梟雄動き、誤算重なる
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伊勢、津。北畠家の本拠地であり、商工業や交通、学術など様々な分野で戦国時代の先頭をぶっちぎりで突っ走るオーパーツ同然の都市である。
海に面する部分には港があり、何隻もの船が停泊していた。和船は無論のこと、ヨーロッパで使われているガレオンの他、戦列艦にフリゲート、クリッパーもいる。
軍船が入っていることからも明らかなように、津は北畠海軍の拠点という性格も持っていた。これを守るため、周辺には沿岸要塞が築かれている。要塞には石山攻めで使われた一尺砲に代表される大口径砲が据え付けられていた。さらに敵兵が上陸してきたときのためにトーチカが設けられている。大西洋の壁に倣い、海面とトーチカの銃眼は正対していない。
要塞の内部構造は機密なのだが、それを視察する人物がいた。松永久秀である。齢八十二の老人であるが、節制を心がけていることからまだまだ元気であった。頭の方も相変わらず冴えており、知識欲も旺盛である。
久秀は現在、防御施設の構造を学んでいた。築城を得意とする久秀だが、具房によって自慢の城を容易く落とされている。そこで、大砲に対応した新たな城を築こうという目標が生まれた。その手腕を買われて房高の和歌山城築城に現場監督として参加したが、それが終わると暇になった。余暇を使い、北畠領内の城を巡って新たな城に必要な技術を吸収している。
「こちらにいらっしゃいましたか、父上(久秀)」
「ん? おお、彦六(松永久通)か。いかがいたした?」
「城より、父上をお呼びするようにと」
「この老人に何用かな?」
久秀はよちよちと籠へ歩いていく。養生を心がけており、特に病気はしていない。とはいえ、年齢相応の衰えはくる。八十二ともなれば足腰にガタがきていた。
籠に乗って登城する。城では葵が待っていた。てっきり正室のお市が待っていると思っていたので、久秀は密かに驚く。だが、葵はそれを察したらしい。
「お方様(お市)は体調を崩されております」
だから自分が代わりに伝える、と先回りして話した。これには久秀も苦笑。具房の妻は誰も賢いが、お市と葵は久秀が見たなかで最もレベルが高い。
「それで、本日はこの老骨にどのようなご用なのですか?」
「殿より、貴方に宛てた文が届いています」
葵はそう言って久秀に手紙を渡す。それは信長父子が光秀に討たれたと聞いた具房が、伊勢に向けて送ったものだった。正確には二通あり、一通はお市へ宛てたもの。もう一通が久秀に宛てたものだ。
体が衰えていることから表向きのことは息子に任せ、築城の研究に精を出している。そんな楽隠居状態の自分に何の用かと疑問を抱きながら久秀は封を開けた。
「これは……」
中身を読んで目を見開く。そこには信長父子の死と、軍を率いて近江方面から京へ向かうようにとの指示が書かれていた。本来、久秀に兵権はないが、臨時に伊勢、大和、紀伊三兵団の留守部隊を統合した「留守兵団」を設置。その団長に久秀を就け、問題を解決している。
裏切り常習犯の久秀を使うところに、北畠家の人材難が現れていた。信虎が生きていれば間違いなく彼を指名しただろう。具房の胃にダメージを与えてくるが、その手腕は信頼できた。しかし、彼はもうこの世にいない。権兵衛や島左近なども軒並み四国へ連れてきている。熟練の武将としては六角承禎もいるが、彼は京で具教とともに朝廷工作を行なっていた。そのため、伊勢で対応可能なのは久秀しかいないというのが実情だった。久秀の起用にはリスクがあるが、それくらいの能力がなければ光秀に対抗できない。具房としては苦渋の決断である。
久秀の方も、自分が起用された経緯を察した。また、お市が体調を崩した理由も理解する。信長の死にショックを受けて寝込んだのだ。その推察は大正解だった。
