍が展開するのを待つことも狙いだった。
「しかし、ここは沼地。攻め手に不利では?」
山崎は沼地で、進入路が限られている。敵が来る場所がわかっているため、防御するときはそこへ戦力を集中すればいい。守る側にとって有利な地形だった。なのに、そこへなぜ敵を集めるのかと不思議がられる。
「普通はそうだが、わたしからすればその方が都合がいいのだ」
まずは光秀をこの場に誘い出さなければならない。京の町を背にして布陣されると少しばかり厄介だ。銃砲だと流れ弾が町へ飛んでいく恐れがある。そのかなり絶望的な瀬戸際戦術を許すより、多少の不利を承知で山崎で戦った方がいい。
それに、山崎での戦いは一概に不利とはいえない。戦力が集中するということは、ある地点に敵が密集するということである。大砲のいい的だった。
「この辺りか?」
「あそこもいい場所では?」
北畠軍の砲兵陣地では、兵士たちがあーだこーだ言いながら大砲を据えつけている。敵が来そうな場所に照準を合わせ、命令があればいつでも撃てる体制を整えておく。
そうこうしているうちに羽柴軍も中国から大返ししてきた。到着すると、秀吉は信孝へと着陣を報告。義務を果たすや否や、彼は具房の許に直行した。
「右府様。格別のお計らい、感謝いたします!」
「筑前殿(秀吉)。お疲れでしょう。どうぞ一杯」
秀吉は具房に謝辞を述べる。何に対しての礼かといえば、姫路に届いていた莫大な物資だ。史実を知っている具房は、信長の死を知った秀吉は大返しをすると判断。その終着点である姫路に、淡路島から食料品を中心とする物資を送っていた。強行軍をしてきた兵士の慰労に使ってほしい、という具房のメッセージつきで。
兵士の心を繋ぎ止めるためには実利が必要で、秀吉は姫路城にあった金品を与えるつもりであった。姫路城は羽柴軍の補給拠点であり、色々と溜め込んでいる。それをすべて吐き出そうとしたのだ。無論、大赤字であるから本音ではやりたくない。だが、そうしなければ兵士たちはついてこない。そんな複雑な心境にあった秀吉だったが、姫路に届けられていた膨大な酒や食料を見て、財布へのダメージを減らすことができた。彼の礼は、偽りのない本心からのものだった。
具房にしてみれば、余っている物資を譲ったというくらいの感覚である。作りすぎを回避できないのがアメリカ型の難点だ。特に今回は長期の出兵だったため余剰も多く、少しばかり処分に困っていた。羽柴軍はいい捌け口だったといえる。そんな意識なので、具房の反応は軽い。温度差甚だしい二人だった。
羽柴軍が到着したのと時を同じくして、明智軍の主力と思われる部隊が現れる。彼らは通せんぼをするように侵入路を塞いだ。具房は役者が揃った、と判断。軍議を開いた。
「さて、筑前守が来たので改めてになりますが、この軍の総大将は三七殿(信孝)が務め、指揮はわたしが執ることになっています。異議のある方は?」
「「「異議なし」」」
このなかで最も大きな軍勢を有し、常勝無敗の具房が指揮することに異論を唱える者はいなかった。
「今回、正面および右翼はわたしたちが担当します。三七殿、筑前守らには天王山をお任せしたく」
具房は予め立てていたプランを説明する。作戦は単純で、敵が密集している場所に砲撃を撃ち込んで大損害を与え、混乱をさせたところに突撃するというもの。火砲において主役は北畠軍だが、その後の突撃は織田軍が大きな役割を担う。進入路は天王山の方が広く、投射できる戦力もこちらの方が多い。道は開くから斬り込みは任せた、というわけだ。
「承知した」
「お任せください」
「奴らに目に物見せてやります」
池田恒興はなかでもやる気を漲らせる。彼は信長の乳母兄弟であり、その死は半身を捥がれたかのような思いだった。ゆえに誰よりも復讐に燃えている。信孝もその思いを察し、斬り込みの先手に起用した。
布陣が決まり、作戦も説明されると諸将は陣地を動かす。それが終われば晴れを待って攻撃すると決めており、全員がそのつもりで行動している。
先に速戦を希望する者がいたが、少し前の具房も同じ気持ちだった。京には敦子とその子ども、父母に具藤などの兄弟がいる。彼らは無事なのかと気が気でない。第一報を受けたときは信長の死、回避したかった光秀の謀反というインパクトが強く失念していたが、後から強烈な焦燥感に襲われた。だが、次に敦子から屋敷は御親兵に守られ無事だという手紙が届き、落ち着きを取り戻している。
(さて、これからどうなるか……)
信長が死んだ以上、歴史は再び史実通りの動きを見せるだろう。織田家の後継者をめぐる争いが起こり、それに乗じて次代の天下人、つまり秀吉が台頭していく。また、甲信では上杉、徳川、北条による争奪戦が繰り広げられ、東北では伊達政宗が暴れ回る。同様に九州では島津が本格的に動き出し……と戦国のクライマックスゆえに大きな出来事が多い。
