それぞれの反応 後編
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具房が織田軍の内紛を調停しているころ、房信の遺書ともいえる手紙が岐阜に届いた。
「……」
一読すると、雪はまず瞑目する。簡単に房信の冥福を祈ったのだ。彼に対する愛はない。だが、夫の死に何も行動しないのは拙いので祈った。残念なことに、ただの打算である。とはいえ、報告した前田玄以から見れば、雪はかなりの人格者に見えたため、狙いは成功したといっていいだろう。
「ご苦労様でした。疲れたでしょう。ゆっくり休みなさい」
「はっ」
玄以は言葉の裏を正確に読み取る。「ゆっくり休みなさい」ということは、しばらく休みを与えられるということ。これからの行動にお前は必要ない。なぜなら房信の死を知っているから。それを誰にも言うなという無言のメッセージだ。
こうして玄以の口を封じると、雪は美濃と尾張にいる主だった家臣を集めた。序列では房信に次ぐ信雄、信包をはじめとした人々が集まる。
「皆さん、集まっていただきありがとうございます」
「急に何だよ」
「三介(信雄)殿」
「チッ」
信包に窘められ、信雄は舌打ちを残して黙った。家臣たちは何も言わない。序列では信雄がこの場の最上位だが、戦国の世では実力が大きい。世間的に「無能」といわれる信雄より、優秀な信包の方が尊重されていた。だから誰も何も言わない。いつものことだ。
「それでお方様(雪)。いかがなされたのですか?」
場を代表して信包が問う。突然の呼び出しに誰もが困惑していた。
これに答えるべく、雪は房信からの手紙を見せる。中身には秘密(房信の死を窺わせる文面)があるため中は見せず、概要だけ伝えた。
「これは殿(房信)から私に送られてきた書状です。ここには、惟任日向守が謀反を起こし、大殿(信長)と殿のお命を狙ったとあります」
「「「なっ!?」」」
それを聞いて場は騒然となる。信包もさすがに驚いていた。
「落ち着け」
だが、さすがというべきかすぐに立ち直り、落ち着くように言う。
「安心してください。二人はご無事です」
雪がそう言うと、ホッとした雰囲気が流れた。場が少し落ち着いたところで、雪は房信からの指示(でっち上げ)を伝える。
「敵から逃れた安土に入ったものの二人は兵が少なく、状況は厳しそうです。直ちに援軍を送るように、と」
「それは一大事だ。皆、今すぐ兵を集めよ」
信包がてきぱき指示を出し、家臣たちはそれに従って兵を集めるべく足早に退出していく。雪は手紙を見せろと言われなかったことに安堵する。だが、信包には真相を伝えておかなければならない。彼女は個別に呼び出した。
「何かご用でしょうか?」
「はい。あなたにだけは、真実を伝えておきます」
書状を差し出す雪。信包はそれを読み、息を呑む。
「これは……いや、素晴らしい判断です」
事の重大さを認識し、出す情報を制限した雪の判断を信包も支持する。
「まあ、あの方に知られては面倒なことになりそうですから」
「お察しします」
「あの方」とは信雄のことだ。房信が死んだとなれば、後継者は自分だと出しゃばってくるに違いない。だが、あんな無能にあれこれ指図されるなんて真っ平御免だ。それは信包も同じであり、やんわりと同意する。そして残念なことに、房信は自分に代わる後継者をきっちり指名していた。己の嫡子・三法師である。
「それ以外あり得ないでしょう」
三法師の擁立に信包は賛成する。継承としては妥当なところだ。問題は誰が後見役を務めるのか。その点で揉めそうだが、雪なら上手くやるだろうと思っていた。何なら、彼女が後見役を務めてもいいとさえ考えている。具房とのパイプがあるから他の候補(信雄や信孝)よりも有力だ。どう転ぶにせよ、信包は長い物に巻かれるつもりなので関係はないが。
「しかし、このことは安土で将兵の知るところとなるでしょう。いつ真相を明かしますか?」
「諸将には安土に着いてから話してください。兵たちには知らせなくていいでしょう」
逃亡される恐れもあるため、雪は兵士たちには教えないことにした。疑問に思われた場合は、怪我をして伏せっているということにする、ということで合意する。
「三十郎(信包)殿。援軍はあなたが率いてください」
「某でいいのですか?」
「むしろ、あなた以外にいません」