(気の毒だが、これも戦国の常)
同情したが、励まそうとは思わない。そんなことをしなくとも、お市ならば立ち直るだろうと久秀は確信していたからだ。戦国きっての梟雄は、今の主君たちにそれだけの信頼を置いていた。
「承りました。この老骨、最後のご奉公といきましょう」
柄にもないことを言うと、軍の招集を急がなければならない、と言って久秀はすぐにその場を辞す。城を出るとまず伊勢兵団の兵営へ向かい、具房からの書状を見せて自分の指揮下に組み込む。久秀は部隊に、直ちに出兵の準備を整えるよう命じた。
さらに書状を息子の久通に持たせると、甥の内藤如安をつけて大和へ送り出す。書状を見せて大和兵団を動かすと、さらに如安が紀伊へ向かい同様の方法で兵団を掌握する。その動きは迅速であった。
準備ができた部隊から順次、進発する。最も早い伊勢兵団(久秀直率)は伊賀を通って甲賀へ進出した。久秀は盛んに斥候を放ち、情報収集に努める。そんななかで、安土へ向かう明智軍の一隊があることを掴んだ。
「安土を押さえるつもりか……ならば、こちらにも考えがある」
久秀は何かを思いついたらしくニヤリ、と何か企んでいるような悪い笑みを浮かべた。そして遅れて合流した久通の大和兵団を含めた軍に急進を命じる。目標は近江坂本。光秀の居城のひとつであり、安土へ向かう明智軍の背後をとる形だ。
「安土へは織田軍が向かっているという。それと連絡し、挟撃するのだ」
先日、雪から具房へ宛てた手紙が届いた。光秀を討つために協力してほしいというアレである。そのなかには既に信包を大将とする軍を安土へ向かわせたとの情報が含まれていた。これを具房は久秀に転送している。情報を上手く役立てろ、というわけだ。
これを受けた久秀は、信包軍とすぐに連絡をとって連絡体制を確立している。坂本へ向かうことも使者を立てて伝えた。だがスピードが命だと久秀は信包の返答を待たず行動を開始する。
「紀伊勢は後詰めとして甲賀へ入れ。残りは坂本へ向かうぞ」
如安率いる紀伊兵団を甲賀へ置くことで、明智軍を包囲する形に持っていこうとする。何とも大胆不敵な策だが、久秀は成功する確率は高いと思っていた。
(敵は安土を押さえることばかりに目が行っているはず。我らがここまで早く行動しているとは思うまい)
明智軍は今、畿内には自分たち以上の軍事力を持つ勢力は存在しないと油断している節がある。そこを久秀は容赦なく突いた。
安土へ向かう明智軍を率いていたのは明智秀満だったが、久秀の読み通り油断していた。補佐すべき副将格の人間は武田元明と京極高次。どちらも荒事の手腕はイマイチな、家柄だけのお坊ちゃまである。ただのお飾りであり、実際は秀満のワンマン経営だった。
秀満は坂本城を預かっていたが、安土城を奪うべく全力出撃していた。畿内と北畠領にはまともな軍隊はおらず、若狭は元明を支持する若狭衆が押さえている。よって、固めるべきは東だと判断したためだ。しかし、結果的にこれは裏目に出た。
「左馬助様(秀満)! 坂本が北畠軍に奪われました!」
「何だと!? どこから現れた!?」
「伊賀を越えてきたのだろう」
「それにしても早すぎるぞ」
秀満は北畠軍の動員が早い、と驚く。彼らも留守部隊の存在は知っていたが、あくまでも領内を押さえるためのものとしか思っていなかった。だが、北畠軍の留守部隊は平均年齢が少しばかり高いことを除けば現役兵と変わりない。機能(出動範囲)も制限されているわけではなかった。
北畠軍は留守部隊といえど、装備は同じ。よって火力も現役兵のそれと変わりなかった。北畠軍は火砲で城門を破壊して城へ雪崩れ込んだ。守備兵はわずかであったため、これを易々と陥落させている。
「一隊は城を出てこちらに向かっております」
「数は?」
「五千ほど」
久秀は城を息子に任せ、明智軍の背後に迫った。彼らを牽制し、安土に織田軍が到着するまでの時間を稼ごうというのである。城が敵に渡ると厄介だからだ。