具房個人としては、秀吉が天下人になることは何としても防ぎたい。朝鮮出兵なんて無謀なことをやらかさないためだ。日本が朝鮮や中国に手を出してロクな目に遭った試しがない。しかも天下人になってから秀吉は制御不可能な暴走機関車となり、逆らえば改易である。家を残したい具房としては、秀吉には天下人になってほしくない。
(雪が産んだ三法師がいるから、これが順当に後継者かな)
具房は三法師の伯父として安定した地位を得られる。織田政権の維持が妥当な選択肢といえた。問題があるとすれば、内紛は避けられないことだ。信孝など物分かりのいい人間は受け入れるが、信雄は間違いなく反対するだろう。柴田勝家も具房が嫌いで、その縁者が産んだ後継者も認めないはず。となれば賤ヶ岳の戦いは不可避であるが、こちらは具房の方が体制側に立っているため容易に叩き潰せる。
(よし、そうしよう)
政権の重鎮として主導的地位に立てばこちらのもの。天下を治める体制を創るなかで、具房が思い描くようにしていけばいい。そうしてレールを敷いてやれば、後はそれに沿って物事は動く。終着駅はお家の安泰である。
と、そんな風に今後の動きについて考えていると、具房に書状が届く。この時期に送ってくるのは留守兵団を率いている久秀か、安土にいる信包だと考える。ところが、どちらでもなかった。差出人は、何とびっくり明智光秀である。予想外すぎて具房は二度見した。
今さら何だと思いながら書状を読む。
「おいおい……」
そして呆れ返る。書状の内容を要約すれば、天下をあげるから味方になってくれ、というものだった。ひと言で済ますならふざけるな、である。
別に天下を取りたくて大名をやっているわけではないのだ。大名という身分がある以上、家臣たちの生活にも責任を持たねばならない。色々あって大きな所領を持っているが、不自由なく暮らせればそれでいいのである。
しかしながら、天下を与えるというのは(受けるか否かは別問題として)面白い提案だ。ゲームなどで魔王が勇者を懐柔するために「世界の半分を貴様にやろう」と言うのは鉄板ともいえるネタだが、光秀はそれを現実にやった。
(信長は第六天魔王なんて呼ばれてたけど、天下をやるなんて言ったことはなかったぞ)
つまり、光秀は魔王(信長)より魔王っぽいというわけだ。
「かなり追い込まれているんだな」
お断りの返事を書きながら、具房は光秀の状況について考える。信長を討って京を掌握。織田家の武将が戻ってくる前に周辺を固めていくというのが当初のプランだったのだろうが、具房が留守兵団を派遣したことで早々に躓いた。しかも御親兵がいるため京、特にその核心である朝廷を押さえられていない。結果、周辺の諸勢力の調略すらできていなかった。さらに本拠地の坂本城が落ちているためまともな補給すらできず、と踏んだり蹴ったりの状況だ。形振り構っていられないのだろう。知ったこっちゃないが。
「殿。長岡様より書状が届いております」
「見せてくれ」
そこへ新たに長岡藤孝より手紙が届く。信長の喪に服すので協力はできない、とのことだった。光秀にも同じ内容の手紙を送っているとある。友人相手に弓引くことは気が引けたのだろう、と具房は藤孝の気持ちを察した。とりあえず、どちらにも肩入れしないなら不問にすると返事をする。
また、手紙では光秀に対して寛大な処置を、とも書かれていた。こちらは難しい。未遂ならともかく、もうやってしまった。できるのは無関係の一族を処罰しないことくらいだ。長岡家にも光秀の娘(後の細川ガラシャ)が嫁いでいたが、離縁などは不要と併せて書いておく。
「殿。書状です」
藤孝への返事を書き終えたそのタイミングで、また新たな書状が届く。具房は狙ってやっているのかと訊ねたが、不思議な顔をされた。偶然らしい。
「……それで、誰だ?」
「赤井(直正)様と波多野(秀治)様です」
内容はどちらも恭順を誓うというもの。光秀から誘いがあったが断った、と書いてあった。それは本当なのだろうが、書状を送ってきたのは驚いたからだ。たった数日で畿内に五万を超す連合軍が展開した。彼らは日和見を決め込んで優勢な方に振り込むつもりだったが、大軍を目の前にしてそんな悠長なことをいっていられなくなったのである。
軍を動員しようかとも申し出てきたが、これ以上はさすがに多すぎる。丹後を監視して後方をまもってくれればそれを戦功にする、と具房は返事を認めた。中断していた光秀への返書も書き終わり、それらを発送してその日の仕事を終える。
翌日は雨。しとしとと雨が降り続く。
「この雨が晴れたら攻撃だな」
「一応、奇襲がないか警戒させます」
兵力で劣る明智軍は挽回しようと奇策に走る可能性がある。容易に想像されるのが奇襲だった。心理面を狙うため、兵力の多寡は問題にならない。それを狙ったのか、はたまた威力偵察かは不明だが、小競り合いが各地で起きているとの報告が上がっている。なので具信は警戒を厳にするよう進言し、具房も許可を与えた。