主将が務まる格を持つ一門は信雄と信包。だが、信雄は能力的にアウトだ。光秀に手玉にとられて終わるだけだろう。補佐をつけるにしても我が強いため、指示に従わない可能性があった。それなら信包の方がいい。多少のいざこざが起こることになっても。
「承知しました」
「なるべく早く。ある程度、兵がまとまった段階で出陣してください」
「それでは五千ほど集まればいい方ですが……」
「構いません。速さが命です」
「しかし、敵に太刀打ちできませんぞ?」
光秀は優秀だ。わずかな兵で簡単に打ち破れるほど易しい相手ではない。万を数える明智軍に、たかだか五千でどうしろと信包。だが、そんなことは雪だってわかっている。
「兄上に協力していただきます」
「伊勢様(具房)に?」
まだ四国にいるはずで、自分たちより時間がかかるはずだと信包は訝しむ。具房が畿内へ戻る途中であることを彼は知らない。他には必要ないからと、信長が自分の許で情報を止めていたからである。雪が知っているのは、具房が手紙を送って近況を知らせているからだ。
「兄上は三旗衆に大和、紀伊の兵を連れて戻っています」
都合、四万弱の大軍である。信孝も同行しているため、これも加えれば四万に届く。彼らだけでも十分に圧倒できる数だ。
「なるほど。伊勢様たちと連携できれば、日向守も敵ではありませんな」
当初は寡兵で光秀とわたり合うと考え、弱気になっていた信包。しかし、具房という大兵力の持ち主かつ、光秀に引けをとらない戦上手が味方にいると知り、強気になった。これで勝てば功績を得られるのだから、困難どころか美味しい仕事である。
「殿の危機だ。準備が整った者から順次、安土へ向かえ!」
信包が援軍の主将となることに、家臣たちの大半は反対しなかった。信雄よりはマシ、というのが誰もが抱く共通意見。反対したのは信雄に近い家臣のみだったことが、それを物語っている。
集まった兵は五千ほどだったが、信包は心強い援軍もあることから意気揚々と戦場へ向かった。
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浅井長政と柴田勝家は共同で越中方面から、上杉家の本国である越後への侵入を図っていた。国境の山岳に立て籠もる上杉軍に対して浅井、柴田軍は猛攻を加えている。
しかし、未だ突破できていない。ここを抜かれると春日山までそれほど距離はないということで、上杉軍は決死の防衛をしている。それも突破できない理由のひとつだが、一番大きいのは浅井、柴田軍の連携不足である。
両軍はその性格がまったく違う。浅井軍は北畠軍を見習って火力を重視した編制となっている。規模はかなり見劣りするが、敵に対して火力で勝負するという思想は同じだ。長政が領有する北近江は相次ぐ戦乱で人的資源が減っている。それでも第一線で戦うべく工夫し、北畠軍をモデルにした火力戦闘にたどり着いた。
他方、柴田軍は昔ながらの軍隊だ。鉄砲こそ装備しているが、基本的な戦術は突撃。白兵戦で勝負を決める脳死戦法だ。
一応、北陸方面軍の司令官は長政ということになっている。だが、実際は勝家が主導権を握っていた。この形式と実態の乖離とは、これまでの北陸での戦いが影響している。
浅井軍は北陸でほとんど戦っていない。一向宗との戦い、続く上杉家との戦いはほとんど柴田軍が担っていた。このため柴田軍では、本当の北陸方面軍の主力は自分だ、という自負が強い。それが転じて長政の軽視につながっていた。勝家自身がそう思っているのだから救いようがない。
だが、長政にも言い分はある。一向宗と戦っていた時期は浅井家が分裂していたり、復興の途中だったりと兵を出している余裕がなかった。上杉家との戦いには兵を出したが、勝家と仲違いした秀吉が軍を勝手に引き揚げ、勝家も突出。おかげで浅井軍は川を背にして上杉軍と戦うことになり、「全滅」に等しい損害を出してその機能を失った。浅井軍が参戦していないのは、半分くらい勝家に責任があるのだ。
勝家は総大将を気取っているが、長政からすればお前のせいで散々な目に遭ったんだ。言うこと聞け、ふざけるな、と言いたいことは山ほどある。しかし勝家にそんな自覚はないため、意識は変わらない。それに長政は具房を見習っているため、個人的に気に入らないということもある。
北陸方面軍は頭の方でゴタゴタしているため、下の方でも混乱が起きていた。火力重視の浅井軍と突撃上等の柴田軍。これがとにかく相性が悪い。浅井軍が準備砲撃をしようと思ったら、柴田軍が既に突撃している。味方を撃つわけにはいかず砲撃は中断。