城には既に信包から死守命令が出ていた。留守を預かっていた蒲生賢秀は城にいた信長の妻たちを日野城(信長の娘婿、賦秀が守っている)へ逃した上で城門を閉ざし、味方の来援を待っている。いざとなれば死ぬ覚悟だ。
しかし、明智軍は一万に満たず、それほど数は多くない。背後に五千の兵がいるとなれば、軽率に動くことはできなかった。話し合いの末、武田元明の兵(二千)を置いて安土へ向かうことにする。
話し合いをしていたため、明智軍の行軍に余計な時間がかかった。ほんのわずかなものにすぎなかったが、こうして稼がれたわずかな時間によって岐阜から急行していた信包軍の一隊が安土へ先着した。とにかくスピードを優先したため、各部隊が五月雨式に到着するという状態である。だが、かえってそれがどれだけの部隊が来るのかわからないという不確定要素として作用した。
「ど、どれだけ来るのだ……?」
ほとんどの隊は百、下手をすると数十人程度の小部隊でしかない。が、それがひっきりなしに安土へ集まるために秀満は混乱した。すぐに攻めるべきか、しかし後ろには五千もの兵がいる。対応は元明に任せたが、力量は不安。それも彼を逡巡させる要素になった。そうこうしているうちに信包の本隊まで到着。安土周辺は信包軍約五千で固められてしまう。
「これは拙いぞ……」
秀満は苦い顔。安土を手に入れられなかったばかりか、坂本を失陥した上に包囲されている。一瞬にして最悪の状況に陥った。
北には琵琶湖があり、船がなければ通れない。南は伊賀(北畠領)、西は敵に奪われた坂本城、東は延々と敵の領域。一見、西に向かって光秀が率いる本隊と合流するのが正しい選択に思えるが、相手はあの北畠軍である。自分も含め、抜けられるかはかなり怪しい。しかしながら、他に選択肢がないのも事実だ。織田軍は柔らかいだろうが、それをすると琵琶湖をぐるりと回ることになる。そんな悠長な真似はできない。
(ここは琵琶湖の水軍衆に交渉するか)
秀満は琵琶湖の水軍に対して、自軍の輸送を依頼することにした。日和見しているため応じてくれるかは未知数だが、実現すれば被害を少なくして光秀と合流することができる。だが、久秀はそれを許すほど甘くはなかった。信包軍の到着を知るや、軍を前進させたのである。
「報告します! 北畠軍が前進を開始。武田隊、破られました」
砲撃、銃撃、突撃の三連コンボで前線が崩壊。経験に乏しい元明は崩れた軍を立て直すことはできず敗走した。武田隊を破った北畠軍は勢いそのままに秀満の本隊に迫る。
「逃しはせんぞ」
久秀はこの場で殲滅する、と激しく攻め立てる。危ないので砲撃による支援はできないが、代わりに擲弾が降り注ぐ。日本軍の八九式重擲弾筒を模しているため水平撃ちも可能だ。敵が密集している場所に直射された。
「それっ! かかれ!」
北畠軍の動きを見た信包もまた、部隊に攻撃を命じる。これが決定打となった。自軍より優勢な敵にサンドイッチされ、明智軍は瓦解。やむを得ず、秀満は逃亡した。
軍勢ならともかく、数人の小集団なら比較的容易に包囲の輪を抜けられる。落ち武者狩りにも遭うことなく、秀満と高次は京への脱出に成功した。しかし、元明は運悪く敵に見つかり、戦って戦死している。
かくして久秀は明智軍の安土侵攻を防いだばかりか、坂本城を奪取して東からより強い圧力をかけることのできる体制を構築した。何よりも秀満の軍を撃破したことで、明智軍の戦力をかなり削ったことが大いに評価されることとなる。
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秀満の敗報は彼が逃げ帰る前に光秀の知るところとなった。何が起こったのか調べ、松永久秀率いる北畠軍と、岐阜から急行してきた信包軍に挟撃されたことが判明する。
「なぜ北畠軍が動ける……?」