「どうしますか?」
「攻めなくてよい。鋭気を養え」
頑強な敵陣地が残っているところに突っ込んでも勝算はない、と長政。その後の突撃も中止させた。
戦いは予想通り、頑強な上杉軍の守りを突破できず柴田軍の攻撃は弾き返される。すると、程なくして怒り心頭といった様子で勝家が浅井軍の陣地に怒鳴り込んできた。
「攻撃しないとはどういうことだ! 我らを見殺しにするつもりか!?」
「そんなつもりはありません。ただ、あなた方が無策に突っ込んでいくために、我らが思うように攻撃できなくなったのです」
負け続けている反動か、勝家は最近やたらと長政に食ってかかる。温厚な性格をしている長政だが、毎日のように詰られると腹が立つ。反論も勝家を皮肉るようなものになった。これがさらに勝家の怒りを増幅する。
「権六殿(勝家)、落ち着いて!」
勝家が長政の許へ向かったと聞いて慌ててやってきた丹羽長秀が止めに入る。長政は声を荒らげることはないため、止めるのは勝家だ。自分と並ぶ功臣にそう言われるとそれ以上何かを言うわけにもいかず、勝家はぶつくさ文句を言いながら帰っていくというのがいつものパターンになっていた。
ところが、この日は流れが違った。
「殿! 殿!」
長政の許へ使者が慌てた様子で飛び込んでくる。騒々しい陣内だが、その使者の声はよく通った。
「構わん。申せ」
使者は躊躇いを見せたが、長政が促して報告させる。その情報は、信長と房信が光秀の謀反に遭ったというものだった。
「何だと!?」
「殿はご無事なのか!?」
勝家が反射的に問うが、使者はわからないと答えた。
たまたまその場に軍の首脳が揃っていたので、今後の方針を話し合う。否、話し合おうとした。しかし、それはできなかった。
「直ちに撤退し、殿をお助けする!」
勝家はそう主張した。長政たちは脇目も振らず撤退すれば上杉軍の追撃を受けるかもしれない、と冷静な行動を呼びかける。それでも勝家は主張を変えない。長政はなおも食い下がるが、
「ならば貴殿がされるといい!」
と言い放って話し合いの場を後にする。勝家が抜けたことで会議は明日へ持ち越そうという話になったが、長政たちは彼の行動力を見誤っていた。勝家はその日のうちに単独での撤退を強行。自身も船を手配し、本拠地である越前へと舞い戻った。
「馬鹿な」
柴田軍が撤退の準備を始めていると聞き、制止しようとした長政だったが、勝家は既にこの場にいないと聞いて呆れ果てる。理由は違えど、やっていることは批判していた秀吉と同じことだからだ。
「仕方ありません」
長秀は諦めたように言う。いないものは仕方がない。勝家抜きで事態を収拾するしかなかった。浅井軍が上杉軍を牽制するなか、各部隊は撤退を始める。織田軍が撤退するのを見て、一撃を与えてしばらく越後に来られないようにしようと上杉軍が陣地から出てきた。だが、それを浅井軍は待っていた。
「撃て! 撃て! 撃てぇッ!」
陸路で大八車に乗せて苦労して運んできた弾薬。どこかの突撃バカ(勝家)のおかげで使えず無駄になりそうだったが、ここにきて消費することができる。指揮する声にも熱が入っていた。
「紀之介(大谷吉継)、少しは加減してくれ」
「何を言う佐吉(石田三成)。ここで使わねばいつ使うのだ」
伊勢の軍学校に留学し、若年ながらも将来の重臣と目され、砲兵部隊を任されている大谷吉継。久しぶりの戦闘ということで、陣地からわらわらと出てくる上杉軍に景気よく砲撃させていた。
これに注意を与えているのが石田三成。彼もまた伊勢の集英館に留学した幹部候補。浅井軍の経理を担当している。こちらは経理らしく、弾薬は高いから使いすぎるなと注意していた。何とものんびりした空気が浅井軍には漂っていた。
一方、地獄を突き進むのが上杉軍だ。銃砲火を潜り抜けてきたが、その先には準備万端で手ぐすね引いて待っている浅井軍の白兵戦部隊がいた。消耗した上杉軍と意気軒昂な浅井軍。勝負は初めからついている。
大損害を受けた上杉軍は後退。さらに信濃方面から織田軍(信濃の森長可)が侵攻し、越後深くへと侵入したという知らせが入る。森軍は越後の諸将を破り、春日山城一歩手前の二本木に布陣した。撤退する織田軍より、攻めてくる織田軍に対処することが先決、と越中方面に配されていた兵士の一部を春日山城へ返す。残った兵士は織田軍の来襲に備え、陣地を強固にしていった。