光秀は北畠軍が現れたことに疑問を感じる。信長たちを討つと決断したのは、敵が急報を聞いて駆けつけるまで時間がかかると思っていたからだ。特に厄介な北畠軍は四国へ出払っており、彼らが戻ってくる前に畿内での体制を固めるつもりだった。
しかし、それも上手くいっていない。信長と房信を討った光秀は朝廷と交渉していたが、御親兵の存在もあって朝廷の態度は硬化していた。権威を前に強硬手段もとれず、光秀は京に釘づけにされている。
将を射んとすればまず馬を射よ、ということで目を転じて畿内周辺の勢力に支持を求めても、是非を明らかにしない日和見状態。縁戚の長岡藤孝も同じで、返事は信長の喪に服す、という素っ気ないものだった。
そして、ここにきて秀満に託した自軍の壊滅。戦力はほぼ半減し、畿内における軍事的優位が失われた。それどころか、近江に展開する織田、北畠軍に数で負けている。坂本が落ちた上に周りの勢力は非協力的なので、兵を増やすこともできない。結局、光秀は朝廷との交渉に活路を見出すしかなかった。
「天下の安寧を乱しておいて何を言うか」
だが、それも朝廷の猛反発に遭う。反対派の筆頭は、信長に近い公家である近衛前久だった。信長が統一をかなり進めていたのに、よくもぶち壊してくれたな、とガチ切れしている。
「代わってわたしが天下を安定させましょう」
「笑止。縁戚さえ協力を拒んでおるではないか。そなたに何が出来た? 何も出来ておらぬだろう」
前久は遠慮がない。門前払いも同然だった。既に秀満軍の敗報は京にも伝わっており、明智軍の実力不足が露呈している。協力的な公家は皆無だった。
この交渉の舞台裏で暗躍しているのが具教と敦子である。光秀が決起したときはさすがに肝を冷やしたが、北畠屋敷まで相手にしている余裕が明智軍にはなかったため、襲われる前に御親兵による保護を受けられた。
このままでは危ないので、しばらくは京からどう脱出するかを考えていた。だが、信長と房信の死を知ると、考えを改める。二人が死んだ以上、織田家は跡継ぎをめぐって内輪揉めするだろう。ありがたいことに、雪が房信の息子を産んでいる。これを跡継ぎにした上で、北畠家はその後見役に収まるのだ。そうすれば織田家を傀儡とし、北畠家が実質的に天下をとることになる。
具教からすれば天下取りは武士としての本懐、敦子にとっては北畠家の浮揚はすなわち久我家の隆盛だ。目的は違えど方法は同じであり、両者は共謀して運動を開始する。
戦乱を治めつつあった信長を討つなんてけしからん。
光秀は日本を再び戦乱の時代に戻そうとしている。
といったネガティブ・キャンペーンを展開。周辺勢力から協力を得られていない、安土で織田、北畠軍に負けた、坂本を落とされたなどの情報が集まると、光秀に天下を治めるだけの力はない、とさらに中傷を加えた。
一連の出来事はたしかに光秀の失点であり、不安を掻き立てる格好の材料となった。二人はそこを上手く突き、公家たちの支持を取りつけていく。真っ先に信長と仲がよかった前久を取り込めたことも有利に作用する。かくして朝廷は反明智路線をとることとなった。
味方はもはやいないも同然だが、光秀は足掻く。京の周辺にいた浪人などを片っ端から雇い、兵力を一万ほどまでに回復させた。武力で圧力をかけ、周辺の豪族くらいは引き込もうという腹である。数を増やしたのは、少しでも確率を上げるためだ。
さらに久秀へ使者を送り、裏切りを促す。だが、あまりにも不利であるため断られた。旧主など縁の深い相手ならともかく、さしたる縁もなく負けが明らかな相手に与するはずがなかった。
光秀が味方の獲得に奔走しているなか、遂にこの戦いの流れを決定づける情報が舞い込む。具房率いる北畠軍およそ三万五千(と信孝軍およそ五千)が石山へ上陸、というものだ。これで光秀は味方もなく東西から挟まれることとなり、窮地に立たされるのだった。